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聖女殺しの恋 ―死に戻り悪女が妹聖女のキスで目覚めたら―  作者: 幽八花あかね
【一】七・姫たる夏と大三角

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088. 聖女侯爵と家族のひと時


 水遊び場にした浴室にて。


「はいっ! というわけで、じゃーん!」


 色とりどりの遊具を披露し、イラリアはドヤ顔をした。


 いつも表情豊かなイラリアは、ドラコと一緒にいると、さらに表情筋をよく動かす。


 二度目の世界が始まった時には今のドラコのような二歳児だった彼女も、もう十七歳。死に戻った私にいきなりキスをして、『ふぃふぃねーね!』と呼んで、涎をでろでろにしていたあの子は、いつしか母親の顔もするようになった。


 ――三度目の世界でも、あのまま終わっていたら。イラリアのこんな顔は、知れなかった。


 繰り返して、繰り返して、やっと。かつて遠い異世界で病に未来を奪われた少女は、誰かのお世話をする大人になれた。


 もちろん、私も彼女もまだまだ未熟なところはあって、もっと年上の大人たちに守られ導かれる学生でもあるのだけど。


「イラリアちゃんお手製の水遊びグッズでーす!」

「わーいっ!」

「わあい」


 ドラコに続いて、私もぱちぱちと拍手する。


 私はドラコの椅子になるような形で浴槽の凉しい水に浸かり、彼のお腹に腕を回して支えていた。

 ころんと転がってしまわないように。溺れてしまわないように。


 イラリアも「よいしょっ」とこちらにやってきて、ぷかぷかと浮いたカラフルなおもちゃの群れを漁る。


「見ててねー、ドラコ」


 他のおもちゃはちょっと遠くにやり、船のおもちゃを手にとると、何かをカチャカチャと動かした。


「おふね!」

「ええ、お船ねぇ。ままぃは何をしているのかしら? 楽しみね」

「とりゃ! ままぇのところまで進めー!」


 イラリアが大げさな調子で言い、カチャカチャした船を水に浮かべる。すると船はこちらに向かって進み、私の脇腹にしっかり命中した。


「わっ」

「ままぇ! わっ、おふねどんってたー!」


 ひっくり返った船を、ドラコはにこにこと捕まえる。興味津々な様子で船をじっと見て、また水に浮かべ、首を傾げた。カチャカチャしていない船は動かない。ドラコは、なにか困ったような顔で私を見上げた。


「あら、どうしたの?」

「……まま、いたいたい? おふね、へーき?」

「ママも、お船も平気よ。心配してくれてありがとう、優しいわね」

「でも、痛い痛いになっちゃうのもあるからね。ママがいいよっていうのだけね」

「あい! ままぇ、ままぃ」

「元気にお返事できて偉いね〜! さすが私たちの子!」


 言って、イラリアはドラコの頭をなでなでする。片腕でドラコを抱いたまま、私もイラリアの頭をぽんぽんした。私たちの真似っ子か、ドラコも私の手の甲をぺちぺちする。なでなで。ぽんぽん。ぺちぺち。


「なんか、いいですね。フィフィ姉さま。こういうの」

「そうね、イラリア。……いいわね、とても」


 ハイエレクタム家では、叶わなかった、過ごし方。互いを想う、家族の時間。


「まま?」


 ドラコのきょとんとした声で、手を止めて。ふたりで声を上げて笑う。何もおかしくないのに、なぜかおかしかった。


 今の私たちのそばに、父はいない。私の母さまはもうこの世にいない。イラリアの母は、彼女が生きると決めた世界に、花街に戻った。


 もう、この国に、ハイエレクタムの家なんて、ない。


 それでも、歪んだ家庭で育った私たち姉妹は今も一緒にいて、ふたりで新たな命を育てている。


 ああ、どうして、こんなに幸せなのだろう。


 生まれもった血からは逃げられなくて、私たちは聖女であるのに。私は王女にされて、これから何かと戦わなければならないのに。


 今この時が、ものすごく幸せだ。


「えへへ、ドラコ、今度は一緒にやろっか? 壁にドンってできるかやってみよう! カチャカチャできるかなー?」

「どってかたゃかたゃ?」

「あのね、お船が動くのにはね――」


 イラリアが船の仕組みとやり方を説明して、ドラコはうんうんと聞く。幼い彼に全部はわからなさそうなことでも、できるだけやさしい言葉でこうして話してみるのが、彼女のやり方だ。


 私も、彼女も、手探りで彼と向きあっている。使用人たちに任せることはたくさんあっても、自分たちでも、子育てのことを考える。


「おみずうやうやてるのー」

「そうねぇ、うやうやしてるわね」


 進んだ船がつくった波を指差し、水面を突っついて、また新たな波紋をつくって。彼はとても楽しそうに水と遊んだ。


 くるくるの水車に、ぴちぴちのお魚、ふわふわのボール。足をばたばたして跳ねさせたり、手で掬ってこぼしたり、水の掛けあいっこ。


 私も、イラリアとドラコとこうして遊ぶのは、すごく楽しかった。


 ――子どもの遊びでも、楽しいのは、一緒にわいわいできるのは。この子を、愛しているからこそかしら。そして、貴女が隣にいるから。



 お昼すぎまで水遊びをして、家族で一緒にごはんを食べる。それから三人一緒にすやすやお昼寝をして、夜には星空を眺めた。


 流星祭の日ではなくても、この国の晴れた夜空は綺麗だ。


「にゃ……おほししゃま……」


 今日は特別ですよとお世話係からちょっとの夜ふかしを許されたドラコも、結局いつもの時間にはおねむになってしまい。メイドたちに彼を任せると、私とイラリアはふたりきりになった。


 彼女は私にすすすと近づき、手を繋ぐ。


「夏の大三角……って、私のいた世界にも、あったんですけど。それとは、ちょっと違うんですよね。他の星々も」


 空いた手を高く向こうへと伸ばし、イラリアはしんみりした声で続けた。 


「……この世界は、私のいた地球とは、やっぱり違うんだなぁって。太陽も月もあるのに、ここの一番星は、私の世界の一番星じゃない」

「私たち、やっぱり、元は違う世界に住む人間なのよね。貴女の前世は――」


 ――ミレイ。彼女の前世の名前は、ミレイ。


 バルトロメオの部屋から繋がる隠し部屋で出会った少女も、ミレイと名乗った。

 死にたくなかった、もっと生きたかったと泣いていた。私が生きていることをずるいと言った。


「ねぇ、イラリア」

「なぁに、フィフィ」

「…………こんな私でも、親馬鹿になれるのね。って。貴女のおかげで知れたわ。ありがとう」

「ふふっ、馬鹿になったのにありがとうなんですか? どういたしましてー!」


 この素敵な一日の終わりに聞くのは、やっぱり嫌で。私は、本心からの言葉で誤魔化した。


 ――もうすぐ、あの心臓蘇生術の研究発表会。医学や病も関わる話ということで、その後の方が話しやすい。今じゃなくていいわ。


 今日の空に、流れる星はないけれど。

 何かの力を貸りたくて、願いをかけてみた。


 ――十年より、もっと長く生きられますように。


 まだ、母さまのおそばには行けません、とも。天の向こうで母さまも聞いているかもしれないので、心の中で呟く。


 私の心臓は、名もなき病なんかには止まらせない。


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