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17. ワタルが言ってたこと



 シンのいた南の方(尾の地区)の森や、ガクの父のいる、頭の地区の南側の森は、ある程度人の手が入っているので、植林されたところは同じ植物が並んでいるが、ここ北の端の鷲頭の森は、ほとんど人が植えた木はない。木々が落とした木の実や種、動物が運んだ種、風が運んだ種などが芽をだし、大きくなっていくうちに、淘汰されて、少しずつ表情の違う森を作っている。

 だから、どのあたりにどんな木が植わっているかは、歩いてみないとわからない。

 なぎはキョロキョロと辺りを見ながら歩いていた。

「カシやヒノキなんかは、南の方と同じよね」

 意外にも、木を見ただけで何の木だか分かっていた。普段から原木も見ているのだろうか。

「カシやヒノキのような硬い木が良いんですか?」

 ガクが聞いた。そう言えば、ツツを作るには何の木が適しているのか、ツツを使っている森守りのくせに知らないものだ。

「普通はそうなんだけど、他の木も試してみたくて。ねえ、あなたたちのツツは、使い心地はどう?」

 反対に聞かれてしまった。

「俺のツツは普通よりちょっと重いって言われたことがあるけど、俺は使いやすいよ?」

 そう言って、ガクは自分のツツを見せてあげた。

「あら、良い木を使ってるじゃない。これ、外国の木よ」

 ちょっと見ただけで、なぎは感心したようにツツの木を当てた。軽く振って重さなどを確かめているようだ。

「あなたは?」シンにも聞いた。

「僕のはこれです。使いやすいです」

 シンも自分のツツをなぎに見せた。

「あら、黒檀。あなた、南の人?」

 黒檀のツツを使うのは、南の人に多いのを知っているらしい。もともと、黒檀は南の方でしかとれないので、あまり北の方の人は使わないのだ。

「はい」

「あなたのも重いわね。ふーん、もっと軽い方が良いかと思ったんだけど、そうでもないのかな」

 出発前の変な人騒動からは想像できないような玄人ぶりに、ガクもシンもなぎを少し見直していた。



 なぎは時々「ちょっと待って」と言っては、道をそれて、目についた木を触りに行った。そのたびに、口の中で「ちょっと柔らかすぎるかしら」とか「まだ若いわね」など呟いていた。

「ねえ、帰りもこの道通ってくれる?」

「はい、勿論」

 どうやらなぎは目星をつけ始めたようだ。良い木があったのだろう。

 しかしどうにも表情がさえない。1時間ほど歩いたところで、ガクがその顔に気づいた。

「これでだいたい一通りの木を見たので、引き返しますが、木は決まりましたか?」

「うん、まあ、一応ね」

「一応ってことは、あまり手ごたえがなかったってこと?」

「うーん」

 なぎは歯切れが悪かった。わかっているのだろう。北の地ではなぎが探すような、硬い木は育たないのだ。

北に生えるのはほとんどが針葉樹で、軟らかい木ばかりだ。広葉樹も勿論生えるが、それは南にも生えている木と同じもの。なぎは、北の地にしか生えない、硬い木を探しに来たのだ。

 わざわざこんな北の奥地まで来て、手ぶらで帰らせるのはなんとも申し訳ないことだ。ガクはなんとかしてあげたかった。

 ガクは少し考えがあった。もう少し北まで行けば、多分なぎが見たことのない北の地特有の木がある。それを見せてあげたいと。

 一方シンは、そこまでやってやる義理はないと考えていた。ここより北に行くのは素人には大変なうえに、帰りも遅くなる。そんなにこの人だけに特別扱いをしてやることなど考えられなかった。

 シンはもう少し北に行くと白樺の林があることを知っていた。白樺は北の地でしか見かけない広葉樹だが、あまり硬い木とは言えない。あまり高く育たず、寿命も短い。耐久性もないので、ツツには向かないだろう。だからここより北に行っても無駄足だとわかっていたのだ。

 ところがガクはなぎに提案した。

「ここから1時間ほど行ったところにもう少し違う木が生えています。道のりが大変ですし、あまり材木として向かない木なので今回は行かないつもりだったのですが、見に行ってみますか?」

「あら、どんな木?」

「広葉樹です。北だけに生える」

「良いじゃない!行きたいわ」

 なぎはその木にかけたくなった。道のりが大変なんて気にならない。材木に向かないのだって見てみなければわからない。とにかく自分の足を使って、自分の目で確かめたい、そういう人間なのだ。

 3人はその先へ行くことに決めた。



 ガクが先頭に立ち、間になぎを挟んで、シンは後ろからついて行った。北に行ってもしょうがないのに、そんなにしてやる必要ないじゃないか、と思いながら。

「なぎさん大丈夫ですか?」

 時々ガクがなぎを気遣いながら振り返った。森はうっそうとしていて、涼しいのに息苦しく感じるほどだ。木の根っこが張り出していて歩きにくい。普段人が通らないようなところなのだから仕方がないが歩みは遅くなった。

 その道なき道を、なぎは苦労しながらも、それでも疲れた顔をまったく感じさせず懸命に歩いた。ガクとシンだけなら、こんな森でもすいすい進めるのだが、素人では大変な道のはずである。

 ガクが思ったよりもずっと速く歩く、根性のあるなぎのおかげで、あそこから30分ほどで白樺の林が見えてきた。

 辺りの景色が変わり、白い樹皮を見てなぎが嬉しそうな顔をした。これが北に生える広葉樹か。あまり背が高くないこぢんまりした木に見える。

 広い白樺林を歩きながら、なぎはコレと思った木を見つけると「ちょっと待ってて」と言って走り出した。木の幹に手を当てて何かを感じ取っている。

 数本の木に手を当てただろか。少ししたらガクとシンのところに戻ってきた。

「どうでした?」ガクが聞いた。

「うん、まあまあ。曲げるのには良さそうだけど、強度はあんまりなさそうね」

 それを聞きながらガクは頷き、また先へと進んでいった。

 シンは不思議に思った。ここが目的地ではないのだろうか?ガクはさらにどんどん進んでいく。

 白樺林は今までの道よりはずっと歩きやすかった。昨年一昨年に落ちた葉っぱが足元にほどよく積まれていて、柔らかい。今までゴツゴツした根っこを踏みながら歩いてきた足に心地よかった。

 それから15分くらい経って、白樺林を抜けるとまた景色が変わった。そこはシンも知らないところだった。ちょっと嗅いだことのない匂いがした。

 ガクはシンに言った。

「冬になったら連れてくるつもりだったんだけど、覚えておいて。ここは北の砂糖畑っていうんだ」

 砂糖畑の木は、ほとんどの木の幹の下にバケツが置いてあった。変な畑だ。



 ガクはなぎに言った。

「砂糖楓です。ここの木は森守りが利用しているので、本当は切ってはいけない木ですが、今回特別にお見せします」

 なぎの顔が嬉しそうに輝いた。そして走って行って、木の幹に触っている。遠目にもはしゃいでいるのがわかるような喜びようだ。

 そして走って戻ってきた。

「これよ!これが良い!」

「ただし、この木を切って良いか家に戻って聞かなければなりません。この木、わかると思いますが、使ってるんです」ガクが言った。


 3人はすぐに来た道を戻ることにした。午後になると森はすぐに陽が沈む。予定より遠くまで来たこともあり、ガクが急ごうと言ったのだ。

「あのバケツ?何してるの?」

 なぎが聞いた。

「樹液を集めてるんです。すごく出ますよ。止めどもなくあふれるくらいなので、あのバケツの当番になると大変なんです」

「ふぅん・・・じゃあ、何か管を通して、集めやすくすれば?」

 さすがなぎは、カラクリ師ということもあって、道具を作る新しい考え方に柔軟だった。ガクは思いもよらなかったことなのでとても驚いた。

「それ、作ってくれますか?そうすれば、木を切っても良いって言ってくれそうだ」

「あら、そんなことで良いなら、お安い御用よ」

 どうやら交渉成立しそうだった。実際に木を切ったり、新しい樹液収集機械(?)を付けたりするのは先になるだろうが、めどが立ち、なぎはとても満足した顔をしていた。

「ガク君、ありがとうね。ワタルが言ってた通りの人だったわ」

「え、ワタルが?」ガクは驚いた。

 ワタルは何か、なぎに自分のことを言ったのだろうか?

「そうよ、ガク君に任せれば絶対何とかしてくれるって太鼓判を押してくれたわ」

「そんな、絶対何とかなんて無理なのに」

 ワタルは一体何を言ってるのかとガクは心配になった。

「去年組んでたんでしょ?」

「はい、まあ」

「私ね、兄のようなカラクリ師になりたいのよ」

 なぎは、ガクの話をするのかと思いきや、いきなりお兄さんの話しをした。

「はい?」

「兄はね、少し変わったところのある、まあ、世間で言えば変人なんだけど」

 なるほど、とガクとシンは心の中で頷いた。

「発想が自由で豊かなの。まるでこの世界の(ことわり)をなんでも知ってるかのような、飄々とした生き方をするのよ」

 あなたの発想も充分自由で豊かで変人ですよ、と二人は思っていた。だいたいガクの話をしているそばから、お兄さんの話に転換して、その兄の発想の話から世界の理の話に展開するのだから、なぎだってかなりの変人だ。二人はそんななぎの話に付いていけないような気がしつつも、なぎの話はちゃんと繋がっていた。

「でね、ワタルが言うには、ガク君も兄に似てるのよ。ワタルはガク君のことを、人懐っこくてニコニコしていてちょっと動きがゆっくりしていて頼りなく見えるけど、」

 おいおい、そんな評価かよ、とガクは内心がっくりした。でも、なぎの話は続いていた。

「とっても思慮深くて、森のことだけじゃなく、自然のことを何でも知ってるみたいだって、尊敬していたわ」

「ウソ」

 ガクは思わず口から出てしまった。ワタルが自分のことをそんな風に高く評価していて、しかも尊敬してくれてるなんて思いもしなかったのだ。

「だから、兄に似てると思ったの。実際会ってみたら、兄よりももっと常識があって」

 ガクはホッとした。

「しかも、本当に森のことも、私の仕事のことも理解していて、すごく嬉しかった」

 ガクは言葉もなく盛大に照れてしまった。

 しかし隣でシンは複雑な思いでいた。去年までガクと相棒を組んでいたワタルならば、ガクのことを知っていても不思議はない。自分だって、この数か月、ガクを見ていて、本当に魅力的な森守りだと何度も実感していた。勿論尊敬している。

 そうやって少しずつ発見したガクの良いところを、初対面の人がちょっと見ただけで、言い当てるのはなんだか悔しく感じていた。


◇◇◇


 3人は白樺林を通り抜け、またうっそうとした森を引き返して行った。しばらくは歩きにくい道なき道が続く。もうかなりの時間を歩いていたために、なぎは足がふらふらし始めていた。根性だけはあるが、しょせん素人である。ガクはそんななぎを気遣うようにしてゆっくり歩き続けた。

 後ろから見ているシンは少しイライラするのを感じた。いくらやる気があったって町に住んでいる女の子がそんなに何時間も歩けるわけがない。それなのにわがままを言って、こんなに遠くまで行かせておいて、結局歩けなくなるなんて(歩いてるけど)、なんて迷惑な女だ!と。

 なぎ自身はそんなに疲れているとは思っていなかった。時々年頃の女の子とは思えないようなひどい転び方をしたり、手や顔を土で汚しても、自分自身のことには無頓着というか、気にしない性格のようだ。そして相変わらず楽しそうにおしゃべりしながら歩き続けた。

「兄っていうのは特別な存在なのかしらね」

 なぎは立派な兄崇拝者だった。兄の話が一通り続くと今度はガクに聞いた。

「ガク君は兄弟いるの?」

「俺?いますよ。兄ちゃんと姉ちゃんが一人ずつ」

「あら、二人も?良いわね。楽しいでしょ?」

「まあ、楽しいですけど、末っ子はいつまでたってもガキ扱いでつまらないですよ」

 ワハハとなぎが笑った。

「そうよね、私もよ。でも、いつまでも甘やかしてくれて幸せよね」

「俺は男だから、早く一人前扱いしてほしいですよ」

 ガクが拗ねたように言った。その辺は女と男では考え方が少し違うのかもしれない。

「あなたは?」

 なぎがシンに聞いた。シンは一瞬立ち止まった。

「僕は、一人っ子です」

「そうなの。それも良いわよね」

 なぎは兄が大好きだが、別に兄弟などいなくとも気にしないようだ。そのまま歩いて行った。



 シンは思い出していた。子どもだったころのことを。シンは確かに一人っ子だ。しかし、兄弟がいた時期があったのだ。それは同じ親から生まれた兄弟ではなく、同じ親に育てられたのでもないが、シンにとっては大切な兄弟だったのだ。しかしその兄弟とはずっと会っていない。会えないのだ。

 シンはその兄弟が好きだったかどうかはあまり分からないが、少なくとも彼がいたからこそ今の自分がいるわけで、とても大切な存在だった。それが会えないのだ。懐かしくなり、会いたくなった。

 会えないことは重々承知していた。それならばその思いは考え続けていても意味はない。シンは無理やりにでも忘れなければならなかった。それなのになぎは、勿論そんなシンのことなど知らないので「兄弟はいる?」なんて聞いてきた。

 すっかり思い出して切なくなってしまったシンは、その思いも忘れなければと、頭を振った。

 しかしなかなかそう簡単に忘れられるものではない。会えないと思えば思うほどどうしても会いたくなるし、忘れなければと思うほど、思い出してしまうのだ。そんな気持ちを無理に押し殺していれば、シンはイライラするばかりだった。



 森の夕暮れは早い。時刻はまだ3時過ぎだったが、暮れはじめた空を見て、さすがのなぎも怖さを感じたようだ。お喋りの速度が速くなってきた。

「ワタルに熊が怖いって言ったら、ガク君が頼りになるって言ってたのよ」

 とか、

「ガク君のお兄さんにも会ってみたいわ」

 とか、

「今度あの森に行くときも、ガク君が案内してね」

 とか、次々と話し続けた。シンはさらにイライラが募るのを感じた。

 内心では「うるせー」と思っていたが、ただうるさいというよりは、もうその存在が許せないような感じだった。



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