29. 砂糖畑から
ワタルとヒロが帰ってきても、シンの様子が変だとは分からなかった。シンは今まではあまり口数がなかったので、少しくらい違う話し方をしても別になんとも思われなかった。ただ、二人ともシンはだんだん慣れてきたのだなぁと思っていた。
◇◇◇
春が近づき、鷲頭の家にも人が戻ってきた。雪が溶けなければ家のことをする女の人たちは来られないが、森守りが戻ってくると活気が出てくる。仕事もたくさんだ。
特に増えるのが案内の仕事である。北の地には良い温泉があるのだが、雪が多い時期には誰も行けない。そのせいか雪が溶けるのを待っていたかのように、春が近づくと温泉への案内が増えた。
それから砂糖畑のバケツの当番が大切な仕事だ。こればかりは他の森の森守りに頼めないので、若い者は砂糖畑の当番が回ってくる。
雪が溶けきってしまえば熊が起きだし、また熊の猟の季節がやってくる。ガクはなるべく猟の時期は見回りがしたくないので、面倒な砂糖畑のバケツ当番をかってでることが多かった。つまりシンも巻き添えを食って砂糖畑にいなくてはならなかった。
砂糖畑の仕事はかなり厳しい。
砂糖楓の木の幹に穴をあけて、樹液をバケツに流し込む。そのバケツが一晩でいっぱになるほど樹液が出る。それを運ぶだけでもかなりの重労働だ。
小屋に運ばれた樹液を、鍋に入れてぐつぐつと煮込む。水の量が40分の一になるまで煮詰めると、楓砂糖液ができる。(さらに煮詰めて、急激に冷ますと、無脂肪のバターもできる。ガクはコレを作るのが上手。)さらに煮詰めて、結晶化したものを乾燥させほとんど粉状にして砂糖を作るところまでやらなければならない。液体でも良いが運ぶのが大変なのだ。
「樹液集めてきまーす」
シンは大きな樽を持って、砂糖畑の小屋を出た。小屋の中は樹液を煮詰めている甘い匂いがあふれている。最初の頃は良い匂いだと思っていたが、ずっと嗅いでいると頭が痛くなってくる。なるべくこの小屋にいたくなかった。
遠くの木から集めて戻ってくる。何往復も何往復もして、樹液を集めるのだ。
「早くなぎさんが管を作ってくれないかなぁ」
シンがボソッというのをガクは聞き逃さなかった。
「そういえば、そんな話があったねぇ」
「ガク、忘れてたんですか?」
「うんまあ、冬の間はどうせ無理だし」
ガクは無理だと思うことを無理やりやり通すことをしないので忘れていたようだ。
「でも、管が通ったら、わざわざ樹液を取りにいかなくなるから、ずっとこのニオイと一緒ですね」
シンが笑いながら言った。
こんな他愛もない会話もできるようになり、ガクはとても嬉しかった。
雪解けの春とはいえ、北の地は寒かった。ただ、砂糖小屋だけはいつでも火を焚いているので温かい。
火の前に立っているガクは腕まくりをして汗をかいていた。
「ずっと嗅いでると匂い気にならないけどな」
「そうかなぁ」
シンはガクが煮詰めている大きな釜を覗き込んで、露骨に臭いという顔をして見せた。
もう一方の釜は砂糖が随分結晶になっている。あと少しだ。ガクがゴリゴリとかきまぜる。
「食べる?」
「いらなーい」
そう言って、シンはまた樹液を集めに行った。結局は、樹液集めは大変だけれど、シンの好きな作業ではあるようだ。
本当は、夜中も火を焚いて煮詰めていたいほど樹液が集まるのだが、シンは夜中起きていられなくなった。以前は全く眠らなくても平気だったのに、この頃は日が暮れると眠くなってしょうがないらしい。それで毎日ガクが徹夜で火を焚いてはいるが、シンは徹夜仕事はできなかった。(そんなことなので、ガクは昼間に仮眠をとる生活になっている。)
そのせいか、シンは急に背が伸び出した。ガクと同じくらいだったのに、気が付けば目線が変わっている。寝る子は育つというのはウソじゃないらしい。
そんな風にして、砂糖畑で1週間作業をすると、ヒロとワタルが交代に来てくれた。
「おおーい!交代だぞー!」
砂糖小屋に呼びかける声が、ワタルの声じゃない。微妙に作り声。もしかして女の人?
シンが砂糖小屋から顔を出すと、そこにはヒロとワタルに連れられたなぎが一緒にいた。
「なぎさん!」
シンが叫ぶと、ガクも顔を出した。腕まくりをして大きな柄杓を持ったまま出てきてしまった。
「なぎさん、どうしたんですか?」
ガクが聞くとなぎは大笑いをした。
「だって、管つけるって約束じゃない。冬明けに樹液取るって知らなかったから放置しちゃってごめんね」
そう言いながら、木の幹に付けるであろう管の一部を見せてくれた。
「まあ、ここじゃなんだから小屋に行こう」
そのまま店を出しそうな勢いのなぎに、ワタルが言った。
砂糖小屋に入り、ガク以外は椅子に座ってお喋りをしている。さすがにガクは釜から離れられない。(さっきちょっと離れちゃったけど。)
「君は、シン君?」
なぎがシンに向かって初めて見る人のような顔をして言った。
「そうですけど」
シンが不思議そうに答えるとなぎが、へぇという顔をした。
「随分雰囲気変わったのね。弟さんかと思ったわ」
「ああ、こいつ背が伸びたよな」ワタルが言った。
しかし、なぎが言いたいのは背丈のことだけではないだろう。弟さんとはうまいことを言ったとガクは思った。
「シン君、よろしくね」
「あ、よろしく、シンです」
なぎの今更な挨拶に、シンも応じていた。
「お前たち、帰りそのまま虹森へ行けるか?ウタ・ツカサ様から呼出し」
「えー、そのまま?」ガクが言った。
「なんかダメなことあんのか?」
ワタルが聞いたが、別に不都合などない。疲れているだけだ。
「ないけど」
「じゃあ、決まり。砂糖大量に持ってけよ」
渋々答えたガクにヒロがとどめを刺した。荷物まで増えるとは。トホホ。
準備ができると、ガクとシンは虹森へ向かった。そこからでも2日はかかる距離だ。二人だけだから急げば1泊すればなんとか着くだろう。
北の地の雪溶けの季節とはいえ、まだまだ地面には雪が残っている。滑りやすいところも多いが、森の木々も動物たちも目を覚ましはじめていた。
ガクはそんな森が大好きで、急げばなんとか2回も野宿をしなくて済むとわかっていても、あちこち森を見ないではいられなかった。
疲れているならば早く着いたほうが良いだろうに、とシンは思ったが、ガクは嬉しそうだ。よく見ると木々に手を当てながら歌っている。
「何してるんですか?」
「ん?」
シンに振り返ったガクは満面の笑みだった。
「ああ、手当て。俺が疲れてるって言ったら、みんなが元気をくれるから、俺も少しだけお礼にね」
北の森守りはみんな手当をするのだろうか。手当と言ったって、なんの魔法でもないはずだ。それでも木々も嬉しそうだった。森守りであるシンにはそれがわかった。
そんなことをしながら歩くので、思ったほど速くは進めなかった。もともとガクがゆっくり進むのは、こういうことをしているせいなのかもしれない。
しかしそんなことも言っていられない。もうすぐ夕方になろうとしている。シンはこの辺りは詳しくないし、仮小屋の木はあるのだろうか。
「ガク、今日はどこに泊まるんですか?」
「あ、そうだね、もうすぐ夕方か」
そうやってガクは空を見た。今日は晴れていて気持ちの良い午後だ。それでも陽は斜めですぐにも暮れそうになっていた。
「じゃあ、カナキに寄って行こうか。わりと近いから」
そういうことで、二人は金木温泉に向かうことにした。疲れているのもあり、温泉は嬉しい。ただ、シンは人前でなるべく肌をさらしたくなかった。左半身についた火傷の痕がなまなましいのだ。
そんなことをボンヤリ考えながら歩いていると、空気が少し暖かくなってきた。温泉に近づいたのだろう。
「シン、そこ気を付けて」
珍しくボンヤリ歩いているシンに、ガクが言った。シンはガクが指した辺りに目をやった。
「ひ!」
随分早い時期に冬眠から明けたものだ。なんと蛇がいるではないか。シンの先の地面を横切るように動いている。シンからは距離があったが、うかつに歩いていると踏んでしまって危険だ。何もしないで通り過ぎてしまえば襲われることはないが、一応ガクが注意を促したのだ。
シンは蛇を見つけると、足を止めた。明らかに恐れている。シンとて森守りなのだから、その蛇に何もしなければ襲われないことも知っているが、シンは蛇が苦手なのだ。
動けなくなってしまったシンを見て、ガクも驚いた。そんなに嫌いなのか。まあ、有毒の蛇ではあるし怖がるのも無理はない。それに、確かベイブレードの種族は夜になると肌がうろこ状になると言っていなかったか。そういうことも思い出すのだろう。
「シン、大丈夫?」
ガクが声をかけてもシンは答えられないで、蛇を見つめたままだ。ガクは聞こえないほどの低い声で何かを言いながら、シンのところまで戻ってきてくれた。
「シン、一緒に行こう」
シンを蛇からかばうように隠してやり、ガクはシンの腕をひいて歩きだした。なるべく蛇から遠ざかるようにしてゆっくり歩いた。シンはギクシャクとガクに連れられてなんとか歩いた。
蛇の射程距離を離れると、シンは大きく息を吐き出した。
「もう大丈夫だよ」
ガクはシンにそう言うと、手を離し、何事もなかったかのように、前を歩きはじめた。
温泉に着くと随分暗くなっていた。一般の人たちが寝るような時間だ。
二人は空いている仮小屋の木を見つけ、その下にたき火をおこし、急いで夕飯にした。そういえば直接来たのもあり、あまり食料を持っていない。それでも、まあ、なんとかなった。
それから温泉に入りに行った。ガクは来たことがあるので、森守りしか入らない場所を知っていた。そこならばシンも肌のことは気にしなくて大丈夫だ。
時間的にも、他の森守りにも会わずにすんだ。そのくらい遅くなってしまったのだ。
しかし、そんなに遅い時間なのに人の気配を感じた。ガクとシンは温泉から上がって衣服を着けている時に、その声を聞いた。
声はわりと近いところから聞こえるが、暗いし木が茂っているのもあって、あまりよくは見えない。少なくとも、こっちの温泉が見えないようになっている。
聞きたいと思わなくても聞こえてしまう声だった。なんと男女の・・・大ゲンカ。
「聞きたくねぇ」
ガクもシンもそう思うが、聞こえてしまうものだ。
「もう知らない!アタシ一人で帰るからね!」
「はぁ?帰れるもんなら帰ってみろってんだ!」
「良いもん、案内のひとに言うから、あんたこそ一人で帰れば!」
「何言ってんだ、俺が頼んだんだよ!」
そう、ここまで来て森守りの案内なしに帰れるものではないのだ。ケンカしても仲直りしないと、露頭じゃなくて森で迷うことになってしまう。
そこで女の人はバチーンと男の人の横っ面を叩いた。派手な音が響く。そして捨て台詞。
「大っ嫌い!」
プリプリと怒って行ってしまった。
残った男の方は、本当にみじめなものだった。ケンカなどしたくなかっただろうに。きっと売り言葉に買い言葉。そういう時もあるものだ。
陰からすべてを見ていた、ガクとシンだったが、シンがポツリと言った。
「あの二人、付き合ってんのか」
おいおいおいおいおい、そこか?とガクは思った。しかし、どうやら本当にシンの知り合いのようだ。良く考えてみれば、ガクもあの二人の顔を見たことがある。どこだったか?そう、町の病院だ。そこであの色白の病弱そうな女の子のお見舞いに来ていたうちの二人だ。あんまりにもうるさかったので覚えている。
ガクとシンは、残された男の方に気づかれないようにそっとそこを去って、自分たちの泊まる仮小屋の木に戻った。
木に戻ると、ガクは何やら荷物をガサゴソと物色している。それは歌司に届ける極上の品々ではないだろうか。
ガクはその中から掌くらいの包みを持つと、
「ちょっと行ってくる」
と言って、木を降りて行った。シンは気になるのでこっそりとついて行った。
ガクは木を降りて、あの青年を探した。案の定自分の泊まるはずの木に戻るに戻れず、仮小屋の木がたくさんある群れの下をウロウロと散歩(?)しているのがすぐに見つけられた。
「お兄さん」ガクが声をかける。
怪しすぎる、とシンは思った。
ガクは人懐っこい顔をしながら近づいて行ったが、青年は明らかに警戒していた。しかし、ガクの衣服は森守りのそれなので、夜中は静かにと注意でも受けるのかとも思ったようだ。
「なんか用?」
先ほど彼女に振られたばかりなので、青年はふてぶてしく答えた。ここで叱られたりしたら逆切れしそうな勢いだ。
そんなことはお構いなしに、ガクは青年に
「はい、コレやるよ」
と言って、包みを渡した。
青年はきょとんとしている。
「これ、砂糖楓のバター。俺が作った極上品。なかなか手に入らないよ。特別にやるから、彼女と仲直りしておいで」
そう言って片目をつぶって見せた。
男の方は驚いた顔になっている。まずはケンカを見られたことが恥ずかしかったのだろう。それで、見ず知らずの男に極上の砂糖楓のバターをもらうなど、さらに信じられない。とはいえ、これは良い。
「ほら、時間が経つと仲直りしにくくなっちゃうから、早く行っといで」
ガクが促すと、男の人は言葉にならず、ただ頷いて、自分の泊まる木に戻って行った。きっと、すぐに仲直りできることだろう。
ガクは何事もなかったかのように、自分の木に戻ってきて、さっさと寝てしまった。




