074. 花と指輪とゲームとお風呂〈1〉
「どうしてフィフィ姉さまにモテ期が……!? 絶対おかしい!!」
私の髪を洗いながら、イラリアは背後でそう叫んだ。
眠っている間も愛撫され続け、蕩けるように迎えたあの朝――ではなく、一週間の終わり。休日の夕方の浴室で。
「ねえ、ちょっと失礼じゃない??」
彼女に身を委ねたまま振り返らず、ちょっとだけ首を傾げて私は問う。
冷静に聞けば、ちょっとどころでなく失礼な話だが、今はそんなことで怒る気はさらさらなかった。
彼女と髪を洗い合う、この温かく生活感のある触れ合いの時間が、私はとても好きなのだ。
肉欲の混じらない――たまに例外の日もあるけれど……――ゆったりと流れる穏やかな時。
私たちの暮らしは、ここにあるのだ。と。今は対等な家族なのだと。そう感じられる、素敵なひととき。
ここでは私がご機嫌であることを知っているからか、イラリアも、しょっちゅう駄々っ子のように甘えてくれる。
ときおり負の感情をも吐露して、彼女の心に触れるための足掛かりをもくれる。
「本当なんなんですかね? あの男。いまさら私とフィフィの関係を壊そうとでも?」
「そこまで悪意を持っているようには、見えなかったけれど……。前から彼の知り合いだった貴女には、そう見えるの?」
私を手助けしたいと望んだアルティエロ殿下から、数週間前にニホン語で綴り送られていたはずの手紙。
それは結局、イラリアがひとりで読んで仕舞い込んでいたらしい。
問いただしたら、あっさりと見せて翻訳してくれた。手紙を隠していた理由は、彼女曰く、私に自ら男を近づけるのは嫌だったから。ただそれだけのことだった、と。
嫉妬も独占欲も持つなとは言わないけれど、大事な情報は秘密にしないでね、私はそう諭すことになった。
言いながら、チクリと胸が痛くもなった。いったいどの口が言うのかと。自分だって隠し事をしているくせに。
「あのひと本人の言動が何か、っていうわけではないんですが……。あ、求愛の指輪を勝手に身に着けさせたのは、今でもどうかと思いますがね?」
アルティエロ王子殿下とイラリアが出会ったのは、数年前。まだ私はレグルシウス国にいて、ただのフロイド・グラジオラスとして生きていた時のこと。
当時はアルベルト・ゼアシスルという名で王太子バルトロメオの従者をしていた彼は、バルトロメオのオマケのような形でイラリアの前に姿を現した。
そしてなんだかんだと彼もまた前世がニホン人でありなおかつオトメゲームの知識も持っていることが判明し、あっという間に打ち解けた……らしい。
ふたりとも〝オフィーリア推しの同志〟だったことが大きいなどとイラリアは言っていた。
私はゲームの〝オフィーリア〟の話を聞いてもまったく面白くないので、あらすじしか聞いていない。それで支障はない。
なお、アルベルト・ゼアシスルことアルティエロという人物は一度目や二度目の世界にも存在していたけれども、他の多くの人々と同様、彼もまた過去の世界での記憶は受け継いでいないらしい。
ニホンでの前世の記憶だけを持ったまま、彼はこの世界へ――私たちにとっては三度目の世界へ――転生してきた。そう認識しているはず……とイラリアは推測している。
一度目や二度目の彼にもニホンで生きた記憶はあったかもしれないが、彼の場合はすべて〝リセット〟されてから、新たな世界線での人生を始めているのだろうと。
つまり――イラリアの〝血の記憶〟の力によって過去の世界の記憶を受け継いだのは、私とバルトロメオだけ。
私とイラリアは今の人生の記憶に加えて、一度目と二度目の世界、ふたつの人生の記憶を持っている。
バルトロメオは、私たちにとっては二度目にあたる世界の記憶を持って、この世界を生きていた――けれど、現在は刑罰によって記憶喪失になっている。
何もかも綺麗さっぱり忘れて、平民らしく働いているはずだ。
ゆえに、今なお過去の世界のことを記憶しているのは、私とイラリアのふたりだけ。私たちが知る限りは、の話だけれど。
「――オトメゲームのシナリオに照らし合わせると、まるでフィフィ姉さまが〝アル〟ルートに入っているみたいだから。せっかく邪魔者ロメオがいなくなったのに、ぽっと出のあいつに姉さまを奪われたら困ります」
「あら? 仮に奪われても、奪い返してくれるでしょう? もしも遠い砂漠の高い塔に閉じ込められたとしても、貴女なら攫ってくれるわよね」
「それは、もちろん、そうですけど……。でも嫌です!」
「あ、それと、細かいことだけど言わせて。――彼の名前の発音が違うわ。〝邪魔者〟じゃなくて〝豪勇〟よ」
「…………なんで。よりによって、そこを気にするんですか」
「なによ、その顔。美人が台無しじゃない」
湯気で曇った鏡越しにイラリアの顔を見て、私は思わず笑ってしまう。そこに映る彼女の表情は、なんとも苦々しげなものだった。
「変顔しても、私はとびきり可愛いと思いますけど」
「それは、そうね。貴女は世界でいちばん可愛い」
「お風呂ではいつも甘々なのに、なんであいつのことだけ突っかかるの。やっぱり特別なの?」
「あの人のことだから、ってわけじゃないわ。貴女が心配するような理由ではないはずよ」
泡を流す水の音に負けないよう、はっきりと、私は言葉を紡いでいく。
「貴女があの人を憎んだり嫌ったりするのは、仕方ないわ。それはいい。でもね、その名前は、王妃殿下が真心をこめて付けられたものなの。子を想う母の願いなのよ。
そこまでは、歪めないで頂戴。リスノワーリュ家の女として、王妃殿下への敬意は忘れないで。
あの人だって……生まれた日から、ああだったわけじゃないの。国王陛下も、王妃殿下も、愛しておいでだったのよ。彼のこと。
おふたりにとっては〝邪魔者〟じゃなかったわ。私の父とは違って……陛下は、自分の子を大切にお思いだった」
「たぶん、そんなの伝わってませんけどね。あいつには」
「……どういうこと? あの人には、国王陛下ご夫妻から愛されている自覚がなかったってこと?」
頭上に疑問符を浮かばせながら、そういえば、先日もこんなことがあったはずだわと思い出す。
私の思っている〝彼〟と、他の人から聞く〝彼〟との違い。私の知らない、あの人……。
『――姉上は、きっと、ご自分が思っているほどには、バルトロメオ兄上のことを知りませんよ』
――ああ、そうだったわ。セルジオ殿下にも言われたのよね。あの長い一日の次の日。お花をいただいた時に。




