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聖女殺しの恋 ―死に戻り悪女が妹聖女のキスで目覚めたら―  作者: 幽八花あかね
【一】三・ゲームの前奏に鳴る心臓

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068. この心臓を壊してでも〈1〉


「なんだか前よりスッキリしていますね。整理整頓されました?」

「ああ、まあ、なんとなく。あんまりゴチャゴチャしているのもどうかと思ってな」

「良い心境の変化ですね。今年度からさらにお忙しくなったわけですから、悪化しているかと思っておりましたのに」

「俺の仕事が多くなるのは、もう〝呪い〟みたいなもんだと思ってるからなぁ。多少は慣れが出てきている」

「……学院の薬学科教諭をおひとりで務めていらして。校医不在時の代理医と、大学院の助教も、ですよね。あと薬学研究部の顧問もですか」

「そうやって羅列すると、本当におかしいよな。やっぱり呪われてるんだろう」

「過労死なんてしちゃ嫌ですよ?」

「あはは、しないしない」


 ジェームズ先生はカラッと爽やかに笑って、それなりに整えられた書類の棚から、例の書類を取り出した。

 彼の白衣の袖には、今日も薬草の匂いが残っている。先生らしいなと私は思う。


「概ね問題なかった。さすがだな。うまく書けている」

「ありがとうございます」

「気になることは数点だけ。まず、ここの表記方法だが――」


 ジェームズ先生の指摘を聞き、ときおり質問もしながら、訂正事項を紙に書き留めていく。


 まだまだひよっこの研究者である私にとって、彼は頼もしい協力者だ。


 こうして研究発表のための資料をまとめている時のみならず、イラリアを目覚めさせようと苦戦していた時も、よく支えられてきた。


 ――あ。イラリアは、先生との浮気も疑っていたわね。それなのに、ふたりきりになってしまったわ。必要な会話だから、許してくれるといいのだけれど……。

 向こうの実験室の様子は、大丈夫かしら。殿下と喧嘩なんてしていないかしら。


「で、あとは、ここに血液データのグラフを挿入するんだっけか」

「そうですね。はい。ありがとうございました。助かります。お礼に癒やしの魔法でもかけましょうか?」

「だから、そういうのはいいんだって。何度も言ったろ。――なぁ、オフィーリア」

「はい、先生?」


 メモを終えて顔を上げると、先生の紺色の瞳と目があった。夜空のような深い青に、いつもとほんのすこし違う仄暗さが見える。


「あの、どうかなさいましたか?」

「いや……さっきの様子を見て、もしかしてと思ったんだが……()()()()。イラリアには、まだ言っていないのか」

「……私の、心臓の?」

「ああ。そうだ」

「…………言ってません、ね」


 ふっ、とまるで蝋燭の火が消えたかのように、重たい沈黙の時が降りる。

 私は「……紅茶の準備をしましょうか」と立ち上がり、鍋に水を注ぎ、火を点けた。


 ――盗み聞きや覗きをするな、と。イラリアに念押ししたのは、この話をするためだったのね。


 私の気持ちのうえでも、先生の思惑を考慮したうえでも、今この部屋には雑音があった方がいい。

 これらの音に溶け消えそうなほど小さな声で、私と先生は会話する。イラリアに聞かれたら困る話を。


「いつまでも隠すことは、できないと思うぞ」

「ええ。わかっています」

「あの感じだとイラリアは、聖女の魔法の危険性をわかっていないんだろう。どうするんだ」

「そうですね。これまでも何度か伝えているのですが……。もっとしっかりと教えていきます。()()()()には触れずに、ですね」

「それが一番()()とは思うんだがなぁ」

「あの子は、歳の割に幼いのです。死の眠りから目覚めた後は、それ以前より子どもっぽくなった気さえします。私も人のことを言えませんが、どこか精神的に不安定で……。今のあの子には特に、言えるはずありません」

「まあ、最終的にどうするかはお前が決めることだから、しつこく言うつもりはないけどよ。そろそろこっちの言い分にも納得してくれ。

 ――俺は、俺のせいでお前の命を削るのは、嫌だ。そこで危険を冒してほしくない。だから俺への魔法は、よっぽどのことがない限り、いらない。何度も断らせないでほしい」

「それは、すみません。でも、そのくらいの魔法なら私だって……」


 ――私だって、誰かの疲れを癒やす魔法くらいは使える。私だって、ほんのすこしくらい、誰かの助けになれる……はず、なんて。そうあることを望むのも傲慢なのかしら。

 イラリアのようには力の調整をうまくできない私は、どこからなら、誰かに手を差し伸べられるのかしら。


 これは、きっと聖女の(さが)だと思う。魔法を使え。役に立て。誰かを救え。そう、心のどこかが叫んでいる。聖女らしく生きろ。そう、見えない誰かが胸の奥で命じている。そんな感覚。


 イラリアの心にもこんなふうに、自然と聖女の責務が課せられていたのだろうか。もしもそうだったなら、彼女は――この世の誰よりも、聖女らしい聖女だ。


 ――ああ。冷静に考えれば、違うのに。こう思ってしまう私がいる。私も聖女らしくなっているのね。

〝命を賭して私を救った彼女は、ひどく気高く美しかった〟なんて。彼女の自己犠牲を美化したくなんてないのに、あの姿に焦がれてしまう――


「――いえ。私も、先生を困らせるのは本意ではありません。今後は軽率に言わないように、気をつけます」

「ああ。それでいい」


 頭の中の(もや)を振り払うように、言動をあらためることを宣言する。ここで悩んでいても、どうにもならない。切り替えたい。


 彼女を追い詰めかねない秘密は隠し通すとしても、聖女の生き方の悩みなら、彼女に話してみてから悩んだ方がいい。


 私たちは姉妹で、婚約者なのだから。


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