063. 口づけの意図と悪女の心
「あの時は……本心だった。嘘じゃなかったわ。貴女とのキスなら、全部を好きになれると心から思っていた。
でもね、今は……そうじゃないの。そういうことじゃないの。貴女が今さっきしてきたようなキスは――違う」
――ねえ、伝わるかしら?
私はイラリアの方を向き、潤んだ瞳を見つめ、ゆっくりと話していく。
「あれは愛ゆえのものじゃなくて、私を〝好きにするためのもの〟〝支配するためのもの〟でしょう。唇を重ねる行為ではあっても、ロマンチックなキスなんかじゃなかったわ」
「ロマンチックって……。フィフィ姉さま、キスに夢を見すぎなんじゃないですか? やだ、もう、可愛いですね」
「茶化さないで。イラリア。真剣に話しているの。さっきのキスは――いえ、もうキスと表すのもどうかと思えてきたわね。先程の行為は、一方的に、私の心を踏みにじるものだった。
貴女が私を愛しているのは、本当だって信じているけれど……貴女があの行為をするに至った理由は『愛しているから』じゃないわ」
「……どういうことか、よく、わかりません」
「貴女は『キスで瀕死になればいい』と言って口づけた。昨日も私の苦言に『窒息寸前の死にかけなら癒やせるから大丈夫』と返した。
ええ、貴女は偉大な聖女よ。たしかに私が死にかけても癒やせるでしょう。でも、貴女は、私たちは――この力を理由に、人の命を軽んじてはならない」
「ちょっと論点がズレてきてませんか? 軽んじてませんし? それに姉さまだって婚約式の日、私が『心臓がまた止まっちゃったら』って言ったら『また蘇生を試みるかしら』って、すごーく軽い感じで返してましたよ。私と姉さまの言っていること、していること。なにか違います?」
「まあ、そう言われると、たしかに同じようなものだったかもしれないわね。反省しているわ。聖女の力を持っているのは事実だけれど、その力への向き合い方は、もっと真摯であるべきだった」
――ああ、どうしたら伝わるのかしら。どうしたら、もっと、彼女の心に届くのかしら。
私こそ、根っからの善人ではない。むしろ過去には極悪令嬢と呼ばれたほどの悪女だ。
私が語る倫理も正義も何もかも、彼女にも誰にも響かないのかもしれない。そう、心が弱気な方に傾く。
――でも、ここで諦めるのは、やっぱり逃げなのよ。何度でもいい、届くまで伝えないと。
私は、彼女の婚約者。彼女の姉。
――由緒正しきハイエレクタム家の長女、では、もうないけれど。
そういう意味では、私の生き方は変わらない。
「私はね、イラリア――貴女が、このままだと〝悪女〟になってしまうんじゃないかって。それを心配しているの」
「私が……悪女……?? って? 私は〝ヒロイン〟で〝悪役令嬢〟は姉さまですよ」
過去には〝極悪令嬢〟だったからこそ、どうしたら〝悪女〟に堕ちてしまうのか、わかるところもある。
―― 一度目の人生を、無駄にはしない。ただの悲劇では終わらせない。今を生きるために活かす。
私は、人生を〝やり直せた〟悪女なのだから。
「よく覚えておきなさい。イラリア。ここは〝物語〟の中の世界じゃなくて、今の貴女の現実――『前にも聞いた』って顔をしているけれど――わかっているかしら?
貴女以外の人も、痛みや苦しみ、悲しみを感じるの。生きているの。
『死にそうになっても聖女の力で癒やして解決できるから大丈夫』なんて、他の人を相手にそう考えてはいけないの。
ましてや『私は聖女だから、誰かを死にそうな目に遭わせてもいい。どうせ癒やせるから』なんて傲慢は、もってのほかよ」
「そのくらい、わかってますよ……。姉さまより聖女してますもん……聖女としては先輩だもん……」
イラリアは、まだ――幼い。異世界での前世まで含めたら、四度目の人生だけれども。
もう十七歳だけれど、もう三度目の人生だけれど、この世界の人間になりきれていない。
――私たちは、ずっと〝最初の人生〟を引きずる。〝最初に死んだ歳の自分〟を引きずっている。
別の人生や前世の記憶を残したまま、再び幼子になった時。はたして加算で歳を重ねていけるだろうか。
一度目に十七歳で死んだ過去の私の精神は、二度目の人生を送るなかで、十八歳、十九歳、二十歳……そのような形で成長していけただろうか。
二度目の最期には、三十歳ほどの精神年齢になれていただろうか。――否。なれていない。
――私は、ずっと〝十七歳のオフィーリア・ハイエレクタム〟だった。
二度目や三度目の人生で新たに知ったことや学んだことはあったけれど、振り返れば、十七歳より大人になれた気はしなかった。
三度目の世界で初めて十八歳、十九歳になれた今も、心までその歳になれたか自信はない。
ずっと〝十七歳の心〟で生きてきて、いまさら歳を重ねていけるのか。できているのか、大人になれているのか、わからない。
そして、それはイラリアも同じだと思う。彼女の心は、前世の死んだ歳を引きずっているのだと思う。
現に彼女は、未だに〝ゲーム〟と〝現実〟とを混同している。
繰り返すなかで気づいてくれたこと、学んでくれたこともあったけれど、どこか私たちを〝キャラ〟だと思い続けている節がある。
彼女は、まだ幼く、危うい。




