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炎を纏ってかぼちゃは踊る  作者: かぼちゃ
第3夜 剣魔と呪いの子
34/34

プロローグ 剣魔と魔剣~始まり~


かぼちゃ、第3夜です。

更新は不定期です。





―――魔剣



 それは〝剣魔〟と呼ばれる〝闇の住人〟が操る武器の呼び名だ。

 彼らの半身でもあり、稀に特殊な力を宿すこともあるが、その〝力〟は退魔に適しており、そのほとんどが《退治屋》として活動していた。

 そして、その高い身体能力と剣技によって、〝闇〟でも有名な《退治屋》の一族として名を馳せていた。




 〝闇〟は〝現〟とは重なることのない、異なる空間ーー〝現〟からは〝異界〟と呼ばれているーーに存り、自分たちの血族だけで住む者や幾つかの血族たちと共に作る者の、二つに大きく分かれていた。

 〝剣魔〟は前者で、町というよりは数百人規模の小さな集落に分かれていた。




 そして、とある〝剣魔〟の里では、今年の〝顕現の儀〟が行われていた。

 〝顕現の儀〟とは十五となった年に己から魔剣を(・・・・・・)顕現させる(・・・・・)儀式のことだ。

 今年の参加者は十数人ほどで、全員が無事に儀式を終え、己の半身である魔剣を手にした。

 日が傾いて夕焼けに染まって来た空の下、集落の中心にある大広場では無事に儀式を終えた祝いの場が開かれ、集落の全員が集まっていた。

 中心に大きなかがり火があり、今日のメインディッシュである豚が一頭、丸焼きになっていた。

 そのかがり火を囲うようにラグが敷かれてたくさんの料理が並べられ、数百人の集落の人々が新しい仲間の門出を祝っていた。


「おーい、ハインツ! 焼けたってよ……!」


 上座のラグの一角、儀式を終えた者たちが座る場所にいた銀髪の少年――ハインツは、名前を呼ばれて目の前に広がる料理に向けていた顔を上げた。

 かがり火の光に照らされて、その青い瞳が揺らめく。まだ幼さを宿すが精悍な顔立ちをした少年で、頬張っていた料理で頬が膨れていた。

 その視線の先には、小麦色の髪をした少年が両手に皿を持ってハインツに駆け寄って来るところだった。

 ハインツとは幼馴染で悪友のその少年は、隣でハインツと同じく料理に手を伸ばしていたはずだが、いつの間にかメインディッシュの豚の丸焼きの方を見に行っていたようだった。

 その両手の皿の料理は、焼けたというメインディッシュの豚の丸焼きだろう。

 緊張と無事に儀式を終えた安心感から、酷い空腹を覚えてひたすら料理を口に放り込んでいたハインツは、無言で空いている左手を差し出す。


「いや、これは俺のだよ」


 おっと、とその手を身体を回して交わし、空いていたハインツの隣の席に腰を下ろした。

 それを横目で睨みつつ、モグモグと口の中の物を咀嚼して飲み込んでから口を開く。


「ヴェルデ、取って来てくれたんじゃないのかよ……」

「そんなこと、一言も言ってねぇぜ。自分で取ってこい」


 かがり火の方を顎で指しながら正論を言う悪友――ヴェルデに口をへの字に曲げる。

 視線を下にすれば、ヴェルデが持ってきた皿には綺麗に切り分けられた焼き豚が並んでいる。食欲をそそる香ばしい香りに生唾を呑み込んでいると、勢いよくフォークが突き立てられた。


「――――うまっ!」


 目の前で美味そうに食べられ、ハインツは祝いが始まってからずっと座っていた重い腰を上げた。


「お兄ちゃーーーん!」


 とととっ、と軽い足音と共にハインツたちの下に駆け寄って来た女の子は、その両手にそれぞれ焼き豚が盛られた皿を持っていた。

 ハインツと同じ銀髪に青い眼を持つその女の子は、五つ年下の妹だ。


「はい! 持って来てあげたよー」

「悪いな。ありがとう、リナ」


 差し出された皿を左手で受け取り、右手で軽く頭を撫でる。

 えへへ、と妹のリナは満面の笑みを見せ、


「お父さんとお母さんにも渡して来るね!」

「ああ……」


 ひらひらと手を振り、リナはかがり火の方へと駆けていく。


「俺の妹の方が、お前より気が利くよ」

「お前にはもったいねぇなぁ」


 ジト目を向けると、ヴェルデは肩を竦めて肉にかぶりつく。

 ハインツも妹が持って来てくれた料理にフォークを突き刺し、かぶりついた。


「…………うまっ」


 パクパクと口に豚肉を放り込んでいると、一皿目を食べ終えたヴェルデが二皿目に手を伸ばしつつ尋ねて来た。


「お前、里を出たらどうするんだ? どこのチームに入るか決まってるのか?」

「んん? ………んー」


 ちょうど口に入れたところだったので、ゆっくりと味わいながらハインツは視線を上に向けた。

 ちらほらと星が見え始めた空をしばらくの間見つめ、ごくり、と飲み込む。


従兄(ジェイ兄)チーム(ところ)に誘われた。父さんもチームに入るかどうかは分からないけど、慣れるまではいいんじゃないかって」

「あー……ジェイさんトコかぁ」


 ヴェルデは、げっと顔をしかめた。

 父方の従兄は四つ年上で、すでに《退治屋》として活動している。

 幼い頃から受けている戦闘訓練にて、先輩として指導されることもあり――色々と苦い思い出も多かった。


「そっちはどうするんだ?」

「俺は親父の知り合いのチームに頼んで了承をもらっているぜ。定期的に育成枠みたいな感じで受け入れているらしくてさ」

「おじさんの知り合いのところか……」


 そっか、とハインツは呟いた。

 ヴェルデとは家が近所であったことから幼い頃から一緒に遊び、訓練も何かとペアを組まされたりと、それこそ家族のように育ってきた。

 魔剣を得たので、あとはその使い方(・・・・・)を覚えて里を出れば、《退治屋》となったとしても別行動になるだろう。

 少し感慨深げにヴェルデを見ると、ひょいっと片眉を上げてきた。


「何だぁー? 寂しいのか?」

「やぁーっと、お前の顔を見なくてすむんだ。せいせいするわっ!」


 ふんっと鼻を鳴らすと「それはこっちの台詞だぜ」とヴェルデは肘で小突いて来る。

 絶妙な位置に入り、ハインツは身体を避けながら「このやろぅ!」と負けずと肘でヴェルデの脇腹を突いた。

 互いにヒートアップして攻防を続けるが、二人の口元には笑みが浮かんでいた。






――――その時はまだ、これで腐れ縁が切れるのだと思っていた。






〝GAAAAAAAAAAッ!!!〟




 騒がしかった広場も静まり返り、夜の帳が降りて虫の音が響く中に、身の毛がよだつような叫び声が響き渡った。


「っ!」


 自室で眠っていたハインツは、身体を押し潰そうとする禍々しい霊力を感じて飛び起きた。


「なんっ、だ……?」


 眠気は吹き飛ぶものの頭は働かず、暗闇に目を眇めて辺りを見渡した。

 身体がガクガクと震え出すが、それは寒さから来るモノではない。

 訓練で滅した悪霊の比ではない――今までに感じたことのない圧倒的で禍々しい霊力に、本能的に恐怖を抱いているのだ。



〝GOAAAAAAAAA!!〟



 再び、身の毛がよだつ叫び声が聞こえたかと思えば、警報が響き渡った。

 悪霊が近隣に出現した時のモノだ。

 そして、微かに怒声が聞こえ始めた。


「何でっ、悪霊がっ……?!」


 〝顕現の儀〟を終えれば〝剣魔〟は成人となり、悪霊が出ればその対処に追われることになる。

 常々、そう言われ続けていたので、恐怖に苛まれながらも行かなければという思いが沸き起こった。

 ハインツは立ち上がろうと前屈みになり、




―――カタンッ




と。右手の中に何か(・・)が出現した。


「っ!」


 びくっと肩を震わせて振り返ると、キラリと一瞬だけ輝く黄金の光。

 それは相棒の魔剣に填まった宝石が、月の光を反射したモノだった。


「い、いつの間に……」


 無意識に出していたのだろう。

 数秒ほど意識が魔剣に逸れたその頭上で天井が爆散し、ハインツは意識を失った。






「………っ―――ぅあ……?」


 ふと気が付くと、ハインツは右腕に冷たい感覚と、圧し掛かるような圧迫感をまずは覚えた。

 次に右腕の筋を違えたような痛みがあるが、それは右足から感じる激痛に比べればたいしたものではない。熱した鉄板に当たったかのような熱さに、身動きをしただけで脳天から突き抜けるような激痛は、右足が負傷したのだと分かった。


「こ、れ……っぅ!!」


 激痛と圧し掛かって来る圧迫感に息を詰め、意識が飛びかける。


(………折れ、たか?)


 混乱する頭に、再び、あの雄叫びが聞こえて来た。

 先ほどよりも近くに感じる悪霊の気配に、びくりと身体が震える。

 その振動で、さらに圧迫感が増した気がする。


「ぅくっ―――ぁ、ぁぁっ、はっ、くぅっ」


 息苦しさと足の激痛に考えがまとまらない。


「ハ―――ハイ――だ!――事をしろ! ハインツ!」


 どこからか名前を呼ばれた気がして、はっとハインツは朧げになった意識を取り戻す。


「ハインツ! 何処だ? 何処にいる?!」


(と、うさん……?)


 声の主は父親だ。両親はリナと一緒に別室に寝ていたはずだが、どうやら父親は無事のようだ。


(じゃあ……母さんと、リナも……)


 ほっとして身体から力が抜け、魔剣を挟んで圧し掛かる天井の残骸の重みが増した気がして顔を歪めた。


「ハインツ! 返事をしてくれっ」

「………………と、っぐ!」


 ハインツは返事をしようと口を開くが、残骸の圧迫からか上手く呼吸が出来ず、声が出なかった。


「おい、坊主! 声がダメなら霊力を高めろ!」

「聞こえているか? ハインツ、霊力だ!」

「ちょっとでもいい! 霊力を高めろ!」


 さらに近所のおじさんの声も聞こえてきた。


(れい、りょく……)


 正直なところ、全身を駆け巡る激痛に集中は出来ないが、何人かいてくれるのなら僅かな揺らぎでも見つけてくれるかもしれない。


「はぁっ……はぁ、はっ……はー」


 残っている力を振り絞り、ハインツは数秒ほど霊力を高める。


「ハイン、――ここだっ! この辺りだ!」


 父親の声が途切れたかと思えば、直ぐ近くで聞こえて来た。


「けど、このがれきは……」

「―――おいっ! こっちに来るぞ!」

「はぁっ? ――――くそっ。俺たちで時間を稼ぐ。早く出してやれ!」


 父親の戸惑いの声の後ろで、誰かが叫んで走り去っていく。


「時間がねぇ、斬り飛ばすぞ! 退け!」

「え? あ、あぁ、やってくれ!――ハインツ、衝撃に備えろ!」

「っ!」


 父親の声にハインツは魔剣を顔に当てるように引き寄せ、身を固くする。



 轟音と共に全身を突風が叩きつけた。



 腕にかかっていた圧迫感が軽くなる。


「ハインツ!」


 父親の叫び声が聞こえ、頭上で何かが切り刻まれる音と共に、辺りに細かい破片が散った。


「ハインツ、大丈夫か?!」


 最後に魔剣の上にあった重みがなくなって、すぐ傍で父親の声がした。

 魔剣を握りしめていた右手の力を抜くと、ふっと魔剣は虚空に消えた。

 力み過ぎて強張った右腕の向こうに、顔を歪めて覗き込む父親の顔が見える。


「父さ、っ――」


 身動きをしようとして、右足に走った激痛に顔が歪む。

 圧迫感から解放されて、咳き込むハインツの上半身を父親は起こし、足の方へと視線を向けた。


「コレは……折れているな。誰か、添え木と布を」

「ああ、分かった!」

「他は大丈夫か? 何処が痛い?」


 父親はハインツの頭や身体に視線を走らせながら尋ねて来た。


「けほっ――右腕を、捻ったけど……大丈夫」


 ハインツは痛みで荒くなる呼吸を整えつつ、父親を見上げる。


「父さん、は……? 母さんと、リナは何処に……?」

「俺は大丈夫。母さんもリナも無事だ。ヴェルデくんたちに避難所へ一緒に連れて行ってもらっている」


 にこりと笑う父親だが、頭には包帯を巻き、少し血が滲んでいた。

 それでも心配をかけようとしまいとする父に、ハインツはぎこちない笑みを返す。


「そっか……良かった」


 深呼吸を繰り返し、右足の激痛に顔を歪める。


「布と添え木だ」


 駆け寄って来た男の手には、丁度いい長さに斬られた木と長細く裂かれた布が見えた。


「添え木をする。痛むが我慢しろ」

「っ……」


 添え木をして布で固定するために襲って来た痛みに、歯を食いしばる。


「よし。ひとまずはコレでいいだろう」

「――はぁっ、はっはっ」


 詰めていた息を吐き出し、ハインツは荒い呼吸を落ち着かせようと深呼吸を繰り返した。


「この板なら乗せられるだろう。コレで運ぶぞ」

「ああ――ハインツ、今から避難所に行くからな。そこまで、もう少し我慢してくれ」


 父親の言葉に、ハインツは頷きを返した。


「俺たちは討伐の方へと回る」

「分かった。気をつけろよ」


 吹き飛ばされながらも形を保っていた戸の一つに下ろされ、おじさんと父親が両端を持って動き出す。

 振動によって激痛は絶え間なく続くが、足手まといなので泣き言は言えない。

 揺れる視界に広がる夜空には悪霊の絶叫が響き、霊力が迸っているのを感じた。






「あなた!」

「お父さん!」


 いつの間にか意識を失っていたハインツは心配していた相手の声を聞き、ふっと意識を取り戻した。


「ハインツを見つけたぞ。怪我をしているが、命に別状はなさそうだ」

「っ! ハインツ!」

「お、お兄ちゃん……っ!」


 ゆっくりと地面に下ろされる。

 ハインツは目を瞬かせて声がした方向を見ると、母親と妹が駆け寄って来るところだった。


「俺はひと足先に戻る」

「ああ、すまない。ありがとう」


 父親と一緒に運んできてくれたおじさんが、踵を返して来た道を戻っていく。


「母さん、リナ……無事でよかった」


 ハインツは力ない笑みを浮かべ、父親に背を支えながら身を起こす。


「お兄ちゃん!!」

「ーーっと。リナ、お兄ちゃんは怪我をしているから、抱きつくのはダメだぞ」


 母親より少し早く辿り着いたリナがハインツに抱きつこうとしたので、父親が体で受け止めた。

 母親は傍らに膝をついて、ハインツに手を伸ばしてくる。


「ああ、ハインツ……無事でよかったわ」


 母親は今にも泣きそうな顔で、笑みを浮かべた。


「ごめんなさい。あの悪霊が近くにいたから、半壊した家に貴方を置いてリナをつれてくるしかなくて……」


 両頬を包み、他にけがはないかと頭や手、体を見渡す母親に「ううん」とハインツは首を横に振った。


「ごめん。魔剣を授かったんだから、俺も母さんたちを守れるはずだったのに……」


 母親の左肩は服の上から包帯が巻かれていた。

 リナに怪我はなさそうなので、恐らく、両親がリナを庇ったのだろう。


「いいのよ。さぁ、立てる? 早く避難所に行きましょう」

「うん。少しは……」


 母親に支えられつつ、ハインツは身を起こした。

 避難所となる建物は二階建てで、堅牢なつくりになっているが里の全住民を避難できる広さはない。

 その地下に大きく広がっているのだ。


「俺は現場に戻る。担当の指示に従ってくれ」


 父親はリナをそっとハインツたちの方へと押しつつ、そう言った。

 母親は心配そうな表情を見せるが、強く頷きを返す。


「分かったわ。気を付けて」


 父親は軽く手を挙げ、未だ絶叫と戦闘音が止まない里の中心部へと走り去っていく。


「さぁ行くわよ。ゆっくりでいいからね……」

「うん。大丈夫」


 母親が左腕を首に回して支えてくれるので、寄りかかる。

 妹は今にも泣きそうに顔を歪めて、母親の影からハインツの右足を見つめた。


「お兄ちゃん……足痛い?」

「少し、な。けど大丈夫だ。すぐに治る」


 痛みでぎこちない笑みになったが、ハインツはリナに笑いかけた。


「ハインツっ! 大丈夫か……っ!」


 建物の中から出て来たヴェルデが、ハインツの姿を見ると顔色を変えて駆け寄って来た。


「ああ……右足を折ったみたいだけど、他は大丈夫だ」


 ヴェルデは応急処置をされたハインツの足を見て一瞬顔をしかめるが、


「おばさん、コイツは俺が運びますよ」


ちらりと母親の足に引っ付いて離れない妹に視線を向けると、そう言った。


「…………そう? ごめんなさいね」


 母親はヴェルデに場所を譲り、「さぁ、お兄ちゃんも来たから避難所の中に行きましょう」と妹の背中をさすりながら促した。

 ヴェルデはハインツの左腕を首に回し、


「よし、行くぞ」

「ああ。悪い…………」


 避難所に向かって歩き出すと妹が不安そうに振り返って来るので、ハインツは安心させるように頷きを返した。

 ほとんどヴェルデに寄りかかるように足を進めるが、思ったよりも動きが遅く母親たちとの距離が開いていく。


(………っ――そうだ)


 杖の変わりにしようと、ハインツは魔剣を手に現した。

 ざしっ、とその切っ先を地面に突き刺し、前に押し出すように歩く。

 未だ右腕の筋が痛く力が入らないが、ないよりはマシだった。


「おばさんは、もう避難所なのか?」


 ハインツは激痛に荒い息を吐きつつ、気を紛らわせようと気になっていることを尋ねた。


「ああ。親父は迎撃に行った。俺も――儀式を終えたばかりの奴は、ココの警備をすることになっている」

「そうか……何かヤバイ気配だ。気を付けろよ」

「ああ、分かってるよ」


 建物の入り口で母親たちが振り返ったのを見たその時、




〝GOAAAAAAAAAッ!!〟




背後で、絶叫と共に禍々しい霊力が迸った。

 ソレに、その場にいた誰もが身を竦める。




―――ぞくりっ、




と。背筋が震え、右手に持つ魔剣が熱を帯びたように熱くなる。


「っ!」


 とっさにヴェルデを左肩で押し出すように突き飛ばし、魔剣で地面を強く突いて身体を回転させた。

 左足を軸に振り返りつつ、魔剣を身体の前に掲げようとして、右腕に走った痛みに動きが鈍る。




―――ドスッッッ




と。ハインツの胸の中心を黒い〝何か〟が突き抜けた。


「がはっ……!」


 その衝撃で身体がくの字に曲がり、体に刺さっている黒々として禍々しい〝何か〟――剣の刃のように薄いモノが視界に入った。

 突き刺さった場所からは、血は出ていない。肉体的な損傷がないことから、それは物質ではなく霊的なモノで作り出された――悪霊の一部だと分かった。

 とっさに右手の魔剣を離してソレを掴んだ瞬間、




―――ドクンッ




と。ソレが脈動し、禍々しい黒い刃から〝何か〟がハインツへと流れ込んで来た。

 身体の内側から食い散らそうと広がった。


「がっ――があぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 その激痛に身体を大きく逸らし、ハインツは夜空に向かって絶叫した。

 浸食してくる〝何か〟を止めようと両手で黒い刃を掴むが、痛みで麻痺した身体はガクガクと震えて力が入らない。


「ハインツ!」

「っ!」


 地面に転がったヴェルデが受け身を取って体勢を立て直し、ハインツに手を伸ばすが、それよりも早くハインツの身体が空へと飛び上がった。

 悪霊が黒い刃を上に持ち上げたことで、ハインツを空へと持ち上げたのだ。


「ハインツ―――ッ!」


 地上で叫ぶヴェルデの声は、ハインツの耳に入って来ることはなかった。


(痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い――ッ!)


 浸食する〝何か〟への嫌悪と拒絶感、体の内側から食い破られる恐怖――ハインツはがむしゃらに両手を動かすが、全く意味はなかった。

 目は零れんばかりに見開かれ、激痛と恐怖で浮かんだ涙が頬を伝う。

 その身体が前に飛び出し――黒い刃が引き寄せ、里の中心部から飛んで来た悪霊の前に晒される。




 それは人の形をしていた。




 その顔は激痛で叫ぶハインツは認識できなかったが、例え、正気を保っていたとしても、禍々しい霊力によって空間が歪んでおり、また全身から噴出する赤黒いオーラのようなものによって、判別は出来なかっただろう。

 ただ、分かるのは身の丈が二メートルほどあることと、その中でも煌々と輝く白目――その中心にあるどす黒い光だけだった。

 そして、全身を覆う赤黒いオーラは無数の鞭のようにしなって周囲の接近を防ぎ、一種の結界となってハインツたちを隔離した。


〝―――〟


 ハインツの身体を貫く黒い刃は、その悪霊の右手から伸びていて、急速に悪霊の下へとその身体を運ぶ。


「ぁぁぁぁ、ぁぁ、」


 激痛と恐怖に苛まれる中で、ハインツはその深淵のようなどす黒い瞳だけを認識し――真っ直ぐに向けられる悪意に本能的な恐れが膨れ上がって身体の震えが大きくなる。




「そいつを離せ!」




 その時、良く知った声が聞こえ――鈍い一閃が視界を横切った。

 悪霊の死角から、飛び上がってきたヴェルデが手に持つ魔剣を振り下ろしたのだ。


「ぐぅっっ?!」

「―――がっ?!」


 己を貫く黒い刃からその一撃の衝撃が伝わり、ハインツは咳き込む。

 僅かに理性が戻り、視線を声がした方へと向けた。両手で魔剣を持ったまま、頭上に上げたヴェルデの姿が見えた。

 ヴェルデの一撃は通じず、弾かれた反動でその表情は苦痛に歪んでいた。


「ヴ、ヴェ、」


 助けに来てくれたのだ。

 腐れ縁の幼馴染の姿に、顔が歪む。

 ヴェルデの目と目が合い、



―――ドゴォッ!!



と。漆黒の一閃が視界を横切り、ヴェルデへと襲い掛かった。


「ぐっ―――ぅあぁっ!!」


 とっさに腕を引き、その柄に近い部分で攻撃を防ぐが、二撃目三撃目と連撃を受けた上に空中だったことが災いし、ヴェルデは大きく吹き飛ばされた。


「っ!」


 その姿が黒い森の中に消え、木々が悲鳴を上げる。

 そして、地面に何かが激突する音が響いた。


「ぁ、ああ……あ、ああ……ぁあ」


 ヴェルデが消えた森を、ハインツは目を見開いて見つめた。

 恐怖も激痛も頭の中から吹き飛び、ただ茫然と土煙が立ち上った先を見上げる。

 誰かが「ヴェルデ!」と落ちた場所へと駆けていく。


「あああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 一撃は防いでいた。背中から吹き飛ばされた。高さはあったが、クッションになる木もある。自分たちの身体は丈夫だ。受け身も習っている。

 何の、問題もないはずだ――。


「っ!!」


 悪友で親友とも言えるヴェルデを傷つけられ、ハインツの意識が憤怒で染まる。

 射殺さんばかりに眼前の――身の内に喰らいつく悪霊を睨み付ける。


(よくも――っ!)


 滅してやる。

 胸の奥底から燃え上がった怒りに任せ、ハインツは霊力を爆発させた。

 脳裏に浮かぶのは、手に入れたばかりの相棒――魔剣の姿。

 未だ顕現させたばかりで、本格的な同調を行っていないのでその〝名〟は知らない。

 けれど、高まった霊力に反応、背後で相棒であり半身が同じように猛っているのは分かった。


(来い!)


 お前も、同じように怒りを感じているのだろう。

 だから、手を貸せ。




「〝ブルトォォォォォォガァァングゥゥゥゥゥゥ――ッ〟!」




 脳裏に浮かんだ相棒の〝名〟を、天に向かって叫ぶ。

 右手を握り締めれば、がしり、と力強い――その身の内に荒ぶる霊力を内包した魔剣〝ブルトガング〟の柄が収まった。


「っぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおお!」


 左手で黒い刃を掴み、悪霊の顔に向かって〝ブルトガング〟を突き出す。

 悪霊は顔らしき場所に向けられた一撃を身体を傾けようとするが、ハインツはさらに左手を引いて自ら黒い刃を体内に差し込むことで、それを阻害する。

 〝ブルトガング〟は悪霊の左目を貫き、深々と突き刺さった。




〝GYAAAAAAAAAAAAAAAAAッ〟




 絶叫が迸り、悪霊は両手で頭を抱えて身体を振り回す。


「っぁああ?!」


 左手を万力のような力で掴まれ、思わず、右手を離して相手の手を掴む。

 だが、体を振り回され、ずるり、と身体の中から黒い刃が抜けた瞬間、地面に向かって投げ捨てられた。


「ハインツ!」


 地面に叩きつけられる前に、誰かに身体を受け止められ、どんっ、と地面に着地した衝撃に身を強張らせる。

 受け止めた誰かは、こちらを覗き込んできて、


「ハインツっ、しっかりしろ!」

「ぐっ、あ、ああ……?」


 霞む視界に目をすぼめ、何度か瞬きをして抱き留めてくれたのが父親だということに気付いた。


「と、ぉ……――ぐぅっ!」


 怒りが消え失せ、霊力の迸りが収まってきた途端に襲い掛かった激痛に、身体をのけ反らせた。

 未だ身の内に巣くい、暴れ回る悪霊の霊力に胸元を掻き毟る。


「ハインツ!」

「がっ、がああああああああぁぁぁぁぁっ!」


 暴れ回るハインツの身体を抑えるように抱き締めるが、ハインツは再び襲い掛かる激痛に苛まれていた。


「あなた! 避けてっ!」

「っ?!」


 母親の声にはっと父親が顔を上げ、ハインツを抱えたまま後ろに飛び抜こうとするが、上空から放たれた金の閃光がハインツを貫いた。



「がは――っ!」



 悪霊の〝何か〟に貫かれた場所に重なるように突き刺さったのは、ハインツの魔剣である〝ブルトガング〟。

 だが、魔剣は主を――己が半身を傷つけることはない。


「―――」


 数秒ほど、その場に居合わせた誰もが、己の半身に貫かれるハインツを見つめた。


(〝ブルト、ガング〟………)


 貫かれた瞬間、身の内から食われる激痛が消え失せる。

 〝ブルトガング〟が貫いたのは、ハインツの奥深くに巣くった悪霊の霊力だった。

 激痛と恐怖から解放され、ゆっくりと意識が薄れていく中でハインツは霞む視界に浮かぶ分身を見上げる。

 その柄と刀身の間にある――金色の宝石だけはくっきりと見ることが出来た。




―――カッ、




 次の瞬間、視界が金色の光に覆われ、ハインツは意識を飛ばした。






 その閃光を浴びた途端に悪霊は逃走したと、ハインツが聞いた襲撃事件の顛末だった。

 そして、その襲撃事件こそ、ハインツの人生を大きく狂わすことになった――。






          ***






―――襲撃事件から半年後。



「………」


 ハインツは里が見渡せる丘に立ち、茫洋とした視線を向けていた。

 その腰には細やかな刺繍が施された布を巻いた剣を佩き、足元にはカバンが一つ置かれている。

 どれぐらい立っていたのか、ふと何かに気付いて目を伏せた。


「見送りに来なかったから、寝ているのかと思っていたけど……今さら来たのか?」


 里の方から丘を上がって来る、良く知った気配に声を掛けると、


「何だ? 寂しかったのか?」


からかう様な声が返って来た。


「それは――お前、その恰好は……」


 ハインツはため息をついて目を開くとその人物――ヴェルデの姿を見て、眉を寄せた。

 ハインツと同じように旅支度をしたヴェルデは、にぃっと悪戯が成功したような表情を見せる。


「驚いたか?」

「驚いたってお前……まだ、里を出る時期じゃないだろ」


 魔剣を得て、一年ほどは里で慣れてから出ていくのが習わしだ。

 ハインツが今日――足の骨折が治ってほどなくして里を出るのは〝とある事情〟が原因だった。

 それは里の誰もが――ヴェルデも分かっているはずだ。


「許可は得ているぜ」

「許可って、何で……?」


 訝しげに尋ねると、ひょいっとヴェルデは片眉を上げた。

 本気かコイツ、と言いたげな表情だ。


「一人じゃ寂しいだろうから、俺が一緒に行ってやるよ」

「!?」

「ジェイ兄のところに行っても、どうせ、ひと段落ついたら出ていく気なんだろ?」

「なっ……?」


 事件後、色々と手配をしてくれたのは従兄だった。今のハインツの状態も話した上で《退治屋》のイロハを教えてもらえないかと頼んだところ、あちらからも出来る限りの手助けはすると言ってくれた。

 だが、ヴェルデが言うようにしようと考えていたことは、誰にも話してはいない。


「お前、どれだけの付き合いだと思っているんだ? おじさんとおばさんにもバレバレだっての」

「っ!」


 ヴェルデの言葉に愕然としていると、まじかぁ、とヴェルデは呆れた表情をした。


「一緒にって、お前……相手がいったい何なのか、本当に分かっているのかっ?」


 はっと我に返って、ハインツは詰め寄る。


「それにコレは俺の問題で、」

「ちゃんと、全部聞いてるよ。その魔剣と――お前の体のこともな」

「っ!」


 思わず、胸元の服を左手で掴む。

 その下には、あの日――悪霊に襲撃された時、襲われて突き刺さった黒い刃の痕があった。

 ただの傷ではない、消えることのない痕が。


「………」


 ヴェルデが目を細めたので、ハインツは左手を離して目を逸らす。

 それを気にせず、ヴェルデはハインツの腰にある魔剣に視線を移した。


「あの時の傷――そこに〝呪い〟を受けていたことも……ソレをお前の魔剣が肩代わりしたことも」

「………」


 あの夜、黒い刃に刺された痕は、悪霊の霊力に侵された証――それはハインツの身体に深く刻まれていた。

 そして、そこに魔剣が刺さった意味は、ハインツ(己が半身)を守るためだったのだ。


「なら、俺と行動を共にする危険性(・・・)も分かっているだろ……」


 魔剣が〝呪い〟の大半を肩代わりしたとはいえ、〝呪い〟の根幹は体の奥底に根付いている。

 本来、必要に応じて身体から顕現させる魔剣を現したままなのも、顕現を解いて体に戻した時に〝呪い〟がどうなるか分からないので、担当となった医師から止められていた。

 ハインツの体を蝕もうと蠢き続け、それは肉体的なものだけでなく、〝とある悪影響〟もヴェルデの同行を拒否する理由だった。


「俺はこの呪いを解くためにアイツを探して倒す。けど、探している間もその浸食は進み続けるるから……」


 半身たる魔剣は離れることは出来ず、もし砕ければ心身に深刻なダメージを負うこととなるーー〝呪い〟に蝕まれた状態では、命に関わると言われていた。

 そのため、ハインツに残された解呪方法は呪った相手を倒すしかなかった。

 〝災級(オードラスカ)・七〟と認定された悪霊をーー。


「俺も借りはあるからな。きっちり返さないと気が済まない」


 ヴェルデは肩を竦め、軽い調子でそう言った。


「っ――!!」


 全く話を聞かないヴェルデにかっとなり、ハインツはその胸倉を掴む。

 お前、とハインツが口を開こうとして、




「いざという時は、俺が止めて(・・・・・)やるよ(・・・)




「―――っ?!」


 その言葉に息を呑み、目を見開く。


「―――」


 そんなハインツを今までに見たことのない真剣な表情で、ヴェルデは見返す。


だから安心しろ(・・・・・・・)

「っ……!」


 ハインツは唇が震えそうになり、ぎゅっと噛みしめた。

 一瞬で歪んだ視線を逸らし、ヴェルデの胸倉から手を離す。

 よろめきながら数歩、後ろに下がると、ヴェルデは反対に強く踏み出して来た。

 どんっ、と突き出された拳が胸元を叩く。


「お前のへっぽこ剣技なんて、対処するのは余裕だぜ。顕現させたままなら、余計にな」

「…………へっぽこじゃ、ねぇよ……」


 ハインツは目を閉じ、力なく笑った。

 伊達に腐れ縁ではない。

 互いに考え方もよく分かる。

 ヴェルデがハインツの考えを見抜いたように、ハインツもヴェルデが一度言い出したことはテコでも変えないことは分かっていた。

 深呼吸をして心を落ち着かせからヴェルデに視線を戻すと、にっといつもの笑みを浮かべていた。


「あの悪霊を探し出して、絶対倒すぞ」

「………………ああ!」


 胸元から退けられて前に出された拳に、ハインツは拳を合わせた。






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