054. プロローグ〈3〉流行り外れのドレスたち
ちょっと恥ずかしそうに上着を脱いで、そっと、こちらを見上げた彼女。その美しさに私は見惚れた。
彼女の上着を預かってくれた侍女に目配せし、皆を向こうに下がらせる。
彼女らの目は、私たちに届くように。私たちの話し声は、彼女らの耳に届かないように。
そんな絶妙な距離感を作れた後で、イラリアの腰を抱き寄せる。
「今日は積極的なんですね?」
「綺麗よ。イラリア。想像よりも、ずっと素敵」
それぞれの魅力を引き立て合う、淡いローズゴールドの髪と新芽の黄緑色のドレス。シンプルな銀のアクセサリー。
数十年前に流行ったデザインの衣装でも、やっぱり、彼女なら似合うのだ。まるで春の花畑を飛ぶ妖精のように可愛らしい。
「姉さま。さっきメイドたちから聞いたんですけど――このドレスって、本当に、王妃殿下の……?」
「ええ。王妃殿下から下賜されたドレスよ。殿下と国王陛下が婚約式を執り行った際に、王妃殿下がお召しになっていたご衣装。それを手直ししたものなの」
「そして……姉さまは、お母さまのドレスを。と」
「そう。私のドレスは、母さま――リアーナ王女が婚約式の日に着ていたものよ」
イラリアの目にもよく見えるように、私は彼女から数歩離れ、くるりと回った。
豪奢なドレスのスカートは、近年流行したドレスや普段着よりも重たい。
このずっしりとした感覚に、非日常的な高揚感をおぼえる。
「どうかしら」
こちらの衣装は、春の空の水色だ。あちらのドレスと同じく今の流行からは外れたそれは、二十数年前に作られたもので。母さまの思い出のひとかけらで。
「姉さまも、よくお似合いです。素敵ですね」
「ふふ、ありがとう」
彼女の隣に戻って手を繋ぐ。国王陛下と王妃殿下がいらっしゃる時を、婚約式の始まる時を待つ。
ガゼボの白い屋根の下、庭園を眺めながら会話した。
「――国王陛下と王妃殿下がご婚約なさったのも、私の父さまと母さまが婚約したのも、成人してからだったでしょう。だからその時のドレスを、私たちでも着られるの。
私と誰かさんみたいに子どもの頃に婚約していたら、こんなことはできなかったわ」
不安を紛らしたいという欲求の表れだろうか、なんだか妙に口が回った。イラリアも知っているだろうことを、わざわざ声に出して言っていた。
謁見の時には強がっていたものを、私は。
「貴族家の次期当主や次期国王と言うと、ふつう、婚約は幼少の頃からしているものだけれど。父さまや陛下の婚約が成人後だった理由は、貴女もこの国の貴族令嬢として歴史は学んでいるから、知っているわよね?」
もしかすると――ひとりで現実を直視するのが怖くて。彼女にも一緒に背負わせたかったのかもしれない。
私の狡さには気づかないでくれるのか、イラリアはにこにこと優等生らしく答える。
「はい。お父様はハイエレクタム公爵家の三男で、陛下は第三王子だったからですね。おふたりは、弟殺しなどの悪事をはたらいていた長兄を裁いて。ハイエレクタム家の長男と王太子の罪を明るみにし――」
「そうよ。わかっているなら、大丈夫」
自分から切り出したくせに、中途半端なところで止める。相手の話を遮る。
淑女の会話術の試験なら、どんなに甘い先生でも落第点だ。もしも妃教育の場でこんなことをしたら、間違いなく叱られる。
ああ、そうだった。
――私は、彼女に甘えているのだ。
彼女の優しさに付け込んで、面倒くさい女になっている。
もっと優しくしたいのに、まだうまくできない。いつまで〝極悪令嬢〟の影を引きずるつもりだろう。どうしたら、彼女を正しく愛せるのだろう。
「……なるほど。姉さまが婚約式なんて言い出したのは、そういうわけですか」
「あら、もう察してしまったの? 聡い子ね」
イラリアは「なぁんだ」と軽く落ち込んだような声を出す。私は「なぁに?」と彼女の顔に触れ、こちらを向かせた。
わかっているくせに、わざとらしい。白々しい。
――私が不安を感じているから、かしら?
彼女を不安にさせたくはないはずなのに、不安がる彼女を愛おしく思い、その様を嬉しく思い、もっと怖がらせて求めさせてしまいたいと思う。
――私も母さまみたいに、愛に飢えているのかしら? 愛するひとを困らせちゃうくらい?
もっと正常に、愛したいのに――。




