076. 花と指輪とゲームとお風呂〈3〉
仄かに薔薇の香りがする乳白色のお湯の中、彼女の隣で足を伸ばす。
抱きしめてキスをして、ちょっとだけいちゃついた後のこと。手と手を貝殻つなぎにして、私たちは、ゆったりと真剣な会話をしていた。
「私と姉さまが復学してからの一週間。それはまあ……いろいろありましたねぇ。なんだか濃い日々でした」
「ええ、そうね。私も目まぐるしくて疲れちゃった。前にも軽く話したけれど、私たちの――貴女の懸念は、最近起こった出来事の〝オトメゲームらしさ〟だったわね」
ひとつ、ひとつ、口に出して確かめて。
平穏に過ごすための道を模索していく。忍び寄る怪しげな影を振り払い、生き延びる手立てを考える。
異世界での前世の記憶まで抱えた彼女と、この世界で生まれた人生を繰り返しただけの私とでは、見えている世界の模様が違う。
だから、より会話を重ねる必要がある。相手の目にできるだけ近づく努力をする。
なおかつ私の脳が〝オトメゲームのシナリオ〟に染まらないように、この世界で生まれた人に共感できる価値観を壊さないように、ふたりで交換する情報を取捨選択する。
知りすぎては足枷になることも、世の中にはあるものだ。……そうやって自らに言い聞かせ、たまの不信感を誤魔化しているとも言える、かもしれない。
――ふたりとも相手を想って、最善の道を選ぼうとしているはず。間違ってはいない。大丈夫よ。
「はい。カラーチェンジの指輪と、あの男の手紙にあった〝ゲーム〟のこと。それらを踏まえると、まるで〝アル〟ルートのようで。あいつとフィフィ姉さまが同じ薬学部にいることも気になります。いま最も警戒すべき人物は、彼ではないかと。本当に気をつけていてほしいです」
アルティエロ第三王子殿下は、夢見花の木の下で遭遇した次の日から、私とまったく同じ講義に出席してきた。
なんでも実は、彼も今年から大学院の薬学部で学ぶ一年生だったらしい。
前日は一身上の都合で――私に耳打ちしてきた言葉によれば『オフィーリアと最高の形で出会うために』――欠席していたが、これからはしっかり出席するつもりだとのこと。
バルトロメオそっくりの容姿はまだ大っぴらには見せたくないらしく、赤錆色に染めた髪を見せ、瞳は魔法薬で色を蒼く変え、眼鏡をかけて出席していた。
ひとまずはアルベルト・ゼアシスルらしい姿で、ということだ。
彼は、やたらと私の隣の席に座りたがり、やたらと積極的に話しかけてきて、なんというか……怪しいほどに友好的だった。
私のどこを見てそんな態度を取っているのか、何かを目的にした演技なのか。
わからないことばかりだけれど、とにかく、まるで私の愛好家――三度目の学院時代で周りにいた女子学生のように私を推してきた。彼も彼でちょっと怖い。
「貴女がそこまで言うなら、もうすこし気をつけておく。でも、そうね。私としては、セルジオ殿下の方がわからなくて怖いわ。ほら、殿下って、五歳頃から他国で暮らしていたでしょう?」
バルトロメオの異母弟だったセルジオ第二王子殿下は、少年期を、母君である第二妃様の故国で過ごされていた。
目的は様々あったが、そのうちのひとつは、バルトロメオ派の人間から命を狙われ難くするためだった。
現国王陛下のきょうだい王子や高位貴族の令息たちを中心に起きた争いは、アルティエロ殿下とセルジオ殿下の青少年期の生き方に、大きく影響を及ぼしたのだ。
その争いの最中で国王陛下の側仕えの女の腹から生まれたアルティエロ王子殿下は、すぐに存在を隠され、十年以上も別の人間として生きることになった。
セルジオ殿下は、あのきょうだい争いの歴史を繰り返させないためにと、成人するまでの数年間を自らの生まれ故郷から離れて暮らすことを命じられた。
「だから、過去の人生でも、今の人生でも、彼とは数える程度しか会ったことがなかったのよ。それなのに、最近は……まるで私に懐いているように振る舞ってくるから、不気味で怖いわ。薔薇の花は、安全だったみたいだけれど」
白いお湯を片手で掬い、落とす。セルジオ殿下からもらった白薔薇の花は、毒や異物が仕込まれていないかを調べた後で、外の庭園にある噴水の水面に浮かべてあった。
水に浸けたら〝面白いこと〟が起きないかしらと思ったけれども、いまのところ特に何も起きていない。そこまでは杞憂だったらしい。
「そうですねぇ。まあ私も気に食わないです。あんなに姉さまに馴れ馴れしいのは気持ち悪いですし、部活の時も喧嘩ばかりですし。
四年生になった今、私と同じ部活に入ってきたのは、こちらの状況を探るためかと疑えます。薬学部のアルティエロ殿下と同様、私たち姉妹との接触を増やそうという魂胆かしらと」
「おふたりが自らの意志でしているのか、また国王陛下や王妃殿下に命ぜられてのことなのか。いずれにせよ、私たち関係の理由で間違いないと思うわ。
あと、セルジオ殿下は……あの人の話を、何度もするわね。にこにこと愛嬌を振りまきながら、私たちに精神攻撃をしているつもりかしら」
「精神攻撃なんて意地悪は、さすがに考えていないと思いますが……。あの男への想いが、私たちとはまったく違うってことは確かですね。こっちはあの男に命を狙われた身なんですから、もうちょっと気を遣ってほしいところです」
はあ、とイラリアはため息をつき、私の肩に寄りかかった。
私はそのやわらかな重みを受け止めて、私の婚約者は今日も可愛いわねなどと心の中でひとり惚気ける。




