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16. カラクリ師の案内




『違うっつってんだろーが!』

 耳障りな高い枯れた声がシンに言う。シンはそれでもあきらめずに火を操る練習をしている。

 そんな夢を続けて見るようになった。

 シンの懐かしい、兄弟の夢だ。

「ベイ」

 シンはそう言うと、目を覚ました。自分の寝言で目を覚ましたのだ。こんな日々が続いていた。



◇◇◇


 ガクとシンが鷲頭の森に戻って、ガクの手がちゃんと使える頃になると、その年は早くも梅雨が終わろうとしていた。

 今年は暑い夏になりそうだ。涼しい北の森でさえそんな予感のする夏の始めとなった。

 ガクの手はすっかり治り、ケロイドになった手のひらをシンは気にしたが、ガクはシンへの恐怖心もほとんどなくなっていた。

「明日からの案内、お前たちで良いか?」

 ヒロがガクに聞いてきた。

「案内?やった、勿論良いよ」

 案内の仕事は、年長の者がすることが多い。森に慣れていない人を案内するので、気を使うからだ。それに、若い者にはもっと体力勝負の仕事が回ってくる。とはいえ、案内の仕事もそろそろ慣れなければならない。

「案内って言っても、この辺だけだ。カラクリ師が一人、ツツの材料を探しにくるんだってさ」

「へ~、カラクリ師自ら、原木を見にくるとはねぇ」

 ワタルが横から口を挟んできた。話題に入りたいらしい。まあ、ワタルの言うとおり、わざわざ原木を見にくる職人というのはほとんどないのだし、しかもこんな一番奥深い北の森まで来ることなど初めてのことだからそう言うのも仕方のないことだ。

 ちなみに”ツツ”というのは、森守りが使う道具の一つで、森守りが木に登ったり、木から木へ飛び移る(空渡りという)時に、紐を木の枝に飛ばして巻きつけるための道具で、紐の先につける筒状の(おもり)のことを言う。この錘は、ただの木の筒に見えるが、よく飛ぶし、よく枝に巻きつく。それにどういうわけか、枝に巻きついた紐を鞭のように振ると、枝からツツが離れるという、不思議な(おもり)なのだ。とにかく森守りにとっては大切な道具なのである。

 そのツツを作るカラクリ師が森にやってくるというのだ。ガクもシンもとても楽しみにしていた。



「今日の夕方に着くと言ってたから、今日は下見に行っておこう」

 ガクがそう言うと、目を輝かせて頷くくらいシンも張り切っていた。案内をするのに、案内人が不慣れでは案内にならない。シンはこの森に来て日が浅い。それでも森守りとして案内できるくらいにはわかるようになっていたが、今回案内初仕事とあって、真面目なシンは“下見”をしたいと思っていたところだった。

 ツツに適する木がどんな木かは二人にはわからなかったが、素人が歩き回れて、かつさまざまな木を見ることができる道を二人で探し回り、夕方に家に戻った。

 居間にはすでにカラクリ師が到着していて、いつもよりにぎやかだった。

「おお、ガク」

 居間に入ったガクに声をかけたのは、カラクリ師をここまで連れてきたガクの父だった。シンはそれを見て居間に入るなり直立不動になった。そんなに緊張しなくても大丈夫なのに、カラクリ師よりガクの父の方が重要だなんて、シンらしいなあ、とガクは思わず顔をほころばせた。

「シン、どうだ?調子は」

 ガクの父はさっぱりとそんな風に声をかけてくれたので、シンはさらに背筋を伸ばして

「はい!元気です!お父さんはいかがですか!」

 などとガチガチの挨拶をしていた。

 さて、カラクリ師の方だが、なんと若い女の人だった。てっきり男の人だと勝手に思っていたのだが、確かに小さなものを作るカラクリ師には女の人も少なくない。

 こんなに森の奥に若い女の人が来るなんてことはなかなかないので、森守りたちは変に盛り上がっていたのだった。

 それにしてもワタルはその中でも馴れ馴れしく話していた。女の子に手紙すらもらったことのないガクは横目に(女の扱いうまいな)などと思わずにはいられなかった。

 ワタルはすぐにガクとシンを呼び寄せて、カラクリ師を紹介してくれた。

「ツツ作りのウナギちゃんだよ」

 ワタルがカラクリ師のことを紹介すると、すかさず、

「そうそう、ウナギにょろにょろってね。って、違うわー!なんか頭に変なの付いてるよ!ウナギじゃなくて、な・ぎ!なぎちゃんでしょ!」

 完璧なノリツッコミだった。

 ガクとシンが目を丸くして二人のやり取りを見ていた。

「あ、固まったな」

「もう、ワタルは相変わらずガキなんだから」

 相変わらずということは?もしかして

「なぎはオレの友だち。学生時代ずっと同じクラスの腐れ縁~」

「そう、ふーん」

 ガクはもうそれしか言えなかった。でも、ワタルと友だちなら、あんまり緊張しないで案内の仕事ができそうだと、ガクは気を取り直した。

「明日、案内をするガクです。こっちはシン」

「どうも」

「よろしくね~。ホント、ワタルには困っちゃうけど、私はちゃんと大人だから気にしないでね」

 なぎはケタケタ笑いながら挨拶をしてくれた。ガクと3つ違いとは思えないような大人っぽい笑顔をしている。女の人は男よりも大人になるのが早いと言うが、ワタルとなぎを見て、なるほど、とガクは思った。

 ガクの父はそれからすぐに銀の森へ帰って行き、ワタルとなぎは、夜遅くまで思い出話に花を咲かせていた。


◇◇◇


 さて、朝になると、やる気満々のシンよりも、なぎはさらに上を行っていた。

 森守りもかくやといういでたちで現れた。普通町の人は着けない細身の袴に、厚手の脚絆と手甲を着けている。

「朝っぱらからそれはどうなの」

 ワタルが朝食を準備しながら冷静になぎに言った。

「え、そうなの?こういう恰好でしょ?」

「そういう恰好だけど、せめて飯食ってからにしてくれ。落ち着いて食べられない」

「ふぅーん」

 なぎは大人しく手甲と脚絆をはずして、食卓についた。

「食べ終わったら、少しゆっくりしてから出かけましょう。無理して急ぐとあとでお腹痛くなりますよ」

 ガクがなぎに教えてあげた。勿論森守りたちは慣れているので、食後にゆっくりする必要はないが、素人には森は厳しい。こういった、森の中に入る前のことも案内には重要な仕事だった。本当のところ、前日の夜にワタルとなぎが遅くまで話し込んでいたのも、ガクは少し気にしていた。とはいえ、ワタルも森守りなのだからそこらへんはきっとわかって気を使ってくれているとガクは信じていた。

 朝食を食べ終わり、ガクはなぎの装備を確認していた。

「脚絆はこれで良いですが、手甲はまた随分立派なものを用意しましたね」

 なぎが持って来た手甲は手首から肘まで皮で覆われていて、中に綿が入っているものだった。

「森では鷹を腕に乗せるって聞いて」

「えっ」

 そりゃまた、随分勘違いというか森守りの印象だけが勝手に独り歩きしているようだ。確かにガクは動物に詳しいので、鷹を慣らすこともできるが、野生の鷹がそうそう腕に留まることはありえないのだ。

「あ、脚絆はまだつけないで。革足袋を履いてからです。革足袋はありますか?」

「はい、それにこれと・・・」

 なぎは背中に背負う袋から革足袋のほかに、木でできた何かを出した。

「これは何ですか?」

 ガクが聞くと、なぎは待ってましたとばかり、嬉しそうに話し出した。

「これは木鈴です。ほら良い音でしょ。それからこっちが空気鉄砲、これは特性唐辛子爆弾でーす」

「はあ?」

 ガクとシンが揃って声を上げた。

「唐辛子爆弾って?」ガクが聞いた。

「熊よけに必要でしょ?」

 ガクは呆然とした。さすが素人の考えは、森守りの常識の斜め上を行っている。

「ということは、空気鉄砲も熊を威嚇するためのものですか?」

 シンが聞いた。なぎは胸を張っている。

「勿論!ここらへんは熊がいると聞いて、できるだけの準備をしてきたわ。頭巾もほら、わざわざ赤く染めてきたのよ。でも大丈夫、いざとなったら死んだふりをすれば良いのでしょ?」

 カラクリ師が普段かぶっている頭に乗せるだけの小さな頭巾を、この日のために赤く染めたらしい。おかしなことになっていた。



 女のカラクリ師というのも珍しいが、わざわざ材料の木を探しに来るというあたりで気づくべきだった。どうやらこの人は相当変人だ。

 ガクはさて、どう説明したら良いものか考えた。まずはその熊に対する変な解釈をどうにかしないとエラいことになってしまう。

「なぎさん、熊はよほどのことがない限り襲ってはきません」

「そうなの?でも、よほどのことってどんなこと?たとえば、人間だって急に曲がり角から人が現れただけでも驚いて蹴っ飛ばしたりする人いるでしょ?」

 いないよ、とシンは思った。

「はい、まあ」ガクはあいまいに返事をした。

「それに、子連れの熊は気が荒いって言うじゃない?」

「それは、まあ」

 あり得るな、とガクもシンも思った。

「そういう時は、子熊と仲良くすればいいのでしょ?」

 シンはおでこを抑え上を向いた。

「ダメです。子熊には近づかないでください」

「ほら、そういう時はいざという時じゃない!」

 なぎはエッヘンと胸を張って言った。

 向こうでワタルがゲラゲラ笑っているのが見える。

「だから、近づかなければ良いんです」

「子熊の方から遊びに来ることだってあるでしょ?ああ、そういう時こそ死んだふりよね?」

 何をどう言ったら伝わるのか・・・ガクは案内の仕事の難しさを痛感していた。

「なぎさん、熊に対して誤解があるようなので、言っておきます。熊を威嚇するのは絶対にダメです。それから、死んだふりもダメです」

 ガクが真剣に言えば言うほど、ワタルがウケまくっている。

「ええ~?威嚇も死んだふりもダメなら、どうすれば良いのよ」

 さすが、初対面でノリツッコミを披露しただけの人だと、ガクとシンは思わずにはいられなかった。しかしとにかく威嚇は絶対危険だ。

「威嚇も死んだふりも危険なんです。わかってください」

 もうこうなったら頼み込むしかない。

「わかったわ」

 頼んだら意外にもあっさり受け入れてくれた。

「派手な恰好と音はとても良いです。ただし、この頭巾では、髪の毛が全部隠れないので、森歩きには向きません。手ぬぐいで良いので、髪を隠すようにしてください」

「まあ、せっかく染めてきたのに。じゃあ、ほうっかむりの上に乗せるってのはアリ?」

 アリかなしかで言うと、なしだが・・・まあ、良いか。途中で落としたら自分で拾ってくれ、と心の中で思いながらよしとした。


◇◇◇


 若干の不安を心に抱き、ガクとシンはなぎを連れて、北の森を案内すべく出発することにした。

「おう、気を付けてな!」

 見送るワタルがものすごい笑顔だ。今にも大笑いしたいのをこらえているような顔をしている。

 その顔を見て、ガクはピンときた。なぎがこんなに熊にこだわるのは、ワタルの入れ知恵だと。なぎの素直で面白い性格を利用して、あることないこと吹き込んだらしい。帰ってきたら覚えていろよ、とガクはワタルを睨んで出発した。

「とりあえず、この辺りに生えている木を一通り見てもらえるところを歩きますので、木を見たい所でひと声かけてください」

「わかったわ」

 そう答えたなぎの姿は異様なものだった。森守りのような衣服に、気合の入った手甲と脚絆。派手な手ぬぐいを頭に巻いてその上から真っ赤な小さい頭巾を被っている。腰には赤い帯を締め、そこにはカラカラと可愛らしい音のする木鈴がいくつもぶら下げてあった。木鈴だけではなく、他にも七つ道具のようなものがぶらさげてあり、それだけでも賑やかな音を奏でていた。

 手には分厚い軍手、左手には細い杖を握っていた。

 森をわかっているのかわかっていないのかわからないような、姿だった。

 ガクとシンは、この人と一緒の時に他の森守りに会いたくないと思った。

「一回りするのにだいたい普通に歩いて1時間くらいかかります」ガクが言った。

「わかったわ」

 なぎは恰好こそヘンテコだが、受け答えは常識人だ。その1時間をいかに有効に使うかをすでに考えていた




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