27. キノコ
ガクはシンを引きずるようにして、家に連れ帰った。シンとてわかっているのだ。頭では。
それでも感情は、懐かしい兄弟を慕っていてその思いは消えることができない。どうしようもないのだ。
「わかっています、わかっています」
シンは呟くように小さくそう繰り返した。その姿が切なくて、ガクは本当に辛かった。一体シンはどうしたら幸せになれるのか考えられない。ただのキツネ火を見てあんなに取り乱して叫ぶほど、ベイブレードを待っているのに、ガクにはそれが何かはわからないし、多分それは容易に会えるものではないのだろう。
キツネ火はいつの間にか消えてしまっていて、もうシンはどこへも行けないのだ。
真夜中に、ガクは何度も眼をさまし、シンを見た。シンは一度だけ布団に入っていたが、それは最初だけで、あとは窓辺で外を見ていた。ガクはそんなシンの後ろ姿を見て締め付けられるような思いがしながら、また眠った。
何度目かに目が覚めたとき、布団にも窓辺にもどこにも、シンの姿がなかった。
衣服もかんじきもない。
外へ行ったのだ。
キツネ火を探しに行ったのだ。
ガクは急いで着替え、家を飛び出した。
雪が降っていた。たくさん降る雪の中にシンの足跡はほとんどない。しかし、眠っているように静かな木々に手を当てれば、その魔法に応えて木々はシンの行先を教えてくれた。
辺りはまだ真っ暗だった。
◇◇◇
シンはガクが眠ったのを見ると、家を出た。あの南西の山に行けばまたキツネ火が見られるかもしれない。そうすればベイに会えるかもしれない。そう思うと、どうしても行きたくなったのだ。
雪の道も随分慣れた。まだガクほど速くは歩けないが、シンは暗い雪の森の中を歩いて行った。
疲れも寒さも感じなかった。シンはキツネ火が見たい一心だったので、何も感じなかった。
キツネ火に会えなければどうしよう。会えるまで探すだけだ。もしキツネ火がベイではなかったらどうしよう。その時は・・・さらにベイを探しに行くことは無理だろう。家に戻るしかない。そうすれば諦めもつくかもしれない。自分がこんなにベイに会いたいのは、なぜなのか自分だって説明がつかないのだ。単に諦めがつかないだけなのだ。だから、もしキツネ火を見てもベイでないとわかったら、諦めが付くかもしれない。そんな希望も少しはあった。
とにかく、何もしないでベイを待っているだけなのは、もう嫌だった。
鷲頭の森を下り、一度川へ出た。この辺りは何度か通ったことがある。真っ暗で雪が降っていても、シンは平気だった。しかしこの先はあまり行ったことがない。迷ってしまっては行くことも戻ることもできなくなる。それでも、シンは先へ進もうとした。
南西の山はこの川を越えてすぐだ。エノキの林はその中腹だろう。
川は広くて流れが速い。とても飛び越せる距離ではない。勿論橋もない。この寒さで足を濡らしてしまえば、凍りついてしまう。危険だ。
それに、こちら側には川岸があるが、あちらの岸は切り立っている。たとえ濡れずにたどり着いたとしても、この暗さで、あの切り立った岩壁を登るのは難しいだろう。
シンは川を渡るために、少し上流へと行ってみた。なかなか向こう岸へ渡れそうなところがない。下流へと行ってみたが、やはり向こう岸は切り立っている。
雪の中を歩くシンの足はだんだんと冷たさを感じるようになってきた。たとえ水に濡れずとも、この寒さの中を歩きつづければ足も手も冷えるものだ。
シンは川岸を歩き回っていたが、ふと川とは反対の方向に明かりを感じた。キツネ火ほど明るくはなく、ただ、ぼんやりと明るさを感じるだけだ。
それでもシンは、コレだ!と思った。あの明かりがこちらに来たのではないだろうか。シンの考えているとおりなら、ベイが自分を迎えに来たということにも考えられる。
シンはまた体中に力が戻ってきた。うっすらとした光りを目指して歩いた。歩くほど、光りは少しずつ明るくなってきている。
これは本当にベイが迎えに来たのではないか!シンは鼓動が速くなるのを感じた。待ちに待った瞬間を迎えようとしているのではないだろうか。
自分の足音しか聞こえない、静かな雪の中をシンは光りを目指して歩き続けた。そして、いくつかの茂みをかき分けた時に、その光りの正体が現れた。
キツネではなかった。
ベイでもなかった。
先ほど見たあの山のキツネ火よりももっと儚い緑色に近い光りを放っているのは、なんとキノコだった。
どういうわけか、茂みを分けてシンが踏み入れたそこは、雪がなかった。直径5メートルくらいの丸いそこだけ、茶色い地面が見えている。苔むした倒木がその真ん中に橋のように転がっている。その上に、大きなキノコがいくつも並んでいた。
そのキノコたちはほのかに光りを放っていた。シンはこの光りに誘われて来たのだ。
♪朽ちた木にも茶色い人は、
喜んで立ちぬ。
大きく育ち傘はまんまる。
茶色い太い足一本。
ひときわ大きなキノコの傘は
朽ちて落ちて禿げ頭。
これ聡明な禿げ頭♪
まるで子どもがふざけて歌っているような歌声が、キノコから聞こえてきた。キノコは自分のことを茶色い人と歌っている。
シンはこの全く変な光景に、最初目を丸くしたが、あまりにも歌が滑稽なので、思わず頬を緩めた。
そのキノコの中に、歌の歌詞の通り、ひときわ大きなキノコがいた。そのキノコの傘は朽ちて落ちてしまったのだろう。なくなっていた。そして本当に禿げ頭に見えた。そのキノコは本当に大きい。シンの腰近くまであるのではないだろうか。それに、確かに聡明そうな顔に見える。目を瞑っている老人のように見えるのだ。シンは不思議な気分でその大きなキノコの顔を覗き込んでいた。
するとそのキノコの顔に見えたものは、目を開けて、シンを見た。
シンは驚き、キノコと見つめ合った。
「よく来た、シン」
キノコの爺さんは、シンに声をかけた。シンの名前を知っているのか。シンは驚いて声も出ない。
「まあ、座れ」
そう言ってキノコの爺さんから小さな手が見え、その手がシンを制するように下を向いた。するとシンはストンとその場に腰を下ろした。
これは何だろう?夢か?
これは何だろう?キノコか?
「わしは、ホウじゃ。お前さんのことを知っておる。お前さんが、心に溜めこんでいることも、溜めこまずに覚えていないことも何もかも、知っておる」
ホウ爺さんがそう言うと、やっとシンはこれは夢ではないと思った。なんだかお尻がホカホカしてきて、ホウの声は現実の響きを持っている。手足がジンジンと痛む。これが夢のはずはない。
「いつもお前さんのそばで、お前さんの苦しむ姿を見て、わしも心を痛めておった。なんとかしてやりたいとな」
「僕の苦しむ姿を知ってるの?」
シンは信じられなかった。シンの心にある兄弟は、この国の人は誰も知らないのだから。
「勿論知っておる。ガクのことも、テトのことも、ベイブレードのこともじゃ」
シンの顔が変わった。この爺さんの口から確かにベイブレードの名前が出たからだ。
「ベイブレードを知ってるの?」
「いかにも」
「会わせて!」
「その願いも知っておる。お前さんの願いはベイブレードに会いたいということだけじゃ」
「そうだ!他には何も願わない。ベイブレードに会わせて」
シンはすがるようにホウ爺さんに叫んだ。先ほどまで胡散臭そうに見ていたキノコの爺さんが、今は唯一の手がかりと言っても良いほどの重要人物だ。
「そうはいかん」
あっさりと爺さんは却下した。
「願いを聞くというのは、そういうことではない。お前さんはわしの主人ではない。むしろお前さんは誰かの主人か、それともしもべか?」
トンチのように言われて、シンは思い当たった。魔法の帽子のことだ。ヒロはあの帽子を「召使いではなくて、主人のような」と言っていた。
「僕は、主人では、ない」
「そうじゃろう」ホウ爺さんの話は続いた。
「お前さんは今、他には何も願わないと言ったが、ガクはお前さんの幸せを願っておる。そんなガクのことはもうどうでも良いのだな?」
「え、え?」
「違うじゃろう。
お前さんの考えの中では、ベイブレードとガクが全く違う世界にいるようじゃが、お前さんは一人、この世界で生きておる。今ベイブレードを選んだのだから、もうガクには用はないな?未練もないな?そうと決まれば、お前さんをベイブレードのところに連れて行ってやろう。じゃから、ガクとはもう会えないことはわかるじゃろう。お前さんが選んだのはベイブレードじゃ」
「違う、そうじゃなくて」
そう言いかけて、シンはハッとした。自分で言ったのだ『他には何も願わない、ベイに会わせて』と。そんな軽はずみな願いをしてしまって、シンは自分を恥じた。
「わしはお前さんよりもお前さんのことを知っておる。お前さんは記憶が曖昧じゃ。
じゃが少しのきっかけで思い出すこともあるじゃろう。
そう、ベイブレードはお前さんに口を利くことを禁止したなぁ。少しでも喋るとうるさいと言って殴った。
殴るだけでなく火を点けることもあった。
機嫌が悪いと気を付けで立たせたりしたじゃろう。それがベイブレードじゃ。思い出したか?」
まさにそれがベイブレードだった。シンは少し思い出した。シンが無口で無表情で姿勢が良いのは、単に殴られないために身を守るために、生きるために身に付けたことなのだ。
「そのベイブレードに会いたいために、ガクを切り捨てるというのはいい度胸じゃ。じゃが、わしに言わせれば少し考えなしという気がしないでもない」
シンはますます恥じ入った。そんなベイブレードのところなど一瞬だって戻りたくないはずなのに、優しく接してくれているガクをないがしろにしてまで探すほどの人なのだろうか。
「じゃが、気持ちも分かる。お前さんが9歳までなんとか生きられたのは、ベイブレードが殺さずにいてくれたおかげじゃからな。
シンよ、人は自分の気持ちすら自分でどうにもならぬことがわかったじゃろう?それに、自分のことばかりを考えていると、何が正しいのかがわからなくなるのじゃ。お前さんはまさに、その何が正しいのかわからずに願った者の一人じゃよ。
だから、お前さんの願いは却下されたわけだ」
シンは下を向いた。恥ずかしかった。見た事もないこの爺さんは、シンのことを何もかもお見通しなのだ。恥ずかしくていられない。
「シンよ、お前さんの願いは、しかしいつも聞かれていた。わしが知っているように、アルジンもお前さんの願いを知り、心を痛めて待っておった」
シンはわかった。願いが聞き入れられないのは、自分のためだったのだと。このシンの自分本位の考えなしの願いが“聞き入れ”られていたら、今度こそ本当に死ぬほどつらい目にあってから死んでいただろう。だけど、その願いは“聞かれ”てはいたが、聞き入れられなかった。そうやってシンを守ってくれたのだ。
「アルジンのなさることは、時にかなって美しい。今まさにその時が来た。シンよ、お前さんはよく耐えた。そして美しいものを手に入れた。
お前さんにとって、辛い時間は長かったことじゃろう。じゃが、無駄ではなかった。いや、むしろその時間こそが必要じゃった。
お前さんは変わった。これからも少しずつ変わるじゃろう。さあ、行って真実を確かめるが良い」
♪朽ちた木にも茶色い人は、
喜んで立ちぬ。
大きく育ち傘はまんまる。
茶色い太い足一本。
ひときわ大きなキノコの傘は
朽ちて落ちて禿げ頭。
これ聡明な禿げ頭♪
キノコたちは歌いながら、ぞろぞろと去って行った。彼らはキノコではないのだろう。キノコのように見える何かなのだ。ホウ爺さんのようにシンのことを知ってシンのことを助けてくれているのかもしれない。
ぼんやりとキノコたちが去っていくのをシンは見送っていた。歌も聞こえなくなってしまっても、シンはそこにいた。
ホウ爺さんの言ったことをずっと考え続けていた。自分の願いは聞かれていて、守られていたこと。それに、時が必要だったことを。正しい時に正しい答えが得られるように、誰かがしてくれているのだ。すごいことだ。シン一人のために、何かの力が働いていたのだ。
その時、シンのいるところにガクが現れた。シンの足跡を追ってやっと見つけたのだ。
「ガクさん」
そう言ったシンの顔が、あのどんよりとした暗い目をしていなかったので、ガクは安心した。
色々と聞きたいこともあったが、ガクは何も聞かなかった。
「ここ、すごい地熱だ」
ガクはそれだけを言った。シンはウンと頷いて
「帰りましょう」と、言った。




