タマ、治療してもらう
銀色の髪をした彼は、フェン・ヴォルツと名乗った。狼の獣人である彼は、この森にもうずいぶんと長いこと住んでいるらしい。ふと気になって彼の背後を覗いてみれば、ゆらゆらと銀色の長い尻尾が、彼の歩みに合わせて左右に揺れていた。
長身な彼は、すらりとしているのに結構筋肉質な体形をしていた。持ち上げてくれている腕が思ったよりも太く、胸板も厚いことに気がつき、少しだけ居心地が悪くなる。
「どうかしたか?」
「い、いえ!」
声をかけられたが、首を横に振って否定する。
今は一人で歩くことができないので、彼に抱かれたまま、私は小さくなっていた。
「着いたぞ。ここが、俺の家だ」
「わあ……」
何百年、何千年という樹齢を誇っていそうな大きな大木。その上に、幹に乗っかるような形で小さな家が建っていた。どこか秘密の隠れ家みたいで可愛らしい。
目測だけれど、その家は地上から20メートル以上は高い場所にある。どうやってそんな高い場所まで登るのだろうと不思議に思ったが、フェンが身を低くしたため、慌てて彼にしがみついた。
重力を感じさせない身のこなしで、フェンはその20メートル以上の高さを難なく飛んでみせた。
ふわりと木の幹に足をつけたフェン。目の前には、フェンの身体に対しては少しだけ小さな扉がある。
「……びっくり、したぁ」
心臓をドキドキとさせながら、ゆっくりと力を抜く。フェンは扉を開けて、小さな家の中に足を踏み入れた。
家の中には、ほとんど家具らしきものがない。ベッドと、机。小さなクローゼット。それくらいで、物が散らかっている様子もない。あまり生活感を感じさせない部屋だった。出口以外の扉もなく、この部屋以外に部屋がある様子もない。
フェンはまっすぐベッドに向かい、その上に私を下ろした。
「あ、ありがとう」
「足」
「え?」
「足、見せろ」
しゃがみこんだフェンが、私の左足を掴む。ずくりと鈍い痛みが走って、思わず体をすくませる。
「……痛いか?」
「ちょっとだけ。でも、耐えられないほどではない、です」
「……」
敬語を使うべきかどうか悩みつつ、質問にこたえる。フェンはその感情を感じさせない瞳でじっと足首を見つめ、唐突に、少し赤みを差している場所をペロリと舐めた。
「ひゃあ!?」
咄嗟に足を引っ込めようとするものの、掴まれている足はびくともしない。そのままペロペロと舐められ、しかも目線はまっすぐこちらに向けられているものだからたまったものではない。顔に熱が集まっていることを自覚しつつ、フェンに止めてもらうよう進言する。
「や、何で舐めるんですか!」
「……人間は、怪我した場所を冷やすんだろ?あと、」
「あ、あと?」
「……味見?」
小首を傾げられ、背筋が凍る。獣人にはあまり食人性があるとは聞かないんだけど、彼はその少数派なのかな。
「わ、私、そんな美味しくなんかないと思います、けど……」
「……そんなことない」
立ち上がったフェンは、覆い被さるようにして私の首筋に顔をうずめる。スゥ、と、深く呼吸をする音がすぐ近くで聞こえた。
「いい匂いするな、お前」
「し、しないです!」
慌てて彼の胸板に両手を伸ばし、距離をとらせる。どうしよう、食欲をそそる匂いとかしているのかな。とは言っても、人間の私が獣人が感じ取れる匂いを察することもできない。気になって自分の髪などの匂いを確認してみるけれど、食欲をそそるような匂いはかんじられない。
(は!もしかして、この格好でお菓子焼いたりしたから、お菓子の美味しい匂いがついちゃってたり……!)
「おい」
「ひゃい!」
思考に耽っていた私の前に、またフェンが座り込む。そして、
大きなその手てま私の足をそっと持った。
「痛いんだろう。冷やすぞ」
「え、や、その冷やし方はちょっと……」
またもや舐められそうな雰囲気を察知し、慌てて止める。流石に、舐められるのはちょっと嫌だ。
「えと、ほら、水とかで冷やしたほうがいいと思います」
「……」
少しだけ、彼の眉根が寄った。あ、怒ったの、かな?と心配になったが、彼はそっと私を持ち上げた。
「近くに泉がある。そこでいいか?」
キラキラと輝く澄んだ泉に、思わず見とれてしまう。その泉にたけ光が降り注いでいて、どこか神秘的な雰囲気を感じた。
泉のほとりに立ったフェンは、そっと私を降ろしてくれた。靴を脱いでそっと足を入れてみれば、熱をもった足首にじわりと冷たさが染み渡る。はふ、と軽く息を吐いた。
「大丈夫か」
「はい。そんなに痛みはしません」
そういえば、私が怪我したときはいつもみんなが大慌てしてたっけ。特に陛下の慌てようは、いつもの落ち着いた様子からは想像も着かないほどだ。
そうしてみんなのことを思い出してしまうと、もうそのことしか考えられなくなってしまう。
(……陛下、心配してるかなぁ)
ううん、陛下だけじゃない。ノロやルーベルトや、他のみんなも、いきなり消えて戸惑ってるはず。カシミアはきっと、自分が側にいたのにって、自分を責めて泣いてる。陛下も、きっといきなり消えてしまって慌ててるはずだ。早く、みんなの所にかえらなきゃ。
そう考え事をしていると、服が破ける音がして、私は我に返った。目線を上げれば、泉に立っているフェンが、上半身裸になっていて、何故かさっきまで着ていたワイシャツをビリビリに引き裂いているところだった。
「え、フェン!?」
「なんだ」
「な、何しているんですか?」
「裂いてる」
それは分かるんですけど、という前に、フェンは引き裂いたワイシャツを私の怪我をした足首に巻き付け始めた。それが、包帯の代わりだということに、遅れて気がついた。
「……すみません、迷惑、かけてしまって……」
そうだ、こうして介抱してくれるだけでなく、彼はあのゾンビの二人に食べられそうになったところも助けてもらったんだ。そう思うと、自然とその言葉が口から出ていた。
「……別に。気にすんな」
固定し終わったフェンは立ち上がり、私の頭を乱暴に撫でた。
無表情のフェンが、少しだけだけど、笑った気がした。
「あのう、フェン。ここって、魔界ですよね?何て言う森なんですか?」
「お前、そんなことも知らずにこの森に入ったのか?」
「あ、あはは……」
確かに、一理ある。苦笑いしか浮かべることができない私の隣に、フェンは腰を下ろした。
「ここは暗緑の森。サーチャルア平原の東の果てにある森だ」
「暗緑の、森……」
確か、魔力を無効化させる力がある鉱石が多くある森で有名な所だ。魔王城からはかなり離れている。金銭すらも持っていない私が、一人で歩ける距離じゃない。
「……逃げるなよ」
「うっ!?」
心を見透かされたのか、先に釘を打たれる。
や、やっぱり、食料として見られてるのかな……?
「まぁ、その足じゃあ逃げられないが」
「そ、そうですけど……。た、食べられる気は、ありませんから!」
思いきって宣言すると、フェンは目を丸くさせた。
かと思えば、足に肘を乗せ頬杖をついてクツクツと笑う。
「必死だな」
命がかかっているのに、必死じゃない分けがないじゃない!
そう言おうと思ったのに、こちらを見据える瞳がギラギラと輝いていて、思わず萎縮する。
「じゃあ、お前がその身体を差し出すまで待つとしよう」
「えっ!?」
それって、自らお食事の材料になるまで待つってこと?
……やっぱり、この人怖い人なのかも知れない。
プルプル震える私の横で、フェンは愉しげに笑った。




