039. 苺味のチョコレート
この想いが恋だと、自分の心の中では認めることができた。けれど、彼女に直接告げることは、勇気が出ずに、まだできないままでいる。
当たり前のようにキスをしている仲なのに、「好き」というたった二文字を伝えることが、ものすごく難しい。
そうやって私がウジウジしている間に、イラリアは私にまた愛の告白をしてきた。
部屋で勉強していたところ、彼女がチョコレートを持って訪ねてきたのだ。
「今日、感謝祭なので……チョコレートです」
「ええ、ありがとう。私は用意してないのだけれど……貴女には、三月にお返しするわね」
二月の十四日、冬の感謝祭。この日にいただいた感謝をお返しする春の感謝祭は、三月の十四日にある。
もともとは普段お世話になっている人にチョコレートを贈る日であるが、近年の流行りになっているのは、想い人に愛を伝えるためにチョコレートを贈る日という考え方だ。彼女も当然そちらの考えで、私にチョコレートを贈ってきたのだろう。
私はイラリア以外の女子学生からもいくつか渡されそうになったが、すべて受け取りを断った。わざわざ用意してくれた女の子たちには申し訳ないけれども、イラリアを裏切るようなことはしたくない。
私は彼女を想っていて、彼女も私を想ってくれているのだから、他の女の子からの好意をみだりに受け取ってはいけないと思った。
「姉さま、いま食べます?」
「あら、貴女が食べさせてくれるの?」
「え。ええ、そうですよ」
「じゃあ、食べるわ」
私は隣に座っている彼女の方を向く。
イラリアは花柄のラッピングをした可愛らしい箱に入った、ピンク色のハート型のチョコレートを一個つまんで、私の口元へ差し出した。
「はい、姉さま。あーん」
「ん」
彼女の指から、チョコレートをいただく。甘いチョコレートの中に、とろりとした甘酸っぱい苺味のソースが入っているものだった。
「うん、美味しいわ」
「ほんと? 姉さまが苺好きだから、苺味にしたんです」
「手作り?」
「はい! そうです。あ、指はチョコレートを刻むときにちょっと切っちゃっただけで、決して血を混入させたりなんかしてませんからね!」
「わかってるわ、そのくらい。そういうことはしない子だと信じているもの。怪我、見せて」
「え? はい」
彼女が先程チョコレートをつまんだ方と逆の手の人差し指に、赤い切り傷が残っていた。私のためにチョコレートを作って、可愛いイラリアが怪我をしてしまうなんて。
「痛いの痛いの、飛んでけ」
「ぴゃっ」
傷口そのものには直接触れないように、私は彼女の傷の周りに口づける。イラリアは驚いたような声を上げた。
「ふふふっ。貴女が前に教えてくれた、おまじない」
「もう、びっくりするじゃないですか。……あれ? 治ってる」
「あら、もう治ったの? さすが聖女様は、治癒力がすごいのね」
「え、私が治したんですかね? 無意識に??」
「そうじゃない? ねえ、イラリア。もう一個食べさせてちょうだい?」
「わ、かりました。……姉さま、今日なんかデレデレですね」
「そんなことないわ」
私はイラリアから、もうひとつチョコレートを食べさせてもらう。とても美味しい。彼女に寄りかかって私がしばし甘えた後、彼女は部屋を出ていった。
私は四年生だからもう授業は任意参加だけれど、昼休みの間に私の部屋を訪ねてきた彼女は、午後にも受けなければならない授業があったのだ。
彼女を見送ったあと、私はひとりで勉強に集中した。入学試験まで、あと二週間もない。今は最後に追い込む大事な時期だ。
イラリアがくれたチョコレートのおかげで私は気分が良くなって、元気に勉強できるようになった気がした。
まあ、そういう気がした、だけだったのだけれど。
異変が起きたのは、夕方頃のことだった。
妙に体がだるいことに気づいて、勉強のしすぎで疲れているのかと思った。
体調を崩しては、うまく進まずに効率が悪くなる。こういうときには、おとなしく休息をとるべきだろう。
そう考えて、私はノートや参考書を閉じて、ベッドに横になった。
しかし横になって休んでいても、だるさが和らぐ気配が一向にない。むしろだんだんと体が火照ってきて、息も苦しくなってきた。
明らかに、何かがおかしい。
――毒でも盛られた?
幼い頃の体調不良は、父から飲まされていた、悪い薬のせいだった。だから私はまず毒薬を疑ったのだが、考えてみても、どこかに毒薬が入っていたとは思えない。
今日食べたのは、学食で買ったパンと、イラリアからもらったチョコレートだけだ。
誰が買うかわからないパンに毒を入れることなど考えにくいし、イラリアが私を殺そうとするはずがない。
――本当に、そう?
過去にイラリアを殺しておいて、自分はイラリアに殺されるはずがないと思っている。あまりにもお花畑な考えに、私は己を笑った。
何にせよ、今の一番の問題は、こうなっている原因ではない。この状況を、どうするかだ。
ひとりでベッドの上に寝ていても、どうにもならない。医師に診てもらうには、外に出て誰かの助けを借りる必要がある。
私はだるい体をどうにか起こして、ベッドからおりた。
「――っ!?」
床に足をつけた途端、痺れるような痛みに襲われる。余韻を持つ鈍い痛みに、一歩進むたびに声を上げてしまいそうだった。
どうにか扉を開けて、転がるように廊下に飛び出す。
膝や手のひらが床についても妙な痛みが走ったから、問題は足にあるのではなさそうだ。何かに触れると、痛くなる。
「フロイド様っ!? どうなさったのです!?」
もう放課後だからか、また私にチョコレートを渡しに来たらしい女子学生が、部屋の近くにいた。
倒れた私に、彼女らは駆け寄る。好意を利用するようで申し訳ないが、今は彼女たちに助けてほしかった。
「熱が……熱が、あってっ、体が、痛い」
「大変! どうしましょう! ――そうね。貴女は、寮母さんに知らせてきて。貴女は校医の先生に。――フロイド様、しっかりしてください!」
心配そうに触れる、私の具合を確認するためだろう接触にさえ、私は痛みを感じた。こんなに痛い思いをするのは、久しぶりだ。
担架で医務室に運ばれて、とりあえずの処置ということで解熱剤と痛み止めを飲まされたけれど、症状は変わらなかった。
少しの刺激でも痛いので、私はベッドの上でできる限り動かないようにする。
「フィフィ姉さまっ! 大丈夫ですか?!」
「ら、りあ」
イラリアが、私のベッドのそばにやってくる。急いで走ってきたのか、額や頬に、玉のような汗を掻いていた。
二度目に私が病に倒れて死んだ時と、似たような感じがする。もしかしたら、また死ぬのかもしれない。そう思うと涙がこぼれてきた。目の前がぼやぼやと霞んでしまう。
「いらりあ……っ、たすけて……」
「はい、もちろん助けますよ。姉さまのこれは、私じゃないと治せないので……聖女の力が、必要なので。――治療に集中したいので、フィフィ姉さまを、寮の部屋に運んでくれますか?」
イラリアの言葉によって、私は今度は自分の部屋へと運ばれた。ベッドに横たえられ、部屋には私とイラリアとのふたりきりになる。
イラリアが、カチャリと扉の鍵をかけた。
「フィフィ姉さま」
「いらりあ、たすけて。いたい」
「ごめんなさい、フィフィ姉さま。あの、私のせいで、こんなことに」
イラリアが「私のせいで」と言った。また、私が死んだ時と同じだ。私はまた悪い想像をして、さらに悲しくなる。
「わたし、また、しぬの? やだ、いらりあっ。しにたくないぃ……」
「死なせませんけど、死なせませんけど……! その、問題がいろいろとあるんです! あの、姉さま。……ちょっとだけ、我慢してね」
「ふっ……んっん」
わんわんと泣く私に、イラリアがキスをする。また痛くなるかと思ったが、彼女からのキスは痛くなかった。
触れたところから、本能を喜ばせるような、甘い痺れが走っていく。
「姉さま。今の、痛かった?」
「いたく、ない……」
「わかった。それなら……――また、キスするから。触るから。痛かったら、言って」
「うん……」
彼女が私にキスをして、いろんなところに触れてくる。あふれる涙を彼女が啜り、目尻に舌先が触れる。くすぐったい。
頭がふわふわするような、甘くて気分の良い触れ合いだった。彼女に触れられていると、少しずつ熱が落ち着いてきている気がする。これも、彼女の聖女の力だろうか。
彼女にされるがままになる。身を委ねる。触れられる。心地良さと一緒に、苦しいくらいに高かった熱が引いていく。それと同時に、思考や視界も明瞭になっていった。
足に、彼女の手が触れる。
「足なんか、さわっちゃ、だめでしょ」
「夫婦になるときは、互いの足に触れたりもするんですよ。相手を永遠に想い、尽くす。っていう意味で。まあ、この世界の閨特有のお話ですね」
「わたしは、そんなの、知らない……」
足首からふくらはぎ、そして太腿へと、彼女の手が滑る。触れ合いが進むにつれて、だんだん彼女のことがよく見えるようになった。
私は、ふと、大変なことに気がつく。思わず大声を上げてしまった。
「い、イラリア!!」
「ん? フィフィ姉さま。どうしたの?」
「なんでっ、あの、いつの間に……服を、脱いだの?」
頭がぼんやりしていた間は気づかなかったが、私に覆い被さる彼女は、服を纏っていなかった。
やはりスタイルが良いななんて思いつつも、彼女の体をまじまじと見るのは変態行為な気がして、私は彼女の瞳に焦点を合わせる。
「あー……あの、ごめんなさい姉さま。そのぅ……私が、やらかしました」
「何の話?」
「ゲームでは好感度に応じてどうなるか決まるやつだったんですけど、まさか私がこんなやらかし方するなんて! えっとですねー……ゲームのシナリオ的に解釈すると、姉さま、私といちゃいちゃしないと死にます」
「はぁ!?」
いちゃいちゃしないと死ぬとは、いったい何の病気なんだ。
私は数秒間考えてみて、自分も服を纏っていないことに気づいて驚いた後、はっと思いつく。
まさか、彼女はアレを私に盛ったと言うのか。
イラリアは、ものすごく申し訳なさそうに呟いた。
「……苺シロップと間違えて、チョコレートに惚れ薬、入れちゃってたの。しかも原液で、さらに加熱して濃縮したやつ。なんか味が違うなと思って別の苺パウダー足したんですけど、そもそも苺シロップじゃなかったっていう。あははっ! ……笑い事じゃないですよね。すみません。ゲームでは、家のメイドが間違えるかどうかって話だったんですけど、今回は完全に私のミスですね。本当にすみません」
惚れ薬とは、文字通り、人の心を操って惚れさせる魔法薬である。
体液とともに服用させると、服用者は体液の持ち主に、一時的だが熱烈な恋をするという効果がある。林檎、蜂蜜、葡萄酒を中心に、いろいろな薬草を加えて作られるものだ。
魔法薬は、製造過程で空気中の魔素を取り込む化学反応が多くあり、そのために魔法を発現できるほどの魔力を持っている。
だから私たちは、これを魔法薬と呼ぶのだ。
魔法薬は作るのが大変で、取り扱いに気をつけなければ危険なものだ。多くの魔素を含むため、過剰摂取すると、急性魔素中毒になることもある。
さらに惚れ薬は、性的な欲を増長させる特性も持つ。
そのために、摂取しすぎると高熱が出て、わずかな刺激でも痛みを感じるほどに肌が敏感になり、脳が正常な判断をできなくなるのだ。
私の症状は、完全に惚れ薬中毒だった。
「貴女、馬鹿なのね? 馬鹿なのね?? 下手したら本当に死ぬやつじゃない! なんてことしてくれてるのよ!?」
「姉さまに何あげるか考えるのに時間かかって、徹夜で作ったから寝不足だったんです!! ゲームのシナリオの時期は終わってるはずだけど、感謝祭イベントでは、私が愛する人と、ち、契らないと、オフィーリアが死ぬんですよ。うわあぁ!」
「またゲームのオフィーリアのこと言ったぁ! 酷い!」
「これは仕方ないじゃないですか! ていうか姉さま、濃縮惚れ薬入りチョコレート食べたのに全然私に惚れてくれる気配ありませんね!? なんなんですか!!」
「知らないわよ! その惚れ薬が欠陥品だったんじゃない?」
「違うもん! ジェームズ先生に作ってもらったやつだからちゃんとしたやつだもん!」
「なんなのその信頼は! ムカつくわね!!」
「とにかく、姉さま。いちゃいちゃしないと死ぬかもしれないので、いちゃいちゃしましょう。まだ平熱より高い!」
「ちょっ、イラリア! 待ってやだやめて、イラリア!! ――……」
そうして私たちは姉妹喧嘩をするようにギャンギャンと騒ぎながら、あまりロマンティックでない触れ合いをした。
惚れ薬の過剰摂取による効果を消すための然るべき対応だと言えば聞こえは良いが、つまりは濃厚で密接な、愛を睦むと表現したりする、いちゃいちゃである。
「うっ……うっ……」
「ごめんなさい、姉さま。そんなに泣かないで?」
「これは、泣くわよ! うぅ……本当に、やだ。もうお嫁に行けない!」
「私がもらうので大丈夫ですって」
「そういうことじゃないぃ……」
「姉さま。私のこと、好き?」
艶めいた接触を終えて、私は泣きながらイラリアにしがみついていた。あまりにも恥ずかしくて、彼女の顔を見られる気がしなかった。
だから今の私の目は、ただひたすらにベッドの向こうの壁を眺めている。視界の端には残念ながら、イラリアのローズゴールドの髪や、なめらかで美しい背中なんかも入ってしまっているのだけれど。
私は彼女のことを、さらにきつく抱きしめた。
「絶対っ、言わない。……こんな、惚れ薬にっ、愛の言葉を吐かされるほど……私は、お安い女じゃないわ」
「うん。姉さまらしい答えですね。良かった」
好きだと言ったわけでもないのに、イラリアは嬉しそうにクスクスと笑った。やっぱり彼女のこういうところは、よくわからない。
「姉さま。惚れ薬、惚れる効果はあんまり出てなさそうでしたけど……私と、いちゃいちゃするの、嫌だった?」
「嫌、じゃない」
「じゃあ、嬉しい?」
「……どちらかと言うと、そうね」
イラリアが身じろぎをするのを感じて、私は抱きしめる力を少し緩める。彼女が私にキスできるように、顔を動かした。
「惚れなかったみたいなの、なんででしょうね? 姉さまの血中魔素濃度が元から高かったとか?」
「たぶん、そうなんじゃない?」
私は目を瞑って、イラリアからのキスを受け入れる。今夜だけで、もう何十回、唇を重ねたかわからない。
――惚れ薬なんて、なくても……とっくに、貴女に惚れてるわ。
そう、言えたら良かっただろうか。変な矜持なんか捨ててしまって、素直に言っていれば良かっただろうか。
こんなふうに、彼女に伝えることが、できたときに。
もっと早く、好きだと言っていれば、良かっただろうか。




