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20話 壁ドン

 配信をしていると厄介ガチ恋勢というのは少なからずいるものだ。

 でも彼らはみな画面越しの存在で、コメントという文字でしか関わることができない。

 だからリアルで初めて、厄介ガチ恋勢を目の当たりにしてドン引きしていた。


 イコは美少女だ。

 自分に自信があることは分かる。

 でもだからと言って、どうして自分がヤロリに特別視されていると思うのか。

 絶世の美少女な見た目に自信があるのなら顔写真でも送ってこいよと思う。

 そうしたらヤロリとしても、とんでもない美少女であるイコと関わることができるかもしれないのに。

 イコを理解することを諦めて、彼女から注意を逸らした。

 逸らして――しばらくして、気づく。


「イコがいない?」


 いつの間にかソファーにイコの姿が見えない。

 トイレにでも行ったのだろうか。

 様子がおかしかったから大丈夫か心配だ。

 ちゃんとトイレにいることを確認しようとして、配信部屋の扉が開いていることに気づく。


「なッ!?」


 扉は閉まっていたはずだ。

 イコが家に来るようになってからは、以前よりも気をつけて、配信部屋の扉は必ず閉めている。

 開けっ放しになることはあり得ない。

 誰かが――イコが開けない限り。


「イコ!」


 扉が開いた配信部屋の中に彼女がいた。

 本棚に置いてあるヤロリグッズを手に取っている。


「その扉を勝手に開けるなと言っただろ」

「ヤイダは、私以上のヤロリアンかもね」

「……ここから出ていけ」


 彼女が手にしているのは、もう製造していないグッズだ。

 今から手に入れようと思っても難しい。

 現在それを所持しているのは重度のヤロリアンか、ヤロリ本人ぐらいだ。


「でも負けないからっ。ヤイダ以上にヤロリのことを知ってみせるから」


 イコは意図的に無視して笑っている。

 この部屋だけは見られる訳にはいかない。

 ヤロリに関係するものが多く置いてあるだけでなく、ヤイダの動きをトレースしてアバターに反映させるためのカメラや、配信で使うためのマイクが置いてある。

 矢井田がヤロリだとバレかねないのだ。


「ここから出ていけ!」


 言うことを聞く気のないイコを強引に部屋から追い出して、配信部屋の扉を閉める。


「なんのつもりだ? どうして勝手に開けた」


 廊下の壁に背中を預けるイコ。

 彼女の身体の脇、右側と左側に両手をそれぞれついて迫る。

 いわゆる両手壁ドンの体勢だ。


 イコは今まで様々な要望を口にしていた。

 彼女が美少女なこともあって可愛いワガママにしか感じなかったら、できるだけ応えてきたつもりだ。

 でも――今の彼女の行動は明らかにラインを超えた。

 信頼関係を壊した。


 なぜそんなことをしたのか。

 しっかりと白状するまで逃がさない。

 それを行動で示すために、両手で彼女の逃げ場を失くした。


「ヤイダは私の、私だけものだから」


 イコが独占欲の強い人物であることは知っていた。

 ヤロリに対してあれだけの執着を見せている。

 でも――その矛先が、ただの隣に住むおっさんでしかなかったはずの自分にさえ向けられていることには気づいていなかった。


「誰にもとられたくない。だから私だけがヤイダの秘密を知るの。もっと知らなきゃ。秘密を知って――弱みを握って、ヤイダの特別にならなきゃ、ダメなの」

「なんだそれ……」


 呆れて力が抜けた。


「ヤイダにとって、私はどうでもいい存在?」


 先ほど、ヤロリはイコを特別視していないという当たり前の事実を突きつけた。

 それは矢井田が思っていた以上に、彼女の心を動揺させたらしい。

 ヤロリだけでなく、誰の特別にもなっていないと思ったのかもしれない。

 だからヤロリと関係のない(実際は本人だが)矢井田にすら、特別視されていないと思ったのだろう。

 そして――それはイコの中で、認められることではなかったらしい。


 イコが何を思って矢井田の部屋に入りびたっているかは分からない。

 便利な家政婦扱いか、弄びやすい玩具扱いをされているだけだと思っていた。

 だが違ったのかもしれない。


「私はヤイダの特別だよね?」


 縋るように見上げている。

 いつの間にか、矢井田はイコの中で大事な存在になっていたらしい。

 勝手なことをされて腹立たしいはずなのに、嬉しいと思ってしまう。


「イコは俺の特別だ」


 これは本当のことだ。

 イコを慰めるための嘘じゃない。

 悔しいことに、イコは特別な存在になっている。


「ヤイダは私を愛してくれる?」


(愛してくれる……だと?)


 その質問に簡単に答えることはできない。

 おっさんが女子高生の彼女を異性として愛することには問題があるからだ。

 そもそも彼女の言う愛の定義が分からない。

 異性愛なのか家族愛なのか友愛なのか。

 でも一つだけ、確信できることがあった。

 ここで彼女を拒絶すれば、二度と姿を見せなくなる。


「もちろんだ」


 だから、頷いた。


「ヤイダッ!」


 イコが抱き着いてくる。

 そして、耳元で囁いた。


「じゃあヤイダは私の下僕ね」

「……は?」

「だって私を愛してくれるんだよね?」


(この頭くるくるぱーの女め!)


 イカれた思考をしているイコに呆れつつ、心のどこかでホッとしていた。

 どうやら彼女の言う愛するという言葉の意味は、異性の、男女のそれではないらしい。

 自分に尽くしてくれるかどうか。ワガママな彼女が求める愛とはそういうものなのだろう。


「誰が下僕になんぞなるか」

「もう決まったことだから、拒否はできませーん」


 胸元に横顔を押しつけながら、彼女は生意気に言う。

 心臓の鼓動を聞かれていないだろうか。

 イコに密着されて、心臓は猛スピードでバクバクしているはずだ。


「勝手にあの部屋に入るなよ?」

「分かってるって」

「本当に分かってるのか?」

「だから分かってるってー、私は勝手にあの部屋に入らない、それでいいでしょ?」


 返事だけは調子がいい。


「本当に仕方のないやつだなぁ」

「それ好き」

「えっ?」

「仕方がないって言われるの、好き。だって私のために我慢してくれるってことでしょ?」


 この子は天性のワガママ娘だと思った。

 最悪の性格をしている。

 でも不思議と彼女のために何かをしたくなってしまうのは、矢井田が男で彼女が美少女だからだろう。


「下僕のヤイダにお願いがあるんだけど」

「なんだ?」


 イコは矢井田から離れて、壁に背をくっつける。


「もう一回して」

「何をだ?」

「さっきの壁ドン」

「……は?」

「さっきみたいに壁ドンしてよ」

「ほら早くっ」


 意味が分からなかったが、彼女の要望に従って壁に両手をついた。


「うーん、ちょっと違うなぁ」

「そんなこと言われても困るぞ」

「もうちょっと近づいてよ。さっきみたいに私を逃がしてたまるかって感じでさぁ」

「こうか?」


 本気で怒っていたときのことを思い出して再現する。

 冷静になってみると物凄く恥ずかしい体勢だ。


「も、もういいか?」

「ダメ。私がいいって言うまで止めないで」

「わ、分かった」


 イコと至近距離に接近したままポーズを保つ。


「……」


 イコは何も言ってこない。

 俯いていて、彼女より身長の高い矢井田からは表情が見えなかった。

 しばらくして――


「ねぇヤイダ」

「な、なんだ?」


 イコが顔を上げて目を見ながら言った。


「私、これダメかも」


 蕩け切った顔とでも言うべきか。

 快楽に身を委ねたときのように、完全にふにゃふにゃになっていた。


(めっちゃエロいんだが……)


「ヤイダぁ……」


(止めろ! 切なそうに俺の名前を呼ぶな! 俺を地獄に引きずり込もうとするんじゃない!)


 心の中に浮かぶ言葉は全く口から出てこなかった。

 今目の前にいる相手が女子高生じゃなくて大人の女性なら、とっくに己のリビドーを爆発して襲い掛かっている。

 ギリギリで踏みとどまっているのは、相手が未成年で、手を出してしまえば犯罪になるというブレーキが効いているからだ。

 でも今、そのブレーキも酷使しすぎて効かなくなりそうだった。


 イコと無言で見つめ合う。

 彼女は――静かに目を閉じた。


(そういうことなのか? そういうことだよな!?)


 ヤイダもゆっくりとイコに顔を近づける。

 キスはセーフだと自分に言い訳して。

 そして唇と唇が触れ合いそうになったとき、


 ――ピンポーン。


 チャイムがなって我に返った。

 慌ててイコから距離をとって離れる。


 どうやら通販で頼んでいた商品が届いたらしい、

 玄関に出て商品を受けとってリビングへと戻った。

 イコはソファーに座っている。


「何頼んだの?」


 頼んだ荷物の中身に興味津々な彼女からは、さっきまでの淫らな雰囲気がすっかり消えていた。

 残念なような、ホッとするような、不思議な気持ちになった。

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[一言] ふーん、え○ちじゃん
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