第5話 新人《退治屋》、隠居した同族を訪ねる
「―――ティトン。どうしたの?」
「えっ?」
夕食時。
もそもそと料理を口に運んでいたティトンは、唐突にそう言われて俯いていた顔を上げた。
テーブルを挟んだ向かい側に座る金色の髪の女性――母親の訝しげな目と目が合う。
「この前、〝紹介所〟に行ってから心ココにあらずだけど……何かあったの?」
じっと見つめて来る自分と同じ碧眼に、ティトンは目を泳がせた。
〝紹介所〟にて、悪霊〝ジャック・オー・ランタン〟のウィル・ジオラと話をして三日。
明日、ジオラと〝紹介所〟で待ち合わせをしているので、その事が原因だろう。
「えっと……」
どう説明しようかと悩んでいると、徐々に母親の気配が剣呑になっていく。
その様子に冷や汗をかいた。
「明日も〝紹介所〟に行くのよね? まさか、そんな状態で行くつもりかしら?」
次第に高まっていく霊気に、びくりっと身体が震えた。
「っ……い、依頼しに行くわけじゃないから!」
「ふぅん……?」
母親は眉をひそめると、フォークを皿の上に置いた。
両肘をテーブルについて組んだ手の上に顎を乗せる時には、退魔師としての顔になっていた。
「じゃあ、何をしに行くの?」
じっと見つめられると修行の時を思い出してしまい、正直、怖い。
「それは……その……」
悪霊の〝ジャック・オー・ランタン〟に知人の紹介を頼んだと言ったら、どう思うだろうか。
そもそも、彼を知っているのかも分からない。
「し、知り合った人に……その人の知り合いを紹介してもらうことになって。明日、その人と待ち合わせしてるんだ」
「……知り合った人の知り合いを?」
ぴくり、と母親の眉が動く。
ティトンは小さく頷いた。
「〝血〟の、〝力〟の使い方を教えてくれる人――」
「!」
そう言うと、母親は目を見開いた。
「〝血〟って……あなた、まさか――っ」
「黙っててごめん!」
言葉に詰まる母親を見て、ティトンは勢いよく頭を下げた。
「でも、どうなるか分からなかったから……会ってくれるか、話を受けてくれるかも」
そっと視線を向けると、母親は何とも言い難い表情をしていた。
ティトンは唇を噛みしめ、深呼吸をしてから顔を上げた。
「知り合ったその人から聞いたんだ……〝混血〟なら、訓練次第で誰でも〝血〟に宿る〝力〟は使えるようになれるって」
「!」
母親は大きく目を開いた。
「《退治屋》になって数カ月経ったけど、今の自分がどんなに未熟か分かって……〝闇〟の人たちの〝力〟を見て、〝力〟を使えるようになりたいと思った。数年は《退治屋》をするためにも力は付けておきたいし――何より、〝現〟で暮らすためには制御も必要になるから」
「ティトン……」
不安や困惑の混じったその表情に、ふと気づく。
ジオラから聞いた〝混血〟のあの事情を、母親は知っているのだと。
(なん……っ)
ジオラからその話を聞いた時に沸き上がった疑問を尋ねようとしたが、何故か躊躇ってしまった。
どうして、自分は〝現〟にいられるのか、と――。
「………大丈夫だよ。頼む人は隠居した《退治屋》の人で――ちょっと、変わってるとは言ってたけど、〝とっておき〟らしいから」
ティトンは疑問を呑みこんで、そう言った。
ジオラは悪霊だが〝魔女〟との契約や〝紹介所〟での立場、何より、本能に従うということは、その行動に裏はない――信用していい気がした。
母親は驚いたように目を瞬き、
「そんな人が……?」
戸惑いの声を上げた後、考え込むように目を閉じた。
勝手に決めたことをどう思っているのか――ティトンはその表情から読み取ろうとしたが、全く分からなかった。
どれぐらいの時間が過ぎたのか分からなかったが、母親は一度大きく息を吐くと目を開いた。
「分かったわ。あなたがそう決めたのなら、頑張りなさい。――引き受けてくれたら、だけどね」
冗談交じりに付け加えられた言葉にティトンは目を見開く。
「うん。まずは引き受けてもらえるように頑張るよ」
小さく笑って、頷いた。
***
翌日。
ティトンは〝紹介所〟を訪れ、定位置となっているカウンターに腰を下ろした。
ジオラと会ってから来ていなかったので何人かの視線を感じたが、ティトンにその視線を気にしている余裕はなかった。
(今日、だよな……時間も合ってるし)
これから会うことになるかもしれない同族に――サンゼたち以外の相手に緊張が高まっていたからだ。
喉が渇いて来たので、店員にアイスカフェオレを頼む。
「ごゆっくりどうぞ」
届いたカフェオレをごくこくと勢いよく飲み、喉を潤した。
(一応、〝カード〟を持ってきたけど……他には――)
落ち着こうと深呼吸を繰り返していると、
「よぉ。早いな」
「こんにちは!」
笑いを含んだ高い声と明るい声がかかった。
「ジオ――えっ?」
勢いよく振り返ったティトンは、後ろに立っていた人物に目を瞬いた。
座っているティトンよりも小さい――十代前半ぐらいの子どもだったからだ。
ただ、赤みがかったオレンジ色の髪に赤い目を持ち、その顔立ちは幼いとはいえ見覚えはある。
そして、その肩に座る小人――エプリが、子どもが〝彼〟だと証明していた。
「えっと……ジオラ、さん?」
それでも、思わず確認してしまうティトンだった。
子どもは、くいっ、と片眉を上げ、
「ああ。そうだぜ?」
「びっくりした?」
クスクスと笑うエプリに頷きつつ、ティトンはジオラをマジマジと見つめた。
「……あ、ああ。面影はあるけど……驚いた」
「姿が変えられるのは、知ってるだろ?」
「あ、うん……」
例え、聞いていたとしても、実際、目にしたら驚くのは仕方がないと思う。
変装した時のように見た目だけでなく、身長や体格も変わっているのだ。声色もやや高くなっているが、その口調は同じなので少し違和感を覚えるだけだった。
「こっちは〝省エネモード〟ってヤツだな」
「しょ、省エネ……」
軽く言うジオラに、ティトンは困惑した。
「――よっと」
ジオラは飛び乗るようにイスに腰を下ろし、前と同じように〝かぼちゃ〟をカウンターに置いて結界を張った。
近づいて来た店員に「悪い、すぐに出る」と断りを入れて、ティトンに振り返った。
「今から行くところは、ちょっと悪霊に厳しくてな」
「! じゃあ――っ」
ぱっと、ティトンは顔を輝かせた。
その口ぶりは、つまり――。
「ああ。一応、会ってみるってさ。指導するかどうかは、会って話をしてからだ」
「あ、ありがとうございます!」
声を上げて礼を言うティトンに、ジオラは苦笑した。
「いや、まだ指導が受けられるかどうかは分からねぇぜ。後は、お前次第だ」
「頑張って説得してね!」
二人の言葉に「あ……」と小さく声を上げ、まだ決定していないことに気付く。
あはは、と誤魔化すように空笑いをして、背筋を伸ばした。
「はい。頑張ります」
さっそく行くか、とジオラに促されて向かったのは〝五ツ星〟専用のドアが並ぶホールだった。
「えっと……こっちから、ですか?」
「ああ。行き先を見られるのは、ちょっとな」
「隠居してるからねー」
言葉を濁すジオラの肩の上で、エプリはあっけらかんと言った。
「……はぁ?」
ジオラは《退治屋》の中でも十人しかいない〝五ツ星〟の一人だ。
彼が使うことは分からなくもないが、一緒に行ってもいいものなのだろうか。
(あまり、場所を知られたくないのかな……?)
ティトンは背中に無数の視線を感じながら、スタスタと歩いていくジオラに続いた。
(また、変な噂が……)
会話の内容は聞かれていないが、一体、どんな憶測が飛び交うのか不安になるティトンだった。
〝五ツ星〟専用のホールは半球状になっており、天井にはシャンデリアが輝いていた。
やや薄暗く落ち着いた雰囲気ながらも、壁に並ぶ十の黒い扉は何処か威圧感を覚える。
「別に、俺たちと一緒なら使っても問題ねぇから安心しろ」
ジオラは一つの扉の前に立つと、腰が引けているティトンに振り返った。
その手には、いつの間にか白い鍵が握られている。
「ちゃんと、上の了承も取ってある」
「上って……〝紹介所〟のですか?」
その言葉に、ぎょっとして目を見開く。
「ああ。悪霊に新人がたぶらかされないか、心配なんだろうぜ。所長はあっさり承認していたけどな」
「副所長に呼び出されたよね」
「呼びっ? いや、所長って――っ?!」
〝ティルナノーグ紹介所〟の所長と言えば、〝白の魔女〟だ。
そして、副所長に呼び出されて話をしたという。
(話をしたって、いつの間に……ってか、何で所長が?)
知らぬ間に大事になっていたので、ティトンは混乱した。
〝闇〟側に頼れる伝手はなく、ジオラたちからは純粋な興味以外は感じられなかったので――その場の勢いもあって――紹介を頼んだのだが、まさか、〝紹介所〟のトップ二人の名前が出て来るとは思わなかった。
混乱し、頭を抱えて立ち止まったティトンを他所に、ジオラは鍵を使って扉を開けた。
「おい。行くぞ」
「っ――はい……!」
はっと我に返り、俯いていた顔を上げた。
慌てて、扉の向こうに消えたジオラたちを追う。
扉をくぐった途端に深い森の香りが漂い、冷たい風が頬を撫でた。
「ぅわ……っ!」
扉の先には、大自然が広がっていた。
右側に大きな湖があり、向こう岸に連なる山々が見える。
また、周囲は深い森で、距離はあるものの木々の背がかなり高いことが分かる。
正面から吹く風がティトンの周囲を回り、後ろに抜けていった。
(……すごい、霊力っ)
そして、この森に満ちる霊力に、ぞわぞわと両腕に鳥肌が立った。
ゆっくりと振り返ると、どうやら出て来たのは小屋――物置小屋だった。
そのまま身体を回して行けば、すぐ隣に建つ一軒のログハウスが目に入った。
平屋建てて赤い屋根に煙突が一つあり、ウッドデッキにはテーブルとイスが一つ置かれている。
「ここが……」
そのログハウスを見上げ、ぽつり、と声が漏れる。
「ああ。〝とっておきの変人〟がいるところさ」
その隣で、にやり、と笑うジオラ。
「―――その紹介は止めてくれ」
突然、第三者の声が聞こえ、びくりと肩が震えた。
ティトンは慌てて声がした方向――後ろへと振り返った。
「―――――ぁ………」
そして、少し離れた場所に一人の男が立っているのを見つけ、目を見開く。
年齢は四十代後半ほどで、背はティトンよりも高い。日の光に当たって輝く金色の髪をオールバックに整えていて、精悍な顔立ちが露わになっていた。
そして、切れ長の赤い目が真っ直ぐにティトンを射抜いた。
吸血鬼特有の、血のように赤い目が――。
(―――っ……!)
ティトンは息を呑み、無意識に胸元を右手で掴んだ。
サンゼたちと初めて会った時とは、また違った感覚――巨大な〝何か〟を前にしているような威圧感を覚え、目を逸らすことが出来ない。
つと、男が視線を外したところで息を吐き出すも、何故か男から視線を逸らすことが出来なかった。
「何だ。そっちに居たのか」
ジオラの声がやけに遠くから聞こえてくる。
「言ってた奴、連れて来たぜ」
「早いな……」
再び、男の視線がティトンに向けられた。
びくっ、と肩が震える。
「おい。呑まれている場合じゃねぇぞ」
「――っい!」
ばしんっ、と後ろからジオラに背中を叩かれ、ティトンは我に返った。
「……ジ、ジオラさん」
よろめきながら後ろを振り返ると、ニヤニヤと笑うジオラと目が合う。
あらら、とその肩に座るエプリは目を丸くしていた。
「吸血鬼の中でも強いからな。呑まれてぼけっとしてると、心象が落ちるぞ?」
(そうだっ――!)
ジオラの言葉にはっと我に返って背筋を伸ばし、改めて男に――ジオラの知人に向き直った。
「こ、こんにちは! ティトンと言いますっ、今日はお時間をいただきありがとうございます!」
大声で名乗り、ティトンは勢いよく頭を下げる。
頭上で、ふっ、と微かに笑う気配がした。
「ガドだ。ウィルから簡単に話は聞いている。詳しいことは、中で話そう」
「! はいっ」
男――ガドは先導してログハウスに向かった。
ティトンはジオラたちと一緒にその後を追う。
(ウィル?……あ。ジオラさんのことか)
一瞬、誰のことなのか分からなかった。
(どんな感じで話してくれたのかな……)
ログハウスの中は、入るとすぐにテーブルとそれを挟むように置かれたイスが目に入った。
テーブルの左側にはカウンターがあり、その奥はキッチンだ。
右側は暖炉とロッキングチェアが一つ、脇に小さなテーブルが置かれて数冊の本があった。
そして、正面の壁に二つの扉があり、奥にも部屋が続いているようだ。
ティトンはガドに勧められるままに向かって右側のイスに座り、その隣にジオラが腰を下ろした。
エプリはガドが持ってきた小さなクッションをテーブルの上に置き、そこに座っていた。その場所はティトンとジオラの間ぐらいだ。
「――さて。ウィルから話を聞いていると思うが、少し君の話を聞いてから頼みを受けるか否か、決めさせてもらおう」
ガドは人数分のカップ――ティトンはコーヒーでジオラとエプリはミルクだ――をそれぞれの前に置き、ティトンの正面に座ると話を切り出した。
「はい……!」
ティトンは背筋を伸ばし、真っ直ぐにガドを見つめた。
ジオラのお陰なのか、先ほどのように呑まれるような威圧感はない。
「――その前に一ついいか?」
隣でジオラが軽く手を挙げ、そう言った。
「何だ?」
「?」
ティトンとガドの視線を集めたジオラは、ポケットから何かを取り出すとテーブルの上に置いた。
手が退けられて現れたのは、白い鍵——《退治屋》の証だった。
(何で鍵を……?)
わざわざ取り出したことに小首を傾げるティトンとは違い、ガドは少し眉を寄せた。
「! それは――」
「所長から預かって来た」
「お前の鍵で来たわけではないのか……」
ガドの小さな呟きに、ティトンは目を瞬いた。
(ジオラさんのじゃ、ない……?)
ガドと同様、ジオラの鍵で来たのだと思っていたからだ。
少し身を乗りだして鍵をじっと見つめていると、
(――あ! ちょっとデザインが違う……?)
〝紹介所〟で見た時は気付かなかったが、紋様のところが違った。
「まぁこれから決めるわけだけど……一応、渡しておくぜ」
「……ああ」
ガドは鍵に手を伸ばして引き寄せ、目の前に置いた。
手を組んで、考え込むように鍵に視線を落とす。
「……ガドさん?」
どうしたのだろうと名前を呼ぶと、すっと赤い目が向けられた。
「そうだな。君はピンとこないか」
「はい……」
「ココに来た時に感じたと思うが、この森は霊力の濃度がかなり高い場所だ。俺はソレを調整しながら暮しているが、その濃さ故に悪霊が集まりやすい場所でもある。そのため、不用意に人が近づかないように人払いの術も掛けているんだ」
「!」
「色々と複雑に張っているからな。地道に歩いて来ることは不可能に近い」
えっ、とティトンは声を漏らした。
(じゃあ、どうやってココに……?)
もし承諾を得られたらどうすれば、と考えたところで、ジオラが貰って来た白い鍵を見た。
「だから、ココに来る方法は鍵だけだ。恐らく、この鍵はさっきの小屋だけに繋がるように設定されているんだろう」
ティトンの予想を肯定するようにガドは頷いた。
「鍵を作り出せるのは〝魔女〟――つまり、所長だけだ。所長が鍵を作り、俺に渡して来たのなら、君の指導を私がすることを止めるつもりはないという意思表示でもある」
「わ、わざわざ……?」
一新人が同族に教えを乞う――依頼することに関して〝魔女〟は承認しているということ。
その重大さに気付き、ティトンは頬を引きつらせた。
(だっ、だから何でっ? 〝混血〟、だから……?)
少し泣きたくなってきた。
そんなティトンの様子に気付いているのかいないのかは分からないが、「――では、改めて」とガドは話を戻した。
「確認だが、君は〝混血〟で〝現〟に住んでいるということでいいんだな?」
「っ―――はい。そうです」
ティトンは一瞬、言葉に詰まるが、強く頷きを返した。
(ちゃんと、話さないと――っ)
深呼吸をして意識を切り替えてから、口を開く。
「母と一緒に。……〝闇〟の住人である父は、私が幼い頃に出ていきました」
脳裏に立ち去る後ろ姿が浮かび上がるが、それを無視して話を続けた。
「母が言うには、私が十九になる年に〝紹介所〟に登録させるようにと父に言われたようで……退魔師の登録をしに〝紹介所〟に行ったところ、《退治屋》へ案内されました」
「十九か……確か〝現〟では成人とされる年齢は十八だったはずだが?」
「はい。ただ、その時は学校に通っていたので、恐らく、そのことを考慮してくれたんだと思います。今年、学校を卒業して……今はバイトと掛け持ちしながら《退治屋》の活動をしています」
「ふむ……」
ガドは少し考え込むように口を閉ざし、
「それで、君はどうしてその血を使えるようになりたいんだ?」
少しして、そう尋ねて来た。
「っ……」
ティトンはテーブルの下で、両手を握り締めた。
ごくり、と生唾を呑み込んで、
「私の夢は〝現〟で仕事に就くことで、《退治屋》ではありません。退魔師として訓練を受けたのも、他の人たちよりも高かった霊力を制御するためです」
「………」
ティトンの言葉にガドは表情を変えず、ただじっとこちらを見返してきた。
「〝紹介所〟に登録したのは、父との約束だったからで……数年したら、〝現〟での仕事に就くために学業に専念するつもりでした。ただ――」
目を伏せ、一息つく。
「《退治屋》として活動して………自分の未熟さ、甘さに気付かされました。そして、私の中に流れている〝血〟の〝力〟の恐ろしさも」
ちらり、とジオラに視線を向けた。
黙々とクッキーを食べていたジオラは「ん?」と片眉を上げた。
いつの間にか――何処から取り出したのかは分からないが、テーブルの上にクッキーが入った缶が置かれていた。
缶の傍に移動したエプリは、一心不乱にクッキーを食べている。
「ジオラさんから、全ての〝混血〟が〝血〟に目覚めないわけがない――可能性はゼロではないと伺いました。そして、同族に〝血〟の使い方さえ教われば、制御することが出来るようになるとも」
ガドに視線を戻すと、彼もジオラの方を見ていた。
「……そうだな。〝力〟の使い方については、その血族に聞いた方がいいだろう」
ティトンの視線を感じてか、ガドはこちらに視線を戻して頷いた。
「〝力〟のことを知って……もし、〝現〟で発現して、制御できなかったらと思うと」
依頼先で見た《退治屋》たちの戦闘風景を思い出し、それによって膨れ上がった不安を振り払うように軽く頭を横に振るった。
そろり、と視線を下に向け、カップの水面に映る自分を見つめながら話を続けた。
「それに父が何のために《退治屋》に登録させろと言ったのか、私はその理由を知りません。ずっと、登録するものだと思っていたので、考えたこともありませんでした」
「………」
「けど、〝闇〟に来て、色々と知って……もし何か意味があったのなら、私はソレを知りたいです。例え、意味がなかったとしても――」
それならそれで構いません、と小さく頭を横に振るう。
「《退治屋》として活動すれば、知れるような気がして――だから、そのためにも、無事に依頼をこなせるように力をつけたいんです。ちゃんと、〝現〟に帰れるように」
コーヒーの水面に映る自分は、大きく眉を寄せていた。
「〝闇〟で〝混血〟の扱いを――どのような目で見られているか聞いてっ……それなら、何で俺は――っ」
勢いよく顔を上げたところで赤い目と目が合い、口を閉ざした。
その赤い瞳からは、ジオラに聞いていた感情は見えなかった。
ただ、真っ直ぐに見つめて来る瞳を見ていると、次第に高ぶっていた気持ちが落ち着いていった。
「す、すみません……声を荒げてしまって」
恥ずかしくなり、ティトンは顔を伏せて身を縮こませた。
「えっと……だから、その……」
「〝現〟で暮らすため、そして〝闇〟を知るために〝血〟を使いこなしたい、か……」
ガドの言葉に、はっと顔を上げて、ティトンは大きく頷いた。
「はいっ、そうです!」
そうか、と呟いてガドは目を伏せた。
(い、言っちゃったけど……大丈夫かな)
ごくり、と生唾を呑み込んで、ティトンはガドを見つめた。
〝血〟の使い方を教わりたいが、《退治屋》を仕事にするつもりはない。
自分勝手すぎて、呆れられるか不快だと怒らせるかもしれない理由だ。
でも、それが偽りない思いだった。
「……っ」
ティトンは喉が渇いてカップに手を伸ばすが、握り過ぎた右手を開くと微かに震えていた。
とっさにテーブルの下に隠して、左手で揉みほぐそうとしたが、左手も同じ状態だった。
仕方なくこすり合わせていると、
「食べる?」
いつの間にかエプリが近くに寄って来ていて、クッキーを差し出していた。
「……ありがとう」
変わらないエプリの態度に肩の力が抜け、ティトンは笑みを返してエプリに手の平を向けた。
はいどーぞ、とその上にクッキーを置き、パタパタと走ってクッキー缶の近くに戻るエプリを見ながら、ティトンは受け取ったクッキーを口に放り込んだ。
噛む前にホロホロと崩れて、バターの風味が口の中に広がっていく。
(………ふぅ)
優しい甘さに心が落ち着く。
口の中の水分がなくなったので、カップに手を伸ばした。
ゆっくりと喉を潤していると、ガドがそっと目を開くのが見え、ティトンはカップをテーブルに置いた。
「ウィルからサンゼたちから声がかかっていると聞いた。それを受けないのは、そのことが理由か?」
「! はい。声を掛けてもらったことは光栄なのですが……」
そこで言葉を切り、小さく首を横に振るう。
「サンゼたちなら問題ないと思うが……」
「……………っ!」
呟かれたその言葉に、ダメなのかとティトンは顔を強張らせた。
その表情を見て、ガドは一瞬目を見開き――ふっと口元に笑みを浮かべた。
「――分かった。君にその〝血〟の使い方を教えよう」
「えっ……本当ですかっ?!」
ぱっと顔を輝かせると、彼は大きく頷いた。
「〝現〟か〝闇〟か、生きる場所を決めるのは君だ。君がそう望むのなら、手を貸そう――その〝血〟を持つ同族として」
「あ、ありがとうございます!」
ティトンは立ち上がり、勢いよく頭を下げた。
はは、と小さな笑い声が聞こえ、
「修行は厳しいぞ――ティトン」
初めて名を呼ばれ、どくり、と〝何か〟が震えた。
胸が苦しくなり、胸元を右手で握り締める。
「っはい! よろしくお願いします!」
ティトンは顔を上げて真っ直ぐに赤い目を見つめた。
柔らかな、優しい光を宿す目を――。
***
温かな日差しが降り注ぐテラスに一人の少女がいた。
年は十代後半ほどで、日の光で輝く淡い金色の髪は細やかな編み込みがされ、白磁のような滑らかな肌に人形のように整った顔立ちをしているが、生気に満ちた赤い目が印象的だった。
少女はイスに腰掛け、前にあるテーブルの上にはティーセットと茶菓子が並べられていた。
「―――お嬢様」
開かれた窓の奥――室内から、声がかかる。
ティーカップを口元に傾けていた少女は、カップをソーサーに戻して声がした方へと振り返った。
テラスと部屋の境目に、頭を下げた一人の侍女が立っていた。
「ワンダフィルア様より連絡がありました。ウィル・ジオラ様に鍵を渡し、先ほど、例の子どもと一緒に〝彼〟の下へ向かったのを確認した、と――」
「―――そう」
侍女の言葉に少女は短く答え、テーブルの向こう側にある席に視線を向けた。
少しの間、沈黙が落ちる。
「よろしかったのですか? あの場所への立ち入りを許可しても」
「………」
侍女の問いに少女は答えず、じっと空いたままの席を見つめた。
ワンダフィルア――〝ティルナノーグ紹介所〟の副所長からその一報があったのは、数カ月ほど前のことだった。
ある一人の同族が〝闇〟を去った時、いつか来るであろうと思っていた一報――。
その対応については以前から決めていたので、つつがなく対処することができた。
定期連絡でも順調とは言えないが、特に問題もなかったのだ。
数日前にあった、緊急連絡までは――。
「それが〝あの人〟の望みだもの。〝長老〟たちも止めることは出来ないわ」
〝あの人〟と交わした、とある約束。
ソレについては一族として――その理由は様々だったが――早々に片を付けたいと思っていたことだった。
ただ――
―――『ウィル・ジオラが例の子どもに再度接触し、所長からあの場所に通じる鍵を渡すよう預かった』
と。ワンダフィルアから連絡があった時は、長老たち上層部が緊急招集され、会議が行われることになったが。
何故なら、〝闇〟の住人たちの中では〝混血〟の処遇に関しては、他の一族は不干渉であることが暗黙の了解として知れ渡っていたからだ。
会議は〝あの人〟――或はその背後にいる者――の意図が分からず、了承するか否かで紛糾した。
〝あの人〟から、直接、話があったわけではなかったことも大いに揉めた理由だったが、〝白の魔女〟の行動から考えるにソレが望みだと判断された。
そして、以前、交わした約束を果たす――了承しないわけにもいかない――ため、〝禁忌の地〟として知られるあの場所への立ち入りを承諾することになったのだ。
(〝あの人〟らしいけど……)
ふふっ、と口元に手を当てて笑う。
知り合った時もそうだったが、本当に行動が読めない。
また、〝あの人〟が関わって来ると誰が予想できただろう――。
「お嬢様……」
少し咎めるような声色に、少女は侍女に振り返った。
「〝白の魔女〟が鍵を作って渡したのなら、悪いことにはならないわ。そもそも、〝魔女〟たちの見るモノは私たちとは違うもの」
「………〝魔女〟の行動の全てが、いい方向に転ぶとは思いませんが」
少し眉を寄せて紡がれた苦言に、少女は一瞬目を見開いた。
けれど、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。
「そうね。―――けど、〝あの人〟なら大丈夫よ」
「お嬢様……」
困ったように眉尻を下げる侍女から視線を外し、少女は正面の空いている席を見つめた。
「…………でも、どうして来てくれないのかしら?」
何処か拗ねたような言葉に、侍女は気づかれないように小さく嘆息した。




