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孤独と勇気の邂逅


 今回火の玉に撃たれた彼の名は飛鳥日人(あすかひると)くんというらしかった。

 僕こと真狩蹄(まかりひづめ)とはまったくかかわりのない人物だ。

 というよりも僕はクラスの誰とも仲がいいわけではない。

 僕は教室の真ん中でただずっと本を読んでいるような人間だから影も薄く、声をかけてくるような人も少ないばかりだ。それが何に関係があるということもないけれど。


 飛鳥くんが担任の福野先生に抱えられて連れ出される間に僕たちは先生の代理として統率を任された委員長の指示に従った。一度整列してしまえば統率が乱れていたクラスも一匹の蛇のようにスムーズな動きをする。ざわざわと憶測を飛び交わせながらも。


「避難時は押さない、駆けない、喋らない! 避難訓練と同じように!」


 蛇の頭を務める委員長が喝を入れ、隊列はより一層軍隊のように引き締まる。

 ルールに厳しい委員長はいつも煙たがられているがこのような緊急事態では頼りになるように映ったらしい。

 僕たちは校庭に出た。

 青空の中心に太陽が煌々と輝いて僕たちをじっくりと焼いていく。

 流れる雲さえもその強い熱線から逃げようと走って北へ消えていく。


 ざわめく群衆の中で太陽熱は生徒たちに伝播して更にその間の会話、スキンシップ、表情のやりとりで電気的な交換が行われ更に増幅されていく。僕だけがそのネットワークに接続されていない。安堵の弛緩する心拍に共振しないし、笑い飛ばす豪胆さに感化されることもない。相対的に冷たくなっていく肉体だ。


 太陽と風と宇宙だけが僕の周りにあるような気がしてきた……いつもと変わらないけど。

 冷めた態度で校長先生の登壇を見つめて、その頭皮に綺麗に反射する太陽光を集中して見入ってしまう。


 一瞬、あの火の玉がその光に重なる。


 あの火の玉は一体何だったんだ。

 人を攻撃する火の玉。妖怪の類?

 また現れるのだろうか。

 無差別に攻撃しているのか、それとも何か理由があって彼が選ばれたのだろうか。


「ねぇ、君」


 和製ホラー映画だと怪異を見てしまった人物が次の標的になることが多いよな。貞子とか。

 狙われたらどうするべきなのか。一瞬にして出現して、消滅する火の玉なんて防ぎようがないし、命だけでも助かるように回避を練習した方がいいのだろうか。トイレの個室なんかで現れたら防ぎようがないけど。


「ねぇ、君。君だよ」


 そこで僕はようやく自分が呼びかけられているのだろうかと思い立ち、声の主の方に首を曲げた。

 黒い長髪をピンクのシュシュでポニーテールにしている女子高校生。


「君は飛鳥くんを襲った火の玉を見たんでしょう?」


「見たけど」なんでそんなこと聞きたいのだろう。野次馬精神かな。でも、わざわざ整列を崩してまで近寄ってくるのは様子がおかしい。「面白いものではなかったよ」


「どんなだった?」

「君の頭くらいの大きさの火の球だよ」

「もっと詳細ないの? どういう浮き方で、どのくらいの速度出してた? それからどこに消えたの?」


 ポニーテールの彼女はまるで新聞記者のようにずけずけと質問攻めにしてくる。

 真上で光る校長の視線と周囲の奇異の視線が僕に向かって一方通行の通信を送ってくる。

 それが電気のように僕の肌や心臓を刺激して、心の中にプラズマが発生する。

 視線を上にあげて太陽で目を焼く。

 こうしてしまえば見たくない視線と視線を交差させなくて済むんだ。


「ところで君、誰なのさ」

「えっ私? 私はあなたと同じ1年1組の最上よ。最上優勝。もう二か月もいるのに私の名前も覚えてくれてないわけ」

「そういう君は僕の名前言えるのかな」

「それは……ごめん。覚えてなかった。なんていうの?」

「真狩蹄」

「覚えた。それでヒヅメくん、火の玉はどこに」

 ヒヅメくんってなれなれしい。一瞬なんかドキッとして胸のあたりが気持ち悪くなった。

「さ、さぁ。目の前で一仕事やり終えたみたいに消滅したから……」

「そう。ありがとう。じゃあ、またあとでね」


 彼女はそういうと姿勢を低くして颯爽と整列をかき分けて校舎の方に向かっていった。他の先生が目を見開いている中での堂々の犯行で、体育教師が「待て!」と呼びながら一緒に校舎の中に消えていった。担任の福野先生は負傷した飛鳥くんを背負っているせいで咄嗟には動けなかったらしい。


 やっと嵐の過ぎ去った僕はまた校長の頭の一点を睨むことに没頭することにしたのだが、前を向いたその時、委員長の鋭い視線がこちらに投げかけられていたことに気が付いた。委員長は僕にその視線から赤雷を迸らせており、あまりの威力に身の毛が全て逆立った。


 いや、まったく僕のせいじゃないのに。


 彼はあんまりにも神経症に見える。魚には側線という水圧や水流を感知する器官があるけれど、彼の場合は規律の乱れに対してそれが働くのだろう。


 校長先生のお話は皆さんが迅速に避難できたことを誇りに思います。という高校生を小学生ぐらいに甘やかしたような言葉とともに刈り込んだ短いスピーチで終えた。そして、校長が鉄製の壇上から降りる。それから副校長が非常ベルは鳴ったが火災は確認されなかったため、誤報であると報告した。

 それがピリオドであるかのように全校生徒の緊張の糸はいっきに切れたように、みな大きくため息をついたりなどした。


 しかしきっと何もまだきっと終わっていないはずだ。


「委員長!? どこいくの!?」


 突然に声がして、列の間をぐんぐんと割り込んでいく委員長の姿にみんなが注目する。


「最上をここに連れ戻してくる。いきなり規律を破っていなくなったんだ。問いたださねば」


 そう言って委員長は校舎の方に消えていった。

 日章旗と学校旗が強い風で翻り、バタバタという音を立てて委員長の駆け足に呼応する。

 その後ろ姿はやんちゃな生徒を追いかける仲間思いなパーソナリティよりも神経質に苛立ったカッチリ屋のそれに見えた。

 そして当然のように委員長という統率を失ってから僕らのクラスはそれぞれ仲のいいもの同士で集まるようになってしまう。先生も未だ飛鳥くんにかかりきりのようであるし、人と接するのが苦手な僕としてはこのように密集した場で孤立するのはいたたまれない気がした。


「飛鳥がケガしてるのってなんでなんだ?」

「すべって転んだんじゃないの。そんな派手な怪我には見えなかったけど」

「私見ちゃったんだよね。教室の中に焼き跡? みたいなのが付いてるの」

「え~なにそれ」

「誰か教室の状況見ていた人いないの?」


 口々に噂や憶測が飛び交い、簡単に現場を目撃していた人物の話まで浮かび上がってきた。あのときあの場所を見ていたのは恐らく僕ぐらいのものだろう。これだけ多くのクラスメイトに詰問責めにされる未来を予知して僕もまた校舎の方を向いて顔を逸らすほかなかった。

 あの二本のポールの上で旗はまだバタバタと震えている。

 僕はまるで羊の群れをかき分けるようにしながらクラスメイト達から逃れようとした。

 そのとき僕の腕を誰かが掴んだ。


「君でしょ。飛鳥が倒れた時に見ていたのって」


 それは僕の頭上から降り注ぐ声。

 高校生にして190cmに迫らんとする身長の巨人が僕のことを引き留めていた。


「逃げなくてもいいよ、守ってあげるから」

「守るって、何から?」

「君を傷つけるものから、かな。君は何か知ってるんだろう? 教室の中にいた飛鳥に何が起こったのか」


 彼の手は蛸の触腕のように絡んで僕を引き留めようとする。僕は咄嗟にその手を振りほどいた。

 痩せこけた巨人の天然っぽい笑みが消える。


「よくわからないけど、君も野次馬だろ」

「俺が野次馬? 酷いなぁ。俺はクラスメイトを守りたいんだ」

「そんなこと言って、どうせ君も僕の名前を知らないさ」


 僕は雑踏に紛れて後ずさりしながら巨人を睨んだ。

 巨人は雑踏から頭一つ飛びぬけているから僕のことをどこまでも睥睨してくる。


「蹄くん。知ってるよ。俺は皆覚えているよ。いつでも戻ってきていいよ。悪い奴はぶっ潰してあげるから」


 そう言って巨人は掌を僕の方に見せてくしゃりとアルミ缶でも握りつぶすようなしぐさをして見せた。その笑顔は僕に敵意は無いようだったが、あまりにも晴天なその笑顔の下に何か地雷でも埋まっているんじゃないかと勘繰りたくなった。


 しかし、こうもたもたしている間に僕が火の玉を見たことを知っている生徒に尋問されるのは御免だ。


 僕はいつの間にか人ごみの間を蛇のように蛇行して、飛びぬけていた。

 僕は知っている。これは訓練でも、誤報でもない。僕の目の前で不可思議な炎が人を吹っ飛ばした。

 本当に火はあったんだ。

 サイレンはまた鳴る。


 そのときターゲットにされるのは、今度はあの現場を目撃した僕かもしれない。

 そうじゃないかもしれない。


 僕はあの炎の正体を知らなければいけない。

 僕は1組の教室の急いだ。人々は走り去る僕の姿を目で追おうともしない。まるでそよ風でも吹いたみたいに、まだボヤ騒動の愚痴を言ったりしている。


 最上優勝さん。


 彼女は何か知っているのかもしれない。


 旗はたなびく。風は走る。空は澄んでいる。僕は燃えていた。







 

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