31. 虹森の朝
次の日の朝、ガクとシンはいつものように目を覚まし仮小屋の木を降りた。そうしてシンはいつものように湯を沸かした。
「お腹すいた」
寝ぼけ眼でガクが言う。昨日はいつもよりずっと少ない量しか食べていない。歩き続ける森守りにとって体力を維持するためには、まずは食べなくてはならない。しかし、食べるものがないのだ。
ガクはもう山菜すら探しに行くのもおっくうだった。
「朝ごはん、どうしましょうね」
シンがお茶を淹れてくれて、ガクに渡しながら言った。
「どうしようかなぁ。なんか、探さなくても良いかなって思ったんだけど、お腹すいたな」
ガクは眠そうに答えた。
「お茶だけでも大丈夫ですよ。今日中には虹森に着きますから」
シンは、いつもはしっかりと食事をとるのに、いらないなどと殊勝なことを言ってガクを慰めた。
「そういえば、昨日の夜はどうしてたんですか?」
ガクがなかなか寝に上がってこなかったのをシンは聞いた。
「ああ、山菜探そうかと思ってたんだよね。でも、疲れちゃって、どうしようか考えてたら、あ!」
ガクは話の途中で立ち上がった。すぐに木に登り荷物を取ってきた。
「昨日さ、面白いことがあったんだよ!」ガクは荷物を持ってきて、ガサゴソと中を探していた。「実は、変な人、人かな?まあ、いいや。人に会ったんだよ。すごく小さいおじいさんで、お腹空いたって言うんだ。一日中何にも食べてないって。それで可哀想だからツカサ様に持っていく砂糖をちょっと分けてあげたんだよ。そうしたらさ、何ていうか」
そう言ってガクはちょっと考え込んだ。あまりよく思い出せないのだ。
「何だっけ?えっと何かなぞなぞみたいなことを言ったような気がする」
「砂糖あげて、なぞなぞ?」
シンが少し笑った。確かにそれはおかしい。何か違う気がするのだが、ガクは思い出せない。
「うん、なぞなぞじゃないけど、なぞかけみたいなことを言ったんだよね。それでそのあと、祝福をって言ってこの壺をくれたんだ」
「へえ」
シンはガクが荷物から取り出した壺を受け取った。自分たちの頭くらいの大きさの持ちやすい壺で、生成り色ですべすべしている。茶色い波模様が入っているほかは飾り気もないものだが、綺麗なものだった。壺の口は木でふたがしてある。
シンは何気なくそのふたを取り除いてみた。ポンと小気味よい音がしてふたが開く。中から微かにカサという音がした。シンは覗き込んで一瞬息をのんだ。
「ガク、これ」
それだけ言って震えている。どうしたというのだろうか。
「なに?」
ガクには何が入っているのか分からないが、シンが驚くようなものが入っているようだ。
シンは顔を歪めて悲しいような切ないような顔をして上を向いた。目をしばたかせて、何かを思い出しているような、涙をこらえているようなそんな感じだ。とにかく感極まってしまってなかなか声が出ない。
「シン、どうしたの」
「これ、僕が・・・初めて食べた時、ふ・・・泣いた」
「?」
シンが壺の中からつまんで出して見せたものは、小さな真っ白なおせんべいのようなものだった。ガクはそんなものは見たことがなかった。だけどシンは食べたことがあるらしい。
シンは一つ口に運んで味わい、泣きそうな赤い目をしてガクにも勧めた。
「おいしいですよ、食べてみてください」
ガクもひとつつまんで食べてみた。甘い優しい味がした。口当たりも優しくて柔らかくてそれでもサクサクしている。口の中で溶けるようにしてすぐになくなってしまった。
「おいしい」
「そうでしょう?はい」
シンはガクが美味しいと言うのを確認してから、壺を傾けてガクの手のひらにたくさんその白いおせんべいを乗せてあげた。
軽くてほんのり甘いそれは、この壺にたくさん入っているが、それを二人で半分こするくらいでは、お腹は満ちそうにもない。それでもとても美味しかった。たとえお腹いっぱいにはならなくても、幸せな食事だ。
シンも同じくらい壺から出して食べていた。
「一番初めの日に、誰かが僕の口に入れてくれたんだ。それで食べられるものだって分かった。
それから、朝になるとそこらじゅうに落ちていたから、毎朝拾って食べていた」
「毎朝、拾ったの?」
「うん、ベイたちは朝は寝てるから。僕は食べるものを探していて、これを見つけた。どこに行ってもこれは毎朝落ちていた」
「これ何なの?」ガクが聞いた。
「わかりません。でも、昼になるとなくなっちゃうんです。はい、まだまだありますよ」
シンはまた、壺を傾けてガクの手にそれを乗せた。シンもまた傾けて食べていた。
「なくなっちゃうって、溶けちゃうのかな。昼になくなっちゃうって、朝露みたいだね」
そう言いながら、二人は何度か壺を傾けては手に乗せて出して、おせんべいを食べた。いつの間にかお腹もいっぱいになっていて、そして壺の中も空になった。
十分に朝食をとり、二人は出発した。あれだけ疲れていたガクは、あのおせんべいを食べてから何だか疲れが取れた気がした。それで、二人はいつもより速く歩くことができて、お昼前には歌司の住む虹森へたどり着いた。
歌司のいる家に着くと、二人はまず部屋に案内された。ここはいつでもお客がたくさん来る家なので、客室もたくさんある。
案内の人が行ってしまうと、ガクは畳に倒れ込んだ。
「あ~、やっと着いたー!」
そう言えば、初めてシンと相棒を組んでここに来たときは、こういうことができなかったものだ。
ガクが畳でゴロゴロしていても、シンはいつも通り壁を背もたれにして本を読んでいた。これもいつも通りだ。
すぐに昼食の時間になり、二人はやっとまともな食事にありつけた。
食べ終わってくつろいでいると、またすぐに案内の人がやってきた。
「シンさん、ツカサ様がお呼びです」
「はい」
ガクとシンが立ち上がって行こうとすると
「あ、シンさんだけです。ガクさんは待っててください」
と言われてしまった。
「シンだけ?」
「はい」
どういうことか、ガクは置いてけぼりをくらい、一人で部屋で待たなくてはならなかった。食後に一人で部屋にいると、眠くなる。いつの間にかガクは眠っていた。
部屋の扉をトントンとたたく音でガクは目を覚ました。
「ガク、ツカサ様のところに行ってください」
とシンの声が聞こえた。
だけど姿が見えない。ガクが部屋を見回すと、またトントンと扉が叩かれる音がした。
ハッとしてガクは目を覚ました。
一瞬の夢を見ていたらしい。部屋を見渡しても、シンの姿はなかった。シンはまだ戻っていないのだ。
扉を開けて案内の人が入ってきた。
「ガクさん、ツカサ様がお呼びです」
「あれ、シンは?」
「いえ、私は分かりませんが?」
そう言って案内の人は行ってしまった。シンはまだ歌司のところなのだろうか。とにかくガクは歌司の部屋まで行くことにした。
今いる北棟を出て、渡り廊下を渡って南棟の出入り口の前を通る。そのまま渡り廊下を右に曲がって少し行くと歌司のいる東棟の出入り口がある。
ガクが歌司の部屋に行くと、シンはいなかった。ガクはキョロキョロしながらウタ・ツカサの前の座布団に座った。
「ウタ・ツカサ様、シンは?」
歌司も文机の前に座り、ガクと向かい合った。
「シンは少し検査があって、西棟に行っています」
西棟はガクが前にやけどを負ったときにお世話になったところだ。そんなところに、シンは一体どうしたのだろうか。
「ガク、あなたにはひと足先に結果報告があります」
「結果報告?俺に?」
「はい、あなたは今年度適性検査を受けていたのですよ」
寝耳に水だった。一人前の森守りになって5年も経つのに、今頃適性検査を受けて、適正なしと言われたらどうしたら良いのだろう?
「心配しないでください。適性と言っても森守りとしての適性ではありません。まあ、最初から話しましょう」
ガクの心配をよそに、歌司は話しはじめた。
「実は森守りの5年目は全員適性検査を受けるのです。これは5年目以下の者たちには内緒なので、シンには言ってはダメですよ?
どんな適性かというと、後輩の指導ができるかどうかということです。森守りとして一人前でも、後輩を指導できるかと言うとかなり向き不向きがあります。それで、1人前の5年目に必ず年下の者と組ませて適性を見るのです。勿論後輩指導に向かないと判断したところで、森守りとしては何の問題もありません。同年齢以上の者と組むことになるだけです。実際、5年目以上の者に指導をする必要はないので、ある程度年が上になればあまり関係ありません」
なるほど、とガクは納得した。自分も初めて年下と組んだわけだし、3年前にワタルと組んだときは、ワタルが5年目だったわけだ。
それに、先日5年会があった時に、全員年下と組んで大変だ、という話題で盛り上がったのだ。こういうことだったのか。
「ただ、あなたの場合、状況が特殊だったこともあり、帽子を使ってもらったのですが、帽子の持ち主から意外な結果を聞いたので、皆とは別で来てもらったのです」
意外な結果とはなんだろう?何かやらかしただろうか。ガクは心配になった。
「帽子のことですが、アレは普通、あんまり使わないのです。あなたも使ってみて気づいたと思いますが、あの帽子から物品を取り出せたとしても、自分の足を使ってお使いに行く意味というものもあるのです。だから、一年間の間に、だんだんあの帽子は使わなくなっていくというのが、まあ、普通なんです。ところが、あなたの場合は、あの帽子の使い方が異常に頻度が高いらしいのですよ。
検査の時に基準になる回数の5倍も使っているのです。その基準を超えた場合、適正なしと判断して、まあ、今後後輩指導には回らないということになるのですが、どうやらシンとはうまくやっているようなのですが、どうですか?」
いきなり、どうですか?と言われても、どうなのでしょ?ガクとしてはシンとはうまくやれてると思うのだ。どうなんでしょ?と聞きたいのはガクのほうだ。
「後輩指導の適性がないと、今後年下とは組まないということですか?」ガクが聞いた。
「まあ、五年目以下の者とは組まないでしょう」
「つまり、来年はシンとは組めないんですか?」
「帽子の判断ではそうなんですが」
歌司は答えにくそうだった。帽子の判断と言っても、一体帽子ってなんなんだろう?
「ただ、帽子の持ち主が言うには、使いかたが普通と違うからこそ、うまくいってるというのですよ。ガク、あなた一体帽子で何を出してるのですか?」
何を出してるって・・・ガクはちょっと顔を赤くした。もしかして、あの帽子って誰かが逐一聞いてて覚えているってこと?なんかすごく恥ずかしい。悩み事とか言っちゃってるし、「物」じゃなくて意味の分からないものばかりを頼んでるし。
「あの、何て言うか、時々愚痴ったり・・・」
ウタ・ツカサの目が大きくなった。そして急に笑った。
「確かに、使いかたが普通と違うみたいですね・・・それに、その使いかたは誰も気づかないけれども、本当に正しい使いかたです。なるほど」
そう言って歌司は机の上の書類を、箱の中に入れていた。
「では、適正ありということでやってみましょうか。私もあなたには後輩指導の適性があると思いますよ」
こう言われてガクは驚いた。歌司が全てを決めているのかと思ったのだが、歌司が決めているわけではないようだ。
それから歌司はまた真面目な顔をしてガクに向き合った。
「シンのことですが」
話題がガラリと変わった。
「あなたには大変なけがを負わせてしまって、申し訳なかったと思っています。彼は子どもの頃の記憶があまりなかったのです。大変怖い思いをして、自分で記憶を閉じ込めていたのですが、」
「はい」
ガクの相槌に、歌司はガクが事情を少し知っていることがわかった。
「歌い手たちは、恐ろしい記憶を消そうとしていたのですが、私はそれをさせなかったのです。どんなに辛い記憶でもあった方が良いと思うからです。
それで、最近記憶がだいぶ戻ったということで、今歌い手の方に検査に行ってもらっています」
それでシンはここにいないのか。
「記憶の戻り方次第で、彼は人格が変わることも考えられます。今は大変重要な時とも言えますが、ここのところで変わったことはありませんでしたか?」
ガクは知っていることを全て話そうと思った。ツカサが知っていてくれるなら絶対にシンのためになるからだ。むしろ隠しておく必要はない。
「シンは記憶がごちゃごちゃしていると言っていました。1月に帽子がシンの大切な人の髪の毛を出してくれました。多分その時に記憶が戻ったんだと思います。彼はすごく、怖がって泣きました」
「シンが泣いた?」
「はい。それから少し言葉づかいも変わって、お喋りになりました。時々昔のことを思い出して、あ、今朝も、食べ物のことを思い出して、涙ぐんでいました」
ガクはあの壺のことを考えていた。
「そうですか。シンの人格は落ち着いているようですね。あなたが一緒にいてくれたことが良かったみたいですね」
歌司は安心したようだった。歌司はこの国の一人ひとりを知っていて、心配しているのだとガクにはわかった。
「シンのことはあなたにお願いします。シンも、あなたのことをきっと守るでしょう。そう言っていましたから。
さあ、ではシンが戻ったようなので、あなたも部屋に戻りなさい。少しゆっくりしてから鷲頭の森に帰ると良いでしょう」
「はい」
ガクは礼をして立ち上がった。するとまた歌司が言った。
「そうそう。帽子の持ち主が帽子を取りに行きますよ。うまく会えると良いですね」
「会えないこともあるんですか?」
「そうですね。いつの間にか帽子がなくなっていることもあり得ます。もう帽子は必要ないですから、家に戻ったらなくなっているかもしれないですよ」
ツカサが笑いながら言った。そんなものなのだろうか。魔法の帽子というにはあまりにも粗雑な扱いだ。
そんなことを思いながら、ガクは部屋に戻った。
ここまでお読みくださりありがとうございました。
次回で「魔法の帽子」最終話となります。
次話が出ましたら、題名を変更しまして、そのまま「番外編」を投稿しようと思います。
そちらもまたお付き合いいただけると嬉しいです。
どうぞよろしくお願いします。




