第11話 かぼちゃ、悪霊は相談相手に向かないと思う
〝紹介所〟の本部は地下に実験場と訓練場、二階は消耗品や装備などを取り揃えた店舗や食堂、三階から五階が会議室、六階は副所長や所長の執務室があった。
三階の廊下を赤みがかったオレンジ色の髪と赤い目を持つ、十代半ばぐらいの少年――ジオラが歩いていた。廊下は人が四人は余裕で横並びで歩ける広さがあり、一定間隔でドアが設置されている。
ジオラはドアの横の部屋番号を確認しながら、予約した会議室を目指していた。
『いったい、何の相談だろうねー? ティトン』
(さぁなぁー……あんなところじゃ、詳しく聞けなかったし)
『あんまり目立つのもダメだよねー』
ジオラが会議室を予約した理由は二日前、散歩をしていた時に偶然会ったティトンに相談に乗って欲しいと頼まれたからだ。
いくら〝結界〟を張っているとはいえ、人目につき過ぎる討伐後の現場で話を聞くわけにもいかず、本部の会議室に来るように伝えてあの日は別れた。
〝紹介所〟の訓練場や会議室は、予約すれば誰でも使用することが出来るようになっているのだ。
(――ってか、悪霊に相談を持ち掛けるなよなぁ)
やれやれ、と内心でため息をつく。
『とか言いつつ、話を聞くんだね!』
くすくすと笑うエプリに、ジオラは答えなかった。
受付で聞いた部屋番号を見つけ、ジオラはドアの横にあるカードリーダーに借りたカードを通す。
ピッと音が鳴って、ドアが横にスライドした。
「あ……」
一台の長テーブルと四つのイスしかない小さな室内の中央――先に来ていた青年は、ドアが開いたことに驚き、イスから立ち上がってこちらを見つめていた。
「ん? 早いな」
「ジオラが時間ぴったり過ぎるんじゃないかな」
ぴょんっとジオラの影から飛び出したエプリが、そう言いながら青年――ティトンに向かって飛んでいく。
「すみません。お時間をいただいて」
ティトンは背筋を伸ばし、頭を下げた。
「いや、別にいいけどさ」
「夕暮れ時はだいたい暇だしね――わぁっ、プリンだ! フルーツいっぱいの!」
テーブルの上に並んだ二つのプリンアラモード―― 一つはミニサイズだった――に、エプリが顔を輝かせた。
食堂で頼んで持ってきたのだろう。
「話を聞いてもらうお礼にと思って……どうぞ。食べて下さい」
「僕もいいの? わぁーい!」
エプリは器の隣に立つとミニスプーンを手に取り、遠慮なく突き刺していく。
「あー……悪いな。エプリの分も」
いえ、と首を横に振るうティトンの前には、アイスコーヒーが入ったグラスが置かれていた。
ジオラが長テーブルを挟んだ向かい側のイスに座ると、ティトンもイスに腰を下ろした。
「それで相談だったか?」
「はい。修業でちょっと行き詰まっていて、アドバイスをもらえたらと」
緊張した面持ちのティトンに、悪霊相手にそう固くならなくてもいいだろうにとジオラは思いつつ、
「あの時は何も言わなかったけど、俺は悪霊だぜ? 悪霊に相談なんかしてどうするんだよ」
「そ、それは……」
少しバツが悪そうに視線を泳がせるティトン。
「〝現〟にも師匠はいるんだろ? そもそも、ガドに相談すればいいんじゃねぇか?」
「はい。〝現〟にも師匠はいますが、修業の内容について軽々しく話していいものか分からないので……」
『まぁ一族のことだしねー』
パクパクとプリンを口に運びながら、エプリは声に出さずに言った。
「ガドさんには何回か聞いているんですけど……それでも、あまり上手くいかなくて」
そう言うと、ティトンは俯いて言葉を切った。
『何度も聞いて、がっかりさせたくないよね!』
(そう言うものか?)
うんうん、と頷くエプリにジオラは内心で小首を傾げた。
(それにしたって、悪霊にアドバイスを求められてもなぁ……上手く出来るとは思えねぇんだけど)
『ちゃんとしたアドバイスがしたいって思ってるんだね!』
失礼な奴だなと思ったがソレを言うと認めてしまうので言えず、ジオラは内心でため息をつく。
『でも、他の人に相談しにくいのはジオラのせいじゃないかなー?』
(せいって、人聞きの悪いことを言うなよ……!)
確かに〝血〟の覚醒についての訓練についてなど、そう易々と相談が出来る相手はいないだろう。
それこそ、事情を全て知っているジオラぐらい――消去法だ。
「…………まぁ、話だけは聞いてやるよ」
「!」
ティトンは勢いよく頭を上げて、ぱぁっと顔を輝かせた。
ジオラはその期待に満ちた視線を払うように片手を動かし、
「ただ、真っ当なアドバイスは期待するなよ? 愚痴を聞く感じだ、愚痴を。吐き出すだけでもスッキリするだろ」
「ありがとうございます……!」
それでもいいのか、ティトンは喜びに満ちた目を向けてくる。
(…………何で、コイツも)
もう一度、内心でため息をついてから、ジオラはプリンアラモードの器に手を伸ばした。
スプーンでプリンと生クリームを一緒にすくいつつ、
「それで、何に悩んでいるんだ?」
えっとその、とティトンは何から話せばいいのかと迷う素振りを見せ、
「今、変わった訓練をしているんですけど――」
「ああ……?」
「変わった訓練?」
その言葉に、ジオラとエプリは小首を傾げた。
「はい。訓練と言っていいのか分からないんですが、霊力の感知能力――探知の精度は上がって来ているので訓練だと思います」
「へぇー。どんなことをしているんだ?」
「〝宝探し〟……森の中で霊石を探しているんです。〝血〟を覚醒させるにあたって、その制御に有効な術具に使うために」
「ふぅん……?」
〝宝探し〟。
あの生真面目なガドにしては珍しい揶揄に、ジオラはフルーツをつついていた手を止めた。
(ガドが〝宝探し〟、なぁ……?)
『んー。何か似合わないね!』
いつも通り、思ったことをはっきりと言うエプリはスルーして、
「霊石って……ガドが色々しているとはいえ、あの森じゃあゴロゴロ転がっているだろ? 何が問題なんだ?」
「それが……何が問題なのか、よく分からないんです」
「?」
「一カ月ぐらい前から探していて、幾つか霊石は見つけられたんですけど、ガドさんに〝それでは使えない〟って言われて」
言われた時のことを思い出したのか、ティトンは肩を落としながらそう言った。
(あの森で見つけた霊石が使えないって……じゃあ使えるヤツなんて、何処にもなくないか?)
あれほど霊力の力場が高い場所でありながら〝劇場〟が発生することがないのは、ひとえにガドたちによってギリギリのところで保たれているからだ――遥か昔から。
ただ、あそこは人が容易に立ち入る場所ではない――〝禁忌の地〟とされている場所だ。
生じる霊石が原因で〝劇場〟化や結界の綻びが起こる可能性をなくすため、ガドたちが定期的に回収しているのだとは思う。
そうでもなければ、初めてガドのところに歩いて向かった時、森の中にゴロゴロと霊石が転がっていなかった理由がない。
ティトンが見つけられたのは、ガドたちが回収していない――生じてからそう時間が経っていない霊石だろう。
(………………エプリ?)
エプリの返事がないので視線を向けると、熱心にプリンにスプーンを突き立てて食べていた。
食べるのに夢中で、話を聞いていないようだった。
その背中にじと目を向けて、しょんぼりとするティトンに視線を戻す。
「あそこにあるヤツが使えないって……どれだけ高品質の霊石が欲しいんだ? アイツ」
思わず、呆れた声が出てしまった。
「えっと、それが特殊な霊石が必要らしくて――」
「特殊な霊石……?」
ジオラは片眉を上げた。
霊石に特殊も何もないだろう。地域によって異なる性質を宿すことはあるものの、それはちょっとした付加価値程度でしかなく、その霊石の価値は霊力の含有量――純度で決まる。
(ソレって普通に常識だと思うが……コイツの場合、〝闇〟は違うモノだと思っている可能性はあるか)
ただ、ガドがその勘違いを察していないわけがないと思うので、指摘しないことは不思議だったが。
ティトンはジオラの様子に気付いた様子はなく、話を続けた。
「その術具の製作者は、とても高名な方らしいんですが……その術具は趣味で作られたモノらしくて」
「…………………………趣味?」
物凄く聞き捨てならない言葉にジオラは半目になり、ぼそり、と呟いた。
表情が抜け落ちたジオラに、ティトンは疑っていると思ったのか、慌てて続けた。
「えっと、趣味と言うか副業で作られたモノらしんですけど、ガドさんも一度しか見たことがないくらい希少な物で――でも、それがあれば〝血〟の制御が出来るみたいなんです……!」
ティトンの望みは、〝現〟で暮せるように〝血〟の制御が完璧に行えることだ。
そんな術具があるのなら、喉から手が出るほど欲しいのだろう。
(術具を趣味で、なぁー……?)
ジオラは片眉を上げ、ぱくり、とスプーンですくったプリンを口に入れた。
「もしかして、ジオラさんは製作者の方をご存知ですか? その方、〝闇〟で知らない人はいないと聞いたんですが……?」
「あー……」
ジオラはゆっくりと視線をプリンアラモードに向かうエプリの背中に移動させた。
(趣味で術具を作っている奴なんて、一人しかいねぇよなぁー? エプリ)
じぃーとその背中を見つめながら問いかけると、びくっ、と背中が震えた。
―――〝闇〟で知らない人はいないというほどに高名な製作者でありながら、趣味やら副業やらで作っているということ。
―――元〝五ツ星〟のガドが、一度しか見たことがないと言う希少な術具。
それらのことに当てはまる人物と術具には、心当たりはある。
「〝闇〟で知らない人はいないほどの高名ってなると、一人しか思い浮かばないな」
何せ、一度、名前を聞けば忘れられない相手だ。
副業といえば聞こえはいいが、ジオラからすれば術具製作の全てが趣味としか言いようがない。
「ジオラさんもご存じなんですね」
凄いと純粋な眼差しで見つめて来るティトンからは、その人物に対して興味津々の様子が伺えた。
パクパクとフルーツを食べながら、それを見返す。
(なんか、だいぶ高尚な印象になっていそうだけど……アレは二度と関わりたくない部類なんだが)
初めて会った時のことを思い出し、ジオラはないはずの背筋が震えた。
(コイツも会ったら、色々とあぶねぇよなぁ……)
吸血鬼の〝混血〟――それも一族の手が回っていない相手は、そうそうにお目にかかれないだろう。
製作者に〝混血〟に対しての暗黙の了解など、無いにも等しい。
「まぁ、悪霊から見てもかなりの変わり者だからな。会うことはねぇだろうよ」
ティトンから続く言葉を期待するような気配を感じ、ごくり、と口の中の物を飲み込んで、仕方なく口を開く。
会わない方が身のためだと言う忠告も、辛うじて呑み込めた。
〝紹介所〟内はその手の者が多すぎるので、何処で聞き耳を立てているか分からないからだ。下手なことを言って、こちらが呼び出されたりもしたら困る。
「そうですか……」
少し残念そうな声に製作者への関心を逸らそうと、ジオラは以前に聞いたこと口にした。
「確か、〝紹介所〟の本部でも量産品は取り扱っているはずだぜ?」
術具は全く用がない代物なのでうろ覚えだったが、本部で取り扱っているはずだ。
「えっ、そうなんですか? 拠点としている支部の店を覗いてみたんですけど、それらしきモノがなかったので、てっきり取り扱っていないのかと」
「人気商品すぎて支部まで回すと品薄になるから、本部だけの取り扱いになった、って話だったような……」
「あっ、なるほど。そういうことだったんですね」
「――ってか、退魔師や《退治屋》に配られる端末の開発にも噛んでいるとも聞いたぜ」
「えぇ! アレにですか!?」
納得して頷いていたティトンは、慌てて脇に置いてあるウェストポーチから端末を取り出した。
これも、とマジマジと端末を見つめる。
(――で。ガドが言ったって言う術具って、アレのことだよなぁ? エプリ)
『――――ひっ』
不意打ちで声を掛けると、エプリは全身を震わせてスプーンを落とした。
いつの間にか、エプリの座っている位置がやや離れていた。
(リッキが興味を持って会いたいとか言ってたのは、確かに引っかかっていたが……まぁ、そういうことことなら納得だぜー?)
ゆっくりと顔だけを振り返ったエプリは目が笑っていないジオラと目が合い、さっと器の影に隠れた。
(それで、お前はいつから気付いていたんだ? こんな面白いことを……!)
『え? えーと……何のことかなぁー?』
スプーンで生クリームとフルーツを混ぜながら、すっ呆けるエプリ。
その目は思いっきり逸らされている。
ジオラはすっと目を細め、
(――今月の菓子、半減な)
『えぇーっ?! うそぉぉぉぉぉぉーっ!!!』
エプリが驚いて跳び上がった拍子に、持っていたスプーンが器に当たって甲高い音が響く。
「ど、どうしたんですか?」
「美味すぎて喜んでいるだけだ」
はっと我に返ったティトンに、気にするな、とジオラは左手を振った。
それにあっさりと納得したティトンは話の途中だったことを思い出したのか、端末をウェストポーチにしまう。
『何でーっ! どうしてぇーっ!!』
毎月、その〝力〟を借りているお礼のお小遣いを楽しみにしているエプリは、ブンブンとスプーンを振り回しながら飛び跳ね、抗議の声を上げた。
(黙っていたのが悪い……っ!)
『ひどーい! 精霊にも言えないことがあるんだよ……!』
(へぇー……)
ティトンは、怒り狂うエプリの背中を微笑ましそうに見つめていた。
怒っている表情が見えていないため、ジオラが言ったことを鵜呑みにして喜んで飛び跳ねているように見えるのだろう。
素直な奴だなぁと思っていると、こちらに視線を戻してくる。
「すみません。話の途中で……」
「いや。そんなに驚くとは思わなかったけどな」
話を再開すると、さすがにエプリも喚くのを止めた。
むすっと唇を尖らせて、ティトンが見えない角度に――ジオラが正面になるように――移動して座り直し、スプーンを動かす。
「とてもすごい方なんですね。その方は」
ティトンは落ち着くためか、アイスコーヒーを数口飲んだ。
ふぅ、と一息ついて、
「もしかして、ジオラさんはその術具のこともご存知だったりしますか……?」
「まぁ、噂は聞いたことがあるな」
「!」
やや濁しつつ頷くと、ティトンは目を見開いた。
(さて、どう説明したものか――)
期待で目を輝かせるティトンに、ジオラは内心でため息をついた。
ティトンの疑問には、答えることは出来る。
何故なら、ガドがその術具――〝エントラの腕輪〟を見たことがあると言った時、ソレを使っていたのはジオラだったからだ。
ルネに頼まれた〝お使い〟で使うようにと〝エントラの腕輪〟を渡され、その行き先でガドと出会い、行動を共にすることになったのだ。
(〝エントラの腕輪〟の動力源は特殊と言えば特殊だが……何で、霊石って説明したんだ? アイツ)
あの森で見つかった霊石なら、どんな術具でも高い効果を発揮することが出来るだろう。
だが、〝エントラの腕輪〟だけは使用するどころか、発動することさえ不可能だということを知っている。
〝エントラの腕輪〟の動力源は、霊石ではないのだから――。
(お使いの後、ガドにどういう術具なのかは説明した……よな?)
〝エントラの腕輪〟は、精霊がその〝力〟を注いで創り出した石――言わば、精霊石を動力源としているのだ。
その主な効果は、精霊石に宿る精霊の〝力〟を行使することが出来るだけではなく、精霊との繋がりが高まってお互いの能力が強化されるというモノ。
そして、精霊は〝主〟以外の前に滅多に現れないこと――精霊石の入手方法が限られているため、〝エントラの腕輪〟は精霊術師専用の術具と言えるだろう。
精霊術師でもないジオラが付けた時も、精霊石を創った精霊と擬似的な繋がりが出来ていたが、精霊の悪霊への不快感を強く感じただけでその〝力〟を自由に使うことは出来ず、事が終わればいつの間にかなくなっていた。
ジオラにとっては、ただ不快感を与えて来るだけの術具だったので印象は最悪なモノに近いが、精霊術師が使うのであれば最高峰の術具になるはずだ。
(――それにしても、)
つい、ジオラはマジマジとティトンを見つめてしまった。
ガドがソレを用意したいのなら、ティトンに精霊術師としての素質があるということだ。
恐らく、あの森にいたのだろう。ティトンを選んだ精霊が――。
(数奇というか破天荒というか……なかなかの巡り合わせだな)
〝自然〟を味方にした精霊術師と繊細な霊力の制御能力に長けた吸血鬼――その組み合わせが強力な〝力〟を齎すことは、精霊術師となった後のガドの功績が証明していた。
いかに吸血鬼の〝混血〟とはいえ、その可能性を〝紹介所〟が放って置くはずがない。
その将来が予想でき、ジオラは小さく嘆息した。
「ジオラさん?」
きょとんとしたティトンに「昔に聞いた噂だからな」とジオラは誤魔化す。
「確かに、かなり特殊な霊石を動力源としているって聞いたが……」
「! じゃあ、その霊石のことも……?」
「ああ。けど、アレはなぁー」
ジオラは片眉を上げ、大きめにプリンをすくって口に放り込んだ。
ただ一言、「精霊を見つけろ」と言えば、ティトンの悩みは解消するだろう。
だが、ガドがティトンに精霊術師としての素質があると伝えていないのに、ジオラが言ってもいいものか判断に迷う。
何かしら、伝えない理由があるのかもしれないからだ。
(ガドも色々と違ったし……たぶん、〝精霊の愛し子〟の入れ知恵だよな。霊石探し)
ガドも精霊術師ではあるがレンツェと契約に至った流れに関しては、他の精霊術師と違っていたはずだ。
そのため、正式な方法を〝精霊の愛し子〟に――元同僚に聞いたことは予想でき、その結果が精霊探しなのだとは思う。
リッキなら、精霊探しを〝宝探し〟と揶揄しそうだ。
ただ、そうなるとますます精霊を探せとは言いづらくなった。こと精霊に関しては、〝精霊の愛し子〟に任せた方が確実だ。
(どこまで言っていいんだ……?)
やや面倒臭くなってきたが、目の前で前屈みになりつつも固唾を呑んで待っているティトンからは逃れそうにない。
仕方なく、少し考える時間を稼ぐためにジオラはプリンアラモードを食べる手を進めた。
(アイツらがハッキリと言わないのなら、素質のことは伝えない方がいいってことだよな? エプリ)
ジオラはプリンアラモードを見つめつつ、エプリにそう尋ねるが返答はなかった。
視界の端で、ちらり、と黒紫色の眼がジオラに向けられたが、すぐに逸らされてしまった。
どうやら、お菓子半減はかなり応えているようだ。
(おーい。同胞が〝主〟を得えるかどうかの瀬戸際だぞー?)
『そればっかりは、過干渉しすぎたらダメだもん』
むすっとした声色で言われたのは、何度か聞いたことのある精霊同士の不文律だった。
自由奔放を体現する精霊ではあるが、同胞の中では何かしらの一線は引いているようだ。
(プリンアラモードの分くらいは助言してやれよ)
『うっ――それはー……』
痛いところを突かれのか、エプリは顔を上げるとチラッとティトンを見上げた。
ジオラも視線を上げて、ティトンを見る。
「……?」
突然、自分に視線が集まったので、ティトンは驚いて身を引いた。
そして、ジオラたちを交互に見つめた後、小首を傾げる。
ジオラとエプリの念話の内容は聞こえていないはずだが、何かを話していることは察して口を閉じたままだ。
『………………………………………………ずぅーと、ずぅーと待っているんだよ』
(? ティトンと契約をしたい精霊が、か?)
いつもと違う声色に、ジオラはエプリに振り向く。
俯いてスプーンをプリンに突き立てたエプリの表情は、辛うじて残っているプリンの一角で見えなかった。
『ううん。全ての精霊――〝主〟を待つ、精霊がだよ』
(……!)
『ずぅーと、ずぅーと、ずぅーと待っていて……待っていることも忘れちゃって…………でもね。〝主〟たる人を見つけたら、とても嬉しくなるんだよ。待っていたことなんて、忘れちゃうの。その人しか見えないの』
そこで、エプリは言葉を切った。
『だからね。待っているんだよ――見つけてくれるのを。気づいてくれるのを』
ずぅーとずぅーとね、と言い終わると、スプーンの後ろが小刻みに揺れた。
どうやら、プリンを食べることに戻ったようだ。
(………………気付くのを、か)
ジオラが目を伏せたところで、恐る恐る、ティトンが声を掛けてきた。
「ジオラさん? えっと……?」
自分を見て来たものの、何も言わずにプリンを食べることを再開したエプリに戸惑っているようだ。
「何か、失言が……?」
「いや。お前も食べてないで少しは助言しろと言ったんだけど……まぁ、食べるのに忙しいみたいだ」
ジオラは目を開くと肩を竦め、あの森のことを思い出す。
(精霊は〝四大元素〟の火・水・風・土に光と闇――レンツェをからかいに行った時、感じたのは)
精霊は〝生〟に満ち溢れた存在であるが故に、〝死〟と怨念が混じり合う悪霊に狙われることが多いため、悪霊の前に姿を見せることも気配を察知されることもない。
ジオラがガドに内緒でレンツェの下を訪れた時、結界がより強く張り直されていたので、その外見は幼子――悪霊の〝力〟が最大限に封印がされていた状態――だったので、人とほぼ変わらなかった。
その時にあった違和感は、恐らく――。
「霊石探しは、俺も探し出すのは得意だしエプリの力もあって苦労したことはねぇが――」
食べる手を止めてジオラが口を開くと、はっとしてティトンは背筋を伸ばした。
「あの森で出来た霊石は、かなりの高品質だということは分かるな?」
「はい。あそこが異常だと言うことも分かってます。だから、見つけてもダメな理由が……」
「じゃあ、霊石の価値は霊力の含有量――その純度で大きく決まるが、産地によっては使用目的が違うことは?」
「はい。それは――」
頷いたところで、あっ、とティトンは目を見開く。
「産地によって使用目的が異なることがあるのは、偶に変わった性質を持つ霊石が見つかるからだ。特に高品質なモノほど、その性質は強く出ることがある。それがあの森で採れた霊石に現れたなら、恐らく、他のところと比べ物にならないぐらいに高いモノになると思うぜ」
「…………はい」
ティトンは、少し罰が悪そうに視線を落として頷いた。
「……お前、結構、切羽詰まってたんだな」
「―――」
やや呆れた声で呟くと、ティトンは何も言わずにがくりと肩を落とした。
(まだまだ子どもってことか……)
思いが先走ってしまっているのだろう。
「それで高品質な霊石を術具に使うとなると、霊石選びは慎重に選ばざるを得ない。その霊石の霊力と使用者の霊力の波長が合うかどうかで、術具の性能にも影響が出て来るからな」
「霊石と自分の波長……」
そろり、と情けない表情でティトンはジオラを見て来た。
「その性質も同じ産地で採っても違うこともあるからな。いざ探すとなると、なかなか、難しいさ」
「…………」
「お前が探して見つかったって言うのなら、その霊石とは何かしら惹かれ合うモノがあったんだとは思う。けど、ガドが求めているのは、見つけたヤツ以上のモノだ。――だったら、もっと探しまくって見つけるしかねぇだろ」
「!」
びくり、とティトンは肩を揺らして、ティトンは僅かに目を見開く。
「もっと強く、それを逃せば後がないぐらいに求めろ。お前、その術具の話を聞いて、別の制御方法に変えられるのか?」
「そ、それは……」
ティトンは眉を寄せ、小さく首を横に振った。
「出来ない、と思います。ガドさんは〝見つけられなかったら別の方法にすればいいから構わない〟と言ってくれましたが……」
「そうだろ? 〝血〟を制御するために最適の方法だと思っているんだったら、自分と合う霊石を何としても見つけ出すしかねぇよ。〝血〟を制御して〝現〟で暮すことがお前の望みなら、死に物狂いで探して見つけ出せ」
ぐっとティトンは唇を噛みしめた。
「それで手に入れろ。お前が望む未来をな」
「――っ!」
はっとティトンは目を見開き、大きく息を吸った。
「はい……!」
少し前までの迷いが消えた、晴れ晴れとした表情に「頑張れよ」とジオラは笑った。
「ありがとうございました!」
ティトンの礼に対して、ヒラヒラと手を振ってジオラは廊下に出た。
ドアが閉まる音を背に、廊下を進む。
(結局、言えたのは根性論だけだったけど――)
精霊を探せと具体的なことが言えないので、結局、ゴリ押しで――ただ、発破をかけることしか出来なかった。
(あんなんで良かったのか? アイツ)
散歩中に再会した時は不安と焦燥感が滲み出ていたティトンは、別れ際はどこか吹っ切れた様子だった。
とてもアドバイスと言えるようなことは言ってなかったと思うが、愚痴を吐き出してスッキリしたのかもしれない。
『前向きになったのならいいんじゃないかな……あとは、あの子次第だよ』
影の中にいるエプリはまだ少しテンションが低いようで、やれやれ、とため息をつく。
確かに、エプリの言う通りだが――。
(――ってか、精霊は出てこないんだな? ティトンの前に)
精霊は、常にそこに在る。
森にいた存在ならば、ティトンがガドに師事を受けて一年と数カ月――いつでも、その前に姿を見せることが出来たはずだ。
どうしてそうしないのか、ジオラは不思議だった。
エプリが言うほどに求めている自分の〝主〟が現れたのだから、すぐにでもその前に姿を現さないものなのだろうか――。
『―――』
問いかけに返事がないので、はぁー、とジオラは大きく内心でため息をついた。
(おい、まだ拗ねているのか?)
『――――――それは、秘密だもん』
(秘密、なぁ……)
本当かよ、とジオラはため息をつく。
エプリとはルネ以上の長い付き合いではあるが、常にテンションが高く能天気なエプリも、偶にこういう時があった。
―――『ずぅーと、ずぅーと待っているんだよ』
―――『全ての精霊――〝主〟を待つ、精霊がだよ……』
そういえば、さっき少し様子がおかしかったなとジオラは思った。
淡々とした――極力、考えないようにしているような、全く他人事のような口振り。
(それほど〝主〟を求めているのなら、お前は探しにいかなくてもいいのか?)
それは、もう幾度も尋ねたことがある問いかけだった。
最初に言ったのは〝現〟に戻って来て間もない頃。悪霊に食われそうになったエプリを助け、それからずっと後を付けて来た時だ。
相棒として同行することになってからも、事あるごとに――やや危険なことが起こった後に――問いかけていたが、エプリの答えはいつも決まっていた。
だから、今回もいつもと同じ返答があると思ったが――。
『ッ! ジオラのバカーっ!!』
突然、エプリが叫んだので、ジオラは思わず足を止めてしまった。
上から降って来た何かが、こつん、と頭に当たった。
偽物の身体なので何かが当たった気がしただけで、特に痛みはない。
「ん?」
視界を黒い影が通り過ぎ、ガチャリ、と音を立てて足元に落ちたモノは、ポケットに入れていたはずの鍵束だった。
何で出したんだ、と眉を寄せる。
(おーい、なに――って、何処に行くんだよ……!)
鍵束を屈んで取ったところで、さっと自分の影の中からエプリが飛び出していくのを感じ、ジオラは声を上げる。
『もう帰るー!』
その言葉を最後に、エプリの気配が消える。
(まだ、そんな時期じゃねぇだろうに……ちょっと言い過ぎたか?)
エプリは〝主〟を持たないがために、〝契約〟で〝力〟が増しているわけでもない。
ジオラの悪霊としての本性と気配は〝魔女〟との〝契約〟によって抑えられているとはいえ、行動を共にすることは〝生〟の塊であるエプリに大きな負担となっていた。
そのため、エプリは定期的に精霊たちの住処に帰郷し、〝力〟を回復させているのだ。
まだその時期ではないが、どうやら拗ねて帰ったようだ。
(……………………帰るか)
この後、散歩に行こうと思っていたのだが、何となく行く気が失せてしまった。
ジオラは受付で会議室のカードキーを返却し、〝五ツ星〟専用のホールに向かう。
〝黒い鍵〟を使ってドアを開けると、目の前には〝黒の魔女〟が住む住居のリビングが広がっていた。
「―――また、ケンカしたの? あなたたち」
リビングの中央にあるテーブル。
その向こう側に座る艶やかな黒髪を持つ妙齢の女性が、頬杖をつきながらこちらを見ていた。
人目を惹く美貌に艶やかな笑みを浮かべているのは、〝黒の魔女〟――ルネだ。
まるで、今までジオラとエプリのやり取りを見ていたかのような口ぶりに、ジオラは肩を竦める。
「ケンカというか……ちょっとイジリ過ぎたみたいだ。虫の居所が悪かったのかもしれねぇけど」
ルネの正面にあるイスに座り、用意されていたアップルジュースのグラスを手元に引き寄せる。
「まったく……アレを黙っているなんて」
エプリがいつからティトンの素質に気付いていたのかは分からなかったが、恐らく、レンツェも気づいていたのだとは思う。
あの森にそこそこいるのだから、件の精霊と顔見知り程度ではあるだろう。
(知っていたら会いに行った時、もっとからかえたのになぁー)
やれやれ、とため息をついてジオラはグラスに口を付けた。
ふぅん、とルネは無言で見つめて来るので、
「何だよ?」
「散歩に行かずに帰って来るぐらい気にしてるのなら、お菓子は倍増にしてあげなさい。二、三日経ったら戻って来るから」
「…………」
ルネの言葉にジオラは口をへの字に曲げた。
(何回も聞いたことがあるし……今さらだろ)
〝主〟についてや相棒としてついてくることについて、幾度となく突っ込んできたことだ。
何となく納得がいかない。
「ジオラ?」
にこり、と笑って念押しするルネに、はぁ、とジオラはため息をついた。
「……………………分かったよ」
良かったわ、と言いたげにルネは笑みを深めた。
「ガドの奴、〝エントラの腕輪〟を欲しがっているみたいだけど、アレって頼めば作ってくれるモノなのか?」
無言でアップルジュースを飲んでいたジオラは、じばらくして気になっていることを尋ねた。
「あら、気になるの?」
「それはまぁ……どう化けるのか、面白そうだし」
ルネと同じ結論を言うのは何となく嫌だったが、ジオラは頷いてじと目を向けた。
(最初に〝面白い子〟って言ったのは、一言でまとめ過ぎだよな)
〝星読み〟に長けたルネの事だ。最初から、全て分かっていたのだろう。
ティトンに掛けられた術のこと、〝混血〟のこと、精霊術師としての才能のこと――色々と複雑すぎる事情をひっくるめて〝面白い〟で片づけてしまうのは、いかにもルネらしい。
「お使いの時から〝エントラの腕輪〟を付けているヤツを見たことねぇから、どうせ製作者の趣味のモノなんだろ?」
「半分はそうね。私が依頼して、興味が出たから作ったモノだから」
ルネの依頼と聞いて、何となくそんな気もしていたのでジオラはじと目を向けた。
「使った時も思ったけど、リッキには話は通しているのか?」
「あら。試作品を試したのはリッキよ?」
(……リッキのヤツ、何やってんだ?)
てっきり、精霊石を何処からか調達して試作品を作ったと思っていたジオラは違ったことへの驚きと、〝精霊の愛し子〟が関わったことへの呆れた感情が織り交じり、微妙な表情でアップルジュースを飲んだ。
「精霊石が手に入れば、大丈夫よ。やっと正統な使い手が現れたって、嬉々として作りそうだわ」
ジオラは精霊術師ではないが、使わせておいてのルネのその言い方には眉をひそめた。
(……やっぱり、ティトンに忠告しておくべきだったか)
〝エントラの腕輪〟の製作者は、ルネと同じく〝魔女〟の一人だ。
〝魔女〟と言うよりは根っからの技術者――知識欲が高すぎるのが問題ではあるが――であり、〝白の魔女〟のように大きく世界に関与はしていないものの、その作品である術具を〝紹介所〟を通じて世に出し続けている。
(もうダメだな。絶対、目を付けられているなティトン)
その〝魔女〟は、ルネとはまた違った意味で色々と癖が強い相手だ。
ルネが言う「嬉々として作る」という内容が物凄く気にはなるが、藪蛇になりかねないのでジオラは視線をグラスに向けた。
(なぁ、そう――……)
いつものようにエプリに語り掛けようとして、今はいないことを思い出す。
ジオラは、ぴくり、と片眉を動かし、グラスを口元に傾けた。
その表情はほぼ変わっていなかったが、
「早く仲直りしなさいね」
ふふっと笑う〝魔女〟にはお見通しだった。
エプリが拗ねて帰ってから3日目。
ジオラは燦々と降り注ぐ日の光を避けるようにパーカーのフードを深く被り、ルネの店がある町中をあるいていた。その姿は十代前半ぐらいの少年のものだ。
日中に出歩いているのは、ルネから「ずっと家の中で待っていないで少しは出かけなさい」と問答無用で追い出されたからだ。
(全然、戻って来ねぇなぁアイツ)
ジオラはパーカーのポケットに入れてある鍵束を右手で触りつつ、ふんっ、と鼻を鳴らした。
散歩もエプリがいないと遠出をする気にもなれず、少々、物足りない。
(同胞が得られそうだから、嫉妬していたのか……?)
自由奔放で能天気を絵にかいたようなエプリが。
―――「お前はデリカシーがないんだよ! あと空気を読め、空気を!」
昔、知人に言われた言葉が脳裏を過った。
その意味も教えられたが、そんなことを悪霊に求められても困る。
「――……!」
何となく、辺りを見渡した時だった。
最近、通っているケーキ屋の前に〝新商品販売中!〟と旗が立っているのが目に入る。
店の入り口付近には、そこそこの人だかりがあった。
―――「二、三日経ったら戻って来るから」
「………」
ジオラはその旗に引き寄せられるように店に足を向けた。
―――カランカラン
小さな白い箱を手にルネの店に戻って来たジオラは、店内に知った気配があることに気付いた。
店の奥――カウンターの中で頬杖をつきながら、にこやかな笑みを浮かべるルネは無視して店内を見渡す。
入り口から奥まで一直線に続く通路。左側は輸入雑貨、右側は菓子類が並べられていて、ジオラは感じる気配のままに、右側の菓子類の棚に向かう。
「――戻て来ていたのか、エプリ」
壁際の棚から、一つ手前の棚の一番上――スナック菓子が入った筒が並ぶところに声を掛ける。
「…………」
すると、筒の半分ぐらいの位置――ちょうど後ろの筒で陰になった部分から小さな手が生えてきて、にょきり、と黒紫色の頭が出て来る。
髪と同じ色の瞳が、窺うようにジオラを見上げた。
「……ジオラ。その、」
珍しくシュンとした様子で、言葉に詰まりながらエプリは視線を下に向ける。
意を決して顔を上げたエプリの前に、ジオラは持っていた白い箱を突き付けた。
「僕っ――ぁ……」
箱の側面に描かれた絵と文字を見て、エプリは目を見開く。
ジオラは視線を上に向けながら左手で頬をかき、
「新作のケーキが売っていたから、買って来たぜ」
ちらっとエプリに視線を投げかけた。
「食べるか?」
エプリは身を乗り出すようにジオラと箱を交互に見つめ、満面の笑みを浮かべた。
「うん! 食べるー!」
ぴょんと跳ねるように筒の向こうから出て来ると、飛び上がってジオラの左肩に座る。
「新作って、どんなケーキ?」
「チョコ系とナッツ系だな」
「僕、ナッツの方を食べたい!」
わぁいと喜ぶエプリを横目に、ジオラはカウンターに向かう。
ルネは笑みを濃くして待っていた。
「………」
その笑みの意味を悟り、ジオラは視線を逸らした。
「私の分はあるのかしら?」
どこかからかうようなルネの問いに、ああとジオラは頷いた。




