事件発熱
突如として校内にけたたましく鳴り響く音。
誰かが言った「火事だ!」
火災報知器の鳴りやまぬサイレンが教室にいた全員の神経をとがらせた。
火事?火元はどこ?逃げよう!ダメだ危険だ!
教室で静かに数学の式をノートに転記していた生徒たちが動揺して立ち上がったり、混乱して机の下に隠れたりしている。
僕はその様子を見て、地震じゃないんだから、と思いつつまったく動けずにいた。シャープペンシルを持ったまま全身が硬直して周りを呆然と見ているしかなかった。
先生がいう「みんな落ち着いて!放送を聞いた後から行動を始めましょう!いつでも逃げられるように準備して!」
先生は他の教室の先生と連携を取ると廊下に飛び出していった。
まだ僕は何が起こったのか分からない。
ふと廊下のドアの窓に何かが通り過ぎたような気がした。
まるで蛍のように淡く光るそれはしかし虫ほどの小ささではなく人の頭くらいの大きさで動いていた。
なんだ今の?
唐突に鳴りやむ火災報知器のサイレン。
そうこうしているうちに校内放送が流れる。若い女性の声で火元が一階の僕らの教室付近であることが告げられた。隣のクラスから廊下に出てきた生徒たちの声が聞こえだし、うちのクラスの男子生徒もあわてたように廊下に首を出す。
「そこ! まだ廊下に出ない! 先生が指示を出す前に避難しだしたら余計混乱が広がります」
男子の学級委員長が鋭くその男子生徒を指摘する。
「で、でも、火元は一階なんだろ!?」
「ルールはルール。避難指示に従うのが優先だ」
と、委員長と男子生徒が言い合っている間に帰ってきた先生が「非難するよー!」と鶴の一声を発し、それを承知した委員長がクラスメイトに「全員出席番号順に廊下に!」と発した。
急いで廊下に出るもの、不安そうに友人同士で固まるもの、さして緊張せず笑っているものたちの後に続いて僕は最後に出ようとした。
目立って煙やスプリンクラーの発動もしていないようだし、火災報知機の誤作動なのかな。
カンカン照りに向かいつつある五月の晴れ間のことだ。
精密機器も熱で故障したっておかしくない。
窓際にいるだけで何もせずとも汗ばむ季節なのだから。
と、殆ど空になった教室で一人の男子生徒だけが空中のある一点を見つめているのが扉のあたりに差し当たった時に見えた。
何を見ているんだ?
それは全く持って奇妙な光景だった。なんというか僕には見えない何かが見えているような様子だった。その視線は空中で何かを捉え、徐々に体ごと右回転させていく。まるで肉食動物が狙っているのを監視しているかのようだ。
そして、最後に僕の方に顔を向けた。
その表情は神妙で何かを警戒している。
しかし、僕を見ているわけではない。
その脅威は僕を根源に発されているとは彼は露ほども思っていない。
僕の頭上、つまり扉の上あたりを睨みつけたかと思うと僕もそこを見上げた。
そこにあったのはさっき幻視したあの火球だったではないか。
どうして気が付かなかったのだろうと、思う暇もなくその火球は小隕石のように彼に向かって飛んでいった。
「なんの冗談だよ! どうして――」
彼が避けようと動くよりも速く火球は彼のわき腹にヒットする。
椅子と机が大きく飛び散る。ただ掠ったそれでも彼の体は大きく吹き飛び、火球が教室の床に流星のような焼き跡を残した。彼のうめき声と崩れる椅子の音がサイレンの中に溶け込んで消えた。
焼けた匂い。
作動するスプリンクラーから放たれる水の音。
鳴りやまないサイレン。
すべてが訳が分からなかった。
火元はここだったのか?
僕は恐ろしくてまた固まってしまった。
その固まった僕の視線の先にスプリンクラーの水を浴びながらも浮遊し続けている火球があった。
まるで僕を挑発するようにメラメラと燃えて、そして空間に飲み込まれるようにして消え去った。
なんだったんだ今の。
火の玉がいきなり現れて生徒を跳ね飛ばして消えた。
僕が目撃した現象はまるで現実ではない世界の話のようだ。
でも、現実に火の玉に当たった彼は無惨にも教室に倒れていて、現実の証拠を残すように火球の痕がある。僕は現実にいる。あの火球もまた現実にいる。悪意を持ったようなあの火球が。
僕の肩を押しのけて教室に何人かの生徒が入ってくる。それを引き戻そうと委員長も僕を押しのけて彼の方に駆け寄る。先生も彼に。僕だけがまるで火球と同じようにこの空間に飲み込まれたみたいに、誰も関心を寄せなかった。僕は教室から目を逸らし、廊下に出て壁にもたれかかった。
何か、違和感があるような?
そのとき色々な音に紛れ込ませるように誰かが言った「ディヴァイデッド」と。
僕は振り返る。しかし、誰が言ったかは分からない。ただ意味だけは知っているような気がした。英単語帳に載っているようなありふれた英単語。Devideの過去形、或いは過去分詞形。
意味は「分かたれた」




