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聖女殺しの恋 ―死に戻り悪女が妹聖女のキスで目覚めたら―  作者: 幽八花あかね
五・騎士と姫

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027. なんにもない

 レグルシウス国とベガリュタル国の貴族学院の間には、何種類かの留学制度がある。

 私は成績優秀だったために声を掛けられ、あちらに第四学年の学生として留学するという形で、自分の生まれた国へと帰れることになった。


 レグルシウス国の貴族学院で仲良くしていた、マッダレーナさんも一緒だ。私は紅玉(ルビー)クラスに、彼女は白玉(パール)クラスに所属する。


 私が帰る旨をイラリアに伝える手紙は、今は文面を考えて、下書き用の紙に何パターンもの案を書いている段階だ。そこから決定版を作り出し、それを三度書き取ってから、ようやく私は便箋に書くことができる。


 彼女への手紙は書くのに緊張してしまって、こうでもしないと何枚も書き損じてしまうのだ。いつも便箋には薔薇の香水をひと吹きして、封筒の中にはペンペン草の押し花を入れている。


 今度の手紙に入れるペンペン草を摘みに出かけて屋敷に帰ると、旦那様と奥様からお話があると使用人から伝言をもらった。私は部屋にペンペン草を置き、身支度を整えてから書斎へと向かう。


「ごきげんよう。旦那様、奥様」

「ああ、よく来た。そこに掛けなさい」

「はい、旦那様」


 ふたりと向き合う形でソファへと腰掛ける。留学に関する話かと思ったが、使用人が机の上に並べた書類をちらりと見ると、どうやらそうではないようだった。


「あの、これは?」

「見ての通り、身上書だ」

「身上、書……」


 令息の肖像画や個人情報がかかれたそれらは、身上書。頬の筋肉が強張るのを感じる。まさか、ここで()()()()を持ってこられるとは。


「お前は留学して、あと一年はあちらの学院で学ぶことになるが……何人かの令息から、婚約の打診が来ている。顔見知りの同級生もいるだろう」

「……はい、そうですね」


 たしかに旦那様の言う通り、過去に私に男女交際の申し込みをしてきた令息の身上書も、ちらほらと見える。私個人は断ったはずだが、まだ諦めていなかったらしい。


「彼らは、お前が隣国に行く前に婚約を結んでしまおうと思っているのだろうな。やはり、気が進まないか」

「私は……結婚願望が、ありませんので。独り身で生きていくつもりです」

「貴女がそれでいいなら、強くは言えないけれど……ひとりは、寂しくはない?」


 奥様の言葉に、頷くことも首を振ることもできなかった。こう問われると答えられないということは、まだ覚悟が浅いのだろう。


 結婚の夢など見られない身だとわかっていながら、愚かな私は、まだどこかで何かに縋りつこうとしている。


「それは、わかりません。でも、今は結婚のことは考えられないのです。……わがままな娘で申し訳ございません」

「いえ、そんなことはないわ。私も、貴女には自由に幸せになってほしいと思っているもの。貴女の気持ちが一番よ」

「僕も、フロイドのしたいようにしてほしいと思っている。――が」

「が?」


 旦那様が渋い顔をするのを見て、私は首を傾げる。もう一度身上書をざっと眺めると、その理由が察せられた。思わず苦笑が浮かぶ。


「ヒビスクス家のゲルト様も、婚約の打診をくださったのですね」

「ああ。……まあ、なんと言うかだな」

「お見合いの場は、どうにかやり過ごしますわ」

「ああ。すまない」

「いいえ。平気です」


 ゲルト・ヒビスクスは、過去に男女交際を申し込んできたことがある令息のひとりだ。ヒビスクス侯爵家の末っ子の五男坊で、甘ったれの放蕩息子である。

 学院を卒業したら家から勘当されるのではないかと口々に言われていた彼だが、まだギリギリ持ちこたえているらしい。ヒビスクス家からの圧力と家格の差により、この見合い話だけは書面上で簡単に断れるものではなさそうだった。


 グラジオラス辺境伯家とヒビスクス侯爵家とでは、あちらの方が上の立場である。礼儀として、一度は会わなければならないだろう。


「お話はしますが、断ってしまって構いませんか?」

「もちろん。できるなら、の話だが」

「意地でも断ります」

「頑張ってねフロイド」

「はい。ありがとうございます、奥様」


 その後は、今後の流れに関する話をいくつかして、話し合いの時間は終わった。ゲルトとのお見合いとは、面倒な予定が入ってしまったものである。


 私は部屋に帰ってから、手首に吹きつけた薔薇の香水の匂いを深く吸い込んだ。お見合いの日も、精神安定剤としてこの香水は必須だろう。


 ――大丈夫。頑張れる。


 あの男はいけ好かないが、一件のお見合いくらい何だというのだ。このくらい、私なら易々とこなせるはずだ。


 向こうの国に行くまでの日数を指折り数えて、気を紛らした。



「フロイドさん。元気だった?」

「はい。それなりに元気にしておりました」

「元気にしてたってことは元気なんだね、それは良かった」

「はい。ありがとうございます」


 ゲルト・ヒビスクスとのお見合いの日。


 両家の当主と夫人の同伴での話が早々に終わると、私は彼とふたりきりにさせられた。

 バルトロメオとの時のように屋外の庭園ならまだ良かったものを、こちらは密室である。しかも使用人は彼が下がらせてしまったため、完全にふたりきりである。


 彼の城とも言うべき、ヒビスクス侯爵邸の一室だ。これは油断ならない。出された紅茶は一滴も飲むことなく、私はスカートの中に隠した短剣の存在を常に意識していた。


 さすがに切ってしまっては問題になるから、何かあっても脅すだけで済ませたいところだが、どうなるだろうか。


「フロイドさん、俺と結婚しよう」

「恐れながら、お断りさせていただきたく思います」

「じゃあ、俺の婚約者になってよ」

「申し訳ありませんが、承諾いたしかねます」

「ねえ、フロイドさん」

「……なんですか。ゲルト様」


 ゲルトが椅子から立ち上がり、私の肩に手を置く。それだけで不快だが、まだこれくらいなら我慢すべきだろう。まだ、大丈夫。


「紅茶、飲まないのかい?」

「すみません。体に合わなそうなので」

「代わりに水を持ってこさせようか」

「いえ。結構です。お気遣いありがとうございます」

「うーん、意識ない方がやりやすいんだけどなぁ……」

「は?」


 ゲルトがこちらに顔を近づける。私は反射的にその頬を叩いてしまった。しかも、けっこう強めに。


「ゲルト様、何をなさるのですか」

「痛いんだけど」


 学院で男女交際を申し込んできた時も尻や太腿を触ってきて気持ち悪かったが、まさか無断で接吻までしてこようとするとは。


 無礼は承知で、早々に逃げた方が良さそうだ。円満に断りたかったが、それはできそうにない。こいつに礼を尽くす必要性を、もう感じられなかった。


「私は、貴方様と結婚するつもりはありません。そのような接触は、どうかおやめください」

「なんでそんなに嫌がるんだよ。俺、侯爵家の息子だぜ? フロイドさんだって生涯独り身は嫌でしょ。

 俺、知ってるよ。クラスのやつらが『フロイドは女らしくないから恋愛対象としては見られない』って言ってたこと。そんな君に求婚してやる俺、優しいと思わない?」

「私は、誰とも結婚するつもりはないのです。それに婚約の打診をしてきた方は、ゲルト様以外にもいますから」

「……へえ」


 仮にも結婚しようと思っている相手に、「女らしくない」などと他者に言われていた話を、わざわざ伝えてくるとは。この男、やはり女を口説くセンスが壊滅的だ。


 彼は、学院内では悪い意味で有名な男だった。彼に言い寄られて泣いた女子が何人いたか知れないくらい。

 女癖の悪さと怠け癖のせいでいずれ痛い目に遭うだろうと親切な他家の令息などに言われても、本人は自分の態度を改善しようという気がまるでなかった。


 家から勘当されないように心を入れ替えるという姿勢はなく、むしろ開き直って、どうせ卒業したら家を追い出されるから好き勝手にしても良いのだと豪語していた。

 家を出た後に養ってくれそうな女に取り入ろうとして、センスのない薄っぺらい愛の告白をしては、ことごとくフラれていたような男。


 それが、ゲルト・ヒビスクスである。


 彼が求めるような、家が裕福だったり、自分で稼いで生きていける力があったりするような女たちは、こんな男を選ぶはずがない。

 そのくせ彼は、遊び相手となった少数の奔放な令嬢や、侯爵令息の持つ金と肩書だけに魅せられた愚かな人間からは甘やかされているからか、そのことを理解できないのだ。


 まことに残念な頭をしたお方である。


「まあ、既成事実さえ作っちゃえば、もう俺の勝ちだよね。フロイドさん、楽しもう」

「っ!」


 ――この男、なんてことを言っているの。


 いきなり腕を掴まれて驚いたが、さすがに今の私では、そう簡単に押し倒されたりはしない。何と言っても騎士なのだ。下手な男よりは筋力がある。


「ほら、フロイドさん。無駄な抵抗はやめなよ」

「ゲルト様、さすがにそれは犯罪ですよ」

「フロイドさんが黙ってれば犯罪じゃないよ」

「私が黙っているとお思いで?」

「今まで他の令嬢たちも泣き寝入りしてくれたからね。まあ、貧乏令嬢なんて遊び相手にしかならないけど、フロイドさんなら結婚しても良いと思ってるから」


 どこまでもムカつく男だ。最悪だ。腕では駄目だと思ったのか、今度は髪を掴まれた。アンナが丁寧に編み込んでくれた髪型が崩れていくのが、頭皮に伝わる感触からわかる。


「色は地味だけど、それなりに綺麗だよね。髪だけは、君も女らしいと思う」

「……そうですか」


 ――色は地味、髪だけは女らしい? ああ、本当にうるさいわ。


 髪と瞳が華やかな色でないことは、私のコンプレックスだ。女らしいか否かという言葉も、私の神経を逆撫でする言葉である。


 ここに来て突然、我慢ならなくなった。 

 ――もう、知らない。


「ゲルト様」

「ん? なんだ?」

 

 私は彼の名を呼んで、髪留めを外した。

 崩れかけの編み込みをほどき、ざっくりと手櫛で梳かす。乱暴に髪を掴んでいた彼の手が、一度離れた。


「やはり、綺麗な髪だな」


 私は髪全体に、手櫛を通す。真っ直ぐに下ろすと、腰のあたりまでの長さがある髪だ。彼が今度は優しげに、私の髪に触れてこようとする。


「ああ、そうか。ようやく言うことを聞く気にな――ッ!?」


 私は髪に触れられる寸前で、やつの体に思いきって蹴りを入れた。やつが痛そうにうずくまる。ざまあみろ。


 後で咎められようが、私だけの非にできれば大丈夫だ。致命傷は与えていないから、グラジオラス家のみんなにまで被害が及ぶことはないはずだ。


 ドレスの裾をたくし上げ、隠していた短剣を取り出す。私は彼に剣先を向けた。


「これ以上近づいてきたら、刺しますから」

「脅しだろう? 本当にできるわけがない」

「私は、貴方のようなお方とは死んでも結婚したくありません」

「なんだ、自決でもするつもりか?」

「……いいえ」


 こんな男のために、命まで捨てる気はない。けれど、唯一の女らしさを捨てることはできる。


 あんなふうに言われるだけの女らしさなら、もういらない。もう、どうでもいい。


 私は髪を一束掴んで、ぐっと剣を押し当てた。


「おい、何を――」


 ザクッザクッと音を立て、髪が床へと落ちていく。私の女らしさが死んでいく。


 何度かに分けて、私は長かった髪をみんな切り落とした。


 鏡も見ずに短剣で切ったから、見るに堪えない姿をしていることだろう。後で誰かに整えてもらうことにする。


 ゲルトは、目を丸くしていた。


「ふ、フロイド、さん……?」

「女らしくない私を、妻に迎えたいとはゲルト様も思わないでしょう。私は騎士としてひとりで生きていくつもりですので、こんな髪、そもそもいらなかったのです。……婚約の話は、なかったことにいたしましょう」


 私は今日初めて、彼の前で笑った。


 なんてことをしてしまったんだ、と胸の中で声を上げている私がいることには、気づかないふりをする。


 床の上の髪を拾い上げ、それを抱えて部屋を出た。ヒビスクス家の使用人が、ギョッとした顔で私を見る。


 両家の当主と夫人がいる部屋に戻ると、奥様が真っ先に私に駆け寄ってきた。


「フロイドっ!? その髪は――」

「奥様。私、結婚したくありません」

「え、ええ。そうね……?」

「フロイド」


 旦那様は、なんとも言い難い痛ましげな顔をしていた。私は切り落とした髪をアンナに託して、深い礼をする。


「ヒビスクス侯爵閣下、侯爵夫人。お詫び申し上げます。私は、ゲルト様の婚約者にはなりとうございません。……ひとりで、生きさせてください」


 ヒビスクス侯爵と夫人は、もう私とゲルトとの婚約を結ばせようとはしなかった。その後の話は短く終わり、私は屋敷へと帰った。


 レオンは私の髪を見て、ひどくショックを受けたような顔をしていた。バラバラになった髪は、アンナに切り揃えてもらった。アンナは私のことをとても心配してくれた。


 髪がそれなりに整ってから、風呂へと入った。短くなった髪をあらためて鏡で見た。


 鍛えたおかげで体に筋肉はついたけれど、女らしい丸みはない。背は高く、守りたくなるような華奢さはない。長い髪もない。胸もない。子どもも生めない。


 ――なんにもないわ。


 もう、ドレスを着られる気がしなかった。自分が何なのかわからなかった。自分で切ったのに、虚しくて仕方がなかった。


 ――なんで。私は……


 こらえられなかった涙が、頬を伝う。


 イラリアに会いたいのに、今は会いたくなかった。こんな私を、彼女に知られたくなかった。


 また美しく可愛らしい彼女を見たら、嫉妬に苛まれてしまう気がした。


 ――もう、諦めきれればいいのに。


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[一言] フィフィ様... 泣きそう...
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