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森守りシンの景色 ~魔法の帽子~  作者: marron
お母さんのお花
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2. シンのいない絶望


 シンがいなくなったことを、私はしばらく受け入れることができませんでした。

 朝起きると家じゅうシンを探して回りました。朝食を食べて、今度は家の周りを探しました。そして、時折森の方まで足を伸ばしシンの姿を探しました。同じ4歳くらいの子どもを見ると、ハッとして駆け寄ってしまうこともありました。

 それでも、シンはどこにもいませんでした。半年も経つと、私はシンを探すことをやめました。シンはいなくなったのだと、やっとわかったのです。

 そう実感すると寂しさが家じゅうに満ちたようになり、暗い日々が続きました。

 何をしていても涙が出てきてしまうのです。鬼に連れ去られたわが子が、無事なはずはないと、死んでしまったのだと思うと、悲しくていられませんでした。

 ほとんど窓も開けず、ただ生きているだけの日々でした。

 そんなある日、そうあれから4年か5年か経った時でした。虹森から私たち夫婦に手紙が来ました。

『至急虹森に来られたし、歌司』

「どういうことかしら?」私は夫に訪ねました。

「さあ、分からないが、先日ホクコメの人たちがたくさん来たということだから、何かその件かもしれないね」

「私にも?」

 夫は森守りなのですから、ツカサ様のいる森に呼ばれることが多いのもわかりますが、今はただ抜け殻のように仕事もせず何もしないで暮らしている私に、何の用があるのか、まったく見当が付きませんでした。

 私たち夫婦はゆっくりと支度をして、ウタ・ツカサ様の住む虹森へ行きました。

 そこで驚くことを聞かされたのでした。



「近頃ホクコメの人たちが鬼退治をしたという話を聞いていますか?」

 ツカサ様の話は驚くことから始まりました。まず、ホクコメという外国のことを私たちはあまり知りません。仲が悪いわけではないのですが、お互いに干渉するところがあまりないのです。多少の行き来はありますが、貿易などもほとんどありませんし、子どもの頃以来久しぶりに聞いた国の名前でした。

 そのホクコメ人が鬼退治をしたというのですから、驚きです。どうやってそんな情報があったのか不思議でした。でも、ウタ・ツカサ様だったらなんでも知っているのでしょう。私たちは大人しくツカサ様の話を聞いていました。

「そこで、彼らは鬼たちから一人の子どもを保護したというのです。その子どもの髪や目の色、体つきといった特徴から、私たちの国の子どもではないかということで、その子どもが連れてこられたのですよ」

「まあ」

 私は思わず声を出してしまいました。そんなことはありえないと思うのですが、そんな不思議なことがあるのかしら、というような気持でした。

 ツカサ様はまた続けておっしゃいました。

「わたしはその子どもに会ってみました。そして少しばかり言葉を交わしました。どうやら本当にこの国の子どものようでした。そして、あの忌々しい5年前の事件を思い出したのです。その時、あなた方の子どもがさらわれましたね。

 わたしはその子どもが、あなた方の子、シンではないかと思うのです。それであなた方を呼んだのです」

「シンが?」

 私たちは叫んでしまいました。死んだと思っていたわが子が、生きていたかも知れないのです。

「会わせてください!」

 私はツカサ様に詰め寄りました。この数年間の悲しみは、これで終わるかも知れないのです。



「落ち着いてください」ツカサ様は私を制しました。

「話はそう簡単ではないのです。まあ、聞きなさい。

 まず、その子どもがシンだという保証はどこにもありません。そのつもりでいてください。

 それから、その子どもは非常に、なんというか、辛い目にあってきたようで、記憶がほとんどありません。今、歌い手たちが世話をしていますが、日常のこともほとんど何もできない状態なのです。たとえ本当にあなた方の子どもだったとしても、育てるのは大変かもしれないのです」

「そんなこと!」

 話の途中だというのに、私は思わず声を出してしまいました。早く会いたくてしょうがないのです。それに、わが子ならたとえ記憶がなくても、日常のことを忘れていても、世話ができないなんてことがあるでしょうか。

「そんなことないと思いますか。では、それはそれで大丈夫ということにしておきましょう。

 もうひとつ、大切なことがあります。彼はとても恐ろしい辛い目にあったことを分かっておいてください。歌い手たちは彼の記憶を消そうとしていますが、私はそれはやってはいけないと思うのです。彼の大切な記憶ですから。

 ですから、何かの拍子に記憶が戻り、取り乱したり具合が悪くなることも考えられます。いえ、きっと近い将来そういうことは起こるでしょう。その時に対処できないと放り出してしまっては可哀想すぎます。そういうことを覚えておいてほしいのです」

 夫は少し唸っていました。確かにそれは厳しいことです。でも、自分の子どもだったら、きっとなんとかできるはずです。それが親というものだと思うのです。

「わかりましたか?彼はあなた方の子どもだとはまだわかりません。それから、彼は記憶が曖昧で、日常生活に難があります。さらに、記憶の戻り方次第では、人格に問題が出る可能性があるということです」

 ウタ・ツカサ様はまとめて言いました。こうしてまとめられると、なんだかとても大変そうです。

「だから、本当に無理そうならば、この家で面倒を見ることもできるのですよ」

「そんな」

 そういう風に言われると、なんとしてでも自分で育てたくなってしまいます。だって、今までずっとシンを思っていたのですから。

「あともう一つ」ツカサ様が言いました。「もしも、その子が、あなた方の子どもでなかった場合に、このことを他言しないで欲しいのです。それは、その子のために」

「はい、それはもう」

 よくわかります。その子はかなり特殊ですから、私たちがどうこう言えるものではないということです。

「では、呼んできますね」



 ツカサ様自ら、子どもを呼びに行きました。部屋に残された私と夫は手を握り合い、祈るような気持ちで待ちました。どうぞ、その子がシンでありますように、と。

 やがてツカサ様と年寄りの歌い手に連れられて、その子がやってきました。部屋に入ると直立不動で指先まで伸ばしているその子は、9歳になるシンにしては小さすぎる子どもでした。

 7歳か8歳くらいでしょうか、幼い顔には痣が付き、片目の瞼が腫れていました。どんな顔をしているかがまるで分かりませんでした。衣服はこの国のものをつけていましたが、身体は細く手足は火傷の痕のようなものが付いていてとても醜い状態でした。

 私と夫は、その子があまりにも可哀想なのと、自分の子どもではなかったことへの悲しさとで、思わずため息をついてしまいました。息子であるという希望を持っていただけに、その対面したときの絶望感といったらありません。

 ツカサ様はその子の目線にしゃがみ、そして私たちを指して言いました。

「あの人たちが誰だかわかりますか?」

 するとその子どもは、少しの間をおいて小さな声で答えました。

「おとうさん、おかあさん」

 耳に残る、あの子の声でした。シンの声です。私は思わず目を見開いてその子を見ました。どこかにシンの面影があるのではないかと探したのです。

「あなたの名前は?」ツカサ様が子どもに聞きました。

「ぼくは、シン」

 その子どもは「シン」と名乗ったのです。

 信じられませんでした。

 目の前にいるその子どものどこにも、シンの面影はないからです。

 シンは、本当に可愛い子でした。親の欲目ではなくても目鼻立ちがはっきりとしていて美しい顔立ちだと言われる子だったのです。そして、甘えん坊でお喋りで、とても無邪気な子どもでした。

 それが、この子どもは、小さく、醜く、無表情で、とてもうちの子とは思えません。

 そんな、どこか蔑むような顔を、私はしていたに違いありません。その子どもは、じっと私を見ていたのに、下を向いてしまったのです。自分の親と思った人間のそんな顔を見て傷ついてしまったことでしょう。でも私には、そんな子どもを思いやる気持ちは持てなかったのです。それだけ、自分自身が傷ついていましたから。



 ところが、夫はその子どもに近寄り、なんと子どもを抱きしめたのです。

「シン」

 そう言って、涙を流しました。夫はこの子が私たちの子だと思ったのでしょう。私には信じられませんでした。確かに声はシンの声ですが、他にシンのようなところはないのですから。

 それでも夫は立ち上がり、ツカサ様と私に言いました。

「この子は私の子どものシンです。声を聞いてはっきりとわかりました。懐かしいシンの声です。それにほら、ここにほくろが3つ並んでいるでしょう」

 夫は子どもの首筋に3つのほくろが並んでいるのを見せました。今まで気づきませんでしたが、確かにそれはシンのものでした。

 私の絶望は、違う種類のものになりました。可愛い私のシンが帰ってきたのではなく、醜く変わり果てた子どもがシンとして帰ってきたのです。

 複雑な思いでした。

 それがシンなのならば、どんなに醜くても連れ帰り一緒に暮らし、愛を注ごうという気持ちと、それがシンだとしても、育てるのに難しいのなら、この家で育ててもらおうという気持ちです。でも、後者の場合は、やはりシンは“死んだ”と思わなければならないことです。

 どんな姿でも、生きていてくれれば良い、と思っていた私でしたが、現実は難しいものでした。

 日常生活もままならない、記憶もない、しかもシンの面影のない子どもを私は愛して育てられるのか・・・

 私は覚悟を決めました。

 シンと一緒に暮らすと。

 夫はすでにシンを連れて帰りたいと思っているようでしたし、私も、やはりどんなにシンに見えなくても、シンなのだろうと、どこかで思い、そして今までのシンのいない生活の空しさを埋めたいという気持ちがありました。だから、きっと大変だろうと予想はつきましたが、彼を連れ帰ることに決めたのです。

 1週間ほど虹森で、親子三人で暮らしました。歌い手の助けを借りて、シンが日常生活を送れるようにと、多少の訓練をしてもらいました。それくらい、シンは野生の子どものようでした。

 そして家に帰る時に、ツカサ様に言われました。

「シンを頼みます。記憶に関しては、しばらくは様子を見なければなりません。無理に昔のことを思い出させるようなことをしないようにしてください」

「それは、シンが4歳までのこともですか?」

 夫が聞きました。

「そうですね、いなくなっていた間のことを思い出さないようにしてほしいのですが、昔のことを思い出そうとして、連動して思い出すこともあり得ますので、なるべく過去に目を向けさせないでほしいのです。

 できるだけ、未来のことを語るようにしてください」

 ツカサ様の注文は難しいものでした。

「学校の手続きはしてありますから、明日からでも通えます。学校生活に慣れてきたら、テトに弟子入りさせて、森守りのことを教えてもらうようにしてください」

「テトにですか?」また夫が聞きました。

「そうです。テトならば、きっと引き受けてくれるでしょう」

 そうして私たちは家に帰ってきました。



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