057. プロローグ〈6〉愛を確かめて
婚約式の衣装のまま、私とイラリアは馬車に乗り、次の目的地――王宮内の霊園へと向かった。そこに我が母、リアーナ王女の墓がある。
馬車の中で向かい合って座る私たちの間に流れる空気は、無事に婚約できた安堵感や嬉しさを孕みながらも、どこか気まずい重さを纏っていた。
イラリアの世話に、各方面への報告、その後の神殿での聖女の儀式などで忙しかったからか、私の日にち感覚は狂ってしまっているようで。
この数日、あらためて経過時間や日数を数えては何度もびっくりしているけれど、彼女が死の眠りから目覚めたあの日からまだ一週間も経っていないのだ。
私たちは、実に一年ぶりの再会を果たしたばかりだとも言える。それゆえのぎこちなさだろうか……。
なんて鈍感なふりをして、それだけのせいにしては現実逃避も良いところ。
すれ違った過去の反省をまったく活かせていない。このままでは駄目だ。
気を取り直し、車内の雰囲気を変えるべく、私から彼女に話しかける。
「イラリア。さっきは、ごめんね」
「はい? 何がです?」
イラリアはきょとんという顔をして、可愛らしく小首を傾げた。まるで、なんでもないとでも言うように。
彼女は、ときおり、こういう振る舞いをする。
胸の奥では思うことがあるはずなのに、べたべたに触って甘えることはするくせに、大事な気持ちを押し殺す。
一度目や二度目の人生では見逃してきただろうことも、今なら幾分かは捉えられた。
彼女のすべてをわかってやることはできなくとも、彼女を理解するために考え、覚え、さらに知ろうとすることはできる。
――ねえ、イラリア。貴女は、何を恐れているの? 前世の貴女は、どうやって生きて……今の貴女に繋がる軸をつくったの?
彼女さえも気づいていないかもしれない、彼女の心の闇を、私は知りたい。もっと奥まで見せてほしい。
「式の前、ちょっと微妙な空気にしてしまったでしょう。なんというか……大人げなかったわ。からかうような、不安を煽るようなことを言って、ごめんなさい」
「……べつに気にしていませんよ」
「その間は何よ。…………私たちって、何度も離縁の危機に瀕することになりそうね」
「な、なんてことをおっしゃるのですか!」
彼女は空色の瞳を丸くして、大きな声を出す。私は、あえて淑女らしく微笑んだ。今度は闇雲に煽っているわけではない。意図的だ。計算したうえでの言動だ。
負の感情でも露わにしてくれた方が、心を閉ざされるより、ずっと良い。滅多にないことを言って、申し訳なくは思うけれど。
――貴女の心の深いところまで、触れたいの。
そのために、ちょっとだけ、意地悪をさせて。
「自傷みたいに憂いて、疑って。その傷を相手に舐めてもらうことで癒やされて。そうやって愛を確かめ合おうとするの。私も、貴女もよ。……歪んでいるわ」
「へえ? ならば、今の姉さまの言葉も『愛』を確かめるための『自傷』なんじゃないですか」
「さあ、どうかしらね。わからないわ……。わかるのは、私たちは愛し合っているはずなのに、まだ満たされていないということ。今なお不安が消えないということ。なぜでしょうね?」
「それは――それは、ですね」
彼女は何かを思いついたように立ち上がり、私の唇にキスをした。私は彼女の腰を抱き、その求めを受け止める。ひどく自然に触れ合えた。
「――神殿で、あんなことを言われたから、とか?」
「ああ、あのことね」
「はい。私たちの婚姻という希望は、愛は……」
〝罪〟だって。
「フィフィ姉さま。どうして〝イラリア〟は、娼婦の娘なんでしょう。どうして〝ヒロイン〟と〝悪役令嬢〟が姉妹だったのでしょう」
「私と貴女の、父親と母親たちの、愛の結晶よ。いろいろな思惑や欲望が絡んで生まれたものね」
「どうして、こんな〝設定〟なの……」
「イラリア。ここは現実よ。それは貴女の前世の〝ゲームの設定〟ではなく、私や貴女の血族が歩んできた〝歴史〟なの。どうにもできないわ。――私たちは、ふたりとも聖女で、血の繋がりの可能性が否定できない姉妹なの」
私たちは、互いへの〝愛〟で聖女になった。
愛と美と生命を司る女神さまに愛されて覚醒した女こそが聖女であるから、その力を高めるにあたって、愛情はとても大切なもの。
聖女が愛の相手と一緒にいること自体は、もちろん許される。
けれど。
「義理のきょうだいなら問題なくとも、血の繋がった親きょうだいとの婚姻は、神々のみがなせる行為。そして現行法の上では、男と男の婚姻や、女と女の婚姻は、認められていない。そもそも男女の婚姻についてしか定められていないもの」
私と彼女の結婚。それは、ともすれば罪である。
血の繋がった姉と妹が、めおとのように一緒になること――それは、神話の中だけで許されること。人間には許されない。
神官曰く。神の領域に踏み込み、神を侵す人間になる可能性があるために、私たちが結ばれることは罪だった。
イラリアの実の父親が誰なのか、わからない。私の実父と複数名の男とが同時期に、彼女の母親のもとに通っていたから。
私と彼女の父親が同じ人であると、確定も否定もできない。そのことが、今の私たちの壁のひとつになっている。
血の繋がりを証明する手立ては、古の魔法つかいの呪いによって、もう世界から忘れられてしまった。
「神殿で私たちに下された選択肢は、ただの姉妹らしく一緒にいるか、他の愛せる男と結婚するか。後者の道を、今日、私たちは絶ったわけだけれど……。
思えば、不安定な立場よね。神の愛し子として崇められ、民のためにと働かされ、けれど神に近づきすぎることは許されない。神に誓うことさえ許されない私たちは、人に誓うしかなかった。これだって抵抗になってしまうけれど。
そうね……何度も愛を確かめ合わないと、やってられないわ。聖女なんて。また長くて重いって言われるかしら? このお説教も」
「そんなこと、言いませんよ。……私も、からかって、ごめんなさい。陛下とばっかりお喋りされてたから、寂しくて」
「いいのよ。私はいくらか気持ちを整理できた気がするけれど、貴女は?」
「私も、なんか大丈夫そうです」
「じゃあ――これで仲直り、ね?」
「はい。フィフィ姉さま。喧嘩って感じの喧嘩でもなかったですけど、これで仲直りです」
互いの小指を絡め合い、くすりと笑う。これでいい。
「仲直りしてくれて、ありがとう。ところで貴女って、私以外の人と喧嘩したことはある? どう?」
「あー……無い、ですね。姉さまだけです!」
「その間、なんだか怪しいわ」
「うっ。べつに、前世の話なので……いいかなって。一度だけ、ひとりだけですし」
「へえ。誰と喧嘩したの?」
「そこ、突っ込んでくるんですか。ただの友だちですよ。――仲直りできないまま、死んじゃったけど」
「……そう。それは、悲しかったわね」
私は彼女の頭を撫で、つむじにキスを落とした。慈しむように。癒せるように。
「私が貴女より先に死にそうな時は、仲直りしてからにする。誓うわ」
「もう、姉さまったら。でも、そうですね。すれ違ったまま別れるのは、私も二度と御免です!」
彼女をエスコートして馬車を降り、王宮霊園を歩く。美しく整えられた王族たちの墓を眺め、ある白い墓石のそばで止まった。他と比べると新しいその墓が、母さまのものだ。
花を供え、挨拶をし、私は近況を伝える。次いでイラリアは「では、あらためて……」と淑女の礼をして、長い自己紹介と私への重たい愛を語った。締めくくりには、彼女からの〝誓い〟まで。
「――私、イラリア・ミレイ・リスノワーリュは誓います。娘さんを、フィフィを、必ずや幸せにしてみせると。このたび、私たちは正式に婚約いたしました。神官たちには認められずとも、国王陛下と王妃殿下の前で約束を交わした、立派な婚約者です。
絶ーっ対に、幸せにします。命をかけて。姉妹としてだけではなく、人生のパートナーとして。精いっぱい支え、めちゃくちゃに愛し、ともに生きてまいります!
お母さま!! フィフィという素晴らしき存在をこの世に生み出してくださってっ、ありがとうございます……! 貴女の愛娘のフィフィはですね――」
私への愛をまた飽きもせずに語りだしたイラリアの顔は、晴れ渡っていて。その声は明るく、はきはきしていて。
――ああ、イラリアらしい。と思った。
これから先、きっといろいろなことがあって、また不安になったり、つらくなったりもするだろうけれど。
彼女となら、なんとかなる。そう前向きに思えた。
婚約式とお墓参りを終えて家に帰ると、ドラコがとたとたと駆け寄ってきた。
「ままぁ! かえりー!!」
「ただいま、ドラコ。いい子にしてた?」
「うんっ」
「ドラコ様は、今日もとてもお利口さんでしたよ」
「偉いねぇ。ドラコ。フィフィも私も、お夕飯は一緒に食べられるから、ちょっと待っててね」
「うん!」
「じゃあ、また食卓で」
手を振り、束の間の別れを告げて自室に入る。着替えや片付けをしながら、今日のドラコについてメイドからの報告を聞く。
他の貴族家と同じように、リスノワーリュ家でも、ドラコの世話は使用人たちが担っていた。幼少期のイラリアと同じように、だ。
みんなでにこやかに夕食をとり、ドラコと遊んでやってから、私とイラリアはお風呂に入った。
彼女を目覚めさせる研究を私が主導していた流れのまま、今のイラリアのそばにつくのも私になっている。
稀代の聖女である彼女の回復は早く、目覚めたその日から自力で歩行できたくらいではあるけれど、病み上がりは病み上がりだ。
手を貸せるところは手を貸して、よく休ませて、無理をさせすぎないようにしたい。
「今日も、疲れたでしょう。慌ただしくてごめんね」
「姉さまのせいじゃないですし、大丈夫ですよ。聖女ですから」
「本当は、もうちょっと、ゆったりと過ごしたいのだけれどね……。この立場じゃ難しいわ。まったく。――心臓の具合は、大丈夫?」
彼女の胸元に触れ、拍動を確かめ、経過観察とは関係なくそのまま触れ合う。彼女の手も、私に触れた。
「フィフィ。今日も、いい?」
「疲れているんじゃないの」
「大丈夫です」
ベッドの中でも、甘やかし、甘やかされ。
一日が終わっていく。
「――おやすみなさい。フィフィ姉さま」
「ええ、おやすみ。イラリア」
抱き合って〝おやすみのキス〟をして、目を閉じた。今宵も私は、彼女の隣で眠りにつく。
――貴女が生きていて、よかった。
今日も一緒にいられて、よかった――




