072. ふたりの王子と指輪〈2〉
「これ、は……」
なぜか既視感のあるその指輪に、思わず眉をひそめる。
このデザインも、この色の宝石も、初めて見るはずなのに、妙に〝知っている〟ような感覚があった。
形見の品にその人の匂いが残っているように、そこには、私の記憶に刺さる何かがあった。
――何でしょう、この指輪そのものは、私とは無関係なのだけれど。何かに似ているみたい。
イラリアに贈られたものでもなく、私から贈ったものでもなく、母さまのものでもなく……。昔、大切だった、誰かの――
「姉さまの髪を結っていたリボンに、これが飾りのように通されていました。リングは銀製で、カラーチェンジの宝石がついていますね」
「カラーチェンジ?」
私の問いに、イラリアは「はい」とはっきり頷く。先程、たしか〝攻略対象の指輪〟などと言っていた彼女だ。
おそらく前世の物語から得た情報だとは言え、この指輪について、他の面々よりもよく知っているつもりなのだろう。
「光の色温度によって、色が変わる宝石です。この部屋の照明では〝緑色〟に見えますが、蝋燭の火などで照らすと〝赤色〟に見えるはず。試してみましょうか」
「へえ。そんな宝石、が……――」
――待って。色が変わる宝石? 銀の指輪? 昔、大切だった、一度目の私の宝物――
雷光が走るように昔のことをハッと思い出し、塞いだはずの古びた恋心に再び見え、寒気をおぼえる。
イラリアは実験器具をまとめていた別の机から小さな蝋燭と燐寸を持ってきて、手早く火をつけた。
「……気をつけてね。火傷しないでね」
「ふふ、大丈夫ですよ」
今こそ彼女に隣にいてほしいのに、そう言えない。
過去の記憶に振り回されている私を、今の彼女に知られたくなくて、もうひとりで終わらせたくて。あの人のことを、彼女にまで思い出させたくなくて。
黒い感情が胸中を揺らめく。
「見ててくださいね」
彼女の手に作られた影の中で、指輪は温かな光に照らされる。その色は、イラリアの言った通りに、緑色から赤色へと変わった。
ジェームズ先生は「おお」と感心したような声を上げ、セルジオ殿下は「ああ」と戸惑ったような声を出す。
「とても、綺麗ね。ええ」
私は上辺だけの感想を口にし、紅茶を飲んだ。クッキーを食べた。こんな指輪に興味はありません、そういうふりをした。
ぼんやりした甘さと乾いた感触が口の中に広がって、それを押し流すようにまた紅茶を飲んだ。
「皆さんご存知のことかとは思いますが、こういった宝石は魔素を多く含むことから〝魔法石〟とも呼ばれており、たいへん希少なものです。
現在この国では、特に――王や王子と結婚の約束を交わした証である、婚約指輪に使われるのでしたよね。セルジオ殿下?」
「はい。そうですね。僕の婚約者も、これと似たものを持っています。つまり、この指輪は……単純に考えれば、アルティエロ兄上との婚約指輪だと思われますね」
「けれど、フィフィ姉さまと彼は、神に誓った婚約などしていません。もちろん絶対に。人前でもないですね。それも自信を持って言い切れます。となると、これは、ただ――」
彼女は指輪を手に取って、天井の明かりに透かし照らした。
蝋燭の下では赤かった宝石は、今度は明るい緑色に輝く。こうして見ると、まるで彼の瞳みたいだ。
その宝石が砕けそうなほど鋭い目つきでイラリアは指輪を睨みつけ、何を思ったか、突然バァンと机に叩きつけた。
弾みで蝋燭の火はふっと消え、「うわっ」「ぴゃ」と、先生と殿下がそれぞれ声を上げる。
蚊を叩き潰す時かのような扱いを受けた哀れな指輪は、しかし無事に美しい姿のまま、机の上に転がっていた。
「アルティエロ殿下からの、フィフィ姉さまへの求愛、あるいは、私への宣戦布告の意味をこめた贈り物と受け取れますね」
言い終えるや否やイラリアは、やけ酒を煽るように紅茶をぐいっと飲み干した。熱くなかったかしら。大丈夫かしら……。
それから「あー、イライラする」と言いながらクッキーを頬張り、なんだか涙目になっている。
「ちょっとイラリア。食べ物は、もっと大事に召し上がりなさい」
「このくらいグレないとやってられません。あー、姉さまが、あんなバルトロメオの複製品みたいなのと結婚しちゃったらどうしよう。想像しただけで泣けてきちゃう……」
「想像しないで結構です。たしかに、あの人と彼はよく似ているけれど、先に生まれたのはアルティエロ殿下の方よ。彼が複製品というのはおかしくないかしら?」
「ツッコむところ、そこなんですね。姉上」
「うぅ……フィフィ姉さまは私のお嫁さんになるんだもん。あいつのじゃないもんぅ……」
「もう、泣かないで。ラーリィ。ええ。私は貴女のお嫁さんになるつもりよ。死ぬまで一緒にいましょう。ね?」
ぐすんぐすんと泣くイラリアのそばに寄り、向かい合い、目元に口づける。ローズゴールドの長い睫毛は、まさに朝露に濡れた薔薇のようだった。
これは唇で涙を掬っているだけだから、人前でしても大丈夫なもの。私は彼女の肌を伝う雫を飲んでいく――。
「――変に呼び止めて、すまなかったな、オフィーリア。話はできたっちゃできたが、余計に悩ませることになってしまったかと」
「いえ。あのまま帰っていたら、もっと拗れて面倒くさくなっていた可能性もあるので。指輪のことについて、ここで話せただけでも良い収穫です。お騒がせいたしました。ありがとうございました」
なんとかイラリアを泣き止ませ、お茶を終えると、私たちはようやく校舎を出た。ジェームズ先生に見送られ、途中でセルジオ殿下とも別れ、ふたりで手を繋いで帰路につく。
日が沈み、暗くなってきた空には、いくつかの星が瞬いていた。




