067. きょうだいの距離と髪飾る指輪
「ふぃ、フィフィ姉さまあぁぁーーー!!!!」
イラリアがこの世の終わりかのような声で叫ぶ。その大声に耳がキィンとした。
クーデターの時のあの人の叫び声も、ちょっと思い起こされた。彼はひどく悲痛な声で、イラリアの名を呼んでいたっけ。
彼女のことは、ジェームズ先生が守ってくれたらしい。階段の上をちらりと見やると、彼はイラリアの胴体に腕を回して「うるさっ」と顔をしかめていた。
「すごい肺活量ね……」
その呟きは、イラリアと先生の口論らしき声にかき消される。私は腕の中にいるセルジオ殿下の顔を覗き込み、「お怪我はありませんか? 殿下」と問うた。
恐怖感のせいか、あるいはどこかを痛めてしまったのか、彼は青白い顔をしている。
――殿下にお怪我がないことを最優先に、なるべく私も大事には至らないように、三度目の人生で学んだ武術を活かして受け身をとったつもりだったけれど……。失敗してしまったかしら?
「どこか調子のおかしいところがありましたら、教えてください。我が妹の失態です。私が責任を取ります」
「お、オフィーリア姉上を、押し倒してしまいました……! すみませんすみません本当すみません!」
「あ、そのあたりは大丈夫ですから。ご心配なく。抱きとめたのは私ですし――そのように、無闇に謝られないでください。セルジオ殿下は、この国の王子であらせられるのですから」
「……まるで我が婚約者のようなことを言いますね」
「あら、そうですか? 殿下の婚約者様は――」
「ちょっとフィフィ姉さま。なにその体勢のまま喋ってるんですか!? ちゅーしちゃいそうな距離感じゃないですか! 離れて!!」
ドタドタと駆け下りてきたイラリアがこちらに割って入り、私と殿下を引きはがす。
「やっぱり僕ってイラリアさんに嫌われてますよね……?」とセルジオ殿下はしょんぼりしてしまった。
「イラリアったら、もう。さっきはどうして猪みたいに突っ込んできたのよ。危ないでしょ」
「猪みたいとは何ですか! こんなに可愛い猪が森におります?」
「いないわね。って、そんなことはどうでもよくて。階段の途中で立ち止まっていた私も悪いけれど、そこに突っ込んでくる貴女も貴女よ」
「そこ、それ以上の口喧嘩は家でやってくれ。――王子。オフィーリア。大丈夫か?」
唯一しっかりと大人らしいジェームズ先生の注意に、私とイラリアは口を閉じる。
「姉上のおかげで、痛みも感じませんでした。大丈夫です」とセルジオ殿下が答えた後で、私も小さく答えた。
「私も、ほとんど痛くありませんでした。武術の知識を活かして受け身をとったので。これでも――紫紺騎士ですから」
「「かっこいい……」」
イラリアとセルジオ殿下の声がちょうど被った。殿下の頬にほんのりと赤みが戻ってきている。彼女は不満げに彼を睨みつける。
殿下に対するイラリアの態度が、いずれは丸くなってくれるといいのだけれど……。
「セルジオ殿下。私の姉さまに惚けないでください」
「これから僕の姉上にもなりますが? 僕にだって姉上を尊敬する権利くらいあります。それに……僕のことばかり目の敵にしていますが、隣国にも彼女の弟君はいらっしゃるのでしょう。あの〝炎の勇者〟の。
――おや? そういえば、姉上が隣国にいらっしゃったのは十年ほどでしたよね。姉上は十九歳で、この子は姉上より二歳年下。もしかして隣国の弟君の方が、彼女と〝きょうだい〟として一緒に過ごした年数は長いのでは……?」
「はぁあ!? なんですかなんですか煽っているおつもりですかぁ?? その考え方なら、殿下のきょうだい歴が一番短いですけどね! 貴方だって何年も他国にいたんですから!」
「ええ。そうですね。でも、貴女も〝一番〟ではない」
「遠距離で会えなくたって私たちは姉妹でしたしぃ! 想い合っておりましたしぃ! そもそも私たちは――あー、もう、変な説を持ち出して不安にさせないでくださいよ、もうっ!」
「はい、そこも。その辺にしておけよ」
今度はセルジオ殿下とイラリアが閉口する。こういう姿を見ていると、なんというか、ジェームズ先生の〝先生らしさ〟をよく感じた。さすがです、と私は心の中で拍手する。
「とりあえず薬学室に戻って、イラリアと王子は実験器具や材料の片付けな。オフィーリアも時間があるなら、ここである程度は話してから帰ったらどうだ。どうやらイラリアは、ひとりで頭を冷やすのは無理そうだし」
「ですね。……それでは、お言葉に甘えて。もう少しだけお邪魔させていただきます」
「はーいっ! じゃあ姉さまと手を繋ぐ役目は私がいただきますね? うふふ」
「大した距離じゃないけどね。まあ、いいわ。行きましょうか」
ちゃっかりしたイラリアに手をとられ、階段を上がって。四人で一緒に廊下を歩いていく。
「姉さま。さっき、階段から落ちる前。なんでセルジオ殿下と向かい合っていたんですか? ちゅーする時みたいだった……」
「べつに、そんなんじゃないわ。あれは、殿下が何か、気にかかることがあったみたいで。私の髪やリボンに……でしたっけ?」
「あ、はい。そうなんです。姉上、もしかしてアルティエロ兄上に、そのあたりを触られましたか……?」
「そういえば姉さま。朝と髪型が違いますね? 普段はシンプルにまとめるのに、かわいい編み込みになって――あ」
私を引き止めた時のセルジオ殿下と同じように、イラリアは声を上げた。薬学実験室まであと数歩というところで立ち止まる。
「それって〝攻略対象キャラ〟の指輪――」
「なんですって?」
「じゃあ、王子とイラリアは、そっちで片付け。あ、そうだ、オフィーリア。王立研究所に送る〝心臓蘇生〟関係の書類のことでちょっと確認がしたい。あと、紅茶の準備を手伝ってもらっても?」
「ええ、はい。かしこまりました。――ちょっと待っててね、イラリア。いい子でお片付けしていてね」
「ふたりとも、こっちの盗み聞きとか覗きはするなよ? 気難しい研究者連中の研究談義に茶々を入れるとキレられるからな。
特にイラリア。お前もそのうち他の研究者と関わる予定なら、覚えておけ」
――今、一番気難しそうな顔をしているのは、イラリアだけれど……。大丈夫、よね?
「じゃあ、ちょっとだけバイバイね。イラリア」
「はい……。フィフィ姉さま」
いつもと違うイラリアの様子を不安に思いつつも、私は先生と一緒に薬学準備室の方に入った。




