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25. シンと梵天丸



 オオカミは梵天丸の脚力に慣れてきた。ガクを攻撃する頻度があがって、一度に2頭3頭と襲ってくる。ガクは懸命に松明を振り回し続けた。

 梵天丸は声も出ないほど必死になっているガクの意志を絶妙に感じ取って、自分とガクを守っていた。しかしオオカミの数が多い。ついにガクが手に持った松明がオオカミにとられた。ついでガクの手に食いつこうとするオオカミを、ガクは必死に振り払った。

 追われながら目はちゃんと場所を確認する。もうすぐあの木の下を通る。ここでガクの手に食らいつかれていたら、紐を引いたところで、このオオカミは付いて来てしまう。なんとか振り払いたい。

 自分の腕がもげるのではないかと思うほど、ガクは腕を振った。食らいつくオオカミをそばの木にたたきつける。やっとのことでオオカミは離れて行った。多分負傷したことだろう。

 ガクは冷静に梵天丸に低い声で語り続けた。オオカミの陣が崩れたら、ガクを足台にしてあの木へ飛べと。

 ガクは紐を結びつけた木の間を通り過ぎた。すぐにシンが紐をひっぱってくれた。さすがシン、分かってくれたのだ!そして、二人の思惑通り、あと少しでガクに届きそうだった3頭が紐に引っかかって転んだ。

 残りのオオカミはすぐに気づき、迂回をした。それもシンの計算通りだ。ガクは知らなかったが、そのおかげで、残りのオオカミも縄に引っ掛かって転んだ。

 この一瞬の隙を待っていたのだ。

 ガクは梵天丸の縄から手を離すと、木の下で待機。梵天丸が回り込んでくるのを待った。

 オオカミが立ち上がって再び犬を追いかける。ガクの向こうは大きな焚火が炎をあげている。少しひるんでいる。今だ。

 梵天丸はガクを踏み台にして飛んだ。

 シンが梵天丸を木の枝に乗せた。バッチリだ。



 しかし、ガクは一人木の下に残された。ガクを追い詰めたオオカミは先ほどまでの吠え声とは違う、唸り声をあげている。

 ガクはまた薪を取り出した。そして低い声で何かをオオカミに語りかける。説得はできないと言っていたではないか?それでも何かを言い続けていた。

 シンにとっては長いにらみ合いに見えた。

 シンは考えた。何とかしてガクを木の上に乗せなければならない。まずガクはツツを手放してしまっている。木の幹を駆け上るには、助走が必要だ。

 それよりも、一瞬の隙があればガクならば上に上れる。シンがツツを投げてやれば良いのだ。それならば助走をつけて走る必要はない。一瞬だ。何かオオカミ全体の気を反らせることのできる一瞬はないか。

 そうこうしているうちに、ガクはオオカミの攻撃を受け始めた。たき火に近づかないように、オオカミは飛んでは来ないが、ガクの足を低い位置から攻めようとしている。賢いものだ。しかしガクは囲まれようとしている。

 シンは音を立てようと思ったが、あの吠え声のさなかに大きな音をたてても、あまり驚かないと判断した。それにシンができることはあまりない。シンは辺りを見回した。どこを見ても雪しかない。雪雪雪だ。

 しかしそれしかないのなら、それを使うしかない。

「よし」

 シンは意を決して、木の枝に立った。そして大声で叫んだ。

「雪、落とします!」

 シンが魔法の節を口ずさむ。その直後、地震でも起こったかのように森の木が揺れた。シンの渾身の魔法だ。冬の間眠りかけている木々に魔法を使うことは難しい。それでもシンは魔法で木々を揺らしたのだ。

木々の上の雪が全て落ちてきた。


― バサバサバサバサバサ ―


 長い間、雪は落ち続けた。白い雪煙がもうもうと立っている。オオカミたちは声もなく雪に埋もれた。

 シンはすぐに木の下を見た。ガクはたき火のそばにいたから、雪が落ちてきても多分大丈夫だろうとふんでいたのだが、ガクごと雪に埋もれていたらシャレにならない。



 下を見るとガクは無事だった。驚くことに、ガクの周りだけは雪は全くなかった。それはたき火のおかげではなかった。ガクの周りには粉雪が渦巻いているのが見える。ガクは風を使ったのだ。シンが「雪、落とします」と叫んだ時に、状況を把握し風の魔法を使っていた。

 シンはすぐにガクにツツを放った。ガクはそれを受け取り、反動をつけて枝に飛び乗ろうとした。

 ところが、ここに非常な根性のあるヤツがいた。ガクの足にオオカミが一頭、かみついてきたのだ。

「わあ」

 均衡を崩して、ガクが落ちそうになる。反対側を持っているシンが必死に引っ張った。ガクの足にはオオカミが食らいつき暴れている。

 ガクは足のオオカミに気を取られていて自力では上がってこられない。シンはガクの握っている紐を離すまいと必死に引っ張った。

 ガクを枝に乗せると、シンがオオカミを枝でボコボコに撲り、オオカミは枝から落ちていった。

「大丈夫ですか」

 ガクは足だけでなく、腕にも噛まれた跡がある。首筋にも擦った痕がいくつもあった。

「とにかく、部屋に入りましょう」

 シンはガクを犬たちのいる部屋へ入れた。

 手甲と脚絆を脱がせて傷を確認する。冬ということもあり、厚手のものを付けていたので、大事にはならなかった。とはいえ、足にも手にも噛まれた牙の跡が数か所血を流していた。

「足は危なかった。もっと下を噛まれてたら重傷だったよ」

 ガクはホッとして言った。そしてシンを見た。

「シン、ありがとう」

「え、いえ」

 シンは答えたあと、いきなり顔を真っ赤にした。

「いやいや、ホント。俺たちやったよな」

 ガクが笑顔でそう言うと、シンはものすごく嬉しかった。「俺たち」がやったのだ。ガクがシンを助け、シンがガクを助けたのだ。なんてすごいことだろう。こんなこと初めてだ。二人でことを成し遂げたのだ。そんなことがあるということをシンは知らなかった。何かができるようになる、という達成感とは比べ物にならないほどの達成感だ。

 これが本当の“相棒”なのだろう。テトと組んでいた時はひたすら“弟子”のようだった。それとは全然違うのだ。大袈裟でもなんでもなく、シンは生きていることが嬉しかった。ガクと組めたことが嬉しくてたまらなかった。

「はい」

 シンはそれだけをやっと答えた。



 木の下では、オオカミが復活を遂げているようだった。吠え声が森中に響き渡っている。

 この木の上にいれば安全だが、どうにも犬たちの方が興奮しているようだ。梵天丸はさきほどから一緒になって吠えている。

「このままじゃ、梵天丸が危ない」

 そう言ってガクが立ち上がった。

「シン、1時間したら戻ってくるから、ここを任せていいか?」

 ガクが真剣な顔をして聞いてきた。勿論良いが、一体ガクは何をするのだろう。シンは頷いた。

「よし、じゃあ、確認だ」

「はい」

「俺たち森守りは、森の動物の生死に干渉してはならない。つまり殺してはいけない」

「はい」

「だけど、いざという時には、本能の通りに行動して良い。何としてでも身を守れ」

「え、はい」

 意外なことだった。ガクは動物が大好きだし、狩猟の時期も動物が傷ついたり死んだりすることで非常に苦しんでいるように見えた。だから、オオカミさえ、殺してはいけないと言うかと思ったのだ。

 しかし本来ガクはきちんと自然の摂理をわきまえているし、受け入れている。死ぬべき動物を助けようとはしない。オオカミに襲われて身を守る人間の本能さえ、自然の摂理のひとつなのだ。

「よし、じゃあ行ってくる」

「何しに行くんですか?」やっと聞けた。

「説得しに行ってくるんだよ」ガクがニヤリと笑う。

「説得できないって言ったじゃないですか」

「まあね、でも大丈夫」

 それだけ言い残し、ガクは空渡をして暗い森へと飛び出して行った。



 ガクが行ってしまってシンは少し心配になった。それでも自分のことを信頼して犬たちを任せてくれたのだということも分かっていた。これはちゃんとこの場を守らなければならない。

 木の下ではオオカミたちがうなりながらグルグルと回っている。この木にいる獲物をあきらめる気はないらしい。何匹かは木に飛びかかり、木の幹に爪痕を付けていた。そうしても登れはしないのに。

「落ち着いて」

 梵天丸がどうしても興奮してしまうので、シンは困った。こういう時どうしたら良いのだろう。背中を触って撫でたり、声をかけたり、できることはやったつもりだが、犬って・・・なかなか心を通わせることはできそうもなかった。

 そういう意味で、ガクはすごい。あのたき火の前で一人、オオカミに囲まれたガクが、何かをオオカミに言っていたのをシンは見ていた。あれのおかげで、ガクはきっとある程度難を逃れていたはずだ。そうでなければ、とっくにすべてのオオカミに食らいつかれていたことだろう。

 しかも今もまた、オオカミを説得すべく森の中へ行ったのだ。



 この犬の名前は何と言っただろうか。そう梵天丸だ。シンは犬の顔を覗き込んだ。どうもちゃんと目が合わないような気がする。

「?」

 犬とシンは見詰め合う。そうか、この犬は目が悪い。あんなに元気よく遊ぶし、走るのもすごく速いので気づかなかったが、右目が見えていないようだ。

「梵天丸、お前」

 そう言って、シンが犬の左側から頭を撫でてやった。梵天丸はだんだん落ち着いてきた。オオカミの声が聞こえていても梵天丸は吠えるのをやめ、他の犬たちと同じように部屋の中をウロウロと歩きはじめた。

 ガクが出かけてから2,30分も経っただろうか。ふと気づくとオオカミの声がしなくなっている。いや、声は遠くから聞こえてきた。もうこの木の下にはいないのだろうか。

 シンは箱から顔を出してみた。木の下にはオオカミの足跡が雪の上にびっしりと付いているが、もうオオカミは一匹もいなかった。

 とうとう諦めたのだろうか。

 とにかくオオカミはいなくなった。犬たちも安心したのか部屋の中でそれぞれ座っている。落ち着いた雰囲気になった。

 本当にあれから1時間したとき、ガクが戻ってきた。

「あれ?」

 部屋に入ってきたガクは思わず「ただいま」と言えなかった。部屋の中ではシンのそばで3匹が寝息を立てている。普段あまり眠らないシンですら、梵天丸のお腹に頭を乗せて寝ていた。

 ガクはクスリと笑い、みんなに毛布を掛けてやった。木の上とはいえ雪の中だというのに、寒くないのだろうか。ガクも犬たちと一緒に眠ることにした。



 朝になり、シンは何か嫌な感触を覚えて目を覚ました。

「?」

 右側のお尻から足にかけて妙に冷たい。

 起き上がって見てみると、なんとびっしょりと濡れていた。なんだこりゃー!と思ったが声にならない。

 とにかくこのままでは風邪をひいてしまう。シンは立ち上がり、着替えはじめた。するとガクが目を覚まし、この寒いのにわざわざ着替えているシンを見つけた。

「何やってんの?」

「あ、ガクさん、おはようございます。あ、お帰りなさい」

 なんだか慌てているのがおかしかった。しかしシンの脱いだ服を見て納得した。

「ああ、濡れちゃったのか」

「違います、漏らしてません!」

 シンは真っ赤になって弁解をしている。そんなこと言わなくてもわかるのに。ガクはクスクスと笑った。

「梵天丸の足のこと、言わなかったから、濡れちゃったんだろ?」

 ガクが、起き出した梵天丸の足を見せながら言った。

「足?」

 シンは何のことかわからずに聞き直した。別に他の犬と変わったところはないように思うが。

「ほら」

 ガクは梵天丸の足の裏をよく見せてくれた。

「梵天丸の足の毛は他の犬たちより少しだけ長いんだ。こいつはこれがないとうまく走れないから、切らないんだけど、新雪の上を走ると、この毛に雪玉が付いちゃうんだ」

 シンは他の犬の足も見比べながら妙に納得した。

「普段は外で寝るから気にならないし、梵天丸が痛がるようだったら俺が取ってやるんだけど、昨日の夜はこの部屋にあげてから俺がとってやらなかったから、そのまま溶けちゃったんだ」

 なるほど。実は犬の足にはそんな秘密があったとは全く知らなかった。シンは梵天丸の足の毛を撫でてやった。梵天丸は大人しくシンのそばに座っていた。

「随分仲良くなったね」

 ガクはシンと梵天丸を見て嬉しそうに笑った。シンにかけた言葉なのか、梵天丸にかけた言葉なのか、シンにはわからなかった。



 朝食をとると、砂糖畑の小屋の雪下ろしをして、砂糖畑を見回った。

 それが済むと、二人は家に向けて出発した。


 昼過ぎに家に戻り、家畜小屋に犬を連れて行った。シンは梵天丸の足に雪玉が付いているのに気づいた。これがたくさん付くと痛いと言っていたのを思い出し、雪玉をとってあげたくなった。

 シンは梵天丸に話しかけた。

「梵天丸、足痛いか?」

 梵天丸はシンを見ている。ウンと言っているようだ。

「雪玉、取ろうか?」

 それを聞いていたガクがシンのそばにやってきた。

「シン、雪玉取ってみる?」

「はい」

「じゃあ、やってみせるから、反対側やってごらん」

 ガクは梵天丸を座らせると、前足を片方持った。そして、雪玉を手で包むようにしている。ゆっくりと雪玉はガクの手を滑るようにして取れた。

「コツは、引っ張らない。最初のうちは毛の根元を押さえておくと痛がらないよ」

 シンもガクと同じようにやってみた。

 だけど、雪玉は凍ってしまっていて滑ってはくれない。思わずひっぱりそうになってしまうのだが、ひっぱったら犬が痛がるだろう。これはなかなか難しかった。

 どうしてガクの手の中に入った雪玉は、ちゃんと毛を滑って取れるのだろうか?結局、シンが1本の足の雪玉を取り終わらないうちに、ガクは残りの3本足の雪玉を取り終えてしまった。

「慣れたらまかせるから、頼むよ」

 そう言って、ガクは家畜小屋を出て行った。

 残されたシンは、梵天丸の1本の足の雪玉をゆっくりゆっくり取っていた。

「ガクさんが、お前のこと、僕にまかせてくれるって言うけど、良いかなぁ」

 シンは珍しく喋っていた。いつも無口なのに、相手が犬だと思うと話しやすいのだろうか。

 犬はシンに頷いたように見えた。

「今日はありがとう。すごく楽しかった。また明日もソリに乗せてくれる?」

 シンはそうやって梵天丸とお喋りしながら、ゆっくりと雪玉を溶かし、最後に足を少し揉んでやった。


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