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タマ、捕まえられる

それは、陛下が決闘に行くのを見送った後に起こった。

陛下との楽しい一時は一事中断となってしまったため、私は陛下の椅子から降りて、いつも使っているソファへと腰を降ろした。

それでも考えるのは、陛下のことばっかりだ。




「……陛下、怪我しないよね」

もちろん、陛下が強いってことは知ってる。でも、万が一ってこともある。陛下が痛い思いするのは嫌だなぁ。




「失礼いたします。……あら、タマ様だけですか?」

控えめなノックと共に、カシミアが顔を出す。ぴょっこりと突き出た耳が、可愛らしくピクンと動いた。



「陛下はどうされました?」

「決闘の申込みがあったって、ルーベルトに連れていかれちゃった」

「まぁ、珍しいですね。じゃあ、紅茶の用意だけしちゃいますね!」

「ありがとう、カシミア」

「いえいえ~」

フンフンを鼻歌を歌いながら、カシミアは手際よく準備を進めていく。そうしてまったりしている時に、変化が起きた。




「……?」

一瞬、目の前が真っ白になったのだ。

貧血とかで、真っ白になるような感じじゃない。あんな風に、じわじわと白くなる感じではなく、まるで、目の前に火花が散ったかのような感じだ。本当に一瞬だけ、視界が真っ白になったのだ。




「あれ……?」

「どうかしましたか?タマ様」

「う、ううん、なんでも……」

紅茶の準備を進めつつ、気を配ってくれるカシミアに返事をする。その際、ふと自分の指先に目がいった。違和感を感じて、見てみると、そこが、うすぼんやりとしてしまっていた。




いや、手だけじゃない。全身が、半透明になっていた。




「え!?」

思わず立ち上がる。体だけでなく、今着ている服や靴さえも透明になり始めてしまっていて、自分の身体越しに床が見えてしまっていた。そのことに、足元がすくわれるかのような恐怖心が、一気にせりあがった。



「タマ様、どうし……?え?」

「っ、カシ、ミア……!」

「タマ様っ!!」

異変に気がついたカシミアが、手に持っていたポットを投げ捨て私に手を伸ばす。必死に私も手を伸ばすけれど、その指先はもう目を凝らさないと分からないまでに消えてしまっていた。



「っ……!」

不意に、また目の前に火花が散る。今度は、先程のものよりも強く、長く感じた。思わずきつく目を閉じた私は、光が弱まったのを感じて、恐る恐る目を開ける。




「……う、そ」

鬱蒼とした森が、目の前に広がっていた。




ぐるりと辺りを見回して見るけれど、生い茂る木々と背丈の高い草がどこまでも広がっているだけだ。昼間だというのに森の中は薄暗く、奥の方は見えないほどに緑が濃い。




「……どう、しよう」

沸き上がる恐怖を押さえつけつつ、これからの事を思案する。ここは一体どこなんだろう。魔界か、それとも人間界や、天界か。ううん、もしかしたら、『ニホン』に来ちゃった、とか?



「と、とにかく落ち着かなきゃ」

一度深く深呼吸をする。カシミアだって、私が透明になってしまって驚いていたのだ。きっと不足の事態だったんだろう。誰か他に人がいないかどうか探してみて、なんとかして陛下たちと連絡をとらないと。

その時、おろおろと辺りを見渡し、動けずにいる私の耳に、草木を掻き分ける音が聞こえた。びくりと身体を震わせ、振り向いた先には、



「ぞん、び……」

魔界にしかいないと言われる、ゾンビが二人、こちらに向かって歩いていた。

腐蝕された身体と、ボロボロの衣服。覚束無い足取りのその二人は、私を見つけてニマリと歯茎を剥き出しにして笑った。




「人間」

「人間の娘だ」

「柔らかそう」

「旨そうだな」

「…………」

距離を保つために、後ろに少しずつ下がる。

食人の性質があるゾンビには、あまり会ったことがない。でも、魔界のゾンビは知性があるし、理性もある。ならば、説明すれば、食べることを中止してくれるかもしれない。




「わ、私は現魔王陛下のペットです。私を食べることなどしたら、魔王陛下の怒りを買うことになりますよ」

私のその言葉に、二人のゾンビは瞼の無い剥き出しの目玉を丸くした。そして、一度顔を見合わせた後、ゲラゲラと腹を抱えて笑いだした。




「へへ、じゃあなんでそんな陛下のペットが、こんな場所にいるってんだ?」

「うっ……」

どうやら、今の『陛下のペットである』という話は、私が咄嗟に思い付いた作り話だと思われたらしい。確かに突拍子もない話であるし、私のことをしらない人たちにとっては信じられない話なのだろう。




「それによう、嬢ちゃん」

草を踏みしめ近づく二人。ダラダラと涎を垂らしながら、爪が延びた手を伸ばされる。




「例えそれが本当の話だとしてもよう、ここで、あんたを骨残らず食いつくして、服さえも食べちまえば、誰も気がつきゃしねぇよ」

「……」

確かに、その通りかも。

そっと後ろに下がる私。それよりも大きな歩幅で二人が近づき、とうとう私は二人に背中を向けて走り出した。



「あっははぁ!どこいくんだよ!?」

「久しぶりの肉!」

すぐに追いかけてくるが、ゾンビは足の筋肉等も腐蝕されているため、足はそこまで速くない。でも、こんな足場の悪い森の中だったら、私の足だって遅くなる。

木の根やぬかるんだ地面に足を取られつつ、どこに行けばいいかも分からないままひた走る。




「ほら、さっさと諦めなよ!」

「っ!」

後ろから聞こえる二人の声が耳にまとわりつく。細い木の枝、まだ若い草に引っ掻けてしまい、服や皮膚が裂ける。その瞬間に鋭い痛みが走り、足が止まりそうになる。

ただがむしゃらに走り回っているとき、不意に視界が開けた。




「え!?わ、ぁ!?」

二メートル程の、小さな小さな崖があった。慌てて足を止めようとするものの、足場が悪くて滑ってしまう。

私は、崖から落ちた。




「っ!」

地面に叩きつけられ、一瞬頭の中が白くなって何も考えられなくなる。早く起き上がらなくちゃいけないのに、身体に走る痛みに動きが緩慢になってしまう。




「つっかまえたぁ!」

「きゃっ!」

ダン!と地面に降り立つ音が聞こえたと思ったら、右手を無理矢理引き上げられた。地面に横になる私の両サイドに立った二人は、引き上げられた右腕から覗く皮膚を見て、笑みを深める。



「さぁて、久しぶりの食事だぁ」

「ひっ……!」

ずらりと並んだ歯が開かれる。吊り上げられた腕に、二人の顔が近づいてくる。



「いや、へー、か……!」

身体を食われるという恐怖に、涙が浮かぶ。必死に腕を引っ張るも、二人に捕まれた右腕は少しも動いてはくれない。




あ、もう、だめかも。

次にくる激痛を想像し、きつく目を閉じた、その時だった。

がさり、と、近くの茂みが大きく揺れる音がした。




「……」

「……」

身体を硬直させたゾンビの二人が、辺りを見回す。

訳が分からずにいると、もう一度茂みが揺れる音が聞こえた瞬間、二人は弾かれたようにその場から逃げだした。




「ひぇああ!!」

「雷帝だぁぁぁ!」

「……え?」

呆然としながらも、上半身を起こす。一体何が、と考える暇もなく、すぐ近くに誰かが立っているのに気がついた。

銀色の髪をした、美しい獣人の男の人だった。




「……え、と」

「……」

凄く、綺麗な人だった。

艶のある銀色の髪は少し固そうで、白い首筋にまで伸びた襟足が美しい。ええと、確かこういう髪型をウルフカットって言うんじゃなかったっけ。

ぴょっこりと真上に伸びた三角形の耳も美しい銀色だ。気だるげな金色の瞳は、まっすぐ私を見つめているのに、何の感情も示していないようだった。

ワイシャツに黒のデニムという、なんとも簡素な出で立ちをしたその人は、ゆっくり、しかしまっすぐに、私に向かって歩いてきた。




「っ……」

何の感情も感じないその表情が怖くて、距離を取ろうとする。が、左足に鈍い痛みが走って、それは叶わなくなった。




「人の娘か」

低いテノールボイスが、そう問うた。答える間もなく触れられる距離に立たれ、目線を合わせるようにしゃがまれる。でも、なんて答えればいいか分からず戸惑っていると、左手を掴まれ、彼の口元へと引っ張られた。




「あ、の?」

「……この匂い、結界の類いか?」

すん、と一度鼻を鳴らした彼は、何故か私を流し目で見つめつつ、ペロリと手首の内側を舐めた。




「ひっ……!」

喉元までせり上がった悲鳴を何とか押さえる。ぬるりとした舌を身体に這わせられる感覚に、背中が粟立ってしょうがなかった。




「な、なにするんですか!」

「……」

私の質問に、彼は虚空を見つめつつ小首を傾げた。




「……味見?」

「え」

「とりあえず、行くぞ」

「え!」

身体の隙間に腕を突っ込まれたかと思ったら、横抱きにされた。そのままどこかへとスタスタ歩き出す彼に、流石に危機感を感じずにはいられない。



「は、離して……!」

「左足、捻って怪我してるだろ。大人しくしてろ」

「そ、そうじゃなくてですね、知らない人には付いていっちゃいけないと……」

「俺が側にいれば、さっきのゾンビみたいな食人の野郎たちに襲われない。それともお前、身体喰われたいのか?」

「う……」

先の恐怖が蘇る。左足を怪我している今は、さっきみたいに逃げることも叶わない。それなら、まだ食人の性質を持たない彼と一緒にいたほうが、安全なのかもしれない。

私は観念して、大人しく彼に連れていかれることを受け入れた。




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