19. 明の森の家
ヒロは鳩が届けた手紙をひらひらと持って歩きながら言った。
「ガクとシン、お前たちに尾の地区から仕事が来てるぞ。行くか?」
そう言うとヒロは手紙をしげしげと見た。どうやら長い手紙のようだ。
「何の仕事?」ガクが聞いた。
ヒロは手紙を見ながら説明しようとしていたが、どうやら面倒になったらしい、手紙をそのままガクに手渡した。
ガクが読んでいると、ワタルが覗き込んできた。
「へぇ、尾の地区って皆伐があるんだ」
「皆伐って何?」ゲンが聞いてきた。
「皆伐っていうのは、木をみんな切っちまうことだよ」
「うん、まあ、そうだな」
ワタルの大雑把な説明にヒロが苦い顔をした。
「生態系狂うんじゃないの?」
ワタルがヒロに聞いた。ヒロとて、皆伐など北の地ではやったことがないので、何とも説明できない。
すると珍しくシンが口を開いた。
「あまり広い範囲ではないのですが、高い木があると暮らせない動物や木の上で営巣をしない鳥のために、時々行われます。
皆伐後は一気に環境が変わりますが、その後もじわじわ生態系が動くんです」
「野ウサギとか増えるって聞いたことがあるな」
ヒロが付け足した。なるほど。確かに、森の周囲で暮らす動物もいるが、そういう場所は、いつの間にか木が生えて森になっているか、いつの間にか人が住んでいたりする。草原のようなところで生きる動物たちは生きにくいだろう。
そんなことを聞いていたら、ガクはとても南の方の動物を見たくなってしまった。まだ行くことも決まっていないのに、楽しみでウキウキしてしまう。
ところが、シンは乗り気ではないようだった。
「皆伐自体は林業の人がする仕事なので、森守りは行く必要ないです」
いかにも行きたくないという口ぶりだ。
「俺はちょっと行ってみたい」ガクが言った。
「シン、お前がいるからわざわざここに鳩が来たんだぜ。多分、里帰りすればっていうことなんじゃないの?」ヒロが言った。
そういうことでシンは内心嫌々だったのだが、尾の地区の皆伐の手伝いに、ガクとシンとで出発した。
町まで2日、町で1泊、さらに1日がかりで尾の地区の森に着く。なかなかの長旅だ。
鷲頭の森を出てから4日目の午後、もうすぐ尾の地区の明の森の家に着こうとしていた。シンが去年暮らしていた家だ。
森の中をガクがキョロキョロして、シンについて歩いていると、シンが何かの音に気づいた。普段ガクは森の動物の声に敏感で誰よりも早く気づくので、シンが先に気づくのは珍しい。
シンはその音に気づくと、1度後ろを振り向き、そして叫ぶようにガクに言った。
「ガクさん、急いで!」
そう言った時にはシンはもうものすごい勢いで走り出していた。
「え、なに?」
ガクはすでに走り去ったシンを見失うまいと、急いでついていった。もともとシンの方が走るのが速い。知らない森でシンに置き去りにされては、ガクは迷子になってしまう。必死になってシンを追いかけた。
そのうちにガクにも声が聞こえた。動物の声ではない、人間の声だ。
「シーーーーーーンーーーーーー!」
一体なんだ!ガクはその声の正体が分からないままに走った。とはいえ、その声は別に危険ではないように思う。シンは何を思ってそんなに恐れて逃げていくのだろうか?
ガクはなんだかバカバカしくなって、ツツを投げて木に登った。どっちにしろ追いつかれそうだが、ガクを追っているわけではないだろう。木の上でやり過ごせば良い。空渡をしてシンを追いかけながら、ガクはシンを追ってくる人を探した。
シンも走るのが速いと思うが、追いかける人はさらに速い。只者ではない。文字通り飛ぶように走り抜けて行った。
「何なんだ」
そう言った時に、ガクの後ろに人が立っていた。
「アレはシンの元相棒」
ボソと言われてガクは思わず木から落ちそうになるほど驚いた。
「僕はタチ、よろしく」
あ、森守りか、と理解した。
「どうも、ガクです、よろしく」
「とりあえず、二人を見に行こう」
タチが言うので、ガクはシンを追いかけた。
シンがいると思われる辺りで「ギャー」というシンの叫び声が聞こえた。
シンを追いかけていた人は、シンの元相棒である。
「シーン―!」
と叫びながらすごい勢いでガクのいた木の下を走り抜け、すぐにシンの射程距離内に入る。
「見つけたー!」
「ひ!」
シンは怯えながら必死になって逃げた。だがもう捕まるのは時間の問題だ。
それでも必死のシンは、ものすごい集中力で森の中を走り抜けた。張り出している枝や木の根、留まってぶんぶんと群れを成して飛んでいる虫すらもものともせず、出来る限りの速さで逃げる。普通の森守りでもそんなに速くは走れない。
しかし追いかけている人はさらに上を行く。時々、木の幹を蹴るようにして、本当に飛んでいるのではないかというような勢いでシンに迫るのだ。
「よし!」
という声が、シンの後ろに聞こえた。そしてその瞬間、シンは後ろから飛んできた弾丸、もといシンの元相棒に追突されて地面に落ちた。お互いにすごい速さで進んでいたのもあって、ゴロゴロと組んだまま転がっていった。
その人の只者ではないところは、その勢いで二人して転がったと言うのに、なんとその勢いを利用してピタリと立ったのだ。そしてシンも一緒に立たせてやる。
そうして、一呼吸、二人は見詰め合うと
「会いたかった!」
と、感動の再会の抱擁をするのだった。
「ギャー!」
それが、ガクに聞こえたシンの叫び声だったと言うわけだ。
感動の再会というよりは、ものすごい力技の絞め技を繰り出され、シンは死ぬ気でもがいていた。
「会いたかったぞー!元気か?元気だったか!」
「やめろやめろやめろ、テトどけぇ!」
と、まったくかみ合わない二人を、ガクは遠くから眺めた。
なるほど・・・こうなることを恐れて逃げたのか。
ガクとタチが二人のそばに立つと、シンが助けを求めてきた。
「タっ、助けっ」
「無理だね。君も知ってるだろうが、テトは力が強すぎる。力ではなく、頭を使って回避しなければなるまいよ」
「わ、わかって、ふぐ!」
「何を言うかシン。お前だって会いたかっただろう?さあ、遠慮せず再会を祝おうじゃないか!」
テトと呼ばれた元相棒はまだシンを離そうとしない。シンの顔色が赤から黒に変わってきたように思う。このままでは危険なのではないだろうか。
ガクはシンを助けるべく、低い声で歌った。ガクの声に応えて、森の中に不思議な声が聞こえた。
― ぼーっぼっぼっぼっぼっぼっぼ ―
ふと、テトとシンの動きが止まる。
― ぼーっぼっぼっぼっぼっぼっぼ ―
その不思議な声はどんどん大きくなる。方々から聞こえ、こだまし、方向感覚を狂わせるようなそんな音なのだ。
― ぼーっぼっぼっぼっぼっぼ ―
今やそこら中から野太いだみ声が聞こえてくる。テトは恐ろしげに顔を天に向けた。もう力を抜いているので、シンはするりとその手から逃れ、ガクの隣に戻ってきた。
「な、なんだ」
「フクロウでしょう」
恐れているテトとは反対に、冷静にタチが答えた。
その通り、フクロウ(メス)の声だ。森守りでも、フクロウと言えばホウと鳴くと思っている者も多いが、メスの鳴き声は違う。
「その通りです。フクロウの鳴き声。俺の特技なんだ」
ガクがテトに言った。テトは一瞬何だかわからないという顔をしたものの、すぐに盛大に笑った。
「わっはっは、そうか、フクロウか。なんだ!で、お前誰だ?」
「ガクです、よろしく」
◇◇◇
ガクとシン、テトとタチは、明の森の家に着いた。すでに夕方遅くなっていたのもあり、森守りたちは家に戻っていて、みんなで夕飯を食べているのだろう。賑やかな話し声や笑い声が外にまで響いていた。
4人は玄関で靴を脱ぎ、手を洗い、それから皆のいる大きな食堂へ入った。
「ただいまー」
テトが大きな声で言うと、みんなが口ぐちに「おかえり」と声をかけた。食事中だというのに声が大きい。
ところが、シンが部屋に入るのを見ると、それまであんなに賑やかで楽しげだった食卓が、ピタリと静かになった。
「ただいま」
シンは小声で挨拶をした。
誰も返事を返さず、部屋は静かになったままだった。視線だけがシンに向いている。
「どうも、こんばんは、ガクです」
そんな張りつめた空気の中に入って行くのは勇気がいるが、ガクは努めて普通に部屋に入って挨拶をした。
「おや、シン、お帰り。
ガクさん、始めまして、どうぞこっちへ」
中年の森守りが声をかけてくれた他は、シンどころかガクにも誰も挨拶をしなかった。異様な光景だった。
シンがガクのために食事を準備してくれている間、ガクの前にテトとタチが食事を持って座った。そして4人で食事をした。部屋には30人以上も森守りがいるのに、ガクはこの奇妙さを居心地悪く感じていた。
他の人たちの食事はすぐに終わり、みんなは食堂を出て行った。
4人が残ると、テトが口を開いた。
「ガクさん、気にしないでくれ」
でも、それ以上は何も言わなかった。どうしてこんなに空気が悪いのか説明は全くされなかった。
しかし、ガクには何となく思い当たるふしがあった。シンの火の魔法だろう。以前聞いた、町の病院でのシンの同級生たちの言いかたを思い出せば想像は難しくない。ガクは横目でシンを見た。シンは無言で食事を口に運んでいる。
シンは皆伐の仕事に行きたがらなかった。
ガクはそれを思い出し、この家の人たちのシンに対する接し方を感じ取り、悲しくなった。
しかし、目の前に座っているテトは、決してシンを疎ましく思ってはいないようだ。むしろ相当好いているようだ。シンが嫌がるほどに。いや、それは愛情表現の仕方のせいだろう。
4人が食事を終えて、まだ食堂でゆっくりしていると、若い森守りが5人やってきた。
「どうも、はじめまして」
みんなガクに挨拶をしに来てくれたのだ。そしてシンにも「元気か?」などと声をかけていた。
町で見た若者たちよりも、森守りの若者のほうが、シンに対して、そんなに悪くは思っていないようだ。
森守りの中でも、異質を受け入れられないのは、多分年長の者たちなのだろう。若い者はそんなにこだわっていないのでは、とガクは少し安心した。
そのうちシンは、その若者たちに連れられてどこかへ行ってしまった。取り残されたガクはちょっと困った。どこに行けば良いのだろう?
そう思っていると、タチが
「ガクさんの部屋はこっちだ、案内するから付いてきたまえ」
と、言ってくれた。ガクの後にはテトもついてきた。
案内された客室は1人部屋だった。シンはどうするのだろう?そう思いながらガクは荷物を置き、寝台の上に腰を掛けた。
案内をしてくれたタチとテトは、一緒になって、部屋に入ってきて、部屋の畳の上に胡坐をかいた。どうやら話があるのだろう。テトが切り出した。
「ガクさん、さっきの見てわかると思うけど、シンはこっちではあんまりうまくやれなかったんだ。どうか、北の地では優しくしてやってくれ」
最初の力技の印象からは想像もつかないような、挨拶をしてきた。
「はい、勿論。今のところうまくやってると思います」
テトは安心したように息を吐いた。
「あいつはちょっと変わってる」
それから、テトの昔話が始まった。
「シンは今から7年まえだかに、いきなりヤツのおやじさんが、俺のところに連れてきたんだ。
森守りにしたいから、面倒見てくれってさ。その時確か9歳だったか。わかると思うが、森守りの子どもは9歳にもなっていれば、一通り森守りの技は身についてるだろ?それが、それまで全くやってねぇってんで、シンは何にも、木登りもできなかった。
俺は、1人前2年目でちょっと大変だったんだけどよ、引き受けたわけよ。
その頃のアイツは、今よりもっと無口で、真面目。1日中何言っても何にも喋んねえの。笑いも泣きもしねえの、可愛くねえガキよ。それでもエラい真面目で、どんどん森守りのことを覚えた。
まあ、それでもその可愛くねえガキは、大人たちには嫌われてよ、当たり前だよな、愛想がないんだから、それでシンもふてくされて、悪循環よ。
大人はネチネチとシンをいじめるようになって、ある日とうとうシンがブチ切れた」
テトは「火」とは言わなかったが、ガクはなんとなく見当が付いた。
「その日から、シンは本当に嫌われ者になっちまった。でも悪いやつじゃないんだ。真面目で森守り思いの良いやつだよ。ホントさ」
ガクは無言で頷いた。
「アイツの修業時代は俺が面倒見たし、修行終わって、去年は俺が相棒になった。ずっと俺としかやってこれなかったんだ」
テトの話はそれで終わった。つまり、シンはここ、明の森は居づらいわけだ。それで、北に行かされたということだろう。それをテトは心配していたのだ。こんなに良い人に育てられて、ガクは少し安心したが、やるせなさは心のどこかに残った。
ガクがしんみりしていると、タチが立ち上がり、ガクの左手を持った。
反射的にガクは手を引っ込めた。
「君はシンの本当の姿を知っているらしい」
タチが言った。タチにはガクの手のひらの火傷の痕が見えたのだろう。テトがタチを見ていた。
「僕にはできないことを、君に頼もう」
タチはそう言うと、テトを連れて部屋を出て行った。
ガクはタチの言った「僕にはできないこと」というのを考えた。きっと、タチにもシンの相棒はできない、というのだろう。嫌っているわけではなくても、恐れている部分はあるのだ。ガクは左の掌をじっと見つめていた。




