33話 ヤイダルーム
恐る恐ると言った感じで、イコが抱き返してきた。
「バレちゃった?」
「普段は意識してなかったから分からなかったけど、一度意識したらそっくりですぐ分かったぞ」
「口調とかは意識して変えてたのになぁ」
「いや中身がそっくりだったから」
「聖女のように清らかな内面は、どうしても隠しきれないかぁ」
「そういうところだぞ」
イコは「でしょー?」と嬉しそうだ。
相変わらずの自信に呆れてしまう。
「俺がヤロリだって知ってたんだな」
「ごめんね、黙ってて」
「俺も自分がヤロリだって黙っていたしお互い様だ」
矢井田の胸に顔を擦るように上下に動かしている。
「おい。スリスリするな」
「ヤイダ成分を摂取しないと」
「なんだそれは」
「あぁ~、落ち着く~」
疑問には答えず、ひたすら顔を俺に擦りつけながら、何かに酔いしれたかのように蕩けた声を発している。
まるで薬物中毒者だと思った。
◆
イコの部屋に入る。
「汚くてごめんねー」
「いや、普通に綺麗だと思うが……」
部屋の中は整理整頓されている。
そこに問題はない。
問題はもっと別にある。
「なんでリビングにベッドがあるんだ?」
本来ならソファーがあるような場所にベッドが置いてある。
「少し前からこうしているんだけど結構便利だよ。寝るときもテレビを自由に見られるし」
ベッドをソファー替わりとしても使うのは1K暮らしの大学生なんかがよくやる方法だ。
2LDKの部屋に一人で住んでおり、部屋に余裕がある彼女には相応しくない。
「寝室は作らないのか?」
「うん。部屋に余裕がないから」
「他にも部屋があるだろ?」
「他のことに使ってるから使えないんだよね」
「何に使っているんだ?」
「うーん、見せた方が早いかな」
そう言いながら見せてくれた部屋の中には大量のヤロリグッズが飾られていた。
ヤロリは個人系Vtuberということもあり、あまり多くのグッズを販売している訳ではないが、そのほとんどが揃っているように思う。
壁にはヤロリのイラストをプリントした写真が無数に貼られていた。
「どう?」
凄いでしょとでも言いたげなドヤ顔だ。
普通に気持ち悪い。
「凄いな」
無邪気に自慢してくる彼女に本当のことを告げる勇気はなかった。
称賛されたと思ったのか、イコは気を良くして、グッズの一つ一つについて早口で解説を始める。
(ヤロリ本人なんだから全部知ってるっての……)
矢井田にとって羞恥的なこの場所から早く逃れたかった。
「もう一つの部屋はどうなっているんだ?」
「えっ!? えーっと、それは……」
急に挙動不審になる。
何か見せられないものでもあるのだろうか。
「見せてもいいんだけど、引いたりしない?」
もうドン引き済みだから大丈夫、とは言えるはずもない。
でも、どんな部屋だろうとこの部屋よりはマシだと思う。
見た感じイコの家は綺麗に片付いているが、もしかすると不要なものを全部その一室に放り込んで物置部屋にしているのかもしれない。
その程度、可愛いものだ。
「大丈夫だ。引いたりしない」
「絶対?」
「あぁ、絶対引かない」
イコが扉を開いた。
「……なんだ、これ」
理解が追いつかない。
目の前に広がる光景を、脳が受け入れることを拒否していた。
「どう?」
「す、凄いな。うん、凄い……と思う」
「でしょー! でも、まだ全然充実できてなくてちょっと恥ずかしいけどね」
部屋一室を好きなもので埋め尽くす。
そういうタイプの人間がいることは理解している。
だから彼女が熱心なヤロリファンである以上、ヤロリグッズで埋め尽くされた部屋があることは、一応理解はできる。
でも、こっちの部屋はおかしい。
矢井田に関するものばかり置いてある。
矢井田が使った日用品や、矢井田を隠し撮りした写真が飾られていた。
「ちょっと待ってくれ。イコはヤロリが好きで俺に近づいたんだろ?」
「うん」
「だからイコが好きなのはあくまでヤロリ……ってことであってるよな?」
そのはずだ。
彼女が矢井田みたいなおっさんに夢中になることはあり得ない。
「ぶー、違いまーす」
腕を交差させてバツを作っている。
「ヤイダのことも好きになっちゃった」
嘘をついているようには見えない。
だが彼女の言葉をすぐには受け入れられなかった。
「ヤロリのことが好きすぎて、ヤイダのことも好きになっちゃった……みたいな?」
てへっと可愛く舌を出す。
「要するに俺のファンってことか?」
「うーん、ちょっと違うかなぁ。ヤイダが欲しいの」
ドキッとする。
彼女が言う「欲しい」という言葉は何を指したものだろうか。
(もしかして異性として……いや、さすがにそれはないか)
「友情的な意味だよな?」
「私はヤイダの一番の親友になりたいなー」
「そうか、そうだよな!」
ホッとした。
恋愛的な意味ではなかったらしい。
彼女はまだ17歳。未成年だ。
そんな彼女と恋仲になることは許されない。
でも、もしもイコから恋愛感情を向けられたら、耐えられる自信がなかった。
「一番の家族にもなりたいし。それに――」
「ん?」
「唯一の恋人にもなりたいっ!」
矢井田は動揺した。
恋愛は関係ないのだと安心した矢先に爆弾を放り込まれた。
「お、俺はおっさんだぞ?」
「関係なくない?」
「俺みたいなおっさんは、イコみたいな若い子とは釣り合わない」
「あはは。そんなの同い年でも同じことだよ。私が可愛すぎるから誰が隣にいても釣り合わないって」
自信たっぷりに彼女は言う。
その通りかもしれないと思った。
矢井田から見てイケメンだと思う男性であっても、イコの隣に立てば影が薄くなるだろう。
「いつからだ?」
「多分ヤイダが私の看病してくれたときからかな」
「ほぼ最初からじゃねーか! そんな頃から……」
「あのさー。常識的に考えてみてよ。初めてヤイダの家にあがったときは、熱で意識を失ってたから仕方なかったけど、その後もずっと一人でヤイダの家に来てたでしょ? ヤロリのことが好きだからって理由だけでそんなことしないよ」
「それは、確かに」
「私、危機感強いって言ったよね?」
矢井田は頷く。
「でもヤイダは私が危機感強いって思ってないよね? それはヤイダの前では無防備だっただけ」
矢井田はイコが危機感の薄い少女だと思っていた。
誰もが惚れてしまうような美少女でありながら、どうしてここまで危機感がないのか不思議だった。
でも違ったのだ。
イコは危機感が薄かった訳ではない。
矢井田に対して危機感を抱く必要性がなかっただけなのだ。
「私、男の視線には人一倍敏感だから。ヤイダがいやらしい目で見てたことも気づいてるよ」
「ぐっ……」
「えっちな写真を送ったり、わざとパンチラしたり、身体をおしつけたり。そんなこと好きな人にしかしないでしょ」
イコの無防備な行動。
それは矢井田に対して好意があると考えれば全て説明がつく。
「私はね――」
矢井田に関するものが集められた部屋の中。
イコは両腕を広げてその場でグルっと身体を一周させる。
そして熱を帯びた瞳で、こちらをジッと見つめた。
「ヤイダの全部が欲しい」
◆
イコと二人で『ヤイダルーム』を物色する。
「あ、これはね――」
矢井田と腕を組んで密着しながら早口で語っている。
語れば語るほど、彼女の体温が上がっているように感じた。
物理的に体温が上がっている訳ではなく、矢井田がドキドキしているせいだろう。
「この耳かき……」
棚に飾られている耳かきが目に入る。
この前、イコから「なくなったと思って買ったけど見つかったからあげる」と言われて、新しい耳かきを貰った。
古い耳かきはイコが処分してくれたはずなのだが、それがこうして棚に飾られている。
「間接耳かきだね」
イコは耳かきを手に持ち、耳掃除を始めた。
飾って鑑賞するだけじゃなくて、実際に使いたいタイプのコレクターのようだ。
「んん~、気持ちいい~」
至近距離で顔を蕩けさせている。
イコみたいな美少女の痴態。
今すぐ襲い掛かってくれと言わんばかりだ。
だが、やましい気持ちは全く生じなかった。
「……」
ドン引きだ。




