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聖女殺しの恋 ―死に戻り悪女が妹聖女のキスで目覚めたら―  作者: 幽八花あかね
三・めぐる季節と散る花々

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013. 二度目の婚約破棄

 義妹と私は苦戦しながらも、協力して二階の窓から薬学準備室へと侵入し、ふたり一緒にソファの上で眠った。


 翌朝、ジェームズ先生は義妹がいるのを見てひどく驚いた。


「おい……。何やってんだ、お前ら」

「えっへへへ。ちょっと甘い夜をですね」

「イラリア。おかしなことを言わないの」

「姉さまが外に転がっていたので」

「イラリアったら。すみません先生。ちょっと……夜中に目が覚めて。好奇心から、畑を見にいってしまって。窓から抜け出してですね。そしたら、この子が」

「姉さまったら、薔薇とペンペン草のそばで倒れてたんですよぉ」

「もう、やめて頂戴イラリア。倒れたんじゃなくて、寝てただけです。ふわーっと眠気が来て」

「ああ、そうかそうか。惚気はもういい。今回は庇ってやんねぇぞ。ふたりで歩いて帰るんだな」


 先生は呆れたように言い、続けて「これが公爵令嬢か……?」とひとりごちた。私はもう一度「すみませんでした」と謝る。一方義妹は、べたべたとさらに私にくっついてきた。ちょっと離れなさい。


 私も義妹も、今回ばかりは悪いことをした自覚があった。ゆえに庇ってもらおうなどとは思っていない。家に帰ったら甘んじて怒られるつもりでいる。


「いろいろ文句も言いたいが……。大丈夫か、オフィーリア」

「はい。ご心配おかけしました」

「……無事で良かった」


 やっぱりジェームズ先生は、教え子思いの良い先生だ。


「妹も、まあ、薬学研究部員だからな。ここにいること自体は許そう。朝は学食で済ますとして……。ああ、そうだ、ちょうどいい。――まず妹。解析のことで話があるから、ちょっと来い。あと姉。こっちも話したいことがあるから、妹の話が済んだら入れ違いで来い。その後に飯だ。わかったか?」

「りょーかいです!」

「はい。先生」


 義妹と先生を見送ると、しばし私はひとりになる。枕にしたせいで凹んでしまった巨大ウサギの形を整え、髪を手櫛で梳き、軽く掃除をするなどした。


「姉さまー。こっちは終わりました。どうぞー」

「ええ。ありがとう。いってくるわね」

「はい、いってらっしゃいませ」


 今度は私が義妹に見送られ、実験室へとやってくる。先生は「ああ」やら「そうだな」やら「どう言えばいいのか……」やらと困った後、気まずそうに訊ねてきた。


「オフィーリア。失礼ながら聞く。お前、変な薬、やってないよな? 危ない薬は飲んでないよな?」

「えっ、突然なんですか」

「真面目に聞いてくれ。じゃあ、そうだな。最近、誰かに、おかしな薬を盛られたかも、ということは……? 飲食後に、記憶が曖昧だったり、意識を失ったり。そういうことはないか。特に調子が悪いときのことだ」

「調子が悪いときは、まあ、意識がはっきりしないこともありますよ。でも、なんでしょう、何かを盛られたことは、ないかなと」

「そうか……。いや、そうだよな。お前くらい優秀なら、何かあれば気づくはず……。少量ならまだしも。いや、でも、もしやバレないように、どこかに仕込んで……? でも、そんなことするか? そこまで巧妙なことするか? そもそも理由は、」

「先生――何か、気にかかることでも?」


 ぶつぶつと呟く先生の思い詰めた様子に、私は遮るように声を掛ける。ジェームズ先生は顔を上げ、今度は私を真っ直ぐに見た。

 

「いや……。ああ、そうだな。そう、たまに妙な匂いがするんだ。お前から。変な意味じゃなくて。抗不安薬――花の蜜に似た、甘くて危ないやつ――()(すい)(やく)の類だ。お前も知識はあるだろう。

 すぐに現れる症状は、意識障害。うまく頭がはたらかなくなる。眠くもなる。長期的に影響を受けるのは内臓。中毒になると、悪夢に悩まされる場合もある。それで――」


 ジェームズ先生の心配話は、数分間にも及んだ。すべてをしっかり聞き終えた後、私はにこりと笑う。淑女らしく、優等生らしく。


「大丈夫ですよ。先生。あんな家であっても、さすがに……。()()()()()までして、私を殺そうとするはずありません。――ええ。大丈夫です。でも、ご心配ありがとうございます。気をつけますね」


 ――ごめんなさい。先生。ちゃんと気をつけられなくて。貴方の言葉を思い出した時には、もうすべてが終わっていました。

 きっと、あの秋には、もう手遅れで。でも、せめて、あの時。もっと真面目に、その可能性を考えて、彼らを疑えば良かった――





 義妹とふたり、お説教を覚悟して帰宅したところ、案の定ものすごく怒られた。主に私が。

 バルトロメオ殿下からもカミラ夫人からも平手打ちを食らった私は、さらに夫人の華麗なる蹴りが決まったことにより、肋骨を一、二本折ることになった。肺か何かに刺さったらしく、一時は呼吸もままならなくなって……。死ぬのかしらと痛くて苦しかったけれど、義妹がこっそり癒やしてくれて事なきを得た。


 その日以降、学校ではバルトロメオ殿下が、家ではカミラ夫人が、私と義妹が過度に関わらないようにと邪魔してくるようになった。彼まで薬学研究部に入ってきてしまい、私は唯一の安らげる居場所を奪われたようなものだった。妃教育という名目で、自由な時間も奪われていった。


 前の人生で薔薇姫親衛隊という過激派をやっていた男子学生の何人かから、暴力をふるわれそうになったこともあった。義妹に言ったら殺されるでしょうねと脅せば、怯んでやめてくれたけれど。

 聞けば、バルトロメオ殿下の指示らしい。私の純潔を穢して、それを理由に婚約破棄まで持ち込もうという魂胆だ。

 仮にも幼少期からの婚約者相手に、ここまでやるようになったかと呆れ、失望した。かつての極悪令嬢も、妹相手に同じことをしたけれど。

 もう、イラリアを妻にしたいから私との婚約を破棄したいのだと、素直に言えばいいのに。


 今日も何もできていない。命令を消化して終わった。薬学実験室に行きたい。畑に行きたい。図書室に行きたい。先生と話したい。学びたい。研究したい。どこでもいい、なんでもいい、ただイラリアと……。


 そうして私は――疲弊していった。


 ときどき、本当にときどき、義妹と触れ合える時間が、私の人生の癒やしになった。

 きっと彼女だから癒やされるのではなく、人との触れ合いや快楽を本能的に求めてしまう節があるというだけだろう。義妹しか私に優しく触れてはくれないから、彼女が触れてくれるのを待ちわびてしまうだけだ。

 キス以上には進めない、優しい触れ合いをしていた。




 秋が終わって、冬になる。

 学院は冬期休暇に入った。雪がひらひらと降る日もある。


 あの日――かつて私が婚約を破棄された日にも、雪が降っていた。それは、今度の人生でも同じだった。


 きっと今日が、バルトロメオ王太子殿下の婚約者である最後の日。今日の聖夜祭で、私は婚約を破棄される。


 国王陛下がいらっしゃったら何か違ったかもしれないけれど、今年の冬は陛下と王妃殿下は東の帝国で催される大きな祝祭にご出席なさるとのことで、再来月の中頃までこちらにお帰りにはならない。


 代理として王太子であるバルトロメオ殿下が権力を握っていたため、一度目の彼は好き勝手に私との婚約を破棄できたのだ。二度目の彼も、これから、きっと。


 一度目の人生、公爵令嬢である私を異例の拷問にかけた末、名無し花の贄とすることを決めたのもバルトロメオ殿下だった。何日も降り続いた雪を神の怒りの現れとされ、その怒りを鎮めるために私は死ぬことになった。


 聖女や勇者を何者かが殺した後、地上に神の怒りが現れた場合には、その者は死ななければならない。神の愛し子の命を奪った極悪人を、神のために惨殺する。神に捧げる復讐なのだ。それが〝名無し花の贄の儀〟あるいは〝明星(あかぼし)の贄の儀〟。


 法の下では、殿下の決断は正しい。

 ただ――あの世界で、あの後、国王陛下は彼をお許しくださったのか。

 それは、わからない。永遠に。



 此度も私は、律儀にも殿下の指示に従って、青色のドレスを用意した。婚約者がともにパーティーに参加するときは、衣装の色を揃えるものだ。


 けれど、彼はまた違う色を着てくるのかもしれない。

 一度目は、赤色のドレスを着てこいと言われた。それなのに当日の彼が着ていたのは、青色の礼服だった。

 義妹は青色のドレスを着ていて、ふたりで衣装を揃えたことがわかった。


 その衣装を見たときに、もう駄目なのだと気づいたのだった。


 二度目の今日は、どうなのだろう。さすがに三人とも仲良しこよしで青色の衣装、なんてことはないと思うのだけれど。やはり私だけ仲間外れだろうか。


 青色のドレスを身に纏い、私は彼にエスコートされることなく、ひとりでパーティー会場に向かう。



 大広間の扉が開かれ、皆の視線が私に集まる。


 広間の真ん中にいるふたりを見て、ああ、やっぱり、と思った。


 義妹はいつも通りに――いや、いつにも増して可愛いが、バルトロメオ殿下の礼服は派手すぎていけ好かない。


 ふたりは、おそろいの赤い衣装を身に纏っていた。


 彼女の胸元を飾るネックレスの存在に、私は気づかぬふりをする。


 幸せを願う花びらなんて、おそろいのネックレスなんて、今は皮肉にしか思えない。


 私の胸元を飾るものを隠したくて、銀色の鎖を引きちぎりたい衝動に駆られた。


「オフィーリア・ハイエレクタム公爵令嬢。今日、私――バルトロメオは、貴様に告げることがある」

「何でございましょう、王太子殿下」

「今宵をもって私は、貴様との婚約を破棄する! そして、貴様の妹である、イラリア・ハイエレクタム公爵令嬢を代わりに婚約者にする!!」


 人々が大きくざわめいた。


 前の人生では思わなかったことだが、「代わりに婚約者にする」なんてロマンチックでない言葉だ。

「真実の愛」だとか何だとかを理由に婚約を破棄するなら、もっとそういう言葉にもこだわればいいのに。


 彼のことを嫌いになったせいか、そんな些細なことにまでケチをつけたくなってしまった。大人げない。

 私はやわらかく笑みを浮かべて、淑女の礼をする。これで、私たちの関係はもう終わりだ。


「はい、かしこまりました。王太子殿下。今までありがとうございました」

「……はっ?」


 私が頭を上げて立ち去ろうとすると、彼の間抜けな声が聞こえた。


 婚約破棄の理由など、前にも聞いたので十分だ。わざわざ二度も聞きたい内容ではない。何も尋ねることなく、おとなしく受け入れて立ち去ろう。


 そう思ったのにもかかわらず、私の手首は強い力で掴まれた。

 およそ淑女相手にする掴み方ではない乱暴な手付きで、彼は私を広間の中心へと引き戻す。


「オフィーリア、何を考えている?」

「何を、とはどういうことでございましょう。私は殿下から婚約を破棄すると告げられました。大衆の面前でこのような屈辱的なことをされたのですから、すぐにでもこの場から去りたいと思うのは当然のことではありませんか」

「屈辱的だと? すべて貴様が悪いのに何を言う」

「私は、何も悪いことなどした覚えはございません」


 一度目の人生では、枚挙にいとまがないほどに悪事をはたらいてきた。義妹を貶そうと必死だった。

 けれども今度の私は、何も余計なことはしていないはずだ。


 彼に過度に話しかけて迷惑をかけはしなかった。彼女を故意に傷つけることはしなかった。

 彼に迷惑をかけられたことならあると言えど、私に何か非があっただろうか。


 一度目に彼が私を断罪したように、彼はまた強い口調で話しはじめる。


「貴様は、妃教育を真面目に受けていなかった!」

「はい、そうですね。可能なかぎり短い期間で教育過程を修了し、可能なかぎり短い時間ですべての課題を済ませました。必要最低限のことだけを、完璧に仕上げてまいりました。妃教育に費やした時間を考えれば、志高い王太子殿下の妻となる者としては、不足だったかと思います」

「そして、彼女の――イラリアの交友関係の邪魔をした! 貴様のせいで、彼女は友人が作れなかった!」

「彼女に悪い虫がつかないようにと、貴方様以外の者が懇意の仲になることがないようにと、彼女を守れとおっしゃったのはどなたでしょう? 殿下のご命令通りに励んだつもりでしたが、ご期待に沿えなかったようで残念です」

「あとはだな。貴様は、純真無垢で愛らしい彼女を穢そうとした! 女のくせに、彼女と接吻などしおって! 恥を知れ!」

「……私たち姉妹は、幼い頃からあのような触れ合いをしておりました。それがいけないことなのだとは露知らず、申し訳ございません」


 どれもこれも、お粗末な言いがかりだ。一度目の断罪と比べると迫力に欠ける。

 そろそろ終わらせてくれないかと思っていると、バルトロメオ殿下は性格の悪さが滲み出る笑みを浮かべ、もったいぶって言った。


「……罪深い貴様の最大の罪は、王家を騙していたことだ。まさか、あんなことを隠し通そうとしていたとはな」

「あんなこと、とは?」


 私は特に王家を騙していた覚えはなく、過去の断罪でもこのようなことは言われていない。いったい彼は何を言うつもりなのか……。


「貴様、不妊だろう」

「……は?」


 予想外の発言に、私は先程の彼のような間抜けな声を出す。こいつ、何を言っているのだ。


「十七にもなって、未だに月のものがないとは……それでも女か?」

「私は女ですし、体の発育には個人差があります。翠玉(エメラルド)クラスで医学を学んでいらっしゃる殿下ならご存知でしょう」

「ああ、そうだな。学んだうえで、貴様は不妊だと判断した」

「はぁ……?」


 たしかに彼の言う通り、私はまだ月のものが来たことがない。


 平均と比べると遅いことは自覚しているが、だからと言ってそれだけで不妊と判断できるわけではないと思うのだが。それに、まだ医師でもない彼が判断したところで、それに何の価値があるというのか。くだらない。


 話の内容が内容なだけに、人々のざわめきの色がどこか変わる。主に女性陣からは不快感が漂いはじめる一方、一部からは好奇心も湧いてきているのを感じる。


 こんな形で性的な目で見られることが、嫌で嫌でたまらなかった。


「貴様は月のものが来ないだけでなく、体つきも、いつになっても女らしくならない。胸は断崖絶壁だし、貴族の娘らしい豊満さもない。成長したのは身長だけではないか。再び問うが……本当に女か?」


 誰かがくすりと嘲笑をこぼし、それが周りに広がっていく。何人もの人々が私の体つきを見て、あざ笑う。


 一度目のこの日にも、似たようなことを言われて笑われた。これは二度目だ。べつに初めてじゃないから、前よりはショックじゃない。そう。それでも……。それでも、やっぱり、つらい。


 自分でも気にしていることを蔑まれるのは、何度目だろうと苦しい。早くこの場から立ち去りたい。


「もちろん。神に誓って、私は女です」

「そうは言っても、貴様を女として扱ってくれる者は世界に何人いるだろうな? 正直なところ私は、貴様との子は作れる気がしない。機能の話ではない、抱こうという気にならないのだ。美しさも豊満さも器量の良さも、貴様はまったく持っていないからな」

「……そう、ですか」


 なぜ、こんなにも馬鹿にされないといけないのだろう。これも、私がかつて義妹を殺したことへの罰として受け入れるべきなのだろうか。


 義妹はバルトロメオ殿下のそばに立って、ただうつむいているだけだ。彼女も本当はあんなふうに思っているのだろうか。


 私と触れ合いながら、女らしくない体つきだと内心馬鹿にしていたのだろうか。


「なぁ、オフィーリア。いつまでそうやって白を切るつもりだ? 王家だけでなく、神までも欺くとは……」

「ですから、私は――」


 王家も神も欺いていない。そう、言おうとしていた。


 侍従が持ってきた紙を、彼が高らかに掲げるまでは。


「証拠を見せないと認めないか。オフィーリア・ハイエレクタム。貴様の生殖機能は病によって失われていると、医師から診断書が出ている」

「――えっ……?」


 医師からの診断書。

 そんなものの存在を、私は今までまったく知らなかった。


 頭の中が真っ白になる。


 とても信じられなかった。認めたくなかった。認められるはずがなかった。


 そんなこと、何かの間違いだ。


「イラリアに頼んで、ハイエレクタム家が、貴様について他に隠していることがないかも調べさせてもらった。どうやら貴様、私と婚約する前にすでに不妊だとわかっていたらしいな。わかっていながら婚約の話を進めたとは……」

「わ、私は、何も知りません。私は……っ」


 本当に、私は子を身籠れない身なのだろうか。


 彼が掲げる診断書にある署名は、何度も見たことがあるものだった。ハイエレクタム家に仕えている医師のものだった。


 足元がガラガラと崩れ落ちていくような気持ちになる。

 

「この、嘘つき女め。……ああ、女と言うのは不適切か。子を生めないのだものな。可哀想に」


 バルトロメオ殿下は笑って、診断書を放り投げた。


 ひらりと落ちた紙を、私は慌てて拾って胸に抱え込む。


 こんなもの、他の人に見られたくない。


 私が女としての機能を持たない、女でないと言わせしめる証拠など、誰にも見られなくなかった。


 自分でさえも知りたくなかった。


「立ち去りたかったのだろう? もう帰って良いぞ」

「……で、は。失礼いたします。……皆さまは、どうか、祝祭をお楽しみください」


 作り笑いも淑女の礼も、うまくできた気がしなかった。


 それでもギリギリ残った矜持が、はしたなく駆けることを許さない。私はできる限り早く、けれどドレスの裾が乱れないように歩いた。


 婚約を破棄されることは知っていたのに、こんなにも苦しい思いをするとは思っていなかった。


 ひと気のない夜の暗がりに出た途端、私はその場で泣き崩れる。

 涙で濡れた頬がひどく冷える。青いドレスと落とした診断書に、白い雪が降り積もる。


 こんなに寒い夜は、一度目の人生を含めても初めてだ。


 イラリアが、バルトロメオ殿下と婚約する。私はひとりぼっちになる。

 それで良いと思っていたはずなのに、ひとりで生きていくつもりだったのに、どうしてこんなにも苦しいのだろう。


 彼女が私に温かさをくれたから、いつしか期待していたのかもしれない。

 自分も幸せになれるかもしれないと。温かな家庭を築き、普通の女らしく生きられる未来があるかもしれないと。


 生きていて起こる悪いことのすべてを、彼女を殺したことへの罰だと思えばいい。

 そう思っていても、つらい。悲しい。つらい。


 泣きすぎたせいか、いつの間にか過呼吸になっていた。胸が苦しくて、頭がぼーっとする。

 こんなところで倒れたら、本当に凍死するかもしれない。でも、べつにそれでもいい。もういい。


「オフィーリア!」


 ああ――イラリアじゃない。そんなことに落胆する。


 彼もあの聴衆の中にいたのだろうか。彼も貴族だから、もちろんいるか。


 今日は白衣ではなく、きっと礼服姿なのだろう。仄かに薬草の匂いがする。たくましい腕に抱えられる。


 寒さがほんの少しだけ和らぐけれど、イラリアの温かさには勝らない。彼女が、欲しい。


「オフィーリアっ! しっかりしろ!」

「せ、んせ……」


 いつもと違う礼服姿の彼の紺色の瞳には、焦りと心配が宿っていたように思う。走ってきてくれたのか、低めに結われた黒髪は、ところどころほどけていた。


 もしも私が普通の女だったら、彼のような優しい人に愛される未来も望めたのだろうか。


 ……なんて、馬鹿みたいなことを考えて、意識は途切れた。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] 王太子がキモすぎる……
[一言] イラリアは何のためにこんな事をしたのでしょう?
[気になる点]  絶対者である国王に決められた婚約をあろうことか〝解消〟ではなく〝破棄〟にするあたり、こいつ王族としてどこまでも無能で出来損ないだな。仮にも公爵家の令嬢をこき下ろしたり全く後先を考えて…
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