053. プロローグ〈2〉三月のお茶会と
時は少し遡り――三月の王城で。私たちは、国王陛下に謁見していた。
と言っても、私にとっては、謁見それ自体は堅苦しいものでもなく。恐ろしいものでもなく。
始めはただ人払いされた部屋の中で、イラリアを隣に連れ、陛下とお茶をするだけのことだった。
私たちがご挨拶を終えると、まず一言。
「おぉ、本当に……。生きておるな。イラリア嬢よ」
陛下はそうおっしゃった。
お茶会の準備が整い、他の者たちが出ていくと、またしみじみとおっしゃった。
「いやはや、すごい。本当に蘇ったのだな。あの状況から……。まさに奇跡だ」
「は、はい。ふぃっ、オフィーリアお姉さまのおかげでございますすっ」
「ええ。この通り、彼女は健在です」
緊張しているイラリアも可愛いわ、と。テーブルの下、私は彼女の手首にそっと触れる。
べつに、こんな時までいちゃいちゃしないと気が済まない色欲魔になったわけではない。いつだって触れたいけれど、そうじゃない。
「一度は心臓を止められたとは言え、聖女殺しは完遂されなかったのです」
とくとくと脈打つ感覚が、今も愛おしい。それを感じたい。この言葉をいうためにも。この話をするためにも。
「――よって、罪人たちを生贄にする必要はございませんね。昨年から今までには、天災も起きておりませんゆえ」
「ほお。今日も鋭く、単刀直入に話を進めていくな。オフィーリア。あの日もそうだったか」
あの日というのは、バルトロメオたちの処遇について話し合った日のことだろう。
彼らを極刑に処すのに反対した時のこと、彼らを生かす道を拓いた時のこと。
「時には驚くほどに気が強いのは、リアーナとそっくりだ」
「うふふ。褒め言葉と受け取っておきますね」
「そんなしっかりした姿も素敵だが、まあ、急くでない。久しぶりのお茶の機会だ。ゆっくりと話そうではないか」
「かしこまりました。国王陛下」
お茶もお菓子も、バルトロメオと一緒だった時より何倍も美味しく感じられた。たまにイラリアにも「あーん」して食べさせてあげる。
「これも美味しいでしょ? イラリア」
「……美味しい、です。フィフィ姉さま」
「はっはっは、仲が良いのだな」
「はい、陛下。彼女は私の愛しいひとです」
「ちょっ、姉さま! ――いえ、私も愛おしく思っておりますが……。そんなに堂々とされると、照れてしまいます」
「ご覧の通り、とても可愛い子です」
私は隣のイラリアの緊張を解くように、手が空くとまたテーブルの下で彼女の太ももに優しく触れたり、ちょっとだけ手を繋いだりしながら会話を進めた。
この三度の人生で、どれほど国王陛下とお話ししてきたか。私も、かつては王子の婚約者だった貴族の娘だ。
もとより血族の姪であり、予定通りに王家に嫁げば、義理の娘にもなるはずだった。
こんな状況には慣れている。問題ない。私は、ちゃんと、彼女を支えられる。
――大丈夫。うまくできている。間違えていない。
「結局のところ、余は……もう身近の者を失いたくなかったのだな。そなたがあの方法を提示してくれなければ、他の者を身代わりに殺していたやもしれぬ」
「私も、父親や婚約者だった彼らを失いたくはなかったのです。陛下のお気持ちも、僭越ながら、察しているつもりでございました」
この国の〝人〟の頂点であり、なおかつ〝神〟の一柱でもある〝国王〟は、心ひとつで法を覆せる。
法に則ったふりをして、中身を別物にすり替えることだって許される。あの五柱の神にさえ、見放されなければ。天上の神々の機嫌を取れるなら。
父やバルトロメオを表向き死刑にして、本物のふたりは逃してしまう――そんなことだって、しようとすれば、できた。
でも、しなかった。させなかった。
「余は、正しかったのだろうか」
「此度の件は、あれが最善だったかと思われます」
国王陛下は目を細め、「本当にリアーナに似てきたな」とおっしゃった。
私はふわりと微笑んでみせる。可能な限り、母と似た姿になれるように。
「母のように強かな女性になりたいと思っておりましたので、そうおっしゃっていただけて嬉しいです」
「うむ。そなたの歳の頃のリアーナと言えば……ああ、あやつに嫁いだところだったろうか――」
陛下から母との思い出話を伺い、私の元婚約者の話、イラリアの話などもして。舞台が整ったところで――私は、今日の一番の目的について切り出した。
「実は、国王陛下にお願いがございまして」
先程までは感じていなかった緊張が背筋を走り、手汗が滲む。ごくりと唾を飲み込み、ゆっくりと呼吸する。
今度はイラリアが、テーブルの下で私の太ももに触れてきた。彼女の触れ方は、私のそれより手慣れている。ほっとするような温もりとやわらかさだった。
――ありがとう。イラリア。貴女のおかげで、真っ直ぐに、堂々と言えるわ。
「なんだね、可愛いオフィーリアよ」
「私と彼女の婚約式を見届けていただきたいのです」
「ほう」
太ももにあったイラリアの手は止まり、彼女の喉は「ひゅっ」と鳴った。私は彼女の左手に触れ、その薬指を撫でる――。
「――びっくりしました! 姉さまったら、先に教えてくだされば良かったのに」
「ごめんなさいね。どうなるか、わからなかったから。事前には言えなかったの」
お茶会の場を後にすると、イラリアはようやく自由に息ができるとでも言うように大きく呼吸して、可愛らしく小声でぷんぷんと怒った。
私は彼女を宥めつつ、侍女たちに次の指示をする。優秀な彼女らは、てきぱきと準備を進めてくれた。
これから私たちは、密かに婚約式を執り行う。
「神殿では、私たちの婚約は認めていただけなかったでしょう。私の〝愛〟の相手は貴女だと記録され、貴女の〝愛〟の相手は私だったと訂正もされたけれど。
貴女は私の〝義理の妹〟のイラリア・ミレイ・リスノワーリュとして、同じ家に籍をおいているだけだわ。これだけじゃ不安じゃない」
「それにしたって、こんなに急なことだとは思いませんでしたよ。びっくりしすぎて、また心臓が止まっちゃったらどうしてくれるんです?」
「そうね、もう一度、蘇生を試みるかしら。でも、目覚めて十数分後にはいちゃいちゃできた貴女ですもの。驚いたくらいじゃ心臓は止まらないでしょ?」
「うっ、たしかにそうですけど……! まるで色欲魔みたいな言い方っ」
「はい、じゃあ――またあとでね」
「あっ」
侍女やメイドを伴って、それぞれに衣装室へと分かれる。この日のための衣装は、とっくのとうに準備していた。
心臓の止まってしまったイラリアが、再び目覚めることを祈って。この季節が来る前から。
――王妃殿下。私、しっかりと……成し遂げましたよ。
王妃殿下との約束を思い返し、向こうの部屋で同じく着替えさせられているだろうイラリアの姿を想像する。
彼女なら何でも似合う。きっと今日も誰より可愛く美しい。
それに……あの衣装は、ただ華やかなだけではない。特別だ。
それを纏うことに意味がある。このドレスたち、そしてあの場所。
結婚の約束を交わす姿にかけた、願いがある。
――母さま。後ほど、ご挨拶に伺う予定です。私と大切なひととの婚約式を、どうか空の上から見守っていてください。
私たちの姿から、在りし日の貴女とあの人のことも、懐かしんでいただけましたら幸いです。……母さまにとっては、今も素敵な思い出でしょう?
今は遠くにいる、血の繋がった父、それから元婚約者。あのふたりにも、ほんのちょっぴりだけ想いを馳せて、私は衣装室を出た。
――父さま、私は幸せになります。殿下、彼女のことは幸せにします。
王宮庭園にある、屋根付きの休息所。白色のガゼボの中で彼女を待つ。私とイラリアが落ち合った後で、国王陛下と王妃殿下がいらっしゃる手筈だ。
「ふぃ――フィフィ姉さま。これ……」
愛しい彼女の声に、振り返る。
「まあ、イラリア。とても……似合っているわ」




