084. 第三王子と第一王女
六月のある日。
「じゃあ、いってくるわね。ドラコ、いい子でお留守番していてね」
「うん! いってらさい!」
「イラリアも、また後で」
「はい、フィフィ姉さま。どうかお気をつけて」
「――いってきます」
王家に入る儀式のため、私はリスノワーリュの屋敷を後にして王城へと向かった。
かたかたと馬車に揺られていると、昔のことを思い出す。父と一緒に馬車に乗り、初めて登城した時のこと。初めて同年代の男の子と出会って、心惹かれた時のこと。
――懐かしいわ。
一度目の世界で抱いていた心のことを、私は、やっぱりうまく思い出せない。どうしてあんなにも彼が好きだったのか。彼のどこが好きだったのか。
――私は、かつて、聖女殺しの罪人だった。……忘れてはいけないわね。
一度目や二度目の世界のことも、女神さまは覚えているとするならば。私は、未だに許されていないのかもしれない。今も罪人なのかもしれない。
彼と出会った季節の馬車で、遠い記憶の中の彼のことを想う。
夢見花の咲いていた、一年前のあの日――血にまみれていたことが嘘かのように。
今日の大広間は、ただ煌びやかに飾られていた。
人々は笑い、食べ、飲み、王侯貴族らしく腹の探りあいをする。
――残酷ね。
今宵催されているのは、第一王女オフィーリアと、第三王子アルティエロのお披露目パーティー。この場にかつての第一王子はもういない。
私に婚約破棄を突きつけてきた馬鹿男は、クーデターを起こした王太子は、もういないのだ。
――あの人は、今、どうしているのかしら。……なんて。
バルトロメオそっくりの容姿をした隣の男の顔を、私は一瞬ちらりと盗み見ようとする。思いがけず目があうと、アルティエロ王子はにこりと自然に笑った。
「いかがいたしました、女王陛下?」
「だから、それ。やめてください」
またこれだ。先ほどから彼は、小声で変なことばかりを言う。私は女王ではないし、これから女王になる気もないのに。
『こんばんは、姫様、あるいは、いつかの女王陛下』
……だとか。
今の状況を鑑みるに、私も彼も、この程度のことで罰せられはしないだろうけれど。あれは国王陛下への不敬にあたる。敵対派閥の貴族たちにバレたら面倒だ。
心臓に悪いからやめてほしい。巻き込まないでほしい。
「ふふ、冗談はお嫌いのようですね」
「……貴方の趣味が悪いのです」
いったいどうしてこんなことになったのだろう。と。私は彼から視線を逸らした。
同時にお披露目される王子と王女をパートナーとして組ませたのは、彼に婚約者がおらず、私も神殿公認の婚約者はいないから。
ただそれだけだと楽観的に解釈しておきたかったけれど、周りの声を聞くに、私と彼を婚姻関係にさせたい者も多少はいるようだ。
――セルジオ王子の母君は、他国の王女様。アルティエロ王子の母君は、この国の女性。アルティエロ王子に継いでほしい勢力の方が強いのかしら。その妃に私をと? まさか!
王妃殿下の唯一の実子であった彼、バルトロメオが、やらかさなければ。この国から王太子がいなくならなければ、きっと私は王家に迎え入れられたりしなかった。
国王陛下の姪にすぎない私に、王位継承の可能性が浮上することなどなかった。こんな面倒な立場にはならなかった。
私のことは忘れて、イラリアのことだけ諦めて……。そうしてくれれば、バルトロメオは王太子の座を失わなかったのに。
その道を選べないほど、やっぱり彼はイラリアを愛していた、と。そういうことなのだろうか。わからない。
――愛って、何?
今更こんなことで悩むのは、馬鹿らしい気もするけれど。最近、私はこれによく悩まされていた。
女神さまの愛。彼の愛。
もう終わったはずの恋と彼のことがやたらと気にかかるのは、アルティエロ王子やセルジオ王子の言葉のせい、か。
これから先のことも考えると、なんとも頭が痛かった。
――魔法社会の名残であった決まりごとを持ち出して、私を王女に据えたということは。王太子決定の儀にも……。
貴族たちの挨拶をうけ、談笑し、時に踊る。
今宵のパートナーということで、アルティエロ王子とも最初に踊った。
そつなく私をリードしながら、彼はひそひそと話しかけてくる。
「そういえば、今日の俺たちの衣装ですが」
「はい?」
「新しく仕立てられてはいますが、とある方々のとある公務の時の衣装と似ているのですよ。――貴女の父君と母君の」
「へえ」
周囲の声から、私も、薄々そうなのかしらとは思っていた。
見る人が見れば分かる程度に、私とアルティエロ王子の衣装は、かつてのリアーナ王女とハイエレクタム公爵の衣装に寄せられているらしい。
「イラリア嬢のドレスは、また王妃殿下から下賜されたもの、と。なんだか妙なものを感じますね」
「わかりません。勘繰りすぎではありませんか?」
「ははっ、オフィーリア姫は用心深いですね。俺にも心を開いてくださらない」
「貴方を相手に、どうして気を許すと思うのでしょう」
「惨劇を望まないなら、貴女から友好的にすべきでは?」
「すべきだなどと強いられる友好は、はたして私と大切なひとを守る盾になってくれるでしょうか」
そうしてダンスを終え、離れる時。
アルティエロ王子は囁いた。
「――歴史は繰り返す。ってやつですか」
歴史は繰り返す――
「私は、私の求める道を行きます。誰の血も流させません」
私はそれを否定する。
父の代のようなきょうだい争いは、繰り返させない。
どの王子も、王女も、婚約者も。
全員が生き残れるように私は動く。
「ごきげんようっ、オフィーリア王女殿下――フィフィ姉さま! イラリア・ミレイ・リスノワーリュがご挨拶もうしあげます」
ちなみに今宵のイラリアは、ジェームズ先生と一緒にいた。
彼女はリスノワーリュ侯爵家の令嬢として、彼は彼で貴族の一員として、このパーティーに参加している。
第一王女にさせられた私は、場面によっては姫としての振る舞いを求められるものの、リスノワーリュ侯爵領地を返還したりはしていない。今も変わらず当主であり、オフィーリア・フロイド・リスノワーリュである。
大きく変わったのは、ただ、王位継承権を巡る争いの駒になったことだけ。クーデターのその後の傍観者でいられなくなっただけ。私は私で変わらない。そうありたい。
――廃太子の起こした事件まで、あの計画に利用されるのよね。そうまでして、陛下は、それを望んでおいでで……王妃殿下は……。
「フィフィ姉さま」
ぜひダンスをとイラリアに誘われ、私は「喜んで」と頷く。手をとりあい、女と女で躍り出る。
ざわめきのなか、次の曲が始まった。
――さすが、イラリア。上手いわね。
ふたりのドレスがふわっと広がり、花のように舞う。彼女にリードされるダンスは素敵だった。
私たちに向けられる視線は、好奇心、悪意、と様々だ。私と彼女が一緒にいれば、否応なしに注目を集める。
先生とも話し、国王陛下ご夫妻や第二妃様、セルジオ王子とも話し、……――宴が終わる。
そしてお披露目パーティーの、翌日。王城に泊まって朝を迎えた私は、ひとり、とある部屋の前にいた。
セルジオ王子とイラリアの書いたメモを携え、深呼吸し、扉を開く。
「……お邪魔します」
この部屋に、主はいない。とうに追い出されている。
ここは――かつてのバルトロメオの居室だ。




