115. 流星祭と新たな出会い〈2〉妹
「いや、違ぇよ」
「わー! いつから恋仲なんですか!?」
「だから、恋仲じゃないって」
茶化すように訊いたイラリアの言を先生はバッサリと否定し、
「妹だ」
と端的に紹介する。
――ジェームズ先生の、妹さん……!? あの!?
彼の恋人だと言われるより、妹だと言われる方が予想外で。まったく心積もりをしていなかったから、私は不覚にも驚いた。
艶やかな黒髪に、濃紺の瞳。なるほど、言われてみれば、先生と一緒の色彩をしている。
眼鏡のせいか、ぱっと見では気づかなかったけれど、こうしてみると目元も似ている気がした。
緩やかに波打った髪を左肩のあたりで結んでひとつにまとめ、金縁の眼鏡を掛けている、大人の女性だ。背は私よりは低く、イラリアよりは高いくらい。
「はじめまして、綺麗なお嬢様がたと、可愛い坊や」
先生の妹さんは、彼より六つ年下、私より六つ年上……となると、彼女は今、二十五、六といったところか。
「いつも先生にはお世話になっております」
ふわりと微笑んで、私も彼女に挨拶する。まだお互いに名乗りはしない。なんとなく察するところがあって、探りあっている。考えている。
私は空いた手でイラリアの浴衣の袖を摘まみ、彼女にも、まだ名乗らないでと目線で伝えておいた。
イラリアはぱちりと瞬いて、わかったと返事するようにお菓子をまたぱくりと食べる。私の片腕に抱かれたドラコに、今度は彼女がお菓子をあーんした。
――私の方は、女神さまに見せつけられた〝女王エレオノーラ〟の記憶からくる、曖昧な感覚で。向こうは、おそらく、彼女の〝仕事上〟の事情で。
私たちは、きっと、お互いに会いたくない相手だった。
彼女にとって、私とイラリアは、いきなり会うと困る相手だった。
私とイラリアにとってもそうなのだと、私は察している。
――もしかすると、極秘の研究職の方かしら? 聖女のことを探っていたり? それで気まずいとか? でも、それだと、この反応の理由としては不足かしら。
先ほどまで私がイラリアを〝イラリア〟と呼び、彼女が私を〝フィフィ姉さま〟と呼んでいたように、ここは名前を呼びあっても大丈夫な場所だ。普通なら。顔と名を知られても差し支えない場所だ。
イラリアやアル兄様の言葉を借りると、オトメゲームの舞台となるところ――異世界のゲームに登場した場所や日時においては、貴族のお嬢様やお坊ちゃんの名前を呼んでも諸問題が起こらない仕様になっている。
流星祭という行事は、そのひとつなのだと。〝ヒロイン〟と〝攻略対象〟がらぶらぶデートをしても邪魔されない設定になっているのだ、と。
私たちの文化を〝ゲーム場面のためのご都合主義〟と言われると、気に食わない思いもあるけれど。どうやら件のゲーム自体も女神さまの手でどうこうされたものらしいから、強く否定はできない。
――私たちの文化に合わせて、女神さまが物語をつくったのか。それとも、その物語のために、私たち人間の文化は今の形になるように仕向けられたのか。
転生者ではない私からすると。数多の星降る流星祭の日は、一年で最も精霊の加護が強い日。
私たちをお守りくださる女神フィラルルーナ様への敬意と信頼を表して、祭りの街中でも、名前を隠さないで過ごすというのが風習だ。
――なんて、私も、シンフィグリア教の敬虔な信者というわけじゃないけどね。でも、生まれたときから、この大陸で生きているわけだから……。
一度目の人生で、五神に四肢と首とを捧げる〝名無し花の贄〟として死んでから、私の信仰心も薄れつつある。先日の古魔法迷宮での出来事など、生きていても、さらに不信感は募るばかりだ。
女神さまや精霊たちに、護られていると信じたい。けれども。
――先生の、妹さん。一度目や二度目の世界では、第三魔毒血症により、十四歳という若さで亡くなってしまっていたひと。彼女の学院卒業後の記録は、ない。
私が歴史改変を起こしてしまったから、本来なら故人であるべき彼女は、隠れて暮らす生き方を余儀なくされているのか。もしも、そうならば、あるいは。
「じぇい!」
そうこうしていると、私の腕の中にいたドラコが「じぇい! じぇい!」と叫んで、腕をぱたぱたしはじめた。どうやら先生のもとに行きたいらしい。
それこそ生まれた時からよく彼と共に過ごしてきたドラコにとって、きっと「じぇい」は父親も同然の存在だ。私とイラリアの関係を慮ってか、先生自身は「どんなに近く喩えても伯父だろ」と言うけれど。
「じぇいー、じぇー、だっこー!」
「ドラコ、今日はママたちとお出かけでしょ?」
「おたんじょーびの! だっこ!」
私の腕から抜け出そうとしてか、ドラコはくねくねと動いている。
「暴れたら危ないわ、ドラコ、落ち着いて」
「まあ、姉さまの抱っこなら大丈夫そうですけど……。うちの姉さまは心配性ですもんねぇ」
「どういうこと?」
「姉さまの筋力を信じてますよってこと!」
「だっこ! だぁっこー!」
「……おまえらが差し支えなければ、俺は構わないが」
「すみません、ありがとうございます」
先生のお言葉に甘え、彼の腕にドラコを託す。
「じぇい! たんじょーび!」
「もう三歳か? 大きくなったな。ああ、おめでとう」
先生は良き父親然とした顔で優しく笑い、ドラコを喜ばせていた。
「――シルビア」
「はい?」
「私の名前」
先生の妹さん――シルビアさんは、一足先に、考え事を終えたらしい。とりあえずというように、名前だけを告げてきた。
私は、まだ、彼女のことを見極められていない。




