コミック2巻発売記念番外編
「こんにちは、ラズリスくん」
「……どうも」
笑顔で挨拶すると、少年は小さな声でそう返事をしてくれる。
そそくさと曲がり角へと消えていくネイビーブルーのランドセルに、ガーネットはくすりと笑った。
ガーネットは現在、婚約者の家へ挨拶に来ていた。
今のは、婚約者の弟であるラズリスくんである。
御年十二歳、学年で言うと小学六年生。
兄の婚約者といえども、年上のお姉さんと話すのは少し照れくさい年頃なのかもしれない。
そんな婚約者の弟の反応を微笑ましく思いながら、ガーネットはセーラー服のスカートをなびかせるように颯爽と廊下を進む。
だが婚約者の部屋の前まで来ると、なにやらよろしくない声が聞こえてきた。
「やだぁ、ナルシス先輩ったらぁ……婚約者さんに失礼ですよぉ」
「構うものか。あんな風紀委員みたいな女、もううんざりなんだよ」
「それはわたくしのことでしょうか」
「ひぃ!!」
勢いよくスパーンと障子を開け放し、中へ踏み込む。
すると、案の定婚約者とどこぞの女性がいちゃいちゃしている場面に遭遇してしまった。
つまりは、浮気現場である。
(まぁ、そうだとは思っていたけど……)
あわてふためく二人に、ガーネットは大きくため息をついてしまった。
◇◇◇
「ナルシスとの婚約破棄……まではわかるけど、まさかラズリスくんと婚約だなんて……」
例の浮気騒動から数日後、父からもたらされた話にガーネットは頭が痛くなりそうだった。
ガーネットは近年急成長しているとある企業の社長令嬢。
婚約者であったナルシスは、歴史ある財閥グループの御曹司。
親の決めた婚約とはいえ、さすがにあのように堂々と浮気されるのはごめんである。
ということで父に顛末を報告し、判断を仰いだところ……先方から出された代替案というのが、「ナルシスとの婚約を解消し代わりに弟のラズリスとの婚約を」というものだった。
ガーネットはもともとナルシスを熱烈に愛していたわけではない。
双方の利益のため、元婚約者の弟と婚約しなおすことは構わないのだが……。
「さすがに小学生相手は犯罪じゃないかしら……」
ガーネットは十六歳。お嬢様学校と名高い名門女子高に入学したばかりの高校一年生。
対するラズリスは、いまだ小学六年生。
たった四歳の差とはいえども、高校生と小学生では歴然とした差があるのは間違いない。
一歩間違えれば犯罪者だ。もちろん、ガーネットの方が。
「でも、実際に婚約するのはラズリス坊ちゃんが中学生になってからなんでしょう? 中学生と高校生なら合法ですよ!」
「まるで今の状態が違法みたいに言わないでちょうだい、サラ……」
家庭教師の一人であるサラにうきうきとそう言われ、ガーネットはため息をついた。
(でも、うちの企業の更なる発展のために向こうと親戚関係になっておきたいのは確かなのよね……)
ぼやぼやしていると、ラズリスの婚約者の席も埋まってしまうかもしれない。
早めにラズリスの婚約者の地位を手に入れ、盤石にしておかなくては。
「やるしかないわね」
ガーネットは決意した。
今のうちにラズリスを手懐け、ナルシスのように他の女に浮気しないように、首輪を嵌めておこうと……!
「よし! そうと決まれば行ってくるわ!」
ガーネットは勢いよく立ち上がり、新たな婚約者の下へと向かった。
だが――。
「……申し訳ございません。ラズリス様は体調が優れないようでして――」
「すみません、今日も寝込んでおりまして――」
「頭が痛いとお休みなっておりまして――」
「……思いっきり拒絶されてるわ」
何度目かの訪問を拒否された後、ガーネットは自宅に戻って打ちひしがれていた。
明らかに、仮病を使われている。
自分はそこまでラズリスに嫌われていたのだろうか。
そう思うと、基本ポジティヴ思考のガーネットでもさすがに落ち込むというものだ。
「いえ……もしかしたら、他の理由かもしれません」
何やら高速でスマホをタップしていたサラが、神妙な顔でそう告げる。
「お嬢様は、あちらのお宅の複雑な家庭環境はご存じでしょうか?」
「……えぇ。確かラズリスくんは、非嫡出子だとか――」
「えぇ、妻としての実権を握るのはナルシス坊ちゃんの母であるエリアーヌ夫人ですが、彼らの父親が本当に愛しているのはラズリス坊ちゃんの亡くなられた母親の方だとの噂があるそうです」
「へぇ、詳しいのね」
「学生時代の同級生があちらのお宅で働いているんですよ。今、その子に探りを入れていたんです」
先ほどから落ち込むガーネットの横で一心にスマホを操作していると思っていたが、まさかそんなことをしていたとは。
サラの探偵のような働きに、ガーネットは感心してしまった。
「ガーネットお嬢様は現在急成長中の企業の社長令嬢。ナルシス坊ちゃんとの婚約も、企業としての将来を買われてのことです。エリアーヌ夫人からすれば、ラズリス坊ちゃんとガーネットお嬢様が婚約されるのが脅威に思っていらっしゃるのかもしれないですね」
「だったら、きちんと自分の息子を躾けておけばいいのに」
「えぇ、まったくもってその通りです」
なんにせよ、ラズリスがここまでガーネットに会ってくれないのは、エリアーヌ夫人の横やりがあるのかもしれない。
だとしたら――。
「エリアーヌ夫人の目の届かないところで、接触を図るしかないわね」
ガーネットがそう言うと、サラはごくりと唾を飲んだ。
「まさか、お嬢様……」
「えぇ……通学路で待ち伏せするわ!」
「やっぱりぃ! せめて不審者として通報されないように気を付けてくださいね!」




