033. イラリアの死因
流星祭の後、私はグラジオラス家に一度帰省した。みんなは私のことを温かく迎えてくれた。
レオンはまた背が伸びて、お土産に買っていったお菓子をぺろりとたいらげた。私は学院での日々のことを話し、彼らからはグラジオラス辺境伯領やレグルシウス国での近況を聞いた。
奥様やアンナと一緒に相談しながら私の新しい服を作ってもらって、旦那様やレオン、家の騎士たちとは狩りに出かけた。
そうして楽しい時間を過ごした私は、八月の最終週に再びベガリュタル国へと戻った。
九月になって、新学期が始まる。
授業に部活にと励みたいところだが、そればかりをしているわけにもいかない。私は学院の最終学年である四年生。卒業後にどうするかを考えなければならないのだ。
結婚して家庭に入る――ことは絶対にないとして、就職するのか、二年制の大学院でさらに学びを深めるのか。そして、この国に残るのか、レグルシウス国に戻るのか。
グラジオラス家の人たちは「フロイドの好きにすればいい」と言ってくれたが、育ててもらった恩があるので、できるだけ彼らの期待に応えたいとも思う。
「ねえ、ドラコ。どうすればいいと思う?」
「ままー。いえー! る!」
「専業主婦になって貴方の子育てに専念しろって? でも私、生涯独身の予定なのよ。お金を稼がないと」
「お前、ドラコに相談するのはさすがに迷走しすぎだろ」
今日はイラリアが花屋で働く日なので、薬学研究部にいるのは私とジェームズ先生とドラコの三人だけ。私たちは薬草畑の草むしりをしていた。
始めはジェームズ先生の前でもイケメン騎士様姿を続けていた私も、今では普通の私の喋り方に戻している。私がオフィーリアだと知ってしまっている先生の前でなら、フロイドらしく振る舞う必要はないと思ったからだ。
春に帰国したばかりの頃は張り詰めていた心も、新生活がうまくいっていることから、だんだんと緩んできているようで。
ドラコはイラリアが薬学研究部での活動中に生み出したマンドラゴラなので、今は顧問であるジェームズ先生が世話をしてくれている。けれどイラリアのせいでドラコは私をママだと思っているので、そのうち私が引き取ることになる予定だ。
自分の血をひく子どもは生めない私だが、こうして息子のような存在を得られたのは嬉しいことである。
私は草を抜きながら、ジェームズ先生にぼやいてみた。
「前までは、レグルシウスかベガリュタルの近衛騎士になりたかったんですけど。それだとドラコのそばにいられないじゃないですか。この子を連れてグラジオラス家に戻るのもありでしょうけど、そしたらイラリアと離れることになるし……。
それに家の手伝いをするのに残るっていうのも、なんかなぁって。ちゃんと働きたいんです。もうどうしましょう」
「進学って選択肢はないのか?」
「ありますよー。今からじゃ、学院では教職も取れませんからね。大学院に行って資格を取るのも良いかと思ってます。紫紺騎士になれたので、武術もどこかで活かせるようにしたいんですけどね。何がいいんでしょう。
でも、そもそも何をするにしても、私って今、この国に領地を持ってないじゃないですか。家や土地を買ったり借りたりするお金を考えると、レグルシウス国に戻った方が良いんですかね……」
「あー……ハイエレクタム家の方は、どうなんだ? もう戻る気はないのか?」
「もう死んだと思われてますし、今のフロイド・グラジオラスの方が平和に生きられるんですよね。とりあえず進学っていうのは逃げでしょうか」
「まあ、進学するのも悪くはねえだろう。俺も大学院まで行ったし……ドラコのことは、まだ俺が面倒見てやっても良いしよ。さすがにふたりとも学院を去る時にゃ、引き取ってもらうとは思うが」
「やっぱり、進学の方向ですかねぇ。勉強しないと」
進路相談の時間を終わりにして、私は草むしりに集中しはじめる。また悩むことはあるだろうが、今日は考えるのはここまでにしておこう。
薔薇の花壇にはペンペン草が生い茂っている。それはそのままに、他の雑草だけを抜いていく。
ホムンクルス研究に使う人面花の花壇は、下手に手を出すのは怖いので放置だ。人面花はその名の通り、小さな赤ちゃんの顔らしきものが真ん中にある、奇妙な花である。あまり触りたくない。
普通の薬草畑の雑草の処理には、もう慣れたものだ。ときどき手に蛞蝓や芋虫をくっつけつつ、私は手際よく雑草を抜いていった。
先生は、ふと、思い出したかのように口を開く。
「ああ、そういや、妹のことだが」
「イラリアがどうかしたんです?」
「いや、そっちじゃなくて……俺の妹のこと。今も元気だよ」
「!」
私は手を止め、先生のことをじっと見る。彼の妹君の安否。知りたかったけれど、そういえば聞けずにいたことだった。――『今も元気だよ』ってことは……。
「あー……なんというか、イラリアの方から、いろいろ聞いていて。俺ぁ、あいつが思っていたより早く、第三魔毒血症の治療法を確立させたらしい。第二妃様のことも、なんだかんだ言って、早めに治せて」
「そうなんですか! すごいですね。さすがです」
「おう。ぜひとも王立研究所にい続けてくれって請われて、教師になるのにちょいと苦労したもんだ。……実はさ、十年前、あの研究を手助けしてくれた女の子がいて」
ドキリ。心臓が大きく跳ね上がる。
「冬の木の葉みたいな色の髪をした、お嬢様で。珍しい薔薇色の瞳をしていたな。〝ナズナ〟姫だとか言っていた。それ以外には何も知らん。ただ、もう一度どこかで会えたら、こう伝えたいと思っている」
ジェームズ先生は、やわらかく微笑んで、私を真っ直ぐに見て告げた。
「――妹と仲良く生きられる世界を作ってくれて、ありがとう」
九月の半ば頃のある日。
私はまたもやバルトロメオに呼び出された。彼はひどく機嫌が悪かった。
「フロイド・グラジオラス」
「はい、何でしょう。王太子殿下」
「貴様、イラリアとキスしたな。邪魔をするなと言ったのに」
「僕が邪魔をしたのではありません。彼女の想いの結果が、あれなんですよ。イラリアさんは、殿下を愛してはいないのです」
「そんなはずはない。彼女は俺を愛しているはずだ。絶対に」
「いいえ。彼女が愛しているのは僕です」
「ぽっと出の辺境息子が、この俺に勝てると思うな!!」
こちらに突撃しようとしたバルトロメオを、私は躱す。猪じゃあるまいし、もっと理性的に動いてもらいたいものだ。こんなふうに声を荒らげるのは、王太子として相応しい振る舞いだとは言えない。彼はどうしてこんなにも駄目な男になってしまったのだろう。
「貴様も死ねばいいんだ!」
「っ!」
バルトロメオは、私の首に掴みかかってきた。私は彼の手首を掴んで、その手を引き剥がす。しかし彼はまたすぐに私の首を掴もうとした。私を殺そうとしているようだ。
剣でも抜けば良いかもしれないが、この国の王太子である彼を傷つけることは、できることなら避けたい。ひとまずは自分の命を守ることに徹する。
「髪と瞳か。あいつと同じ色だものな! だからイラリアは貴様に惚れたというのか!?」
「何をおっしゃっているのか、わかりません」
「オフィーリア・ハイエレクタム! あいつのせいでイラリアは死んだ! だから今度も俺が殺したのに……なぜ貴様が邪魔をするんだ!!」
「はぁ?」
狂ったようなバルトロメオの言葉に、私は首を傾げる。
――オフィーリア・ハイエレクタムのせいで、イラリアが死んだ? でも、それは……一回目の人生の時の話ではないの? まさか、彼も覚えていたというの? それに……「今度も俺が殺した」って?
「オフィーリアという女が、イラリアさんを殺したんですか?」
「そうだ! 貴様とよく似たあの女が――……いや、もしや!」
「ぐっ……」
バルトロメオは何かに気づいたような顔をして、一瞬私から離れた。その直後、股の間に鈍く重い痛みが走る。男が蹴られるととてつもなく痛いとは聞くが、女だって蹴られたらそれ相応に痛い。避けられなかったことが、とても悔しい。
思わずうずくまった私を、バルトロメオは押し倒す。上に乗られ、両の手の上に足を置かれた。左手の指がポキリと嫌な音を立てる。まずい、折れたかもしれない。
「な、にを。なさるのですか」
「弱くはないが細身だし、考えてみれば怪しかったよな。あの女と似た色だとは思っていたが……」
「!?」
バルトロメオの手が、私の制服のボタンへと伸びる。上着もシャツもボタンを外され、前を開けられた。胸元でも見られるのかと思ったが、どうやらそうではない。そもそも私は、胸の大きさで女だと確信できるほどの大きさじゃない。
彼の視線は、私の腹部の左側へと向かっていた。彼は乾いた笑い声を上げる。
「はははっ……お前、やはりオフィーリアだな。脇腹を刺したと報告を受けた時、それで本当に殺せたのかとやや不安だったが……あの男、俺を裏切っていたのか。あはははっ。面白い。……生きていたのだな。オフィーリア」
完全に、バレた。私がオフィーリアであること、私が生きていたこと。
私は、十年前のあの日のことを思い出す。
王城帰りの馬車に乗っていたら、突然馬車から引きずりおろされて、騎士に脇腹を剣で貫かれ、森に放置された時のことを。
彼が確認していたのは、その時の傷痕だったようだ。
「まさか……十年前、私を殺すように騎士に命じたのは、殿下なのですか」
「ああ、そうだ。俺は、お前のことが憎くて仕方なかった」
「なぜ、そこまで私をお恨みに。私がイラリアを殺したことを、殿下も覚えているのですか」
「そうだ。お前のせいでイラリアは死んだ。お前が死んだ後、イラリアはおかしくなって……俺の目の前で、首を切って自殺した」
「えっ……?」
てっきり彼が一度目の人生の時のことを言っているのだとばかり思っていた私は、彼の言葉をしばらく理解できなかった。
彼の言葉を反芻して、ようやく部分的に理解する。
どうやら彼が覚えているのは二度目の人生の時のことで、その人生でのイラリアは、私が死んだ後に自殺したらしい。私のせいで自殺したから、彼は私が殺したのだと言っているのだ。
バルトロメオは興奮したような口調で、薄気味悪く語った。
「ああ、お前もか。そうか。イラリアの死を、いつも誰も信じない。俺の目の前で確かに彼女は死んだのに、次の日に彼女は俺のそばにいたからな!
でもそれは、俺の愛するイラリアではなかった。イラリアの皮を被った別人だった。お前が死んだ日になくなったはずの指が戻っていたのが、何よりもおかしいっ! あいつは化け物だ! ……しばらくは、彼女とよく似たあの化け物と一緒にいた。でも、やっぱりイラリアじゃないんだっ。
結婚初夜に、絶対に違うのだと確信した。俺の愛するイラリアは、もういないのだと知った。だから俺も自殺したんだ! お前は、イラリアも俺も殺した!! この人殺し! お前も死ね!
――暗闇の中に意識だけが残り、長い間お前への恨みを募らせ……気づけばお前と婚約した日の俺になっていた。お前と再会して、俺がどれだけ嬉しかったか知らないだろう。お前をいたぶって殺すことを、俺は楽しみにしていたんだっ!」
「ならば、なぜ十年前に私を殺そうとしたのですか」
「お前が、ハイエレクタム公爵家を貶そうとしていたからだ。城の女たちとコソコソやっていただろう。公爵家が没落すれば、イラリアが傷つく。
だからお前が余計なことをする前に、慌ててお前を殺そうとしたんだ。愛するイラリアを守るためにな! だが結局、降爵された! どうせお前のせいだろう?! イラリアを不幸にするのはいつもお前だ。お前さえっ、いなければ……!」
「っ……」
バルトロメオが私の手に、遠慮なく体重をかけて立ち上がる。指の骨がさらに何本か折れた気がする。騎士は手が命のようなものなのに、まったく情けない。
やはり、私は弱いままだったのだろうか。紫紺騎士になったとしても、彼には一生勝てないのだろうか。
体を起こし、私も立ち上がる。手は痛くて使い物にならなさそうだった。
「どうやって殺してやろう。オフィーリア。肉を少しずつ削ぎ落とそうか」
「私が死ねば、イラリアが悲しみます」
「大丈夫。記憶を消す薬を、王立研究所で開発させているところだから。彼女はお前を忘れて、俺と幸せになるんだ」
彼が長剣をこちらに向け、私は無言で細剣を抜く。強くは握れないが、持っていないよりはマシだ。
彼は紅玉クラスの成績優秀者であり、さらにベガリュタル国の国王陛下から叙爵された、私と同じ紫紺騎士でもある。
彼も私と同様、前の人生よりかなり強くなっているはずだ。侮ることはできない。現に私は、すでに傷を負わされている。正直なところ逃げ切れるか不安だが、弱音を吐いても仕方がない。
九年ほど訓練をしてきた身だ。私は弱いわけではない。ちゃんと成長して強くなったはずなのだ。レオンや旦那様、グラジオラスの騎士のみんなと励んできたのだ。
私にできることは、殺されないように身を守ること。ひと気のあるところに出て、誰かに助けを求めること。
正々堂々勝負しても勝てなさそうな相手なら、逃げるしかない。国の命運を賭けた戦場でもないのだから、大事なのは己の命だ。
――私に、騎士の道は向いていなかったのかもしれない。でも、ここまでくるには、この道で良かった。騎士を目指した日々に、意味はある。
彼に視線と剣を向けたまま、後ろ歩きで距離を取っていく。ここは校舎の二階。飛び降りても大丈夫だ。
頭の中で、飛び降りられる窓への最短ルートを計算する。
「逃げても無駄だ。オフィーリア」
「そんなことはありません」
死ななければ、それでいい。私はタイミングを見計らって、窓に向かって駆け出した。
この際、もう背中くらいは切られても構わない。何よりも身の安全だ。
窓から外へと飛び降りる。彼の方を確認しながら、さらに逃げる。
バルトロメオの剣が窓から落ちて、次いで本人も落ちてきた。何事かと、学生たちがざわめく。
「死ね! オフィーリアぁ!」
バルトロメオが長剣をこちらに投げる。あれは投げる武器ではないのだが。他の人に当たったらどうするつもりだ。私は無事にそれを避ける。
だんだんと距離が詰められる。彼は剣を使うのは諦めたのか、私に殴りかかってきた。私は彼の拳を受け止める。
「フロイドさん!? どうしたのです?!」
「「イラリア!!」」
もみ合う私たちのそばに、イラリアがやってきた。彼は私を殴るのをやめ、狂気に満ちた笑みを浮かべる。
バルトロメオは先程まで私を殴っていた手で、優しげにイラリアの手をとった。しかし彼女はその手をすぐに振り払い、私を強く抱きしめる。
「フロイドさん。大丈夫……じゃない、ですよね」
「イラリア。……あの男に、私がオフィーリアであると、バレたわ。それに――」
「とりあえず、怪我、治しますね」
イラリアが私に微笑みを向け、頭を撫でる。聖女の力で私を癒やす。彼女にこうして魔法をかけられるのは、とても久しぶりだ。
折れた指を繋げられる。痛みも引いていく。私の知らない間に、彼女は癒やしの魔法も上達させたようだった。
「……ありがとう、イラリア」
「私を目覚めさせたのは、いつも姉さまですから」
聖女を目覚めさせるのは〝愛〟である。きっと彼女は一度目の人生の時も、私への愛で聖女になったのだろう。
彼女に愛されることを嬉しく感じ、同時に重い後悔の念に苛まれる。
私は、彼女を殺したことがある。身勝手に嫉妬して、憎悪の念を募らせて殺した。短剣で胸を刺した。痛かっただろう。悲しかっただろう。
私が彼女をこの世の誰よりも嫌っていた一度目の人生の時でさえも、彼女は私を愛していたというのに、私はそんなことに気づかず殺したのだ。
――私は、貴女と幸せになっていいのかしら?
彼女と一緒にいることは幸せだが、そんな思いも胸に抱く。
彼女を殺し、彼女が幸せになれる機会を奪った過去を抱える私には、幸せになる資格はないのかもしれない。と。




