081. 聖女の背後で動く計画
「大丈夫ですか? フィフィ姉さま」
「……イラリア」
目を覚ましたら、夜だった。
イラリアは心配そうに私の顔を覗き込んでいる。彼女の手には、濡らしたハンカチらしきものがあった。
どうやら私の肌を拭いてくれていたらしい。そういえば、全身の肌がさっぱりとしている。ちらりと体を見やれば、服は着替えさせられていた。
服を脱がせ、体を拭き、寝巻きを着せた後、化粧も落としてくれたのだろう。
帰宅するや否や情けなくも倒れ、何もかもを世話してもらったことを思うと恥ずかしい……と同時に、ちょっと嬉しいような気もする、かもしれない。
「今は……えっと」
「日曜日の夜です。姉さまが帰ってこられてから、まだ一時間も経っていませんよ」
「そう、なのね。よく寝た気がしていたけれど」
「ずっとお眠りになれなかったのでしょう? だからそう感じるのです。どうかお休みください……」
起き上がろうとする私を優しく押しとどめ、イラリアは、美しくも切なげな顔で微笑む。
さっきはメソメソぎゃんぎゃんと泣いていたが、私が眠っている間に落ち着いたらしい。それはよかった。
こんなふうにされると、まるで、家族に愛される病人みたいだ――と。寝ぼけているからだろうか、ちょっと変なことを考える。
ハイエレクタム家でのことを思い出し、比べ、今は違うのに……と心の中で頭を振った後、やっぱり違わないかもしれないと思い直す。
今はハイエレクタム家の姉妹ではなく、ただの婚約者であって正式な配偶者でもないけれど、私たちは家族だ。私はイラリアに、家族に愛されている。
そして、私は……名もない病を。無謀で無力な聖女であったがゆえに患った欠陥を、この心臓に抱えている。
「ねえ、イラリア……」
「なんですか、フィフィ姉さま」
「……隣にきて」
「いいですよ」
なんとなく人肌恋しくて、触れたくて、私はイラリアをベッドへと迎え入れた。いつも一緒に寝ているのとは違う、私の私室のベッドの上で、ぎゅうっと抱きあう。
「イラリア」
「はい、フィフィ姉さま」
「好きよ」
「私も、心の底から、愛しております。うふふっ、甘えた姉さまも可愛いですね」
「……心配をかけて、ごめんなさい。まだ、聖女の魔法やお勤めに、慣れないだけで……大丈夫だから。元気だから」
「はい、信じております。でも、無理はしないでくださいね」
「うん…………」
うとうとと微睡む私を温かな眼差しでじっと見つめ、イラリアは私に口づけた。
私が疲れているのをわかっているからか、前にしたお説教が効いたのか、甘く癒やされるだけの素敵なキス。
今の彼女から私へと届く魔法の力はないのに、封じられているのに、イラリアのキスには私を元気づける力があるようだった。
「ぅん……イラリア……――」
「フィフィ姉さま、私……、私たち、しばらく、一緒に寝るのをやめましょうか」
「え……?」
何を言われたのか、すぐにはわからなくて、受け入れられなくて。キスの余韻が残った唇から、間抜けな声が漏れた。
―― 一緒に寝るのを、やめる? 私たちが……? 新婚……では、まだ、ないけれど。やっと再会できて、婚約者になれたばかりなのに? どうして?
イラリアは私の頬を撫で、そこにもちゅっとキスをした。やっぱり、疲れるような深い触れあいは、してこない。してくれない。
「イラリア? 私、」
「お疲れの姉さまを、さらに疲れさせるのは、傷つけるのは、私の本意ではありません。でも、私は……特に、姉さまに起こしてもらってからの、今の私は。まるで色欲の魔女だから。一緒に寝ようとすれば、貴女を求めてしまいます」
「いや、イラリア、私は……大丈夫よ? ねっ? ひとりにしないで……」
「なにも、別れるわけじゃありません。寝室を分けようというだけです。私も、なんでしょう、性と愛について? ひとりで考える時間? が、必要かなって」
「……うぅ…………」
「あら、嫌なの? フィフィ?」
私はイラリアのたわわな胸元に顔をうずめて、しばらく黙った。彼女は私の頭を撫で、きっと私の返事を待ってくれている。
私だって、イラリアの言っていることは、わかる。わかっている。今の私では、彼女の夜の相手なんてできない。それはそうだ。
これまでも、途中で眠ってしまったことが何度もあったし……。今も、もっと眠りたい。眠たい。休みたい。
でも、彼女の求めに応えられないのが自分の不甲斐なさのせいだと思うと、それもそれで、つらい。
私を追い込むやつらの思惑通りにさせられているようで。
このまま、体の関係が疎遠になっていくにつれて、いつしか心も遠くなりそうで。
それが怖い。
キスを始めとした触れあいについて、偉そうにお説教した私だけれど。私こそ、体で、彼女を繋ぎ止めようとしている節があるのかもしれない……。
疲れた体に鞭打ってまで彼女と睦もうとするのは、違う。わかる。私が臥せっては、元も子もない。わかる。
無理して心臓を壊した前科のある私だ、あのイラリアが共寝をやめようと言うほどなのだから、ここはそうするべき。そう。
でも、やっぱり、怖いのだ。
「…………もしも、しなくても」
イラリアの胸元に顔を触れたまま、私は彼女に問いかける。最近、彼女に甘えっきりな気がする。
「しなくても、好きで、いてくれる……?」
「もちろん。好きですよ」
「今夜は……一緒に、いてほしい……」
「わかりました。じゃあ、明日から、ですね」
そうしてイラリアの温かな体に包まれたまま、今宵の私は深く眠った。
そして次の夜から、私たちは寝室を一緒にしなくなった。
――このベガリュタル国には、現在、ふたりの聖女がいる。
私、オフィーリア・フロイド・リスノワーリュと、イラリア・ミレイ・リスノワーリュ。
本当の血縁関係の有無は不明だけれど、表向きには異母姉妹とされてきたふたりの女は、互いへの愛で聖女として覚醒した。
ひとつの国に複数名の聖女がいること。
血の繋がりのある姉妹が聖女であること。
女である聖女への愛で聖女が覚醒したこと。
これらの珍しいことが重なっているゆえに、私とイラリアへの注目は強く、私はいつか面倒事に巻き込まれそうだと感じていた。
いまのところ、予感していたほどの悪い事態にはなっていない。けれど、私たちは、きっと今も引き裂かれようとしている。
ある日の夜のお勤めの後。
帰りの馬車で、ぼんやりと、私は考え事をしていた。
――イラリアの魔法を封じて、私ばかりを駆り出すのは……私を壊すため、か、彼女を温存しておくためか。どちらの意味合いが強いのかしら?
何度も神殿へと赴き、聖女のお勤めをしているうちに、神官たちの動きをより詳しく掴めてきた。
イラリアの奇跡的な力に魅入られて、彼女に劣る私を蔑ろにしているだけの単純な者。
異様なほどにイラリアを崇め、もうひとりの聖女である私を邪魔者として潰そうとする者。
王妹リアーナの忘れ形見である私の価値を理解し、死なせないようにと裏で調整している者。
……などと、神官らの間にもいくつかの派閥があり、それらの考えによって私たちを振り回しているらしいこと。
また、どの神官も、私と彼女がめおとのように結ばれることは許さないつもりらしいこと。
――やっぱり、女神さまの思惑なのかしら? それに、あの祈りの先は……私の魔力の行く先は。
イラリアの魔法を制限した古代魔法の魔道具に、私が祈りを捧げさせられている女神像。
隣国のレオンからの手紙にあった、勇者の魔法と彼の近況のこと。
――魔法社会の復活計画……ね。
心の中で呟いて、目を瞑る。
絶対ではないけれど。まだ不透明だけれど。ベガリュタルの聖女である私と、レグルシウスの炎の勇者であるレオンの考えは合致した。きっと大きく外してはいない。
――私たちは、魔法つかいの生きる世を復活させるために、動かされている。




