080. 初夏の聖女と神殿の思惑
――聖女とは、難儀な生き物だ。
「フィフィ姉さまぁぁーー!!」
いつかのようにイラリアが叫んでいる。
再びの学生生活にも慣れてきた初夏の頃のこと。
王城から帰宅するや否や、私は玄関先で思いっきり倒れた。
「ああぁフィフィ姉さまぁ。死んじゃ嫌ですよぅ。目を覚ましてくださいよぅ」
「べつに眠っていないわ……そもそも眠れていないわ……」
蚊の鳴くような声で返事して、体を起こそうと腕に力を入れる――が、しかし、すぐに重さが腕を襲って、またバタリと床に突っ伏した。
イラリアはわんわんと泣きだした。
「わあぁぁん姉さまが死んでしまいますどうしましょうぅぅ」
「死なないから、大丈夫だから……」
「なんでこんな時に限って癒やしの魔法を使えないんですかぁぁぁ」
「……そういう契約だから、ね………」
「ぎゃあああああもうっ! あの神官ほんと嫌だぁぁあ」
私は、自身も聖女でありながら、彼女を――稀代の大聖女たる彼女を守るべき騎士でもある。
そういう立場を仰せつかっている。
――私の命は、彼女の命より、軽い。いつも、そう。
かつてのハイエレクタム家でも、今の世の中でも。より大事にされるのは、私ではなくイラリアだった。
仕方ない。と、もうわかっているはずなのに。どうして今日はどこか悔しいのだろう。悲しいのだろう。
――私……も、聖女だけど。……聖女なのに。
使用人たちの駆けつけてくる音、声がする。
イラリアに抱きしめられた私は、彼女の胸の中で、久しぶりの眠りについた。
いつか最後に眠る日も、そうでありたい……――なんて願うのは、いけないことだろうか。
四月が終わり、五月になると、私はさらに忙しく日々を過ごしていた。
侯爵家当主としての仕事や学業、研究発表に向けての仕上げ、聖女関係のことに王家入りの準備――と。
毎日さまざまなことに追われていた。
死の眠りから復活して二ヶ月ほどが経ったイラリアは、もう病み上がりだからと抑えることはなくなり、私の仕事の一部を任せられるようになった。
イラリアは、きっといいお嫁さんになるんだろう、と。これまでに何度か、先日も思った。
彼女と婚約しているのは私なのに、私はそんなことを遠い気持ちで考えるのだ。
――やっぱり、私は。私たちは、結婚なんてできないのかしら。
疲れは心を弱くする。私は今、疲れているだけ。過度に悲観的になるのは良くない。
わかっていても、いつも、考えずにはいられなかった。
――私たちの婚姻は、罪。愛しあうことも、本当なら、許されない……。対等な存在でも、ない。
病み上がりの言い訳をもう使えなくなった頃。私とイラリアは、一緒に神殿へと呼び出されたことがある。
ちなみに国内の聖女関係のことは、王立研究所の研究者や、この神殿の神官たちが担当している。
そこで私たちは、神官らに、とある契約という名の枷を嵌められたのだ。
『大聖女イラリアに、半月の間、他の聖女へ魔法をかけることを禁ずる』
今の彼女の活動範囲にいる聖女は私だけだから、これは、私への魔法を禁じられたも同然だった。
古代魔法を宿した魔道具を持ち出してまで、神殿は、彼女から私への魔法を阻んだ。
セルジオ殿下やアルティエロ殿下の派閥の者、あるいは王妃殿下の手の者が噛んでいたのかもしれないけれど……。
ともかく私は、半月の間、イラリアからの癒やしの魔法をうけられなくなった。
『ふぃ、フィフィ姉さま……』
『大丈夫よ、イラリア。私は聖女で、紫紺騎士。何かあっても、自分の身は自分で守れるわ』
絶対の自信はないまま、イラリアの心を落ち着かせるためだけに私は言った。
彼女の手をぎゅっと握って、ぬくもりと力を伝えて。
神殿側の思惑は、程なくして察せられるようになった。私への扱いから、わかってしまった。
――ああ、そう。私たちを引き裂きたいのね。
過去のハイエレクタム家の父や継母のように、神殿は、私とイラリアには決定的な差があるのだと知らしめたいようだった。
イラリアを説得することは無理だと思ったのか、女神さまに最も愛された聖女の機嫌を損ねることを恐れたのか。
彼らは、私に、彼女と結ばれることを諦めさせたいのだと見えた。
――さしずめ、私は使い捨ての駒聖女。彼女を支えるための存在。
王太子婚約者にさせるためだけに生かされた、ハイエレクタム家のお人形だった、あの時と同じね。
他の国に生まれていれば。私と彼女が姉妹でなければ。きっと違っていたのだろう。私が国でただひとりの聖女だったなら、きっと。
――でも、私はイラリアの姉で。聖女で。それは、どうやったって変わらない。




