089. 隣国の勇者と聖女
家族三人、わちゃわちゃと遊んだ休日の翌朝。
隣国にいる義弟のレオンから、私宛に手紙が届いた。
「……あら、まあ」
もう一度、手紙を頭から読み返す。
「あら、まあ」
けっして読み間違いではなかった。
執務室にひとりきり、誰かと驚きを共感できるのでもないのに、思わず声を上げてしまう内容だ。
レオンこと、レオナルド・グラジオラスは、隣国の辺境伯家の長男坊。私より四つ年下で、今は学院二年生。昨年、炎の勇者として覚醒している。
――そうね、姉としては、祝福したいのだけれど……。ちょっと、もしかすると、まずい展開かも?
きっと彼も最悪の可能性に気づいたからこそ、表に情報が出る前に手紙を送ってくれたのだろう。
それが正式に発表されるまでには、まだ、いくらかの余裕があると思われる。
――最悪、誤魔化すこともできそうだけど。駄目かしら。
この様子では、たぶん、彼よりも彼女の方が手強い。たぶん、彼女は逃げてくれない。
あの方も、武人の家系だ。戦闘狂とまでは言わずとも、あの騎士団長に育てられた娘さんである。
――恋心って、そういうものよね。私も、茨の道だとわかったうえで、イラリアと生きることを選んだのだもの。気持ちは、わかる。
隣国生活のことを思い出し、ちらり、窓の方へと視線をやった。今日も王都は天気がいい。彼らを見守る隣国の都の空も、晴れていてほしい。
――こちらの王太子決定と、あちらの件と、どちらが先になるかしら。
なんにせよ、私も彼も、大切なひとと歩む道は平坦ではなさそうだ。
「ねえ、イラリア」
思案しながら着いた朝食の席で、私は彼女に呼びかける。私の婚約者は、今日もとびきり可愛い。
「早急に話しておくべきことがあるのだけど、登校前に時間をいただけるかしら」
「? いいですよー!」
朝からもりもりとよく食べるイラリアの姿は見ていてどこか気持ちがよく、心の荒れを癒やす効果がある気がする。
イラリアが何かを食べている姿は、好きだ。いつでもいっぱいに食べさせてあげたい。彼女が美味しく食事を楽しめる生活を守りたい。
「イラリア」
「?」
「好きよ」
言いたくなって、熱を籠めて囁くと。彼女はこくりと水を飲んでから、「私も大好き」とはにかんだ。
食事を終えたら彼女を執務室に迎え入れ、レオンのことを伝える。
「隣国の聖女さまの〝愛〟の相手が、あの子になったのですって」
「……あら、まあ」
イラリアは空色の瞳を丸くして、私そっくりの驚き方をした。
聖女の覚醒条件は、――愛を知ること。
それは生涯をともに歩む伴侶として望むような唯一無二の愛でなくてはならず、家族愛や友愛ではその女を目覚めさせられない。
「それがわかったということは、レオンくんは、なにか、お怪我を? 大丈夫なのですか?」
聖女が初めて癒やしの魔法を発現させるのは、彼女の愛の相手、その目の前でのことだとされている。
「日常の鍛錬での傷や疲れを癒やしてもらっただけで、特に大きな怪我はないみたい。大丈夫そうよ。派手な場面でもなかったらしくて、学生たちの噂から広まることもなさそうなんだけど……。公になるのも時間の問題でしょうね」
「本当に、あの子が……って、私は姉さまから聞いているだけですが。姉さまの義理の弟で炎の勇者の彼が、聖女さまから愛されているっていう話ですよね」
「ええ。しかも甘々みたい。ちょっと惚気られたわ」
「レオンくんの初恋の相手ですよね? 聖女さまって」
「そう。あちらの第一騎士団長のご令嬢、クララ・ローデンロン公爵令嬢よ」
「てことは、初恋の姫君と両想いにってことですね!?」
「そうなの。おめでたいわね」
「でも……、ああ、そうなると」
イラリアも、学院の試験ではいつも首席をとるような賢い子だ。両想いでハッピーめでたしめでたし、とは行かないことには、自力で気づいてくれたらしい。むむむと難しい顔をした。
「ちょっと……はい……私たちが大きな禍根になるかもしれないってことですか」
「今日すぐに何か起きるってことはないと思うけど、そうね」
「前世の知識も振り返っておきます」
「わかったわ、ありがとう。夜にでも、また話しましょう」
身支度を終え、今朝はまだ夢の中にいるドラコに「いってきます」を小声で言って、穏やかな寝顔をした頬を撫でて。ふたり一緒に屋敷を出る。
私たちは、今日も手を繋いで学院に向かう。
――最悪なんて、起こらなければいい。




