073. 終わる一日と甘美な夜
「なんだか、とても長い一日だったわね。いつもより疲れちゃったかも」
「いろいろと、何度も感情的になってしまって、ごめんなさい……。ご迷惑をおかけしました」
「いいのよ。ある程度は仕方ないって、わかっているもの。でも、セルジオ殿下には、もうすこし優しくして差し上げてね?」
「善処します。――姉さま、お体の具合は、いかがですか? 今は毒なんて盛られていないはずですが、さっき変だったので。心配です」
「だから、眠たかっただけよ、おそらくね。貴女も聞いていたでしょう? 王家に入るための準備に、貴女の蘇生についての研究報告の準備。それに大学院での学業、侯爵家当主としての仕事。たくさんあって忙しいの」
「忙しいだけなら、良いんで――いや、過労も良くないんですが……。何かあったら、すぐに言ってくださいね。私にできることなら、手伝います。何でもします。聖女の力を使ってでも」
「……うん。わかったわ。でも、魔法は軽はずみには使わないで。失敗した時の危険性が高すぎる」
「そんなに心配しなくても、私は大丈夫ですよ? 力不足を感じたのは二度目の時だけで、今は思うように操れています。――原因も突き止められないまま、あっけなく、お別れになってしまうのは……。もう、そういうのは、嫌ですから。今度は長生きしてくださいね」
「ええ、善処する」
――嘘つきね、私。もう、すぐには言えていないのに。長生きできる気も、しないのに……。意地悪だわ。悪女だわ。
「イラリア。好きよ」
「うふふ、突然ですね? 私も好きです!」
「なんとなくね、言いたくなったの」
――いつか、ちゃんと、言うから。その時は、泣いたって怒ったっていいから。弱い私を、まだ好きでいて。
いつか訪れる未来なんて見ずに、いつもの貴女で愛して。私のワガママを許してほしいの、イラリア。
屋敷に着いて、夕食をとって、ドラコと遊んで、お風呂に入って。あっという間に夜が更ける。
小さな明かりの点いた閨で、彼女の清らかな声がした。眠くて、眠くて、眠くて、私はもう夢の中に沈みかけている。
「今日、姉さまは――講義の後に、アルティエロ殿下と会って。その後に、セルジオ殿下とも会って。ジェームズ先生とも会って。この全員と、どこかでふたりきりになって。まるで、」
「オトメゲームみたい……って?」
「はい。あの指輪も、そういうモノなんじゃないかなって」
「そうね……。私も、貴女から教えてもらった物語の展開と似ている、とは思ったわ」
ゆっくりと、薄っすらと目を開けると、愛しいひとの不安げな瞳と出会った。もっと話に付き合ってあげたいけれど、そろそろ体力が限界だ。
三度目は鍛えて健やかになったはずなのに、この数ヶ月ほど、たまに私は一度目や二度目の私のようになってしまう。
きっと今後もそうなのだろう。体力のなさに、体の弱さに歯噛みする日が、これから何度も私を襲う。
――私は、いつまで、ひとりの騎士らしくいられるかしら。この手で掴んだ居場所を、生き方を、いつまで引き留められるのかしら。
壊れかけの心臓に、私の心はまだ慣れない。もっとできる、まだがんばれる、そう思う心に、この体が追いつかない。そういうことがままある。
体を壊した現実を、まだすべては受け入れられていないのだ。
忙しいせいだ疲れているせいだと口先では誤魔化しても、本当はそれだけが理由ではないことくらい、自覚している。
――治せれば、それでいい。治療法を見つければ、いい。がんばれる。大丈夫。
「そのことは、週末にでも、じっくり話しましょうか」
「はい。フィフィ姉さま。では、おやすみなさい」
「ええ。おやすみ、イラリア」
目を瞑って視覚を遮ると、今夜も彼女の匂いや温もりをよく感じた。こうして一緒に眠ることは、今や私たちの日常の一部だ。
今夜はその触れ方がいつもより遠慮がちであることだって、意識せずとも、わかる。
「あの、ごめんなさい、フィフィ、その……」
「いちゃいちゃしたいの?」
「……うん。でも、疲れてるだろうから、無理には……。でも……」
「――優しくして、ね」
「いいの?」
「それが貴女の愛情表現なら、受け止めたいの」
触れ合いを禁じるのは、好きなひとへ〝好き〟と言うことを禁じるくらい、酷なことだから。
死に戻った時に〝キス〟から始めた彼女にとっては、これが〝愛〟を伝える方法だから。
――彼女の想いを、無理に封じ込めたくはない。
体の関係以外にも、愛を伝える方法はあるはずだけれど。行為を主目的にするものや、暴力的に支配しようとするもの、それらは私も嫌だけれど。
彼女にとっては、今は、これが〝最上の方法〟のようだから。許してあげたい。受け入れたい。
――私も。これ以上は何も考えず、今夜は溺れてしまいたい。
「夢も現実もわからないくらい、貴女を感じたまま、眠らせて」
「……仰せのままに」
イラリアは私の唇に、とても軽やかなキスをした。そこから始まる愛撫はゆったりと甘く、私の疲れを溶かすように優しい。
「――おはようございます。フィフィ姉さま」
このキスと挨拶は、私たちの一日の始まりの合図。
もう朝なのね、と重たい瞼を開けると、体に違和感をおぼえた。調子が悪いわけではないけれど、これは……。
「ん……。おはよう? イラリア……。あらっ?」
「てへへ。ちょっとですが、癒やしの魔法を使っちゃいました。疲れは取れたでしょう?」
「そう……。貴女が無事なら、大丈夫よ。無理はしないでね」
「はーい! 今日は元気に過ごせるといいですねー」
――私が疑問に思ったのは、癒やしの魔法のことではないのだけれど……。聞くまでもなく、一晩じゅう、触られていたみたいね。この感覚。
一度心臓が止まって目覚めてからのイラリアは、生存本能か何かが強くなっているのだろうか、食欲や色欲が特に、前よりも強まっているように感じる。
――彼女は月のものの時だから……って、油断していたわ。それでも私を愛でることはできてしまうものね。
私にはわからない感覚だけれど、その時期になると、かえって色欲が増す女性もいると聞くから……。仕方ない、のかしら?
「イラリア。責任をとって、私の湯浴みと着替えを手伝いなさい」
「もちろん。喜んで!」
ともかくも、早く清めてさっぱりしたい。清潔な服に着替えたい。お優しい彼女に支えられ、私はベッドから起き上がった。
癒やしの魔法のおかげか怠さや痛みはなく、シュミーズドレスも纏ったままだけれど、願わくはメイドたちにも見られたくない姿である。
そもそも私たちの事後とはそういうもので、入浴や着替えまで、いつも、ふたりでしているものだけれど……。今日は特に、秘めておきたい有り様だった。
――この愛の熱さや重さに、耐えきれるかしら。私のからだ。
浴室の前でイラリアに服を脱がされながら、ぼんやりと憂う。視線を落とした先には、彼女に口づけられたと思しき赤い痕が残っていた。
キスマークだけは治さずに残しておけるくらい、彼女は魔法の扱いも巧みらしい。
されてばかりでは悔しいので、後で彼女の肌にもつけてしまおう。私はこっそりと決意した。




