034. 血の記憶
バルトロメオが私に暴行をはたらいてきた次の日、私は国王陛下に呼び出された。久しぶりの登城である。
昨日あの後、バルトロメオは発狂していたところを校医と何人かの先生とに捕まえられて、王城へと連れていかれていた。
「よく来たな。オフィーリア」
「お久しぶりでございます。国王陛下」
陛下が私を「オフィーリア」とお呼びになった。私がオフィーリアであると、陛下にまで知られてしまったのだ。
ただのフロイド・グラジオラスとして生きられる日々は、もう終わりだということだった。
私を殺そうとした敵がバルトロメオだったことがわかったので、オフィーリアであることを隠し続ける必要性も薄れているけれど、終わりというのは、やはりどこか悲しいものがある。
「ロメオが悪いことをした。あやつはしばらく謹慎させる。ところで、そなたはこれまでどうしていた?」
「隣国のグラジオラス辺境伯領に倒れていたところを領主に拾われ、グラジオラス家の養子として生きてまいりました。ベガリュタル国では殺されそうになったため、体を鍛えて強くなってから、またこちらに戻ってまいりました。
しかし、まだまだ鍛錬が足りないと昨日実感いたしましたので、さらに鍛えていくつもりです」
「ふむ。余の知っているそなたとは随分変わったが……元気にしているなら良かった。ひとつ、頼みを聞いてくれるか?」
「私にできることでしたら、なんなりと」
「オフィーリアという名は、リアーナが大事にしていた、そなたの名前だ。フロイドの名を捨てろとまでは言わぬ。が、オフィーリアという名前も捨てないでくれないか。願わくは、第一の名はオフィーリアでいてほしい」
「でしたら……これからはオフィーリア・フロイド・グラジオラスと名乗れるよう、手続きを進めます」
「ありがとう。余の可愛いオフィーリアよ」
「はい。国王陛下」
かくして私の名前の頭にはオフィーリアが戻り、私はオフィーリア・フロイド・グラジオラスという名の人間になった。
私があのオフィーリア・ハイエレクタムだったことを知って、マッダレーナさんは驚いていた。
私がイラリアの義姉のオフィーリアであることは、学院のみんなに知られた。今まで私を男だと思い込んでいた学生は、私が女子であったことも知ることになった。
フロイド・グラジオラスは、数年前に行方不明になった公爵令嬢、オフィーリアだった。それをみんなに知られた。
けれど私は、今も変わらず男子向けの制服を着て、親しい人の前以外では一人称が「僕」のままの喋り方をしている。女として見られて、またレグルシウス国の学生時代のように、交際を申し込まれるのが嫌だったからだ。
先生方から咎められることも、いまのところはない。これでも大丈夫なのだろう。
ハイエレクタム家に戻るよりもグラジオラス家の養子でいる方が良かったから、籍はそのままにしてある。父と継母との面会は拒否した。会っても互いに良いことなどないだろうから、これで良い。
バルトロメオがいない学院生活は平和だった。私は大学院に進学するために勉強に励み、イラリアはそんな私をよく応援してくれた。
彼女は相変わらずの成績トップで、花屋での仕事とホムンクルス研究に励んでいた。
「姉さま。調子はどうですか?」
「悪くはないわ」
「髪、伸びましたね」
「ええ、そうね」
「勉強するのに邪魔でしょう? 結びましょうか?」
「じゃあ、お願い」
合鍵で部屋に入ってきたイラリアに、私は書物とにらめっこをしながら返答する。
肩につくくらいの長さまで伸びた髪は、たしかに彼女の言う通り、勉強するのにやや邪魔だった。私の髪を彼女が手櫛で梳いて、キュッとひとつに結い上げる。
「ふふふっ、可愛い」
「何で結ったの?」
「赤いリボンです」
「私には似合わないんじゃない?」
「そんなことないです。姉さまは、とっっても可愛いですよ」
「そんな――んっ」
うなじに温かさとやわらかさを感じ、思わず声を上げる。どうやら彼女にキスされたようだ。今日も彼女は、キス魔ないたずらっ子である。
「もう。本当に貴女って子は」
「えへへへ」
「髪と言えば、貴女。私が送った髪は受け取った?」
「ええ、もちろん受け取りました! ショールに編み込んで、私の部屋に置いてありますよ!」
「そういえば私、貴女の部屋に行ったことがないわね。明日行ってもいい?」
「……えっ、と。明日、ですか?」
イラリアらしくない、歯切れ悪い返事が聞こえた。私中心に生きているイラリアにしては珍しく、何か先約でもあったのだろうか。
「勉強する環境を変えると、気分転換になると言うじゃない? いつも私の部屋で会ってばかりだし、たまにはどうかと思ったのだけれど……駄目?」
「駄目じゃない、ですけど。えと、あの。あのですね。……部屋、散らかってるので、片付けてきますね!!」
「え? ええ。わかったわ」
イラリアは、なぜか慌てた様子で私の部屋を出ていった。今すぐに片付けはじめないといけないほど、ものすごく散らかっているのだろうか。
よくわからないが、そういうことにしておこう。私は彼女がいなくなった部屋で、ひとり勉強に集中した。
翌日、私はイラリアの部屋を訪ねた。
昨日彼女がお風呂に入りに来た時に約束した時間通りに、彼女を扉の前で待ち伏せる。
まだ片付いていないからと、なかなか入れてくれないので、単語帳を眺めることにした。単語を三十四個確認したところで、ようやくガチャリと扉が開く。
「ふぃ、フィフィ姉さま。お待たせしました、こんにちは。どうぞ、お入りください」
「ええ、お邪魔するわね」
彼女の部屋は、私のものと比べると狭く、家具も古めかしかったが、散らかってはいなかった。
なんとなく、空気からイラリアっぽい感じがする。逆に私の部屋の空気も、彼女にとっては「フィフィ姉さま」っぽかったりするのだろうか。
「貴女の部屋も悪くはないわね」
「いやでも姉さまの部屋の方がいい部屋でしょ? こちらに来るのは今日限りで良いですよー」
「ショールに編み込んだって言ってたわね。見せて?」
「あっ、はーい」
イラリアが、カーテンをかけた棚の中を探りにいく。
十年間伸ばしていた髪の毛を贈るという、下手をすれば変態だと思われかねない行為をした私だが、彼女はあの髪を受け取った時、どんな気持ちだったのだろう。
驚いただろうか。引かれただろうか。
彼女がショールを持って私のもとにやってくる。
「これですよ」
「糸は灰色なのね」
「はい、姉さまの瞳の色です」
私は彼女に手をとられ、ふたりでベッドの上へと座る。灰色の糸で編まれたショールの中には、たしかに私の髪らしい朽葉色も含まれていた。
「届いたとき、驚いた?」
「そうですね、驚きました。でも嬉しかったですよ。……私の指の、お返しなんでしょう?」
「ええ、そうよ。特に他意はないけれど」
「うふふっ、ありがとう。姉さま。寮母さんは老眼でよく見えないからか、糸だと思ってくれてました。『編み物でもするのかい?』と聞かれて、こうやって使うことを思いついたんです。ちゃんと私が編みましたよ」
「貴女は編み物もできるのね。本当に多才だわ」
「姉さまがいなくて、寂しかったから」
イラリアが、ショールを私の肩に掛ける。彼女に腰を抱かれて、流されるままにベッドへと倒れ込んだ。
ふたりで重なり合って、一枚のショールに包まる。
「姉さまが帰ってくるまで、部屋ではいつもこのショールを羽織ってました。今も寝るときは、こんなふうに包まって寝てます。姉さまと一緒にいるみたいな気分になれるんです」
「そんなに、私と一緒にいたい?」
「はい。姉さまのいない世界なんて、生きてる意味がないですもん」
「だから……貴女は、自殺したの?」
「えっ?」
彼女の表情が強張る。私は彼女のことをきつく抱きしめた。私の可愛いイラリア。
私が死んだ後も、彼女には幸せに生きていてほしかったのに、彼女は自ら命を絶ったという。にこにことよく笑う、明るい子だったのに。
バルトロメオから聞いた後も、なんとなく聞けずにいた。聞くタイミングが掴めなかった。
私の隣で幸せそうに笑う彼女に、自殺なんかの話をすることができなかった。
「なんで? イラリア。貴女が死ぬことなかったじゃない」
「誰から……誰から、聞いたんです?」
「バルトロメオ殿下よ。貴女が自殺した後、彼も自殺したそうね」
「それは、初耳ですけど。あの男、前の人生のこと――ああ、私の血の記憶ですか」
彼女が冷たい色の声を出す。こんな声、イラリアらしくない。
私は彼女の頬を包んで、頬に軽くキスをした。彼女の表情が少し和らぐ。
「血の記憶って、結局どういうものなの?」
「うーんと……どう説明すればいいんでしょう。フィフィ姉さま、魔素はわかりますか?」
「さすがにわかるわよ。馬鹿にしないで」
「すみません」
魔素というのは、酸素や水素、窒素などと並んで、この世界を構成する元素のひとつである。魔素は空気中や人間の血液中はもちろん、この世界に存在するあらゆるものに含まれている。
かつて存在した魔法使いは、血液中の魔素濃度が著しく高い人間だったらしい。彼らは膨大な魔素を、自分の意思で、エネルギーとして使える魔力に自由自在に変換することができた。
その魔力を使って発現されたのが、魔法だ。
大昔には人類全員魔法使いだった頃もあると言われるが、真実かどうかはわからない。
私たちが学ぶ歴史では、魔法を使えない人間たちが、生まれつき大きな力を持つ魔法使いたちを恐れ、科学の力で開発した兵器で彼らを大量虐殺したのだとされている。
そうして魔法使いは減って、普通の人間の割合が増えた。
あらゆる魔法を使いこなす、魔法使いと呼ばれた人々は滅亡し、今では〝聖女〟や〝勇者〟だけが特定の魔法を使うことができる。
今の世では崇められる特別な存在である彼らも、時代が違えば迫害されるものだった。
彼らが国をあげて大事にされるのは、国が利用するため。有事には力を貸すことを義務とされるが、何か誤った方向に力を使えば反乱分子として殺される。
聖女や勇者というのは、そういうものだ。
イラリアだって、そうなのだ。
彼女は人々から聖女様などと呼ばれて崇められているが、何かあれば国に利用されなければならない存在。戦争なんかが起こったら、有能な戦士を生かし続けるためにと戦場に連れて行かれるかもしれない。
彼女が好き勝手に私に癒やしの魔法を使うことができるのは、今が平和な世の中であるからこそだ。
「血の記憶っていうのは、ホムンクルス研究のときに血液について調べてたらわかったことなんですけどね。親の体内の魔素化合物や血中魔素が子の形成に関わってくるのはもちろんなんですけど、特に魔素濃度が高い血液は、人の記憶にも影響するみたいなんです。
反応の種類はいろいろあって、この場合は――私の血に大量に触れた人間は、記憶を持ったまま巻き戻ることができる。ってことだったんじゃないかと思うんです。
巻き戻りは、おそらくゲームのエンディング後に行われて、二回目は私が自殺したことで不具合が生じて空白期間ができたりしたんですかね。死んでからもしばらく巻き戻れませんでした。
まあ、とにかく。ゲームのプレイヤーは別ルートを始めても前のプレイの記憶があるのと似たようなものです!」
「えーっと、ゲーム云々からはよくわからなかったのだけれど……貴女が聖女だから、記憶を残せる力のある血液が流れてて、その血に触れた人も記憶が残った。ってこと?」
「だいたいそんな感じです。一回目の姉さまは、私を殺した時の返り血を浴びて、二回目の姉さまは、私が指切りをして血をかけたでしょう。あの男は、私が自殺した時に血をかけちゃったんですね。ついうっかりしてて!」
「……そう」
「フィフィ姉さま。なんで、そんなに悲しそうな顔してるんですか?」
今度は彼女が私の頬を包んで、唇にキスをする。私の瞳からこぼれた涙を、彼女が拭ってくれた。




