109. 聖女と勇者の探索パーティー〈5〉帝国
ファリア・ルタリは、ベガリュタルやレグルシウスより東に位置する、この大陸随一の強国だ。
第一の特徴として、魔法・魔術・魔道具・魔物……といった魔にまつわる物事を扱う学問、すなわち〝魔学〟に強い。
国全体として魔学の教育水準が高く、今の世で最も魔法社会時代に近い暮らしをしているのは帝国民であるとも言われる。特に魔術の分野は帝国の独壇場だ。
また、美女と魔学の国とも謳われるように、美女の印象も強くある。
ファリア・ルタリの皇帝陛下のもとには各国の美姫が集まり、後宮の女らは我こそが彼の寵愛を戴こうといつも競っている。
ファリア・ルタリの皇帝陛下に嫁ぐ女は、彼の女の故国の宝玉――
三度目の人生で初めて出会った、今世の私の友人であるマッダレーナさんは、ファリア・ルタリの皇帝陛下の寵姫になることが小さい頃からの夢だった。
物語に登場するようなお姫様、お妃様になることが。そして見事に、一年と半年前、彼の妃のひとりとなった。
美しい令嬢や王女をファリア・ルタリの皇帝陛下に差し上げるのは帝国と関係を結んだ周辺諸国の務めとも言え、彼女は、ベガリュタル・レグルシウス両国の名を背負って旅立ったことになる。
レグルシウス生まれの貴族令嬢であったマッダレーナさんは、私と一緒にベガリュタル国で学ぶ交換留学生となり、こちらの白玉クラスの卒業生として後宮入りを決めたからだ。
現在、ベガリュタルからファリア・ルタリの皇帝陛下へと捧げられる女は皆、貴族学院の白玉クラスから出ることになっている。
この二十年ほどは、特に素晴らしく育った精鋭卒業生が、毎年のように帝国へと旅立っている。この間、ベガリュタル国から彼の後宮へと送られた女の数は、実は他諸国よりちょっと多い。
その理由は――……
「俺が、ベガリュタルの王女殿下と踊れるなんて……夢のようです」
銀の睫毛に縁取られた目がやわらかく細められ、瞳の朱色がシャンデリアの明かりに輝く。
ベガリュタルの貴公子らしい衣装を纏った客人、ファリア・ルタリの風の勇者は、私と踊るのが楽しいようだった。
「我が国は、ずっと、貴女という存在を心待ちにしていました」
「……そう、熱烈に見つめられると、照れてしまいます」
三人の客人との最初のダンスについて、カスィム殿の相手は私が、クララ様の相手はセルジオ王太子が、レオンの相手はイラリアが務めている。これは、我が国から二国へ、歓迎の意を込めた踊りの場だ。
ベガリュタルの聖女であるとは言え、王族ではない、侯爵令嬢に過ぎないイラリアがレオンの相手をしていることからも見て取れるように。
そう、現国王陛下には、王女たる娘がいなかった。
私にとって血縁上は伯母にあたる女性――陛下の妹であり母の姉である王女ひとりを入内させたきり、ベガリュタル国は、二十年以上、ファリア・ルタリに王女を嫁がせられていない。だから貴族の娘が多く嫁いだ。
夜のパーティーで再び合流した時のセルジオ王子の視線からも察していたが、やはり……。魔道具の件と合わせて、後ほど話し合うことになりそうで。
――帝国は、私を手に入れようとしている。
仮にも王女という冠を戴いた私を、ファリア・ルタリの魔の手は逃さない。
鮮やかな濡葉色をした今宵の私のドレスは、カスィム殿の瞳の色と対になるようだった。彼の衣装の差し色は同じく緑色で、私と揃いになっている。
ふたりの装飾品には銀の色がちらちらと光っており、こちらは、彼の髪とも私の瞳とも被る色だった。
カスィム殿がときおり囁き声を浴びせる私の耳には、小さな朱のルビーがついている。
――イラリアたちが琥珀色の衣装と銀を、セルジオ王子たちが青色と金を。と、どの組もお客様と合わせてあるから、勘繰りすぎるのもどうかとは思うけれど……
と。強く腰を抱かれ、ぐい、と大きく引き寄せられる。無礼と言えるほどの動作ではない。でも、この関係性にしては、近い。
「カスィム殿……」
なんとなく視線を外した先には、アルティエロ王子とミナ姫の踊る姿があった。
今は、誰も、彼も、婚約者や恋人と組んではいない。
「姫様」
「はい、勇者殿」
視線を戻し、彼と向き合う。
「貴女の命を脅かす『魔物』を倒せば、俺に褒美をくださいますか?」
――これは、子宮のことか、心臓のことか。
いずれにしても。
「もしも貴方が、魔王を倒すような『勇者様』ならば。私に『否』と云う口はございません」
口を結んで微笑み、ゆるりと小さく首を傾げる。帝国のお客様に身を預け、踊り続ける。
――王女とは。聖女とは。国の財産だ。盾だ。武器だ。
音楽に浸るように瞼を伏せ、遠い昔の婚約の日を想う。
かつてのハイエレクタム公爵令嬢にも、こちらから拒む『口』はなかった。婚約破棄を言い渡せたのは、あちらの王子様だけだ。
――立場と歴史と釣り合いを考えれば、イラリアではなく、私なのは当然。今となっては、むしろ幸いよ。
あの冬、ファリア・ルタリ帝国のとある祝祭に招かれ、ベガリュタル国を離れていた国王陛下と王妃殿下。
代理の王として立ったかつての王太子の姿は、堂々としていた。
一時でも、仮にでも、王の力を手にした男は、その力で婚約者を断罪した。
私は、王の力が恐ろしい。
そして、王女の力も恐ろしい。
――女王エレオノーラは、英雄王女に、首を……
首筋に幻の冷たさが走り、体が震える。知らない方向からの痛みが、首を打つ。
「大丈夫ですか、姫様」
「ええ……平気です」
戦が、死が、今も恐ろしい。




