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聖女殺しの恋 ―死に戻り悪女が妹聖女のキスで目覚めたら―  作者: 幽八花あかね
【一】七・姫たる夏と大三角

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085. 第一王子と黒の少女


 ――なんだか、悪いことをしている気分ね。


 セルジオ王子が彼の事情を探ったのと同様に、今や第一姫となった私も、この部屋に立ち入る許可は得たうえで訪れたのだが。


 それでも、妙にいたたまれなかった。


 彼にまつわる資料、手記などは、現在すべてこの部屋に戻されているという。彼が使っていた家具もそのまま置いてあり、暮らそうと思えばすぐにでも人が暮らせそうな部屋だった。


 調度品の趣味は悪くなく、すっきりと落ち着いている。記憶に焼きついている冬の聖夜祭の衣装の雰囲気から、てっきり派手好きに変わったのかと思っていたけれど……。そうでもないらしい。


 ――本当に、私ったら、よく知らないのね。ああ、悔しいわ。


 婚約者だった幼い頃、時には妃教育のためと王城に泊まったりした。一度目の世界が、彼と最も一緒にいた時だった。


 小さい頃から口が悪くて私をしょっちゅう蔑んでいた彼だけど、私も子どもには甘くなってしまうのだろうか、今なら幼い頃の彼を思い出しても憎めない。


 ドラコを育てていくうちに、子どもへの印象が変わったのかもしれない。もちろん、ただの気まぐれの可能性もある。


 ――バルトロメオは、二度目と今の記憶しかない……なかった……。だから、一度目の私と彼のことは、私しか知らない。


 恐る恐る手を触れ、部屋を探っていく。机の中。手帳の中身。ここには、セルジオ王子がメモに書き起こした情報の源を確かめるために来た。


 バルトロメオが、私のことをどう書き残していたのか。彼のことを、知りたくて。


 ――私が、ずっと隣にいたのに。愛しさも、憎しみも、どちらも強く抱いていた自信があるのに。

 どうして私が知らないように言われるの? アルティエロ王子とセルジオ王子は、イラリアは、私の知らない何を知っているというの?


 気に食わなかった。剣を交えて、正面から戦って。私は彼と本気で向き合ったのに。向き合った気でいたのに。


 ――まるで、私が、誰よりも遠くにいたと……。


 だから、こうして彼の筆跡を見ると安心する。彼は私を、ただの敵として残しているように見えるから。


 私とバルトロメオは、この世界で、どちらもイラリアを求めた恋敵だった。それでいい。それ以上なんて、ない。


 なにもないと、突きつけてほしい。


 本棚に日記帳を戻すと、ことん、と。何かが外れるような、妙な音がした。と同時に、癒やしの魔法を使うときと似た感覚――魔力の動きを感じる。


「……まあ」


 ぴんときて本棚に力を加えると、ずずずと動いた。どうやら隠し扉があったらしい。


 王城にこういった扉や通路があることは知っていたが、ここにあるのは初めて知った。年甲斐もなく、好奇心に胸が高鳴る。


 ――個人的な秘密基地、か。それとも緊急時の通路か。


 扉を開け、足を踏み入れる。そこに明かりはなく、暗かった。自分へ向けて発現させた癒やしの魔法を光源に、しばらく歩く。意外と広い。


「ねえ」


 と、背後から、誰かの声がした。ぴくりと肩が跳ね上がる。


 ――誰かしら?


 振り向くと、黒髪黒眼の少女がいた。歳は……十歳そこそこくらいだろうか。知らない顔の子だ。


「あの、あなたは」

「――ずるい」

「えっ?」


 ぽつりと呟かれた彼女の言葉に、私は間抜けな声を上げる。


 ――ずるい? ずるいと言われたの? 何のこと?


 少女は濡れた黒の瞳でこちらを見上げ、もっと大きな声で言った。


「〝オフィーリア〟だけ生き延びるなんてずるい!」

「……」

「わたしだって、死にたくなかった。もっと生きたかった。なんであなたは一緒に死んでくれないの。ずるい。ずるいよ……!」


 叫ぶような彼女の声に呼応するように、遠くで何かがキラリと光る。ぱちぱち、と何かが明滅した。


 暗闇がだんだん明るくなり、本や紙で散らかった部屋が露わになる。そこらじゅうに文字が浮かぶ。それらは誰かの手書きのようだったり、印刷のようだったり。


 ――これ、は……。


 ここは、開けてはいけない扉だったのかもしれない。知ってはいけない領域だったのかもしれない。と。本能から感じ、背筋がゾクッとする。


 現実らしくない、現代らしくない、不思議な空間だった。情報の洪水になった部屋だった。


 ――早く戻らなくては。


 思いつつ、どうしてか涙する少女のつらそうな様子に、たまらなくなって。一瞬迷って、近づいて。


「ごめんなさい」


 私は、彼女を抱きしめた。何もせずにいたら、後悔する気がした。


「オフィーリア……?」

「私は、あなたのためには死ねないわ……ごめんなさい……」


 私が生きていることで、この少女が傷ついているのだとしても。泣いているのだとしても。私は、死ねない。死を選べない。


 私だって、死にたくない。


「……ミレイ」


 そう、とても小さな声で、彼女は言った。


「わたしは、ミレイ」

「みれ、い?」

「そう、ミレイっていうの。もう、大丈夫だよ。ありがとう」


 黒髪黒眼の少女は、思春期の娘のように恥ずかしそうに私から離れると、にこりと笑って。見違えたように明るく手を振った。その笑顔に、私は愛しいひとの影を見る。


「またねっ、オフィーリア」

「ええ……。またね、ミレイ」


 少女に手を振り返して、去りゆく後ろ姿をぼうっと眺める。この空間は想像以上に広く、やがて彼女の姿は見えなくなった。


 ふと、足元を見下ろして、見覚えのある筆跡を視界に入れた後。私はようやく元の場所へと歩きはじめた。逃げるように、さっさと早足で。


 ――ミレイ、って。ミレイって……。


 あの少女も、あの言葉も。きっと出会ってはいけなかった。ここまで来てはいけなかった。


 〝 俺は、オフィーリアが、初恋だった。〟


 ――だから何だと言うのよ。


 アルティエロ王子に、セルジオ王子に、イラリア。彼らが意味ありげに言っていたことの正体が〝これ〟ならば、彼らは初恋を重く見すぎだ。


 隠し部屋を出て、バルトロメオの部屋に出て、息をつく。彼のいない彼の部屋でしゃがみこむ。


 ――婚約を破棄したのはあの人。イラリアと浮気したのは、あの人。


 知らない。知らない。知らない。初恋なんて知らない。そんなの知らない。探っていたのは私でも、自業自得でも。知りたくなかった。


 ――本当に、悪趣味なひと。


 また引っ掻き回された。腹立たしい。いつまであの男は私の人生について回るのだろう。半ば八つ当たりだと自覚しながらも、やっぱりあの人に苛々する。自分で首を突っ込んだくせに、馬鹿らしい。


 ――王妃殿下のことは、ここからでは探れないようね……。でも、子を想う母の気持ちを考えるなら。


 私やイラリア、アルティエロ王子が恨まれていても、おかしくない。夏にかけては、警戒を強めていく必要がありそうだ。


 そして……あの空間で出会った少女は、何者なのか。ミレイ、と、イラリアの前世と同じ名を告げたのは偶然なのか。


 ――まあ、彼女のことは、これから考えるとしましょうか。イラリアに聞くのも、ちゃんと考えてからにして。


 立ち上がり、探ったものを元に戻し、ひとり礼をする。


「お邪魔いたしました」





 王城での用事を済ませ、リスノワーリュの屋敷に帰ると、私はイラリアをとある遊びに誘った。


 次の休日のお昼頃。


「――フィフィ姉さまー! ドラコー! 行きますよ!」


 彼女の手に掬われた水が、ぱしゃっと跳ねる。飛沫が上がる。ドラコはきゃっきゃと楽しそうに笑い、私の腕にくっついた。


「さあ、ドラコ。一緒に仕返ししましょうか?」

「あい!」


 ここは、母さまの古い美容施設のひとつ。大きな浴室だったところに冷水を張り、私たち家族三人は今、わいわいと水遊びをしているのだった。


 ――今度こんなふうに時間をとれるのは、王位継承権の争いに決着がついた後だから……。今はめいいっぱい楽しんでおきましょう!



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