30話 Vtuber
度重なる残業とクソ上司による説教によって、矢井田は限界だった。
当時の精神状況で、自殺を選んでしまう前に退職を選べたのはファインプレーだったと思う。
退職してすぐの頃は何もできなかった。
ただボーっと生きるだけの、食べて寝るだけの日々だった。
そんなある日、動画配信サイトで漠然と動画を見ていると、Vtuberの配信動画が流れた。
楽しそうにゲーム実況をするVtuberの姿が、とても輝いて見えた。
そんなときにふと思ったのだ。
――俺もやってみよう。
働いているときには絶対に思わなかっただろう。
完全に追い詰められて退職して、怠惰な日々を送ってある程度リフレッシュできたからこそ、Vtuberになるという突拍子もない思いつきを実行に移すことができた。
ぶっちゃけ暇だった。
何も目的がなかったから、Vtuberになるというのは新しい目的として、丁度いい刺激になったのだ。
どうせやるなら可愛い女の子を動かしたかった。
学生の頃にイラストを描いていた経験があったから、キャラデザや3Dモデルの作成は自分で行った。
そして特に力を入れたのはボイスチェンジャーだ。
市販のものでは矢井田が思う声に、のじゃロリ美少女の声にならなかったので、新しく自分で作った。
完全に自分の声にチューニングした、矢井田専用のボイスチェンジャーだ。
他の人が使っても多分変な声になると思う。
そして、のじゃロリVtuber野地ヤロリとしてデビューした。
最初は全然反応がなかった。
でも時間だけはたくさんあったから、諦めずに続けている内に少しずつ人気が出てくる。
[可愛い]
[癒される]
[ヤロリ好きだー!]
視聴者の好意的なコメントを見て心が躍った。
彼らの期待に応えたいと、より一層励めば、更に好意的な反応が返ってくる。
そんな好循環をどんどん回していく内に、人気Vtuberとなっていた。
人気が出るにつれて、アンチコメントや厄介ガチ恋勢の対応に困るコメント、完全にセクハラなコメントなんかも投稿されるようにはなったものの、それでも大多数は野地ヤロリを真剣に応援してくれる人たちで占められていた。
Vtuber野地ヤロリとしての配信活動。
それは新しい生きがいとなった。
矢井田はクソ上司と再会し、ストレスのあまり倒れて救急搬送された。
体調的には特に問題はないがメンタル面は重症だ。
だから野地ヤロリとしての配信活動を休止することにした。
きっと今配信をしても酷い出来になる。
もしかしたら笑うことができないかもしれない。
そんな最低な配信を許容することはできない。
野地ヤロリに期待してくれているヤロリアンたちを裏切ることはできない。
野地ヤロリとしての活動が生きがいになっているからこそ、妥協はできなかった。
◆
病室でイコに酷いことを言ってしまった後、イコの姿は見ていない。
矢井田の部屋にも来なくなった。
野地ヤロリとしての配信活動も休止した。
毎日のように行っていた配信活動や、その準備に当てる時間が無くなった。
イコもいない。
配信もしない。
何もすることがなかった。
「はぁ……」
寝て食べるだけの日々。
Vtuberとしての活動を始める前に戻ったみたいだ。
時間はたくさんあったから、動画配信サイトに投稿されている動画を確認する。
主に他のVtuberたちの動画だ。
彼らの配信動画から学べる部分は学ぶべきだし、他のVtuberについて知っておくことで配信中の話題にすることもできる。
Vtuberとして活動する上で、Vtuber界隈にアンテナを張っておくことは重要だ。
「休止したのに……何してるんだろうな」
わざわざ活動休止を宣言したのに、配信のことを考えて情報を仕入れようとしている。
自分が考えている以上に、Vtuber野地ヤロリとしての活動を大事にしているのかもしれない。
「配信……したいなぁ」
今から配信を再開したとして、笑うことができるだろうか。
のじゃロリ美少女・野地ヤロリとして、包容力のある少女として振舞うことができるだろうか。
近くにあった手鏡を手に持って顔を映す。
試しに笑ってみる。
鏡には、ぎこちない笑顔を、形だけの笑顔を浮かべるおっさんが映っていた。
「くそっ」
(こんなんじゃダメだ)
今のままでは理想とする野地ヤロリを演じられない。
気を紛らわせるためにネットサーフィンをしていると、アクセス急上昇中の記事が目に入った。
「――えっ?」
目を疑った。
その記事の中に登場する、良く慣れ親しんだ名前に。
その記事の中に書かれている、衝撃的な内容に。
『Vtuber野地ヤロリの前世が判明!』
『人気男性配信者とVtuber野地ヤロリが交際していた!?』
(いや前世なんてねえよ)
矢井田は野地ヤロリが配信デビューだ。
他の名前で配信活動は一切していない。
その記事の中では名前は聞いたことがある程度の女性配信者が、なぜか野地ヤロリだと断言されている。
女性配信者が人気男性配信者と交際していた証拠として、2人のLINEのやり取りをスクショした画像が載せられている。
なぜそんな画像が流出したのかは不明だし、そのスクショの真偽もはっきりしないが、2人の熱愛がスクープされていた。
記事の中では、その女性配信者が野地ヤロリだと断言されている。
つまり野地ヤロリと人気男性配信者の交際が発覚したということだ。
――なんでだよ!
女性配信者が野地ヤロリであることは何の証拠もない憶測だ。
でも熱愛に関してはLINEのやりとりの流出という、いかにも真実っぽい画像があることで、ヤロリの正体に関する憶測までまるで真実のように見えてしまうらしい。
記事のコメント欄には、記事の内容を信じて野地ヤロリを批判する書き込みが無数にあった。
Vtuber野地ヤロリとしての平穏が、崩壊していく音が聞こえた。




