5. 大きい人との戦い
次の狩りの前に、ガングー様がまた俺たちの前に現れた。ガングー様は狩りの連中に言った。
「ホクコメ国では、鬼退治の話が出ている。奴らは身体も大きいし恐ろしい武器も持っている。負けるんじゃないぞ。そのためには使えるものはなんでも使うのだ」
穏やかな声ではあったが、恐ろしい響きを含んだ声だった。俺は背中がゾッとする感じがした。使えるものは何でも使えと言った時、火人たちはみんなシンのことを見た。
まあ、わかるよ。シンは奴隷でもあるし、食料でもあるし、斥候でもあるし、捨て駒でもあるわけだ。
それからガングー様は、今度は俺だけを呼び出した。静かなところでガングー様の後ろで、俺は何を言われるのかビクビクしながら控えていた。
「ベイブレード、お前、シンをちゃんと教育したようだね」
「はい、ガングー様。シンは火の魔法が使えるようになりました」
ガングー様は満足そうに頷いた。
「よろしい。あの小僧の心には悪が芽生えた。アルジンはさぞ悔しがったことだろう。それでは、さらにアルジンを苦しめてやろうではないか。悪に落ちたあの子どもを殺してやろう」
ガングー様の目は邪悪そのものだった。俺ですら恐ろしいと思う目でギラギラとそこらじゅうを見回している。そして誰もいないことを確認すると俺にそっと耳打ちした。
「あの子どもの本当の名前は、牧西鷲野次郎だそうだ。覚えたか?鷲野次郎だ。お前はこの名前を持って、一番効果的な時を選び、あの子どもを焼き殺してやるがいい。あの子どもはさぞ心を苦しめて死ぬだろう。そして、アルジンにも救われず一人ぼっちで黄泉に下るのだ。アルジンはきっと苦しむはずだ!わはははは!」
俺がシンを焼き殺したら、つまりシンは育てた兄に殺されるわけで、裏切られたと思うだろう。それはきっと絶望の極みだ。いい気味だ。俺に悔しいと思わせた報いだ。絶望して死ぬがいい。
「はい、ガングー様」
俺はその時は本当に嬉しかったのだ。ついにシンを目の前から消せるんだ。しかも俺の手で殺すことができるんだ。
しかし全く愛着がないわけではない。この5年間ずっと俺のそばにいたんだ。シンは俺にはなんとなくなついている。俺以外には理由もなくそばに寄ることはないし、恐れているのがわかる。
そんな俺がアイツを殺すのか。やっぱり裏切られたと思うだろうな。それが絶望ってやつだもんな。
愛情とはなんだろう。
俺たち火人は、そんな感情はないはずだ。親父ですら、俺の生死など全く関係ない。血のつながりなんて己の快楽のためならばないも同然だ。親父がうまそうな肉と俺の死を目の前にしたら、迷わず肉の方を取るだろう。俺のことを助けるなんて気持ちはみじんもないはずだ。
それが火人という生き物だ。
では、親子ってなんだ。肉親ってなんだ。血のつながりってなんだ。そして、愛情ってなんだ?
俺たちには愛情はない。だが、愛着はある。らしい。俺には愛着という感情が芽生えた。シンのせいだ。
アイツがいつも俺を追ってくるからだ。
そのせいで変な甘ったるい感情が生まれちまった。
俺は来たるべき時に、ちゃんとアイツを殺すことができるか、心配になった。仕損じたらガングー様は怒るだろう。ただの折檻では済まされないほどの苦しみを俺に与えるに違いない。
それは、なぜだ?
俺のためではない。ガングー様自身のためだ。つまり、俺はガングー様の駒ではあるが、ガングー様にとって、愛着のかけらもない者だってことか。
俺はまたあの、何とも言えない感情が心にわいてくるのを感じた。
切なさだ。
いや違う。みじめさか。
俺は誰にも大切にされていない。愛されていない。必要とされていないという空しさだ。
そのことを思うと俺の感覚が鈍る。シンを殺すことができなくなりそうだ。
当のシンは、たとえ心に悪が芽生えて火の魔法が使えるようになっても、アルジンが悲しんでくれるんだ。まだアルジンに愛されているんだ。あいつはアルジンの宝なのだから、いつまでもアルジンは待っているだろう。
うらやましい。
ガングー様は俺を待ってるなんてことはあり得ないのだから。
悔しい。
俺は何なんだ!
気が狂いそうだった。とにかく俺はシンよりもみじめな存在だということを認識してしまった。
それに、考えれば考えるほど、アルジンとガングー様を比べてしまう。もしかして、ガングー様はただわがままを言ってるだけではないか?確かにものすごい強力な魔法使いだが、本当に自分のことしか考えていない、俺たちと同じような存在なんじゃないだろうか。
それに比べてアルジンは、何か全く違う存在だ。アルジンっていったい何なんだろう?
ガングー様はアルジンを嫌っているが、アルジンはもしかしてガングー様より強いんじゃないだろうか。だって、あんな状態のシンを守り続けることができるんだから。
アルジンよりもガングー様の方が強いのなら、シンはとっくに死んでしまっているだろう。だけど、そうだ契約によって、シンは死ななかったんだ。それって、やっぱりアルジンとガングー様の契約ってことだよな。
俺は頭の中がぐちゃぐちゃにこんがらがった。こういうことを考える脳の構造をしていないんだ。
だけど、ガングー様とアルジンを比べるというのは、結構大切なことに思えた。
というか、アルジンのことを正しく知ることが大切なのか。それがわかれば、俺の欲しいものが手に入る気がしたんだ。シンが持ってるアレだ。俺もアレが欲しい。
そうだ、今わかった!俺はシンが持ってるものが欲しかったんだ。俺にはそれがないからみじめな気分を味わっていたんだ。アレさえあれば、俺はみじめにならない。満たされる。そう思った。
アレってなんだかわかるか?わからねぇだろ。だって、俺だってわからねぇんだから。そんなもん、俺たちの間にはないんだ。火人には理解できない感情なんだから。
そうだな、でも簡単に言えば、シンが持ってるものは「全て」だ。あいつは何にも持ってないようでいて「全て」を持っている。
それは、守られているからこそ持っている。大切だと思われているから持っている。宝だと思われているから持っているものだ。
俺も“宝”だと言われたい。大切だと思われたい。
そんなことをぐちゃぐちゃ考えていても埒があかない。自分だってよくわからないんだから。
そうこうしていると、俺たちは目的地ホクコメ国の南側に来ていた。この国は大きい。そして、どこからでもすぐに町に入れる。
いつも同じところから入ると警戒されるから、毎回別な町の入口から入るようにしている。
俺たちは、今回は西の端から入ろうと決めていた。夕方になり俺たちの肌はうろこ状になる。そして赤い髪の毛が逆立ち、全体的に赤い光りを帯びる。こうなると俺たちは力が増すんだ。
「シン、行け!」
まずはシンを斥候に出す。シンは言われた通りホクコメの町に向かって走り出した。町の方は静かだ。10分くらいして、シンが走って帰ってきた。いつもと様子が違う。
「どうだった?」
俺たちが聞くと、いつもは無言で頷くのだが、今日は違った。何かを訴えようとしているらしい。だが、常日頃から俺が喋るなと言ってるせいもあって、シンは律儀にそれを守っていた。そうは言っても喋らなきゃ何だかさっぱりわからねぇ。コイツは臨機応変って言葉を知らねぇらしい。
「言いたいことがあるなら、はっきり言え!」
俺が怒鳴ると、やっと口を開いた。
「大きい人が町の入口にたくさん集まってる」
「何だって!どんくらいだ?」
「多分、30人くらい」
シンはちゃんと斥候の役目を心得ているようだ。
「30人も!」
俺たちは今回ちょいと大目の10人で来たが、その3倍か。分が悪い。
「たぶん、武器がある」
シンが言った。暗いのによく見えたもんだ。
「どんなだ?」
シンは少し考えたようだ。武器など俺たちは使わないから見たことがないだろう。名称がわからないのもしょうがないことだ。
「このくらいと、このくらいと、このくらいの、細長いピカピカしたの」
シンは手振りで一生懸命に俺たちに伝えようとした。まあ、それが精いっぱいだろう。斥候としてはよくやったんじゃないだろうか。
「銃だな。危険だが、どうする?」
俺たちのドンがみんなを見回した。火人は戦いがうまい。そうそう負けない。負けた事がない。
俺たちは血が騒ぐ気がした。
「やろうぜ!」全員がそう言った。
「良い考えがある」
ドンはシンを指さして言った。
「アイツを前に立たせるんだ。そうしたら、ホクコメの奴らはそうそう撃ってこられねぇ」
全員がニヤリと笑った。良い作戦だ。シンはなかなか使い勝手がいい。
「シン、俺たちの前を歩け。ゆっくり歩け」
シンは歩き出した。その後ろを俺たちがぞろぞろついていく。3メートルくらいすぐ後ろだ。
町の入口付近でシンは立ち止まった。明らかに向こうに人がいるのがわかる。
前にはホクコメ人、後ろには火人。辺りは暗く静かではあるが一触即発の雰囲気の中、シンはその間で立ち尽くしていた。
その時、ホクコメの中から細い光りが上がった。
ヒューーーーーーン、バン!
という聞きなれない音がしたと思うと、俺たちを明るく照らした。花火みたいだが、もうちょっと長い時間光っていた。
俺たちは眩しくて目を細めていた。その時向こうの様子も少しわかった。シンの言った通り30人くらいの大きい人が武器を構えている。静かではあるが誰もが臨戦態勢に入っているようだった。
向こうの奴らのざわついた声が聞こえる距離だ。その中で
「子どもだ!」
という声が聞こえた。シンのことだ。そう、シンは俺たちの楯だ。
明らかに火人でない子どもが真ん中に立っているのに、そうそう攻撃できないだろう?
だがホクコメの奴らは素早かった。
俺たちはシンを中心にして10人が左右に広がっていたが、その一番左端のヤツめがけて一斉に光りが飛んできた。アレは銃だ。銃の弾が俺たちの一番左に向かってたくさん飛んできた。
ドンドンという聞いたことのある音のほかに、ピュンピュンという聞きなれない音も聞こえる。
ほどなくして、左端の二人が倒れた。一人は弾を受けて足から血を流している。もう一人は死んで、崩れて塵になったのが見えた。
本当に恐ろしいえげつないやつらだ。
「シンの陰に隠れろ!」
俺たちはシンを有効に使った。
「シン、腕を広げろ!」
シンは俺の命令に忠実に従う。腕を広げてそこに立ちはだかった。これでは撃てないはずだ。
だが、意外にもホクコメ人たちは撃ってきた。どうやらシンがあまりにも忠実に従うものだから、ただの案山子にでも見えたのだろう。
俺たちは反撃に出た。シンの陰から炎を撃ちまくる。大人になると炎はだいぶ強い。まあ、あんまり距離があると届かねぇけどな。シンを押しやりながら俺たちは前進していって炎を出した。
ホクコメ人が撃った弾は俺たちを狙っているが、命中率がそんなに良いわけじゃない。むしろ俺たちのほうが命中率はかなり良い。
そんな中、ホクコメ人の撃った弾がシンの足に当たった。
「ぎゃー!」
と言ってシンが転がった。シンは腕で足を押さえて痛がっているが、それ以上声を出さなかった。
だが、それだけでもホクコメ人には影響を与えることができたってもんだ。
シンがただの人形じゃなくて、本物の子どもだってことがわかったんだ。それに、ホクコメ人が子どもを傷つけてしまったということで、少なからず動揺したようだ。とたんにあっちからの攻撃がなくなった。
俺たちはそれを機にどんどん攻撃した。撃って撃って撃ちまくった。
ただ、シンは自分が撃たれたことで相当恐怖を覚えたらしい。なかなか立ち上がらなかった。まあ、当たり前か。
だが俺たちは容赦しない。
「シン、立て!」
俺が叫ぶと、シンは俺の方を向いた。もう嫌だと訴えかけてる顔だ。良い顔だ。
「立ってあっちを向け!」
俺はシンの髪の毛を掴んで無理やり立ち上がらせた。
シンは懇願の目をして俺を見たが、何も言わずまたあっちを向いて立った。片足をひきずっている。痛いのだろう。震えている。
こんな戦闘の最中だというのに、俺の心に語りかける何かがあった。そうだ、ガングー様の命令だ。
俺はシンを思いっきり裏切って殺さなければならない。ひどい目にあわせて効果的に苦しめて殺すんだ。
今こそシンを殺すのにおあつらえ向きではないだろうか。俺が後ろからシンを殺すんだ。その時アイツはきっと、育ての兄に殺された無念の顔をするだろう。
ガングー様の命令を聞けば、俺は褒めてもらえる。
シンは、死ぬだろう。アルジンは悲しむだろう。シンが死ぬとアルジンは宝を失うのだから、悲しむだろう。それが狙いだ。
今俺たちは戦いの真っただ中だ。
もしホクコメ人の撃った弾が俺に当たれば、俺だって死ぬだろう。
その時、ガングー様は何と言うだろうか。
馬鹿者と言うんじゃないか。
そして、俺が死んだことを悲しみもしないだろう。
こんなところで戦いの楯にされて、足を撃たれて、さらに兄に殺されるシンだが、アルジンは悲しんでくれる。
また負けた。俺はどうしてもシンに勝てない。シンは俺の欲しいものを持っている。
それなのに俺は何もない!
俺はシンを殺してやろうと思った。憎くてしょうがないんだ。
だけど、殺したところで、きっと憎しみは消えない。それどころかきっとさらに憎くなるはずだ。違う、憎いんじゃない。悔しいんだ。
俺もアイツの持ってるものが欲しい!




