第6話 元退魔師、戦友と再会する
インターフォンが鳴り、来客を告げた。
ミリアリア・クラコーンがドアを開けると、そこには旧友のオットー・コーツが立っていた。
「やぁ。遅くなってすまない」
「ううん。忙しいのに、ごめんなさいね……」
ミリアリアがオットーに電話をしたのは今朝のこと。
昨日、ティトンの話を聞き、その件についての経緯と今後についての相談をしたいと持ち掛けたのだ。
オットーは〝闇〟へ行くことは聞いていたが、その理由までは知らなかったらしく、「午前中で仕事を片付けてから向かう」と言ってくれていた。
「いや。弟子の重要なことだからな」
「ありがとう――」
ミリアリアは笑みを返し、身体を横に退けた。
「どうぞ、入って」
オットーをリビングに通し、テーブルの方を視線で示した。
「今、コーヒーを淹れるから」
「ああ。すまない」
オットーはイスに腰掛け、壁に掛けている時計を見た。
「まだ、時間はあるよな?」
「ええ。大丈夫だと思うわ」
ミリアリアは二人分のコーヒーを手に、テーブルの席についた。
どうぞ、とオットーに差し出すと、彼は礼を言ってカップを手元に引き寄せ、まっすぐにミリアリアを見つめた。
「とうとう、この日が来たな――」
「……ええ」
ミリアリアは目を伏せ、頷いた。
息子が会いに行った相手は、その頼みを承諾するだろう。
何故なら、吸血鬼一族の誰かが息子に接触すること――監視がつくことは、すでに決められていたことだからだ。
―――「十九になる年、ティトンを〝ティルナノーグ紹介所〟に向かわせて欲しい」
十数年前。
約束されていた時間が終わり、〝闇〟の住人である夫が〝闇〟に帰る時に、そう頼まれていた。
―――「同胞から、何かしらの接触はあるはずだ。あとは、あちらが我々の〝血〟の使い方を教えるか、様子を見るか判断するだろう」
それは吸血鬼一族と交わした盟約の一つ。
夫と一緒になることの条件だった。
―――「そう心配するな。〝あの方〟が上手く手配してくださるはずだ」
夫は、我が子を〝闇〟に向かわせるミリアリアの不安を読み取り、優しく笑った。
安心させるように――そして、〝あの方〟への絶対的な信頼を窺わせて。
ミリアリアも〝あの方〟のことはよく知っており、自分たちが結婚する折には心を砕いてくれたことも分かっている。
〝あの方〟なら、また手を貸してくれると思うが――。
(でも――)
そっと息を吐き、ミリアリアは知らずとカップを持つ手に力を込めた。
「ミリー……」
「………」
いたわるような声に、ミリアリアは目を開いてオットーを見た。
彼の眼の奥にも同じ不安が窺え、ミリアリアは唇を引き締めて頷いた。
「ただいま!」
玄関に通じるドアの向こうから息子の声が聞こえたのは、オットーが来てから数時間後のことだった。
「母さんっ――って、アレ? オットーさん?」
息子は勢いよくリビングのドアを開けて入って来たかと思えば、オットーの姿を見て目を見開いた。
「今朝、ミリーから話を聞いてな。結果が気になって来てしまった」
「そう、だったんですか……」
息子は少しバツの悪い表情をして、視線を下に落とす。
「………ティトン。帰って来て早々に悪いけれど、結果を聞かせてくれるかしら?」
ミリアリアは帰って来た時の息子の表情に内心の動揺を抑えつつ、言った。
オットーは席を立ち、ミリアリアの隣のイスに移動した。
「あ。う、うん!」
はっと息子は顔を上げて頷き、ウエストポーチを外してイスの背に掛けるとミリアリアの前に座った。
ミリアリア、オットーと順に視線を向けてから、
「えっと――依頼だけど、受けてもらえたよ」
少しはみかみながら、そう言った。
「! そう――」
息を詰めたのは一瞬で、ミリアリアは目を伏せた。
早鐘を打ち始めた心臓を落ち着かせようと、一度深呼吸をしてから瞼を上げた。
「……良かったわね。引き受けてもらえて」
「うん! 最初は、ちょっと怖かったけど――」
息子は吸血鬼一族の一人と会った時のことを思い出しているのか、虚空に視線を向け――恐らく、無意識にぐっと胸元の服を右手で握り締めた。
「良い人、だったよ。俺が〝現〟で働きたいって言っても、思う通りにすればいいって言ってくれたし」
不快に思われるか不安だったんだけど、と付け加えた。
「! そうなの?」
「同族として、応援してくれるって言ってくれて……思い切って言ったんだけど、言って良かったよ」
「………」
ミリアリアは嬉しそうな息子の顔から視線を外し、オットーを見た。
同じく、こちらを見たオットーと目が合う。
思っていることは、同じようだ。
(夫が言っていたように、〝あの方〟が何か……?)
〝現〟でも〝闇〟でも、〝混血〟の立ち位置は微妙だ。
どちらかと言えば忌避される〝現〟とは違い、実力と血筋に重きをおく〝闇〟での立場は厳しいものだろう。
実際、《退治屋》となってから、あまり上手くやれていないことは窺い知ることができ、その結果、〝血〟を求めたのだ。
だが、今、息子の表情は晴れやかで、期待に満ち溢れていた。
「その、依頼を受けてくれた方の名前は何と言うんだ?」
オットーが息子に尋ねると「え? 名前?」と目を瞬く。
「ああ。君の師になる人だからな。もし、俺たちの知っている《退治屋》なら、どういう人物なのか分かる」
「名前……でも、引退したって聞きましたので、ご存知かどうか――」
えっと、と息子は少しだけ詰まりながら、その名を口にした。
「ガドさんって言う人だよ。年は……四十代後半ぐらいかな?」
「っ……?!」
その名前を聞き、ミリアリアは目を見開いて息子を凝視した。
何故、その名前が出て来るのか、全く分からなかったからだ。
隣に座るオットーから視線を感じるも、そちらに振り返る余裕はなかった。
「あ。でも、見た目どおりじゃないんだっけ……?」
息子は「うーん」と少し眉を寄せて唸っていたが、ミリアリアたちが押し黙っているのに気付いて小首を傾げた。
「母さん? オットーさんも……どうしたんですか?」
その声にはっと我に返り、ミリアリアは震えそうになる唇を軽く噛みしめた。
一度、小さく息を吐いて、平静を取り繕う。
「………………そう、ね」
「?」
「本当に、吸血鬼のガドなの?」
ミリアリアは、聞き間違えでは、ともう一度確認するが、
「そうだけど……えっ? もしかして、知ってる人?」
あっさりと頷きが帰って来た。
(本当、に?………でも、どうして……?)
混乱する思考に、少し返答が遅れる。
「……え、ええ。彼は退魔師でも、かなり有名な《退治屋》なのよ」
「えっ?」
そのことは初耳だったのか、息子はぱちぱちと目を瞬いた。
「あー……確か、とっておきの人だって聞いてたけど……?」
ふと、何かを思い出したようで、眉を寄せながら小首を傾げる。
「でも、引退してたなら……そう噂は聞かないかと思ってた」
「ああ、そうだ。引退して十年以上……二十年は有に経っているか」
ミリアリアの心情を察して、その疑問にはオットーが答えた。
「〝現〟と〝闇〟の合同依頼があると言っただろう?」
「あ。はい……?」
「その時、派遣される退魔師には〝闇〟の主戦力や上位クラスの者たちの情報も共有される。ガドは、元〝五ツ星〟の一角だった男だ」
「えぇっ!?」
ぎょっとして、息子は大きく目を見開いた。
どうやら、ガドが〝五ツ星〟――実質、《退治屋》の中でもトップクラスの実力者だったとは知らなかったようだ。
「ティトン……一体、彼を誰に紹介されたの?」
少し呆れた声になるように注意しながら――問い詰めたい衝動を堪え、ミリアリアは尋ねた。
ぎゅっとテーブルの下にある手を握り締める。
「えっ? えっと……それは……」
何故か、びくりっと肩を震わせる息子は、ミリアリアを見ると忙しなく視線を彷徨わせた。
先ほど、彼の名前を言った時とは打って変わった挙動不審な行動は、かなり名前を言いたくない相手のようだ。
「えーと……ちょっと、知り合った人だよ。ちょっと」
「………ちょっと?」
「た、偶々、初めての討伐依頼で会って……最近、再会したんだけど、話をしていくうちにいい先生を紹介しようかって言われたんだ」
「そんな前に……?」
初めての討伐依頼と言えば、数カ月も前のことだ。
そんなに早く、吸血鬼一族から接触があったのかとミリアリアは眉をひそめた。
だが、同族がガドを紹介するはずがない。
「名前を教えて? そっちの人も、私たちが知っている《退治屋》かもしれないから」
「えっ? いや……知って、ないと思うけど」
かなり、歯切れの悪い返答にさらに眉が寄る。
(一体、誰が――?)
動揺と混乱、焦燥などの感情が渦巻き、ミリアリアは霊力の制御が甘くなったことに気付かなかった。
威圧するように、高まっていくミリアリアの霊力を敏感に察した息子の顔色が悪くなっていくことも――。
「でも、あのガドさんを紹介するほどの人でしょう? 退魔師も名前は聞いた事があるかもしれないわ」
「えーと……」
「ティトン?」
ゆっくりと名前を呼ぶと、ぐっと息子は息を詰めたが、顔を逸らして名前を告げることを拒否した。
(なんで、そんなに……)
口を割らない息子に苛立ちが芽生え、一瞬、霊気が大きく揺れた。
「っ?」
それに叩かれたように、びくり、と息子の肩が震える。
さらに問い詰めようとミリアリアが口を開いたところで、
「――――こほん」
すぐ隣から小さな咳払いが聞こえ、はっと我に返った。
ミリアリアは慌てて口を閉ざし、そこでやっと漏れ出る霊力の高さに気付く。
霊力を抑えつつ、ちらり、とオットーを見た。
「………」
目が合うと、小さく頷かれた。
どうやら、「あとは任せろ」と言っているようだ。
(このままだと、マズイわね……)
自分では、声を荒げて問い詰めてしまいそうだ。
落ち着く時間が必要だと思い、ミリアリアは了承の意味を込めて小さく頷きを返した。
それを受けて、オットーが口を開く。
「………ティトン。元〝五ツ星〟の《退治屋》を紹介できる者は、そうそうに居ない。一体、誰が紹介したのか――その人物は信用に足るのか、気になるんだ」
「オットーさん……」
息子はこちらに顔を戻し、困ったようにオットーを見つめた。
「私たちには、〝闇〟の実情は分からない。何かあった時に自ら手助けをすることも、誰かに頼むことも難しいんだ。もし、君を助けて恩を売った後で何かあるのでは、と不安なんだよ」
「っ!………それは、大丈夫だと思います」
息子は小さく頭を左右に振って、はっきりと否定した。
「あの人は……そんなこと、するような人じゃないから――」
「………ティトン」
その口ぶりは紹介者への信用が垣間見え、ミリアリアは驚いた。
(どうして……?)
一体、どんな人物なのだろうか。
「………」
「………」
「………」
どれほどの時間が経ったのか、息子はミリアリアたちの視線の圧力に負け、観念したように目を伏せた。
「…………………………………ウィル、って言う人だよ。知ってる?」
こちらを窺うように目を開きながら、息子はその名を言った。
「えっ?」
久しぶりに聞くその名前に、ミリアリアは渦巻いていた感情が吹き飛び、思わず声を上げていた。
―――「よぉ。そっちも依頼か?」
軽い声と共に脳裏に浮かんだのは、黒紫色の髪に水色の目をした少年の姿。
その口元には少し小生意気そうな――にやり、とした笑みを浮かべていた。
(ウィル、くん?………どうして、あなたが――?)
たった一度、共闘した《退治屋》に問いかけるも、記憶の中の彼が答えることはなかった――。
その後、これからのことを話し終えると「色々と準備があるから」と息子は席を外し、リビングにはミリアリアとオットーだけが残った。
ミリアリアはテーブルに両肘をついて両手を組み、その上に額を乗せる。
はぁ、と大きくため息をつくと、
「ミリー……」
オットーの気遣う声が聞こえた。
ミリアリアは混乱する頭を無理矢理挙げて、小さく笑みを浮かべた。
「ちょっと、色々なことがあり過ぎて――」
「…………そうだな」
複雑そうな表情を浮かべ、オットーは頷いた。
「ティトンが依頼した相手もそうだが………まさか、紹介した奴がウィル――ウィル・ジオラだとは……」
「ええ……」
ミリアリアは組んだ手に唇を当てた。
《退治屋》のウィル――ウィルという名前は何の変哲もないものだが、ガドと関わりがあり、尚且つ、紹介できる人物となるとたった一人しかいなかった。
―――自称《退治屋》のウィル・ジオラ。
悪霊〝ジャック・オー・ランタン〟でありながら《退治屋》稼業を行う、《同属殺し》。
彼ともう一人の自称《退治屋》の悪霊のことは、〝闇〟と合同作戦を取る退魔師たちには、最重要事項として知らされていた。
〝闇〟に赴いて知ったことと同様、〝現〟にて口外することは禁じられているが。
「だが、何故、ウィル・ジオラが……まさか、〝魔女〟の……?」
「………」
オットーの疑問は、ミリアリアも抱いていた。
ウィル・ジオラの行動原理は、悪霊を滅することと〝魔女〟の依頼によるものに大きく分けられる。
つまり、今回は〝魔女〟の関与があったと考えられるからだ。
(今回は、一体――)
何故、今になって現れたのか。
〝闇〟に――《退治屋》になったからなのか。
ガドに会わせる理由は。
どうして、あの子に。
「………っ」
様々な疑問が頭の中を駆け巡り、ミリアリアは強く手を握り締めた。
―――「それは、大丈夫だと思います。あの人は……そんなこと、するような人じゃないから」
息子の人を見る目――その本質を見抜く目は、本物だ。
それは身内のひいき目ではなく、オットーたちや知人の退魔師もまた、確かなものだと言い切るほどだった。
ただ、それが血筋によるものなのか、彼本来の性質なのか分からないが。
(ウィルくん……)
ふと思いだしたのは、ウィルと最後に会った時のこと。
―――「じゃ、これでお別れだなぁ。結構、面白かったぜぇ」
笑いを含んだ声の中にある感情は、短期間ながらも濃い時間を過ごしたからこそ分かった。
心の底からの言葉――本当に楽しかったのだと。
「ウィルくんのことは……ティトンの言う通りだと思うわ。ただ、〝魔女〟が関与したとなると………どういう意図があるのか分からないけれど」
「! 《退治屋》の誰かに――」
ミリアリアもオットーも、《退治屋》の知人は何人かいる。
吸血鬼一族に関しては頼めないが、ウィル・ジオラに対してなら、何かしら頼むことは可能だろう。
「………ううん。それは大丈夫だと、思う」
少しだけ考え、ミリアリアは首を左右に振った。
(もし、二十数年前と同じなら……)
「それは……頼まなくても大丈夫だということか?」
訝しげなオットーに、ミリアリアは小さく苦笑を返した。
こればかりは、直接、ウィルと――その〝魔女〟の気まぐれに遭遇した者しか分からないだろう。
「ええ。たぶん、ウィルくんは――」
***
その日、息子が新しい師匠の下に出かけるのを見送り、ミリアリアは焼き菓子を作り始めた。
「出来た……」
焼き上がった二つ目のパウンドケーキを前に一息つき、ケーキクーラーの上に置いた。
時計を見ると、午後三時過ぎ。
もう少しかなと思いつつ、ミリアリアは地下室――退魔師としての仕事部屋に向かった。
退魔師を引退してからは定期的に掃除を行うだけで、息子を鍛え始めてからまた使い初め、今は息子の方が使っている。
中央にスペースを開け、そこに倉庫から引っ張り出して来た折りたたみテーブルが一つにイスが二脚、置かれていた。
テーブルクロスを直しつつ、さっと室内を見渡す。
(大丈夫、かしら……)
なにせ、会うのは二十数年ぶりだ。準備に不備はないかと考えながら階段を上がっていると、玄関からインターフォンが鳴る音が聞こえて来た。
「!」
ミリアリアは階段を駆け上がり、玄関に向かう。
もう一度、インターフォンが押された。
「はーい!」
ミリアリアがドアを開けると、そこに立っていたのは十代前半ぐらいの男の子だった。
パーカーのフードを被っているが、隙間から見えるのは赤みがかったオレンジ色の髪。
その下から覗く赤い目が、真っ直ぐにミリアリアを見上げていた。
「―――久しぶりね。ウィルくん」
ミリアリアはにっこりと笑みを返し、その名前を言った。
髪と目の色は記憶しているものと違ったが、その顔立ちと腰に提げた〝かぼちゃ〟のキーホルダーが〝彼〟だと告げているからだ。
「おう。久しぶりだなぁ、ミリー」
ミリアリアの言葉に男の子――ウィル・ジオラは、にっと笑った。
「ごめんなさい。こんな場所で」
「いや。日の光がない方が有難いぜ」
ウィルを地下室に案内すると、彼は物珍しそうに辺りを見渡した。腰のベルトから〝かぼちゃ〟を取ってテーブルの上に置くと、ミリアリアの方に振り返る。
「〝結界〟を張ってもいいか?」
「ええ、大丈夫よ。今、飲み物を持ってくるから座って待ってて」
おう、とウィルの言葉を背に受けながら、ミリアリアはリビングに戻った。
冷めている一個目のパウンドケーキを切り分け、生クリームとフルーツを添えて皿に盛りつける。
オレンジジュースのパックと二人分のコップ、三人分のケーキをトレイに乗せて地下室に戻ると、
「ミリー! 久しぶり!」
ぴょんぴょんっ、とテーブルの上で跳ねる小人――黒紫色の髪と目を持つ、闇精霊のエプリがいた。
「エプリ、久しぶりね」
変わらないエプリに笑みを返し、テーブルにトレイを置く。
「あ! コレって、あの時に言ってたお菓子?」
ぱぁっと目を輝かせるエプリ。
そうよ、とミリアリアは頷いて、オレンジジュースのパックを掲げた。
「コップはあるかしら?」
「うん!」
エプリは足元――自分の影に両手を突いた。
よっと、と影から出したのは、エプリが一抱えしそうな大きさのコップだ。
ミリアリアはそこにオレンジジュースを注ぎ、ウィルの分は持ってきたコップに注いだ。
「どうぞ」
「じゃ、遠慮なく」
「わーい!」
ウィルとエプリはパウンドケーキにフォークを突き刺した。
モグモグ、と二人が頬張って飲み込むのを見て、ミリアリアは尋ねた。
「どうかしら?」
「美味いな」
「うん。美味しいよ!」
「そう。よかった――」
嬉しい感想に笑みを返し、自分も小さくフォークで切り分けて口に入れた。
しばらくの間、黙々とパウンドケーキを食べていたが、
「でも、驚いたわ。息子から、あなたの名前が出て来るなんて」
ぽつり、とそう呟いた。
ウィルは、ごくっと口の中のパウンドケーキを飲み込み、
「俺も、まさかミリーたちの子どもに〝闇〟で会うとは思わなかったぜ」
「ホント、ホント。びっくりしたよ!」
二人の口ぶりに、「え?」とミリアリアは目を瞬いた。
「息子と会ったのは……偶然なの?」
「ああ。二回目は会いに行ったけどな。最初に会ったのは偶然だ」
あっさりとウィルは頷いた。
エプリもコクコクと頷いて、
「散歩中に討伐しているのを見かけたんだよね!」
「散歩中……」
予想外の言葉に、ミリアリアは呆然と二人を見つめた。
「そもそも、人型ならまだしも、本来の姿だとアイツの術中にハマっていたからなぁー。会った時はちょっと違和感はあったけど、ルネに指摘されるまで、すっかり忘れてたぜ?」
「僕もよく思い出さないと分からなかったよ?」
「そうだったの……」
「アイツ、結構、本気の術かけているよな? 事情を知らねぇヤツから見れば、ちょっと変わった〝混血〟にしか見えねぇぜ?」
ウィルは、少し苦笑いを浮かべながら言った。
「…………ええ」
その言葉にミリアリアは目を伏せ、小さく頷いた。
―――――――――
十数年前――。
ベッドの中で、すやすやと穏やかな寝息を立てて眠る我が子をベッドに腰掛けながら夫と共に見つめていた。
ゆっくりと夫の霊力が上がっていくのを感じ、ミリアリアは夫に振り返る。
『………』
薄暗い中でも淡い真紅の輝きを放つ目と目が合い、僅かに目元を歪めた。
夫は規則正しい寝息をたてる我が子を起こさないようにその頭を優しくひと撫でし、ゆっくりと前髪を左右に分けた。
そして、露わになった小さな額に、人差し指を当てる。
『―――』
口の中で言葉が紡がれ、真紅の光が指先に灯った。
言葉を紡ぎながら、ゆっくりと指を動かしていく。
愛おしげに見つめ、その思い全てを光にしているように――。
ミリアリアはその光景を複雑な表情で見つめ続けた。
その言葉を止めることは出来ず、目を逸らしたい衝動にかられても見なければならなかった。
見届けなければ。
『―――……』
紋様が完成すると、一瞬だけ青い輝きを纏い、額に吸い込まれるように消えた。
夫は小さく息を吐き、ゆっくりと立ち上がる。
ミリアリアは、目の前を通り過ぎる手をとっさに掴んだ。
『……!』
少し驚いたようにこちらを見る目を見返し、ぎゅっと手を握り締める。
『これで、大丈夫だ。何の問題も――』
『あなた……』
ミリアリアは夫の言葉に小さく頭を左右に振るい、ベッドから立ち上がってその身に寄り添う。
そっと労わる様に、空いている手で腕を擦った。
『………』
一瞬、目を見張るも夫は小さく笑みを返し、擦る手に左手を重ねて来た。
赤い目と視線が交錯し、同時に我が子へと振り返ってその寝顔を見つめた―――。
―――――――――
「………」
今でも鮮明に思い出すその光景を振り払うように、ミリアリアは小さく頭を振った。
「でも、〝黒の魔女〟に指摘されて、息子に会いに来たということは……」
問うように視線を向けると、ウィルは肩を竦める。
「興味はあるみたいだな」
「っ!」
結局、何かしらの興味を〝魔女〟が抱いたのは確実のようだ。
思わず、息を呑むミリアリアに、
「まぁ、そのためにもアイツの指導を受けたらいいんじゃないか? ちゃんと、〝力〟が使えるようになれば、ルネが何に興味を持ったとしても大丈夫だろ」
ウィルは小さく笑いながらそう言った。
ウィルに〝魔女〟が息子の何に興味を抱いたのか尋ねても、その理由は知らないだろう。
彼と初めて会った時もまた、似たような状況だったからだ。
〝魔女〟の庇護下にいるが故にその依頼をこなすが、〝魔女〟はそう多くは語らないらしい。
ならば、ウィルの言う通りかもしれないが――。
「それはそうだけど……でも、あなたが紹介したと言うことは、あの報酬を使ったのよね?」
ウィルと息子が出会ったのは偶然で、二度目は〝黒の魔女〟に言われてのこととはいえ、ただ会いに行かせただけなのだ。
それだけでは、吸血鬼一族も〝黒の魔女〟の意図が読めず、ガドへの弟子入りを了承するはずがない。
なら、考えられる理由として最も可能性が高いのはとある報酬――ウィルが吸血鬼一族に作った借りを使ったということだ。
「ああ。吸血鬼一族にそのことを伝えるまでもなく、すでに〝白の魔女〟が手配してくれたけどな」
ウィルは「ガドのところから帰ってきたら、もう〝鍵〟は用意してあったぜ」と笑った。
「どうして……せっかくのモノだったのに」
〝闇〟でも、悪霊であるウィルの立場は微妙だ。
あの報酬があれば、もしもの時の保険になるとウィルも分かっているだろう。
〝あの方〟も、そのつもりで渡したはず――。
「ルネのお使いで得たものだからな。後々のためにとっておこうなんて思っていねぇよ」
ウィルは肩を竦め、あっさりとそう言った。
全く気にしていない様子に目を瞬いていると、「それに……」と目を逸らして、
「〝結婚祝い〟、渡してなかったからな」
「えっ?」
予想外の言葉に、ミリアリアは目を見開いた。
「そうそう! 事後報告だったからねー。何も出来なかったから」
「あっ……ごめんなさい。伝える方法がなくて」
エプリの言葉にとっさに謝り、えっと、と言葉に詰まる。
「結婚祝いって……そんなの、いいのに……」
二十数年越しのプレゼントに嬉しさと少しの戸惑いを隠せず、ウィルとエプリを交互に見つめた。
「馴れ初めを傍で見ていたから………まぁ、一応な」
ぱくり、とパウンドケーキを頬張るウィルは、何処か照れくさそうだった。
ミリアリアは珍しいその表情に目を見開き、ふふっ、と笑みを零した。
「とても………………………とても、嬉しいわ。ありがとう、ウィルくん」
そう思ってくれていたことに――切り札の一つであったものを躊躇なく使ってくれたことに、はにかんだ笑みを返すと、おう、とウィルは小さく頷いた。
(本当に――ありがとう……ウィルくん)
滲む視界を閉ざし、心の中でもう一度呟いた。
***
その日、ジオラはある人物に会うため、ルネの店から〝黒の鍵〟を使った。
その居場所は〝現〟ということ以外は分からなかったが、〝鍵〟を使えばルネが導くだろうと思ってのことだ。
予想通り、〝現〟に着いた途端に馴染みの気配を感じ、すぐに居場所を掴むことが出来た。
(相変わらず、だな――)
町の一角にある一戸建てを見上げ――そこに張られた結界に内心で感嘆の声を漏らし――ジオラはインタフォンを押した。
少ししてドアが開かれ、現れたのは二十数年ぶりに会う戦友の一人であり、ティトンの母親でもある女性――ミリアリア・クラコーン。
『―――久しぶりね。ウィルくん』
最後に会った時と変わらない艶やかな笑みを見せた彼女は、ジオラが訪ねて来ることを予想していたようだった。
いつか再会した時には、と交わしていた約束通り、手作りのお菓子を用意して――。
戦友の家を後にして、ジオラは帰路についた。
テクテクと歩くその手には、お土産に貰ったパウンドケーキが入った箱が握られている。
『ミリー、喜んでくれたね!』
(……ああ)
『――よかったね』
軽く返すと、照れ隠しだと気づいているエプリは笑いながら、さらにそんなことを言ってくる。
それには答えず、ジオラはミリアリアとの会話を思い返していた。
―――「〝結婚祝い〟、渡してなかったからな」
何故、あんなことを言ったのか、ジオラ自身よく分からなかった。
もしかしたら、以前、数少ない〝現〟側の知り合い――とある退魔師が結婚した時、そういうことをするのだと教わったことが原因かもしれない。
ただ、ミリーにも言った通り、吸血鬼への〝借り〟をもしもの時まで取っておくつもりはなかったのは本当のことだ。
何故なら、〝魔女〟が作らせた〝借り〟だ。
その使いどきも決まっていると思っていた。
それはルネとの短くない付き合い――経験上、分かっていることで、使えと指示されたことはないが、何となく察する時があるのだ。
ルネに言われてティトンに会いに行った時、面白そうだが厄介事だという認識しかなかったが、ふと、「使いどきか」と思い、その一手を躊躇なく使っただけのこと。
ただ、その理由ではミリーは納得しないかと思ったところで、口から出た言葉が〝結婚祝い〟だった。
そして、予想以上にしっくりと来たことに驚いていた。
―――「とても………………………とても、嬉しいわ。ありがとう、ウィルくん」
涙で濡れる瞳を細め、微笑むミリーの表情を思い出したところで、ジオラは小さく息を吐いた。
エプリはジオラの戸惑いに気付いているようで、ふふっ、と小さく笑ったが、それを指摘してくることはなかった。
『僕の分、どうしよっかなぁー』
あのお使いの時、吸血鬼一族から報酬を貰ったのは四人。
ある事情から、本来ならエプリはその権利を持たなかったが、一人がエプリに譲っていた。
(お前はのんびり考えたらいいんじゃないか?)
今回、使ったのはジオラだけなので、まだエプリの分は残っている。
『うーん……ジオラのために残しておいてもいいけど、僕も何かしたい!』
(お前が貰ったんだ。気にせず、好きに使えばいいさ)
『うん! あっと驚かせてみるよ!』
(……ほどほどにしておけよ?)
やれやれ、とジオラは内心でため息をついた。




