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聖女殺しの恋 ―死に戻り悪女が妹聖女のキスで目覚めたら―  作者: 幽八花あかね
【一】五・花と指輪と浴室の聖女

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075. 花と指輪とゲームとお風呂〈2〉



 その日の朝――イラリアと一緒に登校した後、私は学園の大図書館にいた。


 最初の講義が始まるまでの間、大学院に提出する必要のある書類の作成や、今後の予定の確認、医薬学の自主学習などなどをこなしていたのだ。


 時間つぶしを終えて図書館を出ると、どうしてかセルジオ殿下が私を待ち伏せしており、さらにはなぜか花束を渡してきた。学院の一限目と二限目の間の休み時間に来たらしい。


「――えぇっと、殿下、これは……?」

「姉上は薔薇の花がお好きだということで、親愛の証としてお贈りします。これからもよろしくお願いいたしますね。

 昨日、例の薬で体調を崩していた時のことなので記憶はおぼろげなのですが、『お花摘みにでも行かれては?』とイラリアさんに言われた気がしまして。今朝方、王宮庭園からこの手で摘んでまいりました」

「……? うちの妹がまた変なことを言っていたようで、申し訳ございません。ええ、たまに私にもよくわからないことを言いますの。でも、薔薇が好きなのは本当です。ありがとうございます」


 後ほど彼女本人へ確認したところによると、『さっさと手水場に行って、吐くもの吐いてきたらいかがです?』という煽りの意味の言葉だったらしい。字面と中身の差が激しいこと。

『あれ? お花は女だけでしたっけ?』などと首を傾げていたが、私に聞かれてもわからない。前世の本で読んだことのある暗喩の一種なのだとか。


「なんというか、面白い子ですよね。学年がずれてしまったのが残念です」

「うふふふ。部活の時だけでも、仲良くしてくださると嬉しいです。変なことをしていたら、ぜひとも叱ってあげてくださいね」

「あははっ。彼女が聞き入れてくれそうだったら、ですね。すぐに口論のようになって、ふつうに会話するのも難しいくらいなので。――そうそう、薔薇の花のことも、兄上の手記に書いてあったのですよ」

「……左様ですか。形ばかりの婚約者に花を贈る趣味などなかったのに。あの人は」


 十本の白薔薇の花束に、そっと視線を落とす。すぐに前を向いて「いえ。なんでもありません」と微笑む。


 この薔薇に似つかわしくない黒い想いは、貴族らしく徹底的に隠さなくては。彼の前では特に。


 私にとっては悪縁の相手でも、セルジオ殿下にとっては、ひとりの家族。少なからず慕っていたらしい〝兄上〟だ。

 そして私は、曲がりなりにも、ひとりの聖女。誰かが誰かを愛おしく想う気持ちに、影を差してはいけない。聖女は光を与える存在であるべきだ。


 ――イラリアには、まだ、難しいでしょうから。私が先に、変わらないといけないの。

 あの人の悪行は許さずとも、国王陛下ご夫妻やセルジオ殿下が、彼のことを真っ直ぐに想えるように。その想いの受け皿になれるように――


「オフィーリア姉上も……なんでしょう、不思議なひとですね。まるでバルトロメオ兄上のことをよく知っているかのようにお話しになる。今日だけでなく」

「幼少期の短い間だけでも、私は彼の婚約者でしたから。あの人に恨まれ、嫌われ、何度か殺されそうになった身でもあります。

 命を狙ってきた敵のことなら、調べ上げているのも当然のことでしょう。少々きつい言い方にはなりますが、私の最愛のひとを脅かした存在でもありますしね」


 一度目や二度目の世界のことには触れず、それらしく取り繕って苦笑する。


 一度は惚れた相手だ。かつては生涯をともに歩むと信じていた相手だ。

 愛されなかった婚約者でも、何度も隣に立ってきた。セルジオ殿下以上に知っていてもおかしくない。


 深く、細かく、知っているに決まっている。


 ―― 一度目の世界で、どうして私は彼に恋したのか。どこが好きだったのか。それは、二度目の人生を始めてから三度目の今まで、もうずっと思い出せていないけれど。

〝恋していた〟という過去の殻があるだけで、中身には触れられないけれど。


 セルジオ殿下は神妙な面持ちをして、何かを言おうか言わまいか、迷うように目を泳がせた。

 私たちの間に流れる沈黙の時を終わらせるように、学院の予鈴の音が響く。

 彼も私も、そろそろ教室や講義室へ向かわなければ。


「殿下。素敵なお花をありがとうございました。もうじき次の授業や講義が始まりますので、また別の機会にお話しいたしましょう」

「僭越ながら、申し上げますと。姉上は、きっと、ご自分が思っているほどには、バルトロメオ兄上のことを知りませんよ」

「……え?」

「では、また今度。ごきげんよう、親愛なるオフィーリア姉上」


 驚くほど美しくにっこりと笑って、彼は紳士然とした姿で私の前から去っていった。

 セルジオ殿下は兄たちより小柄で、髪色も金ではなく黒で、変装でもしていなければ見間違えようがない容姿なのだけれど……。

 今の姿は、瞳は、あの人に似ていたかもしれない。血の繋がりは半分でも兄弟なのよね、とよく感じさせられた。


 ぼうっと立ち尽くした私は、おもむろに薔薇の匂いを嗅いでみて――……




 ――あの意味ありげな去り方も、いかにも〝オトメゲームの展開〟っぽいと思ったものよね。

 もちろん私は本家のオトメゲームを知らないけれど、イラリアから聞いていた雰囲気には近かったわ。となると、やっぱり……。


 彼女の髪を洗い、彼女がまくし立てる〝今週のフィフィ姉さまの可愛かったポイント〟を聞き流しながら、私は最近の出来事を頭の中で整理する。


 アルティエロ第三王子殿下のこと。セルジオ第二王子殿下のこと。ちょっと気がかりなジェームズ先生のこと。王妃殿下のこと。国王陛下のこと。そして……。


『――ゲームの設定では〝バルトロメオ〟は、両親からの愛情に飢えていました。だからあっさりと〝ヒロイン〟なんかに恋したのです。まあ、この世界の本人がどうだったかは、私は知りませんけどね? まっったく興味ないので』


 今や本土にはいない、これまでの記憶さえ残ってない、廃太子バルトロメオのこと。


 ――自分の心に従うなら、もう考えたくもないけれど……。王家との関係を考えると、無視することもできないのよね。


 血縁上の父親がクーデターを謀ったと知った時も、元から彼との関係は最悪だったからか、私はそこまでのショックを受けなかった。

 しかし、息子がクーデターの首謀者となり、自らと夫を討とうとしていたと知った王妃殿下は、どうだろう。


 ――国母として、昔から強かさは育てられていても。耐えられない苦痛というのは、あるもの。


 未来の国母となるはずだった、王太子婚約者だった頃の私も、一度目の婚約破棄は心に堪えた。許せなかった。

 とても比べられるものではないけれど、どちらも苦しい出来事だったはずだ。万が一は、あり得る。


 今、王太子不在のこの国は、クーデター以降は目立った事件は起きていないけれど、不安定な状況にある。危険な状況にある。


 ――ああ。イラリアの復活は、ある意味では事件だったかしら。


 彼女のローズゴールドの髪から泡を流し、結い上げる。


 イラリアが今も生きていることは、悪い事件ではないとは言え、この国のみならず、世界にとって重大な出来事だ。


 ――もう、何もかも放り出して逃げ出したい。彼女と田舎でのんびり暮らしてみたいわ。

 決して許されないけれど。今ある幸せは、絶対に守り抜かなくちゃ。


 この時間の終わりを惜しむように、いつもよりゆっくりと、彼女の髪から手を離す。

 洗いたての髪や体は爽やかで素朴な匂いがして、これも好き。


 浴槽に浸かると、これまでの疲れがどっと出る。彼女と一緒に入るのは数日ぶりだ。

 ここでおぼえる安堵感の大きさは、これまでのストレスの大きさに比例するようで。くらっとする。泣きたくなる。


「あら、フィフィ姉さま。どうしたのー?」

「……愛してる」


 私は、彼女をぎゅうっと抱きしめた。肩口に顔を寄せた。


 ――〝未来の王妃〟だった時よりも、今の方が重たいわ。ひとりでは潰れて死んでしまうわ。


 私がいなくなっても生きていけるように、彼女を育てようと思っていたのに。私こそ、彼女がいないと生きていけない。ぐるぐるぐると不安感が渦巻く。


 ――ひとりで頑張れそうもない私に、どうして、彼女をひとりにする未来を考えられると言うの。

 ひとりで立てない私が、どうやって彼女をひとりで歩かせると言うの。


「私、貴女がいないと、駄目になる」


 ――らしくない。らしくない。私らしくない。こんな私は、好きじゃないわ。嫌いだわ。


 イラリアは私を抱き返して、こんなに弱い私を、温かく強かに愛して。耳元で囁いた。


「姉さまが死ぬ時も、一緒にいますよ。手を繋いだり、抱きしめたり、キスしたり。最後まで、何だってしてあげる。だから大丈夫」

「もう、なんで私がまた、看取られる側なのよ……っ! 長生きさせて頂戴よ、馬鹿ぁ」

「うまく甘えられない不器用なフィフィも、大好きだよ。はい! 一緒に長生きしましょうね」


 ――どこまで、察しているの。どこまで、わかっていて、そんなことを言うの。


 伝える言葉が見つからなくて、ただ体を、ちょっと動かして。それだけで彼女は応じてくれる。


 ――す、き。だいすきよ。イラリア。



 優しさに甘えた、キスをした。




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