056. プロローグ〈5〉婚約式
「――当然ながら、私が生まれる前のことは、私は人づてにしか知りません。それでも、確かなのは、母さまは父さまを愛し続けていたということ。母さまも、婚約を交わした日には、幸せな結婚生活を夢見ていたはずだということ。
私は、母さまの夢見た日々を送りたいのです。そのために努力を続けると。母さまと同じ姿で、母さまのドレスに誓いたい――そんな想いで、このドレスたちを婚約式の時に着られるよう望みました。国王陛下」
「うむ、うむ。左様か! 立派になったものだな」
「ありがとうございます。――あら? どうしたのイラリア」
隣でお淑やかにしていたはずのイラリアは、気づけば私に触れていた。スカートの厚みと重量感に阻まれながらも、むぎゅっとくっついている。
「めちゃくちゃ長ーくて重たーい想いですね? さすがです。大好き!」
「ちょっと、なぁに?? からかっているの? 今は陛下と殿下の前なのよ。離れなさい」
「いいや、構わぬぞ。仲睦まじいのは良いことだ」
イラリアは私にひっついたまま「姉さまとの睦み合いをお許しいただき、嬉しい限りです。国王陛下」と満面の笑みで言いのけた。
怒っているのか、嫉妬しているのか、構ってほしいのか……。その声の調子を聞くに、ちょっぴりご機嫌斜めらしい。
「ねえ、貴方。とっても面白いでしょう? 可愛らしいわ。イラリアちゃんを王妃のように愛し、リアーナちゃんの望んだ幸せを叶える――うふふっ、これからが楽しみね」
「王妃よ。そなたの悪戯好きなところも余は愛しているが、オフィーリアに意地悪はしてくれるな」
「あら、私は意地悪なんてしておりませんわ。ねー? オフィーリア。私は貴女に協力しただけよね?」
「ええ、王妃殿下」
殿下の可愛らしい笑顔に、なぜだろう、ゾクッと寒気がした。
いつも通りにお美しく、気品に溢れているのに、腹の底が読めないような……。
脳の奥で警鐘が鳴っているのに、その理由がわからない。直接に探るのも正解とは思えず、ここは無難に答えることにした。
「意地悪なんて、されておりませんわ。可愛がっていただいております」
「私やリアーナちゃんのドレス、また着て頂戴ね。うふふ、今日はダーリンを驚かせられて良かった! そっちの悪戯は大成功ね」
「ほう、王妃は余を驚かせたかったのか。良い刺激になったぞ」
「まだまだ元気でいてくださいね。貴方」
「ああ、もちろん。――さてと、オフィーリアの素晴らしい想いも聞いたところで。そろそろ婚約式を始めるか」
「はい。国王陛下」
私は頷き、イラリアの腕を引き、白いガゼボの中へと一緒に入った。
ここは、今から数十年前――国王陛下と王妃殿下、そして私の父さまと母さまが婚約式を挙げた場所。
そばに控えていた侍女から指輪を受け取る。結婚式で交換する指輪とは違い、婚約指輪は、私からイラリアに贈るものだけだ。
彼女の指先に口づけ――誓いの言葉を告げる。堂々と。はっきりと。
「私、オフィーリア・フロイド・リスノワーリュは誓います。イラリア・ミレイ・リスノワーリュ、貴女を心から愛し、敬い、幸せにすることを。ベガリュタル国、ジョルダーノ国王陛下とエリーザ王妃殿下のもと、この婚約を――」
愛するひとの左の薬指に触れ、ゆっくりと、銀の指輪をはめていく。
「交わします」彼女はふわりと笑って答えた。
イラリアの左手と、私の右手とを繋ぐ。国王陛下と王妃殿下は、朗らかに頷いた。
「見届けた」
「見届けました」
これにて、婚約式はおしまい。
たった今から私たちは、ベガリュタル国内においては正式な婚約者となる。
絆を確かめ合うように、手を解く前にもう一度、互いの手をぎゅっと握った。
――ああ、もう。こんなことで泣きそうだなんて。
彼女が手を握り返してくれる。そのことが、また嬉しくて。ほんの数日前までは、私しか握れなかったから……。
「リアーナの婚約式を思い出すなぁ」と涙ぐむ陛下につられたふりをして、私はイラリアに目元を優しく拭われた。
陛下の涙を指先で繊細に拭う王妃殿下は、ちらりとこちらにも目を向けて、
「――夏が楽しみね」そう、意味ありげにお笑いになった。




