火の玉
僕は校舎の中を走る。
きっと最上さんがまず最初に行くのは教室なんじゃないかと思って、自分の教室に向かっていた。
教室はいまだびしょ濡れで、水の中で足を動かす音がしたので覗いてしまった。
「最上さん?」
僕は覗き込みながら、小声でなげかけた。
しかし、教室まで来てみてもそこには最上さんはいなかった。
ただ代わりに倒れた椅子と机を元の位置に戻そうとテキパキ動いている委員長がいた。
「ひどい。酷いありさまだ。先に水を除けるべきだったか? でも、もう戻し始めてしまったんだ。最後までやってから、除けなおして水を掃けるか……」
え? 最上さんを追っているはずだったんじゃ?
あぁ、そういえば委員長は変に潔癖症だから乱れたものを見るとすぐに直そうとする癖があるんだった。飛鳥くんが吹っ飛んだ時に一緒に散らかった机といすを最上さんと追っかけっこしている間に目に入ってしまったんだろう。
じゃあ、最上さんはここにいないならもっと別のところを探しにいかないと。
と、僕が教室のスライドドアのところから離れようとしたとき、僕の気配に気づいたのか委員長が素早くこちらに振り返った。
「お前……真狩」
うわ、ばれた。
その視線はキリっと鋭く、僕のことをすぐ捕縛した。
「ちょうどいい。手伝ってくれ。まさかこんなに荒れてたとは思わなかったのだ」
「委員長は最上さんを追っていたんじゃないの?」
「やつはこの教室に入ったんだ。追って入ったらこのありさまだ」
今ここで手伝っていたら時間が無くなってしまう。
それに最上さんをさがさなければいけない。
ゆっくりと後ずさりする。
「……逃げるつもりか?」
「だって……無駄じゃん」
言い詰められて僕は滲みだすように言葉を吐いた。
「無駄? 無駄だと?」
「委員長も自分で言ってた。水掃いてからやった方がいいし、クラスメイト全員返ってきてからやった方が効率的……委員長、容量悪いよ」
その場は氷の中に閉ざされたように固まってしまった。後には水滴の音しか聞こえない。
あぁ、もっと言える言葉もあっただろうにどうしてこんな言い方しちゃったんだろう。
委員長は真顔で僕の方を見て、足先を揃えて真正面に顔を据えてきた。
「ご意見ありがとう。参考にさせてもらうよ」
委員長は凍えるほど冷たい声でそう言った。
僕には少しだけ震えてきこえた。
「お前は火を見たのか?」
話がいきなり変わった。
最上さんに何か言われたのだろうか。
どうする。正直に言うか?言ったところでその正体が分かるっていうのか?
「最上はこの焼け跡を見ていた。校長の言葉の最中にも、アイツはお前に話しかけていただろう? どうなんだ?」
「見たけど。見たけど、委員長にできることが何があるっていうのさ。君はルールのことばっかり考えてて、どこからともなく現れて流星みたいに飛ぶ火の玉があっても対応できないだろ?」
僕は本音を言った。
委員長は顔色一つ変わらない。
僕の言葉が本当に的に当たっていたとしても、カーンと跳ね返されているみたいな気分になる。
「ルールに従って生きれば、不慮の事故に遭わずに済むのだ。それなのにお前たちは毎日毎日、廊下を走ったり遅刻したりだ。――けれど、確かに、そんな超常現象の火の玉などというのはルールの外からやってくる。最上にはそれが対応できるというのなら、行け、最上のところへ」
委員長はもう僕に興味を失ったかのようにもくもくと教室の現状回復に臨む。
焦げた床をどうしたものか、とぶつぶつと呟きながら雑巾でこすったりして見たりするけれど、まるで彼では解決できないと知らしめるように焦げ跡は根深く教室の真ん中に刻まれている。まるで彼の言うところのルールの外から来た悪意のようだ。
僕が去ろうとしたところで、委員長は最後にこう言った。
「真狩、お前にできることは何なのか。よく考えることだな」
嫌な去り際の言葉だ。
まぁ、あれだけ好きかって僕も言ったので言い返されて仕方ない言葉だ。
僕にできること。
そんなもの委員長よりも少ないだろう。
超常現象の火の玉を見ただけ。ただ一度きり。
ただどんな見た目をしているのか、どのくらいの速度で飛ぶのかくらいしか知らない。
けれど、どうしてだろう。あれは僕が解決しなくちゃいけないことだという確信があるんだ。
最上さんはどこか。こころあたりはなかったけど、僕は勘で校舎の階段を昇っていった。
二階に上がった瞬間、三階に駆けていく最上さんの後ろ姿が見えた。




