22 貴公子の誘い
「お久しぶりです、ガーネット嬢。私のことを覚えておいででしょうか」
見知らぬ青年は、そう言って笑った。
どこかこちらを試すような、からかうような視線に、ガーネットは急いで頭を回転させた。
――胸元の家紋……あれはブランシール公爵家の紋ね。年頃は私と同じか少し上、覚えておいででしょうか……と問うてきたということは、以前に会ったことがあるけど、ここ数年は会っていない。条件に当てはまるのは……。
さっと答えを導き出し、ガーネットは微笑みを浮かべて淑女の礼をとった。
「お久しゅうございます。ブランシール公子、フィリップ様。近年はラモリール王国に留学されていたとお伺いしておりますが、息災のようで何よりです」
一息にそう告げると、青年――フィリップは目を丸くした。
「これは驚いた! 最後に会ったのは遠い昔。それも直接言葉を交わしたわけでもないのに、よく覚えておいででしたね」
……正確には彼個人のことを覚えていたわけではない。
目の前の彼の特徴と、ガーネットの知る限りの情報を照合し、答えを導き出しただけだ。
だがそんなことはおくびにも出さずに、ガーネットは慎ましやかな笑顔を取り繕って見せた。
それに気を良くしたのか、フィリップはタガが外れたかのように話し始める。
「自分でも随分変わったと自負しておりまして、昔の友人にも名乗らなければ気づかれないほどなんですよ。いやはや、まさかガーネット嬢が覚えていてくださるとは感激だ」
そう得意げに、フィリップはぺらぺらと話すのをやめない。
彼はもう何年も、他国へ留学していると聞いている。
……だからなのだろうか。皆に腫れ物のように扱われ、遠巻きにされるガーネットにも遠慮することなく話しかけてくるのは。
ぼんやりとフィリップの話を聞きながら、ガーネットはそんなことを考えていた。
「しかし、あなたのような美しい方が壁の花とは……しばらく外に出ているうちに、この国の男は全員甲斐性なしになってしまったのか?」
「……いえ、私は――」
「いや、きっとこれも運命の女神の御采配なのでしょう。どうぞ、一曲私と踊ってはいただけませんか?」
そう言って彼が差し出した手に、ガーネットは心の底から驚いてしまった。
幼い頃にナルシスと婚約したガーネットには、このように年頃の貴公子から突然ダンスに申し込まれるという経験がほとんどなかったのだ。
まず最初に踊るのは婚約者であるナルシス。その後の相手も、あらかじめ決められているのが常だった。
父ほどの年齢の既婚者や、兄や親類の者たち。
今思えば、選ばれた相手もガーネットが変な気を起こさないようにとの采配だったのだろう。
だからこそ、ダンスを申し込んだ目の前の相手に、どう対応すればいいのか一瞬迷ってしまった。
――えっと、こういう時は……でも今の私はラズリス殿下の婚約者で、彼を差し置いて最初に踊るなんて……。
そう考えた時、またずきりと胸が痛んだ。
ラズリスは来ない。来なかったのだ。
彼との婚約も、いずれ解消となるだろう。
――だったら、ラズリス殿下を気にする意味なんて……。
目の前の彼は王家にも縁ある名門公爵家の貴公子。
彼とガーネットが組めば、ナルシスの地盤を揺るがすことができるかもしれない。
少なくとも、今よりもエリアーヌ妃の台頭を抑えることはできるだろう。
……今後どうなるかはまだわからないが、ここで彼と踊って既知の間柄になっておくべきだ。
ガーネットの頭は、そう結論を出した。
それなのにガーネットの心に浮かぶのは、この場にはいない小さな婚約者のことばかりだった。
――ラズリス殿下……。
彼が怖気づいて宮廷舞踏会に来ない可能性も十分考えてはいた。
だが実際この状況になってみると、何故か見切りがつけられないのだ。
――私は、ラズリス殿下に来て欲しかったのかしら……。
彼が王族で、現国王の嫡子だから?
まだ彼が幼く、簡単に操れると思ったから?
色々と理由を考えてはみたが、どれもしっくり来なかった。
もしこの場にラズリスが現れたら……そんな、ありえない想像ばかりが頭をよぎる。
「ガーネット嬢?」
焦れたように、フィリップが声を掛けてくる。
何か言わなければ、とガーネットが口を開こうとした途端――。
会場の入り口付近がにわかに騒がしくなったかと思うと、信じられない声が聞こえた。
「第二王子……ラズリス殿下の御到着です!」
ガーネットは信じられない思いでぱっと顔を上げる。
ゆっくりと開いた扉の向こうに立っていたのは、礼装を身に纏ったラズリスだったのだ。




