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「ワタシと…婚約を結んでくれッ!」
そんな言葉が発された後は観客は騒然となり色々な憶測を呟く声が会場を包み込んだ。
当主様を見れば頭を抑えて唸り声を上げ舞台を見れば豪華な服を纏った獣人族が頭を掻きむしりながら婚約を迫った娘を連れ去った姿があった。
人というものはいつだって日々の平安と停滞そして変化を求め続ける。
それ故に人は他人の変化について非常に気になり言葉を発する。
どうやっても噂となり得るものを見たからにはそれを他人にも分かってもらおうと相談する。
そうやって言葉のみが会場を包み込む。
お偉いさんが一度は戦いの場を続けようと声高らかに発そうと噂は密かに伝染する。
誰かに変化を伝えるが為に人は口で言葉を伝え真実を湾曲させ人の興味を刺激させる。
婚約騒ぎからようやくまた元の戦いの場へと視点が戻っても声は収まらず暇さえあれば人は話をする。
唯一ここで良かったこととすればアルキアンが選手で最終戦までこの席にいないことだろうか。
「……耐えられんな。すまないが席を外す…あとは皆楽しんでくれ」
そこから2試合した頃に当主様はそう言うと席を立ち会場を去っていった。
周りからの視線や声に耐えられなかったのだろう…お偉いさんの娘からの求婚だからこそ断れば最悪外交問題にもなり得る事だ。
当主様は頭を悩ませているのだろう。
当主様が立ちその場から離れた後に数人が席を立つ。
そして当主様の後ろを追うようにしてその手には紙とペンを持ち離れた。
不憫な立ち回りだと思い私は親睦を深めるための戦いを見ることに集中しようと思ったがどうしても空回りやはりあの時の場面を想像してしまう。
どうやっても噂は耳に入りあの婚約について考えてしまった。
…そして親睦戦は続いてアルキアン対この国の戦士との戦いへとなる。
根も葉もない憶測のみの言葉やそれを真に受け取った人の質問する声がアルキアンが出てきた瞬間に飛び交う。
それに対して私は悪態でも吐こうと思ったが…口は思ったように出ずに噤む。
思えば私もアルキアンについては良く知らない…というかアルキアンのアマガル家についても良く知らない。
アルキアンはここに来るのは初めてじゃなさそうだし知らない所でトゥランベルとの関わりがあったのかも知れない。
今となっては「関わり合ったの?」なんて軽口を吐けないから…ただただ耳を傾ける。
舞台に立つアルキアンがそう言った質問になんて答えないと知りながらも。
…少女観戦中…
しばらく経ち子供の部はつつがなく終了した。
結局集中して戦いを見ることはできなかった…ちなみに子供の部はアルキアンが制覇した。
次に行われる大人の部だが興味がないため私達はここで帰ることとした。
時間にして今は12時頃を回ったところだが大人は今からが本番だと言う感じで張り切っている。
それでも噂は続いているようで話し声が聞こえてくる。
私達はその声から逃れるようにしてそそくさと会場から離れ人気のない場所まで移動したのだった。
「ふぁぁ…そろそろ眠くなってきたからここで解散にしようか。アルキアンも丁度きたところだし」
「そうですわね夜更かしはお肌に悪いと聞きますしお開きにいたしましょう」
遠くからアルキアンが歩いてくるのを見つけたダルク坊とカルメア嬢は側付きのゲラさんと天然さんに連れられて自分が今日泊まる場所へと帰っていった。
そうしてアルキアンが私の側へと歩いてきた…どこか疲れた顔をしているがやはり野次馬などが親善試合後に来たのだろうか?
「それじゃあ僕らも今日泊まるところに帰ろうか…もう疲れたしね」
そう言い私の手を引きながら歩き出す。
頭の中では「トゥランベルとは前からの知り合いなの?」という疑問や「今日はお疲れ様」という労いをしたい言葉が回るが口には出ず。
「あのさ…あれ断ったら外交問題になるの?」
結局はそんな言葉が口から呟きとして出された。
月明かりに照らされアルキアンの顔がよく見え…その顔から何となくその答えが分かる。
「うーん…どうだろうね?そのあたりは父上に任せるとしよう」
そう言い歩みが速くなった。
見上げた瞳の中からは断ったら問題になるかも知れないという不安とそれと同時に焦りという表情が読み取れる。
どうしたらいいか分からずただアルキアンの為になりたいという気持ちだけが私の内に積もり手を離さないよう振り放されないようにと掴むと見上げていた顔がちょっぴり緩んだ気がした。
そうやって歩いているといつの間にか今日泊まる部屋へと着くことができた。
人族の貴族の泊まる部屋のように豪華ではないがその代わりにと言わんばかりに何かの魔獣の皮の絨毯やワイバーンの顔の剥製が飾られている。
人族は金品や煌びやかなものを価値あるとするが獣人族はどうやら狩った獲物の象徴に価値があるとするらしい。
…とすればこのワイバーンの剥製はあの時狩ったワイバーンなのだろうか。
「今日は疲れたよ…レナ、僕はもう寝るね」
今日で慣れないことがあったからだろうかアルキアンは部屋について早々にベッドに入って眠ってしまった。
私も今日は何故か何もしていないのに疲れた…外交問題にならないといいなと願いながらベッドに入り込むと目を閉じた。
遠くからは鉄と鉄がぶつかり合う音や大人の応援による大声が耳に届く。
そんないつもとは違う静寂とはかけ離れた夜が深まっていった。




