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23. 雪が降る



 狩猟の季節が終わると本格的に冬がやってきた。この北の地の冬は長く厳しい。冬超えの準備が済むと、鷲頭の家のほとんどの住人は町にある実家やもっとあたたかい森へと移って行った。毎年この家に残るのは4人ほど。一番寒い時期には誰もいなくなることもあった。

 誰もいなくても問題はないが、今年はシンがいることもあって、6人が家に残っていた。

 冬の間は各個室に戻らず、みんなで居間で雑魚寝をする。いつでも囲炉裏とストーブに火が入っていて、その部屋だけは暖かくしておく。

 12月はただひたすら寒いだけの日々。雪は降らないので、キノコや木の実の残りを採りに行くこともできる。動物の半分は冬眠しているのもあり、見回りも簡単である。

 日は短く、日中はカラりと晴れ、長い夜はみんなで囲炉裏の火を囲んでお喋りする。思ったほどは薄暗い冬の印象ではないとシンは思っていた。ただ水は冷たく、いつでも背中が震えているように感じるほどずっと寒いのが気になった。

 ガクとシンでキノコを探していると、ガクはふと目をあげた。

「今年は早いな」

「何がです?」

 シンも一緒になって空を見た。すると渡り鳥の群れが視界に入ってきた。懸命に羽をはばたかせて登ろうとしている。

「今、上は風が吹くんだ」

 ガクが目を細めながら言った。なんとも楽しそうだ。

「ほら、上った!」

 鳥たちは一斉に風に吹き飛ばされるように上空へ舞っていく。とても速く進んでいるように見える。

 そうこうしているうちに、鳥たちの姿は見えなくなってしまった。それでもガクはまだしばらく空を見ていた。

「いつもはもう少ししてから渡っているんだけど、今年は早いんだ。多分雪ももうすぐだよ」

 鳥たちが完全に行ってしまうと、ガクがシンに言った。

「雪?」

「あれ、雪知らない?」

「し、知ってますよ、雪くらい」

 シンは慌てて答えた。だが、本当はあまり知らない。というか、見たことがない。それに、こんなに寒いのに、毎日カラりと晴れていたので、この辺りは雪が降らないのだと勝手に思っていた。


◇◇◇


 そうして1月に入った日のことだった。鷲頭の家にはシンとガクしかいない。他の者たちはお正月ということもあって、実家に戻っていった。

 夕方、外へ薪を取りに行ったシンが、エラい剣幕で家に走り込んできた。

「ガク!」

 思わず呼び捨てになっていることに気づいていないほど興奮している。

「雪ですよ!雪!」

 囲炉裏の傍で鍋を作っているガクが振り向いて、何がそんなに大変なのかと思ったら、どうやら雪が降ってきたらしい。

「来てください!」

 シンはガクを無理やり外に連れ出した。ガクは雪くらいでどうしたのかわからず、とにかくシンが出ろというので玄関を出た。

「これ!雪ですよね、雪ですよね?」

 シンが異常に興奮している。どうやら、雪を見たことがないらしい。知識で知っている、空から降る白い冷たいもの、を見てしまったのだ。

「うん、これ雪だよ」

「すげぇ!」

 シンはあんまり見せないような嬉しそうな顔をして、階段を走っておりて、庭をかけ回った。両手を空に向けて口まで開けている。「すげぇ」と思ったのはガクの方だった。

 その日の夜、シンは何度も外に出た。

「まだ降っていますよ」

 そのたびにガクに教えていた。ガクは表情を緩めて頷いた。この雪はなかなか止まないはずだ。多分3日間は降り続けるだろう。それからも、この北の地は週の半分は雪が降る。とりあえずそんなことはまだシンには教えないで、この珍しく面白いシンを楽しんで観察していた。

 夜になるとさすがに、外には出なくなったが、シンは頻繁に窓から外を眺めていた。暗くて良く見えないのだろう。それとも自分の目が信じられないのか、子犬のように首をひねって眺めていた。


◇◇◇


 次の日の朝早く、ガクはシンの声で目が覚めた。声は玄関先から聞こえてくる。言葉になっていない叫びのようだ。

 ガクは寝巻のまま玄関まで出てみた。

 玄関は開けっ放しになっていて、その外で雪駄を履いたシンが大声を出していた。

 一晩で外の景色は変わり、今までの枯れた冬の庭は、ふんわりとした白い雪で埋もれている。あんまりにも驚きすぎて、外に出ることもできないようだ。

「シン、雪駄じゃ濡れるから、革足袋にかんじき履いてけ、ホラ」

 シンはガクに気づき、振り向いた。その顔ったら、目が輝いているように見える。もしかして、一晩中外を見ていて、眠っていないんじゃないだろうか。

 シンはいそいそと玄関に戻り、革足袋を履いて、かんじきを履こうとした。そしてピタリと動きが止まった。かんじきの履き方が分からないらしい。

 ガクはたたきに降りてシンのかんじきを履かせてやった。

「ほら、こうやって足乗せて結ぶだけ」

 そう言って教えてやると、反対側は自分で履いていた。

 そしてすぐに庭に出て行こうとした。まずは雪が積もってしまっている階段だ。階段のふわふわの雪を一歩一歩踏んでいく。一番下の段で一度止まり、そして恐る恐る踏み出した。

 無音で足が雪に埋まる。かんじきを履いていたってある程度は埋まるのだ。ちなみに履いてないと、埋まった足がなかなか引き出せずかなり労力がいる。

 ゆっくりと3歩進んで、バタリと倒れた。

「うはははは!」

 シンが笑っている。手を付いたところの雪の跡が珍しいらしい。雪を触って雪玉を作って投げたり、そのまま空にまき散らしたりしていた。

 頃合を見計らってガクはシンを呼び寄せた。

「朝飯にするぞー」



 それからまた恐る恐る階段を登って戻ってきたシンは興奮が顔から零れ落ちている顔をしていた。

 とはいえ手や足が真っ赤になるほど冷たかったのは分かっているらしい。家に入るとすぐに囲炉裏の前に座って手足を温めていた。

「これから冬中、ずっと雪と一緒だぞ。今日は雪おろしと雪かきを教えてやるから」

「はい!」

 それがどんなに重労働なのかわかっていないのだろう。シンは元気よく返事をした。

 温かい朝食を終えると、やっとシンの興奮状態が冷めたようだ。先ほどいきなり冷やした手足が温まり、お腹もいっぱいになり、眠くなった。

「シン、寝てて良いよ」

 ガクが言うと、シンはすぐにコロリと横になって眠ってしまった。本当に夜中起きていて、外を眺めていたのではないだろうか。

 ガクが片づけを一通り終えて囲炉裏端へ戻ると、ちょうどシンが目を覚ました。あんまり眠らなくても大丈夫と言っていたのは本当のようだ。

 二人は、まずは雪おろしをすることにした。

「まず、(せっ)()を見つけたら、そこを先に降ろしておく」

「せっぴ?」

 二人は屋根に上らず、家の周りを見て歩いた。

「雪庇てのは、屋根を滑って半分落ちてる状態のことを言うんだ。まだ今日はできてないけど、雪庇の先にツララができてたりすると窓ガラスを割ってしまうこともある。それに、気づかないで屋根に上って、雪庇の下にも屋根があると思い踏み抜いてしまうことが時々ある。そうするとかなり危険だから、まずは雪庇を探して下ろしておくんだ」

「はい」シンは懐から帳面を出して何かを書こうとしていた。

「いやいやいや、無理だから。覚えて」

「はい」

 シンはちょっと恥ずかしそうに帳面をしまった。

 そうして、二人は屋根の雪下ろしと、庭に出る階段の雪かきをした。あとは雪があっても気にしない。毎日どんどん降るが、それが北の生活だ。

 次の日もその次の日も、雪は降ったので、シンは毎日雪おろし、雪かきをした。慣れてないのもあり、時々屋根から落ちたりして、それでも楽しそうだった。



「見回りに行くぞー」

「はい!」

 良い返事をしたシンを連れて、ガクはいつもの見回りに出かけた。慣れないかんじきを履いたシンは、いまだに恐々と歩いている。いつもはシンの方が走るのが速いが、雪の時ばかりはガクの方がずっと速く歩けた。しかしこの調子では、あまり遠くまで行けない。

「シン、本当は砂糖畑まで行きたいんだけど」

「ええ?」

 今日中に帰ってこられない、と二人とも思った。

 実際、ここ数日の二人の見回りは、見回りとは名ばかりで、シンのための散歩のようなものだった。とにかく大雪に慣れなければ、この北の地の森守りとして、仕事にならない。

「行けるところまで行って、帰ってくるか」

 ガクはそう言って歩き出した。シンは筋肉痛の足を引きずりながらガクの後をついていく。それでもまだまだ、シンは雪が大好きなままだった。足が痛くても、ガクが振り向くとしっぽを振っている仔犬のように見える。

 いつもと違う道を通りながら、動物の足跡を探す。カモシカの大きな足跡が見つかった。元気そうだ。糞場を探したが近くにはなかった。

「アレはなんですか?」

 木の隙間に小さく黒いものが動いたように見えた。

「あれはおこじょ。鼻の先としっぽだけ黒いから分かりやすいだろ?」

「はい」

「結構凶暴だよ。自分より大きい獲物も獲ったりするし。そこらへんで昼寝とかしたら危険だよ」

「え、人間も?」

「うそうそ、大丈夫だよ」

 多分ね、と思いながらガクは笑った。

「さ、帰ろうか」

 もう日が暮れはじめていた。冬の森は暮れるのが早い。雪もちらつき始めていた。

「はい、わ!」

 シンは相変わらずかんじきが下手だった。特に下り坂は難しいらしい。滑ったり転んだり、楽しそうだった。

「もうちょっと膝を柔らかくすると良いと思うよ」

 ガクは丁寧に教えていた。



 家に近づくと、ガクが何かに気づき、嬉しそうな顔をして振り向いた。

「シン、先帰ってて良い?」

 うずうずと今にも走り出しそうなガクを見て、

「どうぞ」

 と、シンが言うと、待ってましたとばかりにガクは走り出した。ほとんど滑って行くようだ。

 シンも一生懸命歩いて行った。家が見えてくると、シンにもわかった。煙突から煙が出ていて、窓に明かりが灯っている。誰かが帰ってきたのだ。ガクがあんなに喜んで走って行ったのなら、ワタルかな?などと予想してみた。

「ただいま」

 シンが玄関を開けると、中からワタルが走って出てきた。

「あれ、ガクは?」

「え?」

 ガクはすでに帰っているはずだが、ワタルに会っていないのだろうか?

「先に帰っていませんか?」

「いいや?アイツに見せたいものが、あ!」

 とワタルは何かに気づいたらしい。

「ちょうどいい、シン、一緒に家畜小屋行くぞ」

 そう言って、ワタルとシンで家畜小屋へ行った。すると、すでにガクがそこにいたではないか。ガクは家には戻らず、家畜小屋に直行したらしい。

「ガク!」

 家畜小屋にいるガクにワタルが声をかけると、嬉しそうな顔をしているガクが振り向いた。ガクの向こう側には毛並の良い大きな薄茶色の犬が3頭絡みついていた。

「あ、犬?」シンが言った。

「ワタルが連れてきてくれたんだろ?」

「お前、さすがだな」ワタルが感心したように言った。

「へへ、ちょっと前に帽子に頼んだんだよね。さすがに帽子からは出てこなかったけど」

「試したのかよ」ワタルが笑った。

「うん、でも絶対犬が来るってわかってたよ」

 ガクは3頭を代わる代わる撫でてやりながら、何か会話をしていた。

 ワタルより犬だったのか。シンは何ともホッとしたような気の抜けた気分になった。



 ワタルは戻ってきたが、ヒロはまだだった。ゲンも冬は実家に戻っている。

 ガクはワタルとシンが何度呼んでもなかなか家に戻ってこなかった。すっかり冷え切って、夜遅くになってやっと家に戻ってきた。

「ほら、風呂入れるから、早く入って寝ろ」

 そう言いながら、もうワタルは布団に入っていた。こちらに戻ってくるのも大変だったのだろう。しかも、犬連れだ。相当疲れているらしく、ガクが風呂から上がるのも待たずに眠ってしまった。

 風呂から上がったガクは「犬もこっちに連れてきちゃダメかなぁ」とポツリと言っていた。

 次の朝、早くに目覚めたガクは、朝食もとらずに犬に会いに行った。柵をしてある庭に、犬を放している。まあ、逃げたりしないだろう。

 それから朝食をとると、どこにあったのかソリを出してきた。

『一番北の方の砂糖楓の森まで行くんだよ』

『それはどこだ?』

『分かったぞ』

『まかせとけ!』


『誰が前を走りたい?』

『ワシはどこでもいい』

『分かったぞ』

『まかせとけ!』


『じゃあ、まかせるよ。オレの手綱さばきで分かるよな』

『たぶんな』

『分かったぞ』

『まかせとけ!』


 ガクと犬たちの奇妙な会話が続いていた。

「ガクさん、分かるように話してください」

 シンが後ろから話しかけるとガクは驚いてシンを見つめた。それからまた犬に、

『シンも乗せて良い?』と聞いた。

『重そうだな』

『わかったぞ』

『まかせとけ!』


「あのぉ?」

「乗せてくれるってさ」

「あ、それはどうも」

 シンは本当にこの一行で大丈夫なのか心配になった。言葉が通じないのは自分だけだ。しかも、まだ雪の上を歩くのもままならないのに、犬たちが乗せてくれると言ったって、ソリなんて大丈夫だろうか。



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